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別れし夫婦の御定書(おさだめがき)〈完〉
しおりを挟む「だ、旦那様はご存知でござったのかっ」
与岐の方は平然とは返せなかった。今まで「進藤様」と呼んでいたのにもかかわらず、夫婦であった頃の呼び名にさえ戻っている。
「その相手の男は今、町家で剣術道場を開いてござると聞く。未だ独り身らしいな。
道場には武家も町家も分け隔てなく通うておるらしく、元服前までは克之助を通わせておった。もちろん、花江は節度を保ってござって、疚しいことなぞは一切ござらんがな」
かような口振りでは、おそらく人を遣って様子を探っているのであろう。
「さ、さようでござりまするか……」
与岐は呆然としたままつぶやいた。
「あれもまた……そなた同様、母上の犠牲になってござったな」
又十蔵はその目を眇めた。
「こちらに移られる際に、姑上を離れに蟄居されたと、奥方様に伺いましてござりまするが……」
「ああ、松波の家が富士に命じた策に便乗してござる。その手があったかと膝を打ってな。
さりとて、遅過ぎた。あの頃、今は亡き父上を押し切ってでも母上を蟄居すべきでござった。さすれば——そなたを失わずに済んだやもしれぬのに」
又十蔵の物云いは相変わらず淡々としていたが、その言葉は悔恨に満ちていた。
「あの頃は某も若く、考えなしの粗忽者でござった。身も心も弱ったそなたを、進藤の家から解き放つことが最善でござると——それしか思いつかなんだ」
そのとき、一陣の風が吹いた。与岐も又十蔵もどちらともなく坪庭に目を向ける。ちょうどこの時期は庭先に白い萩の花が咲いていた。
「——過ぎたことにてござりまする」
萩の花を見つめた与岐の口から、ぽつりとこぼれ出た。
「まことに……さようでござるな」
又十蔵もまた、萩の花を見つめながら深く肯くと、
「ただ…… 身体が治って、もし八丁堀に帰っても……時折、此処に来てこの庭を眺めてもようござるか」
独り言のように微かにつぶやいた。
そして、小さな白い蝶が羽を広げたかのごとき萩の花びらを、二人は言葉を忘れてただただ眺めた。
しばらくして、改めて口火を切ったのは与岐であった。
「花江様は、今すぐにでも離縁するのを望んでござったが……わたくしがお止めしてござりまする」
「そなたが……なにゆえに……」
珍しく又十蔵が意外そうな顔になった。
「進藤様は先ほど、ご子息の克之助殿は大人びて心配要らぬと仰せでござったが、元服を終えたばかりではまだまだ花江様のお力がござりませぬと立ち行きぬこともござりましょう」
「ま、まぁ……それは、確かに……」
「されど、克之助殿が立派に一人前に御成りにならば、花江様の進藤家での御役目は御免となりましょうぞ。
しからば、その折はわたくしが間に入り、必ずや進藤様に『去り状』を書いていただくと、花江様とお約束いたしてござりまする」
「そなたが花江の——つまり、先妻が後妻の離縁の手引きをすると云うのかっ」
流石の又十蔵も仰天した。世間体が悪いも何も、さようなことにならば「御家の恥」である。蟄居中の母が知れば卒倒するに相違ない。
「まぁ、嫌だ。『手引き』だなんて、お言葉が悪うござんすね。
離縁して町家に移り住んだわっちは、御武家など綺麗さっぱり忘れて今では『おなごの公事師』でござんす。せめて『指南』と云っておくんなまし」
与岐は町家言葉になって笑い飛ばした。
「もしも……御武家の柵がどうにも我慢できねぇってんだったら……そんでもって、進藤様も覚悟がおありなら——」
与岐はしかと又十蔵を見据えた。
「克之助殿が一人前になって花江様と離縁したら、此の町家に移り住めばようござんす」
「別れし夫婦の御定書」〈完〉
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えむ3さま
拙作を最後までお読みくださりありがとうございます🙇🏻♀️
登場人物にエールまで!重ねてありがとうございます(笑)
暑い日がまだまだ続くみたいですので、どうぞお体ご自愛くださいませね…
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フルシアンテさま
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退会済ユーザのコメントです
Gleezy:jpjtxnさま
お読みくださった上におすすめまでしていただき、ありがとうございます🙇🏻♀️