別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭

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再逢〈肆〉

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「なにゆえに芙美を、気苦労させるに相違ない犬猿の仲である『北町』へと嫁入りさせたのでござりまするか。そもそも、千賀を松波家の多聞様へ嫁がせてさえおけば……」
 与岐は遣る瀬なさに唇を噛んだ。

 あの日町娘の姿に変装やつしていきなり此の仕舞屋を訪れた芙美は、あれから瞬く間に祝言の日取りが整って北町奉行所の年番方与力である佐久間家へ嫁いで行った。

「確かに千賀は多聞へ嫁ぎとう様子でござったが、母上がなかなか首を縦に振らぬがゆえに縁談がまとまらず、そうこうしてる間に北町と南町双方の御奉行様の仰せによって、多聞と佐久間の息女が縁付いてしもうたのだ。
 我らではどうしようもできぬ、御奉行様の御差配にてござる」
 又十蔵は苦りきった顔で弁明した。

「さような経緯いきさつは、千賀からも芙美からも聞いて存じておりまする」
 与岐は歯痒い思いを隠すことなく、又十蔵のげんを遮った。
「わたくしは千賀が多聞様と夫婦めおとになった暁には、今度は芙美を我が甥の政五郎と目合わせて我が実家さとである本田の家に迎え入れる心積もりをしてござった。
 さすれば、芙美一人に無理強いをさせる北町との縁組なぞあり得なかったものを……」
 芙美がまるで南町の人身御供かのごとく北町へ遣られたように思えて仕方がなかった。

「多聞との縁談が潰えてこのままではき遅れになろうかと云う千賀を迎え入れてござった本田の御家には、誠に面目のう思うてござる」
 神妙な面持ちで詫びる又十蔵に、
「されども、肝腎要の千賀はさようには思うておらぬようにて見受けられまするが」
 返す刀で与岐はさらに詰め寄った。

「嫁ぎ先でも実家での道理を通し、夫である政五郎ばかりか姑である我があによめ、さらには舅である我が兄までもがたいそう苦心しておりまする」
 実家を出て他家に嫁いだと云うのに、千賀は相変わらずであった。しかも、早々と嫡男の主税ちからを産んだゆえ、本田の家中かちゅうではまるで天下でも取ったかのごとき振る舞いである。
「おそらくさぬ仲の奥方様がいくら千賀に分別を説こうにも、千賀を不憫に思って甘やかす姑上からの横槍が入り、その果てにあのような者に育ってしまったのでござりましょうぞ。
 進藤様が奉行所の御役目で日々お忙しいとは云え、おのずからもっと家中に心配りせねばならなかったのではあるまいか」

「——まさしく、家中に目が行き届かなかった責めは我が身にござる」
 又十蔵は潔く認めた。

 ふと、与岐は妙な心持ちになった。
 ——進藤様は……かように「話のわかる」人でござったであろうか……

 かつて夫婦めおとであったといえども、家中には奉公人も含めて大勢の者が暮らしており、しかもあの姑の手前、奉行所勤めの多忙な「夫」とは話をするどころか顔を合わせることさえ憚られたように思う。
 実のところ、顔を突き合わせてまともに話をしたのは離縁の折くらいであった。

「……さりとて、あのような千賀が北町に縁付くことにならず、芙美でござったのは——天の采配かご先祖の御加護でござろう」
 又十蔵がしみじみと云った。

 その刹那、与岐の頭にカッと血がのぼった。
「なんと、姑上ばかりか進藤様までさようなことを……芙美のことを何だと思われてござるか」

 ——やはり、話のわかる人などではあらぬ。

「婚家に置いてきた娘たちが、かように育てられるとは夢にも思わなんだわ。
 やはり、わたくしが進藤の御家を出る際に千賀も芙美も一緒に連れて出るべきでござったッ」
 激昂した与岐は又十蔵に云い放った。

「いや、待て、早合点するな。芙美を無碍に扱っておるがゆえのことではござらぬ」
 又十蔵はあわてて云った。
「それに、北町といえども佐久間家はそなたが思うような御家ではあらぬ」

「わたくしが何も知らぬとお思いか。佐久間家は松波家に嫁がれた嫁御の御実家でござりまする。
 その嫁御——『北町小町』が婚家に如何いかなる扱いを受けたかは、町家の衆でも知ってござるわッ」
 
 そして……「北町小町」が松波家にされたことの「仕返し」を、此度佐久間家に嫁入った芙美が身代わりとなって受けているやもしれぬのだ。

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