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武家の女(おなご)〈伍〉
しおりを挟む「武家の者が町家で子ども相手に手習所なぞ——寺子屋ではないかっ。おまえは恥を知らぬのかっ」
またしても、父が声を張り上げそうになるのを、
「父上、お気をしかと保たれよ」
兄が静かな声で抑える。
「さような絵空事を……おまえは正気で申してござるのか」
とたんに押し潰した声に変わるが、されども父の苛立ちは隠せない。
「絵空事ではござりませぬ。わたくしは正気にてござりまする」
与岐はしっかりと面を上げて応じる。しばらく前より心に秘めていたことを、ようやく話せる刻が来た。
「父上は町家の手習所なぞ『寺子屋』とおっしゃいまするが……
青山緑町の奥方様は御前様に召される前、お国許にて町家で手習所をお開きになっていたと聞き及んでござりまする」
青山緑町に御屋敷を構えることから、巷では安芸国広島新田藩をかように呼ぶ。
その広島新田藩の初代藩主・浅野 宮内少輔 長賢に継室として召された「奥方様」は、一度は他家に嫁いだものの子に恵まれず離縁され、その後は武家の生まれにもかかわらず自ら望んで町家に住み、子どもたちに手習を教えておられたと云う。
そして、めでたきも藩主との間に御子を二人もうけられ幾分落ち着かれた頃合いの今、武家の若い女たちを「御行儀見習」と称して青山緑町の御屋敷に招いて教授している。
与岐も嫁入り前であらば、是非とも奥方様の教えを請いていたものをと口惜しく思うていた。
「なんと畏れ多い。藩主様の御家としがない奉行所の役人でござる我が家とを比べて如何いたす」
兄が渋い顔で苦言を呈す。
父はまさか「御大名様」が持ち出されるとは思いもよらず、わなわなと怒りに震えるばかりだ。
「さように畏れ多い奥方様が、すでに離縁されたおなごの行く手を身をもって指し示されてござりまする。武家の者が町家で手習所を開いたとて、何の恥がござりましょうぞ。
父上、兄上、どうかお赦しくださりませ」
「戯け者めがっ」
とうとう堪えきれなくなった父が、ものすごい剣幕で一喝した。
「おまえは何処まで我を通す気か、与岐っ」
「申し訳ございませぬ」
与岐はただただ腰を折って頭を深く下げるばかりだが、決して心は折れていなかった。
すると、父が鬼気迫る形相で与岐に問うた。
「しからば——かくなる上は、我が本田家と縁を切ってでも町家へ参る所存でござろうな」
御家が求める縁談を断って、一人町家へ移り住んで自ら暮らしを立てて行こうと云うのだ。生家から断絶されても仕方あるまい。
与岐はこの刹那、腹を決めた。顔を上げると、真正面から父を見据えた。
「元より、覚悟の上にてござりまする」
「……両人とも、頭に血が上ってござる。気を鎮められよ」
兄がため息と共に二人を制した。
「このままでは、互いに話など望めぬでござろう。
——ひとまず、此の件は某が預かるということで了見してござらんか」
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