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January
プロポーズとは…… Side 翠葉 01話
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「リィはあまり全力で掃除しちゃだめだよー? このあと年越し初詣でしょ? 初日の出まで見に行くんでしょ?」
そうは言われても、年末の大掃除で手を抜けるわけがない。
自宅がふたつある我が家は、幸倉の家は両親が、藤倉のゲストルームは子どもたちが掃除することになり、今日は朝からバタバタしていた。
そんな一日も夕方五時には普段の落ち着きを取り戻し、今日ばかりは夕飯を作るのが億劫という唯兄の意見を尊重し、私たちはコンシェルジュへ夕飯のオーダーをしたのだった。
夕飯を食べ終わると、
「リィは仮眠とったら?」
「うーん……。明日から三日間はあまりピアノに触れないから、お風呂に入ったらミュージックルームでピアノの練習する」
「でも、帰ってくるのは明朝だろ? 平気か?」
蒼兄も唯兄も心配そうな顔をしている。でも、私自身はさほど疲れを感じておらず、まだまだ動けそうな気がしていた。
「たぶん大丈夫。楽しみなことばかりだからかな? まだまだ動けそう」
「ま、司が一緒だから大丈夫かなぁ……。具合が悪くなったらすぐ司に言うんだぞ?」
「うん」
お風呂に入ったあと、私は唯兄の厳しい防寒対策チェックをクリアしてからミュージックルームへ向かった。
通路を歩きながらあくびをひとつ。
さっきまでは眠気の「ね」の字も感じなかったのに、夕飯を食べお風呂に入ったからだろうか、ちょっとだけ眠い。
もしかしたら、身体のあちこちに貼ったカイロの熱が眠気を誘っているのかもしれない。
時計を見れば八時四十分。
ツカサがミュージックルームに来るのは九時だから、それまで少しだけ横になろう。
万が一眠ってしまったとしても、ツカサが来た時点で「こんなところで寝るな」と起こされるはず。
そんな算段のもと、私はソファに横になった。
意識が浮上するのを感じながら、伸びをするように両腕を伸ばす。と、何かに手が当たった。
「んー……?」
頭上を見ると、黒いタートルネックを着たツカサがにっこりと笑っていた。
「おはよう。よく眠れたみたいで何より」
うっかり赤面しそうになったけれど、これは赤面などしている場合ではないのではなかろうか。
「今何時っ!? どうしてツカサが本読んでるのっ!?」
ツカサは足を組んで本を開いており、いかにもくつろいでいたふう。
私はツカサの左手に飛びつき、時刻の確認する。
九時五十四分……? えええ、十時前っ!? あれから一時間も過ぎていたの!?
あまりにもびっくりしすぎてソファから転がり落ちる。と、目の前にツカサの手が差し伸べられ、私は両手でその手を掴んだ。
「ツカサが来るまで少し休むつもりだっただけなのっ。ここで寝ようと思ったわけじゃないのよっ!?」
嘘じゃないのよ……?
