父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭

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父の秘密

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   ふすまが、ずっ…ずっ…ずっ…とゆっくりと開いていき、やがて丑丸の姿が見えた。
   お下がりの古着ではなく寝間着で、顔色は紙のように白い。若衆髷わかしゅまげに結っていた髪は今はざんばらに下ろしている。

   座敷の外では丑丸を止めることができなかったおよね・・・が、青井へ供するために淹れた茶を手にしたまま突っ立っている。
   座敷の内にいる茂三も為すすべがなく、ただ固唾を飲んで見守るしかない。

   丑丸は熱で倒れて以来、茂三夫婦の寝間の隣にある四畳半に寝かされて養生していた。
   ようやく熱は治ったものの、食べる気力はまだ戻らず、育ち盛りの子どもらしくふくふく・・・・していた頬が今やげっそりと面窶おもやつれしている。

   されども、ふらつくおのれの体を励まして居住まいをきちっと正した丑丸は、上座に座する青井との妻に対面すると深々と平伏した。
それがし、山口 政太郎しょうたろうが嗣子・丑丸と申す」
   生まれて初めて、武家としての名乗りをあげた。

「……おお、そなたが……」
   青井の妻、八千代が思わず身を乗り出す。
「その姿……なんと、いたわしい……」
   丑丸に駆け寄ろうとする八千代を、青井が鋭い声で遮った。
おもてを上げよ」

   丑丸がぱっと顔を上げる。すぐさま青井と目が合う。凄まじい眼力であった。
   広島新田しんでん藩主・浅野 宮内少輔くないしょうゆうを幼少の頃より刺客から命をかけて護ってきた「御前様の懐刀」の目だ。
   丑丸はひるみかけるおのれの心を励まして、ぐっと奥歯を噛み締めた。

「そちの父上は……山口 政太郎と云う名で間違いあるまいな」
   念を押す青井に、丑丸はしっかりと肯いた。
「さすれば……父上は如何いかがした」
「先般、流行病はやりやまいにより身罷ってござる」
   丑丸はいっさい目を逸らすことなく、きっぱりと応えた。

   ところが、青井の方が耐えかねて丑丸からふっと目を逸らす。
「やはり、江戸に参ってござったか……」
   そして、ぎゅっと目を瞑った。
「しかも、あと少し早ければ——否、広い江戸の町でかように『忘れ形見』に巡り会うことができたのも……やはり、兄上が天に出向かれたことによる采配でござろう」

   平生はまったく心のうちを見せぬ夫がかように心を乱しているのを、八千代は初めて見た。
「旦那様、『兄上』とはいったい……」

「ああ、そうだな。国許を知らぬおまえには申しておらなんだが……」
   青井は目を開けると、再び丑丸を——亡き兄が遺した「忘れ形見」を見つめた。

「実は兄が一人おってな。
   御前様の乳母の子として生まれた我らは、如何いかなるときところであれど、御前様に付き従ってお護りしてきた」

   浅野 宮内少輔の乳兄弟のもう片方は、丑丸の父であった。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   浅野 宮内少輔が広島新田藩主に任ぜられ江戸へ出立する折には、もちろん青井 政太郎・清二郎兄弟も近習(側近の家来)として参上する手はずとなっていた。

   元より前藩主の三男坊を刺客から護る御役目なぞ、いつ身代わりとして命を落としてもおかしゅうない。ゆえに、青井家の中では分家筋からとも遺さねばならぬほどの血筋ではない兄弟が選ばれていた。
   すでに両親は鬼籍に入っていたため、兄弟は許嫁いいなずけを定めることなく江戸へと移る支度をしていた。

   さすれども——

   母方の山口家で、まだ正妻に男子のおらぬ若い当主が急逝し「御家騒動」が起きてしまった。そして、あろうことか周りまわって兄の政太郎が山口本家の跡取りに祀り上げられてしまったのだ。

   武家は「御家のめい」が絶対である。しからば、政太郎はこの先の世を生ける屍のごとくなる覚悟で山口の姓を引き継ぎ、泣く泣く国許に残った。

   さような矢先、突如市井のおなごに生ませていたと云う亡き当主の「忘れ形見」が現れた。

   さすれば「血は水よりも濃し」とばかりに政太郎を祀り上げていたはずの手のひらがくるりと返されて、あれよあれよと云う間に次代の当主の座を「忘れ形見」に奪われてしまった。
   政太郎は刀の腕が立つだけでなく書芸の方も明るかったはずだが、権謀術数には長けていなかったのが仇となった。

   かような国許の風の便りを江戸で受け取ったときには、もう遅かった。針の筵の中で暮らすのに耐えきれなかった政太郎は、とっくに安芸国を出奔したあとであった。

   御前様は無理だとしても、せめて弟のおのれには頼ってきてほしいと清二郎は切に願っていたが——武家として、そして兄としての政太郎の矜持が赦さなかったのであろう。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   およねに差し出された京の煎じ茶を飲みつつ、青井は告げた。
「継ぐほどの御家でもあるまい、と思ってござったが、子ができればそうも云うておれぬ。 それがしの嗣子とならば、やがては我が広島新田藩の次代を引き継ぐ若様の近習を仰せつかることになろう」

   浅野 宮内少輔には嗣子・鍋二郎なべじろうがいた。のちの二代広島新田藩主・浅野 兵部少輔ひょうぶしょうゆう 長喬ながたかである。歳は丑丸よりとお近く上であった。

「丑丸、若様の御為おんためにおのれの命を身代わりに差し出せるか」
   其れは次代の「御前様の懐刀」になれるか、という問いだ。

   その刹那、丑丸の目がかっと見開かれ、青白かった頬にさっと朱が走った。
「——御意」
   丑丸は引き締まった面持おももちで、しかと応じた。

「……八千代」
   青井は妻の名を呼んだ。
「今後、丑丸は青山緑町で暮らすこととなり、新たな母が必要となるが、其れでもおまえは離縁して町家で手習い所を開いて暮らしを立てると申すか」
   青山緑町に広島新田藩の藩邸があるゆえだ。

「滅相もない。丑丸殿の母となりて青山緑町にて精進いたしとう存じまする」
   八千代は三つ指をついて頭を下げた。

「それから、もう一つ——」
   なぜか、青井は妻から目を逸らしつつ告げた。
「……昔なじみだかなんだか知らぬが、淡路屋の若主人には金輪際頼るな」

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