別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭

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武家の女(おなご)〈肆〉

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 与岐に来た再嫁の縁組は、同じ南町奉行所の与力とのものだった。数年前の冬に流行はやったやまいによって前妻に先立たれたのだと云う。

 二人の子を産んで弱った与岐の身体からだを慮ってか、先方にはもうすぐ元服を迎える嫡男がいて跡取りどころか子どもすら望まれなかった。
 その代わり、親子ほどとは云わぬものの、十歳とお以上も歳の離れた相手だった。

「……父上、御家同士の結びつきを重んじる武家に生まれながら、離縁なぞいたしたわたくしには身に余る縁組で……誠にありがたく存じまする」
「おお、さすればの話を進めてよいのでござるな」
 脇息に片肘ついていた父が、とたんに身を乗り出した。

「いえ……折角のお話でござりまするが、畏れながらご遠慮いたしとう存じまする」
 与岐は身を二つに折って深く頭を下げた。

「なにゆえだっ」
 父は声を荒げた。座敷じゅうにその声がひびく。

「——此れより、我が心に偽りなく答えますることをどうかお赦しくださりませ」
 与岐は神妙な面持おももちでさように前置くと、
「再嫁先で子を望まれぬのは、確かに安堵いたしてござりまする。
 さすれども、嫡男となられるさぬ御子の心持ちやら、新しく仕えるはは君のことやらをかんがみますると……」

 先方には嫡男以外に姑もいた。その姑は夫と死別して久しいと云うから、さようでなくとも嫁が亡き今、家中を一手に引き受けて差配しているに相違ない。
 またしても、与岐が気苦労するのは今から目に見えていた。

「——わたくしめでは、とても大任を果たせるとは思えませぬ」

「……とはいえどものう……」
 与岐の「仔細」を聞いた父は、また脇息に片肘をついた。
「一度他家に嫁したおまえを、いつまでも当家に置くわけにはゆかぬのだ」

 与岐も其れは重々承知していた。
 未だ家督は父にあり、奉行所での御役目に任ぜられているのも父ではあったが、数年前に妻を娶った兄はすでに嫡男・政五郎まさごろうをもうけており、着々と次代を担ういしずえを築いていた。
 さらに、此度こたび生家に身を寄せてみてはっきりと分かったのは、今や本田家の家中は母とあによめによって動いていると云うことだ。与岐はとっくの昔に「客人」になっていて、この家に居場所なぞない。

「本田の御家に面倒をかけることは、わたくしの本意ほいではござりませぬ。
 かくなる上は——町家に下がって余生を過ごしとう存じまする」

「町家だとっ。おまえは武家の身でありながら、町家で暮らすと申すかっ」
 脇息から飛び跳ねるように身を起こした父が怒鳴った。その声が座敷じゅうにとどろく。


 すると、次の間のふすまがすーっと開いた。
「父上、如何いかがなされた。さように大きな声を出されては、いくら壮健なお身体でござろうと何かと差し障りが……」

 二人きりでの話を案じて、おそらく隣の間に控えていたのであろう。
 見るに見かねた兄が、とうとう座敷の中に入ってきた。

 我に返った父は一つ咳払いをすると、改めて与岐に問うた。
「——して、町家で暮らすなどと軽々しく申してござるが、如何にして活計たつきを立てる心算こころづもりでござるか」
 
「町家で手習所てならいじょを開きとう存じまする」
 与岐はきっぱりと答えた。「手習所」とは、子どもたちに読み書きを教える学問所である。

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