ツカサの目をじっと見つめると、ツカサは目を細め、くっ、と喉の奥を鳴らして笑った。
そして、笑った顔のまま一言、
「頼むから、俺が来ない日にここで横になったりするなよ?」
私は二回も三回も首を縦に振って約束する。
「じゃ、用意して出よう。ロータリーに警護班の車が待機しているから」
優しすぎるツカサに少し違和感を覚えつつ、私は「はい」と答えた。
佐野くんちの神社は思っていたよりも大きくて、ツカサの話だと一宮神社という位の高い神社なのだそう。
そういう神社はこれが普通なのか、年始までまだ一時間もあるのにたくさんの人で溢れかえっていた。
初詣の人ごみを経験したことがないわけではないけれど、家族で行くのは近所の氏神様で、ここまでの規模のものではなかったことから、正直ちょっと面食らっていた。
参道を等間隔に照らす篝火に気をとられていると、
「翠」
ツカサに名前を呼ばれ、手をつながれた。
まるで自分がちっちゃい子のように思えて少し恥ずかしい。でも、手をつないでもらえたことが嬉しくて、思わず口元が緩んだ。
「新年まであと一時間あるのにすごい人ね?」
嬉しい気持ちのまま声をかけると、
「俺もこういう初詣は初めてだから、ちょっと面食らってる」
あ、私と同じ……。
そんな思いにまた口元が緩み、ツカサがいつもはどんな初詣をしているのか尋ねてみると、藤山の中に神社があることを教えてくれた。
「今度行ってみたいな」
「それなら、少しあたたかくなってから案内する」
「楽しみにしてるね」
「そんな楽しみにするほどのものでもないけど……」
それは絶対に謙遜だと思う。だって藤山の中にある「神社」なのだ。
そんなの、間違いなくたくさん藤が植わっていて、五月には見事な花を咲かせるに違いない。
そんな想像をしながら、私は脳内スケジュールに予定を書き込んだ。
手水舎で手を洗って少し開けた場所へ出ると、佐野くんが手を振りながらやってきた。
寒さからか鼻が少し赤くなっていてちょっとかわいい。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
「今年は来れたな」
それは暗に去年のことを指しているわけで……。
「去年はものすごく心配かけちゃったよね。ごめんね?」
「もういいよ。でも、これからはずっと元気でいて」
「それはものすごく難しそう」
佐野くんと顔を見合わせ笑う。と、
「翠葉ちゃーん、いらっしゃーい!」
数メートル離れたところから弾丸よろしくやってきたのは柊ちゃん。
正面から受け止めるつもりでいると、隣のツカサに手を引かれ、柊ちゃんは素通りする羽目に。
慌てて後ろ姿を追うと、柊ちゃんは私とツカサの警護班の人たちへ突っ込んでいた。
すぐに体勢を整えた柊ちゃんは、腰を直角に折って「ごめんなさい」と謝ると、くるりと進行方向を変えて戻ってきた。そして、何事もなかったかのように、
「こんばんは! むっちゃくちゃ寒いけど、翠葉ちゃん大丈夫?」
そんな柊ちゃんがかわいくて、思わず抱きしめたい衝動に駆られる。
「あちこちにカイロ貼って、防寒対策万全!」
「考えてみれば芸大祭以来だよね? その後レッスンはどう?」
「そうだなぁ、仙波先生のスパルタに拍車がかかってます?」
「それ、全然想像できないよ。うちの教室では優しい先生で通ってるから」
「なんていうのかな、口調は相変わらず丁寧で、指導だけが厳しくなる感じ。でもね、先生の仰ったとおりだった。ホームレッスンにした分、練習時間が取れるようになったの」
「そっかそっか、よかったね。ところで翠葉ちゃん、お隣の人って、もしかして彼氏?」
好奇心丸出しの柊ちゃんに詰め寄られ、私はコクリと頷いた。
少しの間放ったらかしにしてしまったツカサへ柊ちゃんを紹介しようと口を開く。と、人の声がかぶさり、自分の声が聞こえなくなってしまった。
「うおおお! やっべ、めっちゃかわいい! 人形みてぇっ! 髪、すんげー長くなってるし!」
やけに大きな話し声だな、と思いながら声のした方へ視線を向けると、こちらへ向かって歩いてくる聖くんと見知らぬ男子だった。
声を発していたのは聖くんの友達のようだけど、どうして私のことをじっと見ているのだろう……。
視線を逸らすに逸らせないでいると、ぴょん、と聖くんの前へ飛び出て自己紹介を始めた。
「はじめましてっ! 聖たちと同じ高校の山田太郎ですっ! 俺、中学んときに藤宮病院に入院してたことがあって、明とも知り合いなんだけど、リハビリルームに来る御園生さんのことも何度か見かけたことがあるんだ!」
一息に言われて面食らう。
いきなり自己紹介されたことにも驚いたし、病院で見かけたことがあるという話にも驚いた。
もっと言うなら、後者はあまり嬉しい話題ではない。
でも、病院や入院に対してマイナスな印象がない人の場合、初対面で話す際のとっかかりのひとつになると思うのは仕方のないことかもしれなくて――
うん、これは完全に私側の問題。
で、期待に満ちた目で見られている今、私には何かしらの反応が求められているわけだけど、えぇとえぇとえぇと……やっぱり自己紹介から……?
そこに考えが至ったとき、以前涼先生に言われた言葉が頭をよぎり、名前を言うと同時、ほぼ条件反射で左手を差し出していた。
するとその人は、感極まった様子で私の手を両手で包む。
びっくりした私は、自分から手を差し出したくせに、反射的に手を引きそうになっていた。すると、それまでふんわり掴んでいた手が、ガシッと手を掴みなおし、さらには手を注視し始める。
「左手に指輪? ……えっ、薬指っ!?」
先日の慧くんと同じような反応に、これが一般的な反応なのだろうか、と思う。
先日と同様の説明をしなくちゃいけないのかと思うと、なおのこと手を引き隠してしまいたくなる。
だって、あのときとは違う。今日はプレゼントした本人がすぐ隣にいるのだから。
身体ごと引き気味になっていたところ、私をかばうようにツカサが間に入ってくれた。
左手も開放されてほっとしたのは束の間。
ツカサの発っした言葉に瞬きすらできなくなる。
しばしの時間が流れてはっとした。
「へ? 婚約者?」
「婚約者って……?」
山田くんとほぼ同時に言葉を発し、ツカサの後頭部をじっと見つめる。と、ゆっくりと振り返ったツカサの表情に、何か言ってはいけないことを口にしたのだろうか、と不安に思った。
でも、すでに声に出してしまったし、声に出さなかったなら、この疑問は大きく膨らむ一方だっただろう。
「俺が結婚を前提で交際を申し込み、翠が了承した時点で婚約は成立したものだと思っているけど――」
「えっ!?」
それって四月の話……?
図書棟の生徒会室で交わした言葉は覚えているけど、あれで婚約まで成立していたの……?
ツカサは薄っすらと笑みを浮かべ、
「えって何? それ、どこに疑問を持ったわけ?」
「えと、婚約っていうところ……?」
小さな声で答えると、
「婚約――つまり結婚の約束をした時点で婚約の状態なわけだけど、何。異存があるとでも?」
つないでいた右手を引かれ、ツカサの真正面に立たされる。
「……ないような、あるような……」
もはや視線を合わせていることはできず、白々しく視線を逸らしてみたりする。と、
「それ、どっちなの?」
有無を言わさない詰問に、
「若干あります……」
「どこら辺に」
まじまじと見下ろされているのを感じ、恐る恐る視線を戻す。
私は観念して、
「あれ、プロポーズだったの?」
さっきよりさらに小さな声で尋ねた。
でも、返事はなんとなくわかっていた。
たぶん表情ひとつ変えずにこう言うのだ。「そのつもりだけど……」と。
そしてそれは的中した。
直後、ものすごく呆れた顔で、
「でも、俺にその気があっても言われた側がまったくその意図を汲んでなかったら意味がないから、もう一度言う。付き合う限りは結婚まで考えているし、そのつもりで付き合ってきたんだけど、何か異存は?」
異存異存異存……――異存はない、かな? うん、話の中身に異存はない。けれども、不満なら多分にある。
私は確認するように、
「だからそれ……プロポーズなの?」
ツカサは困惑した表情で、
「何をどう話したら正解なの?」
決して遠回りすることなく核心部分を問いただしにくるところがツカサらしい。
でも、それに対する答えは言いたくない……。
不満を言語化できないわけじゃなくて、できることなら察してほしい。ツカサ自身で気づいてもらいたい。
それは相手に求めすぎだろうか。
もとはといえば、語句の意味をきちんと理解せずに了承してしまった自分が悪いわけで……。
そうは思っても言い訳をしたくもなる。
あのときは、付き合う付き合わないという話に一挙一動していて、ツカサの言葉が「婚約」を指していることに気づけなかったのだ。
悶々としていると、
「あぁ、わかった。結婚してください?」
「そんなに投げやりに言わないでっ!」
「投げやりにだってなるだろ。四月にそのつもりで会話してて、さらにはクリスマスパーティーで婚約指輪の代わりのプレゼントって指輪まで渡してるんだから」
今までの口調よりも語気が荒く、声に熱量を感じた。
その熱に、少しの冷静さを取り戻す。
プロポーズをまるで日常会話のように済ませた人と、プロポーズに気づかず素通りしてしまった人は、はたしてどちらの分が悪いのか――
そんなことを考えてしまうと、強く言える身ではない気がしてくるわけで、結果、
「そうなんだけど……婚約、とまではたどり着いていなくて……」
若干の後ろめたさに語尾を濁す物言いになってしまう。
「じゃ、今たどり着いて。俺が大学を卒業したら入籍するよ」
有無を言わせない物言いに、もはや「はい」以外の返事はなかった。
「俺が高校を卒業したら、もう少しきちんと形にするから」
「きちんと……?」
ツカサは静かに口を開き、
「周りに公表するということ。つまりは婚約発表。結納とまではいかずとも、両家揃っての会食くらいはするべきだと思う」
こんやくはっぴょう……?
完全に思考がストップしたところで、
「まだ何かあるの?」
何かあるというよりは、もう少しスローテンポでお願いします。
なんていうかなんていうか――
「現実味がないというかなんというか……」
気分的にはツカサより五歩くらい後ろに置いてきぼりを食らっている感じだ。
「じゃ、家に帰ったら三月末か四月頭に会食するって家族に伝えて。それで少しは真実味が増すんじゃないの?」
今この時点で現実に追いついていないのだけど、それはどうしたら……。
ツカサの腕に閉じ込められ途方に暮れていると、
「はい、そこまで。あんたここが屋外で公衆の面前ってこと忘れてない?」
飛び切り涼しい桃華さんの呆れ声が耳に届いてはっとする。
パチパチという薪の燃える音や周りのざわめきが聞こえてきて、ここが外であることや、公衆の面前であることを認識する。
パニックを起こしそうになっていると、ツカサの腕を振り払った桃華さんが私の身柄を確保してくださった。
心配そうに私の顔を覗き込んだ桃華さんは、
「新年までまだ時間があるわ。佐野んちの地下スタジオに場所移すわよ」
私は桃華さんに連れられるまま、佐野くんのおうちの地下スタジオへ連行された。
そうは言われても、年末の大掃除で手を抜けるわけがない。
自宅がふたつある我が家は、幸倉の家は両親が、藤倉のゲストルームは子どもたちが掃除することになり、今日は朝からバタバタしていた。
そんな一日も夕方五時には普段の落ち着きを取り戻し、今日ばかりは夕飯を作るのが億劫という唯兄の意見を尊重し、私たちはコンシェルジュへ夕飯のオーダーをしたのだった。
夕飯を食べ終わると、
「リィは仮眠とったら?」
「うーん……。明日から三日間はあまりピアノに触れないから、お風呂に入ったらミュージックルームでピアノの練習する」
「でも、帰ってくるのは明朝だろ? 平気か?」
蒼兄も唯兄も心配そうな顔をしている。でも、私自身はさほど疲れを感じておらず、まだまだ動けそうな気がしていた。
「たぶん大丈夫。楽しみなことばかりだからかな? まだまだ動けそう」
「ま、司が一緒だから大丈夫かなぁ……。具合が悪くなったらすぐ司に言うんだぞ?」
「うん」
お風呂に入ったあと、私は唯兄の厳しい防寒対策チェックをクリアしてからミュージックルームへ向かった。
通路を歩きながらあくびをひとつ。
さっきまでは眠気の「ね」の字も感じなかったのに、夕飯を食べお風呂に入ったからだろうか、ちょっとだけ眠い。
もしかしたら、身体のあちこちに貼ったカイロの熱が眠気を誘っているのかもしれない。
時計を見れば八時四十分。
ツカサがミュージックルームに来るのは九時だから、それまで少しだけ横になろう。
万が一眠ってしまったとしても、ツカサが来た時点で「こんなところで寝るな」と起こされるはず。
そんな算段のもと、私はソファに横になった。
意識が浮上するのを感じながら、伸びをするように両腕を伸ばす。と、何かに手が当たった。
「んー……?」
頭上を見ると、黒いタートルネックを着たツカサがにっこりと笑っていた。
「おはよう。よく眠れたみたいで何より」
うっかり赤面しそうになったけれど、これは赤面などしている場合ではないのではなかろうか。
「今何時っ!? どうしてツカサが本読んでるのっ!?」
ツカサは足を組んで本を開いており、いかにもくつろいでいたふう。
私はツカサの左手に飛びつき、時刻の確認する。
九時五十四分……? えええ、十時前っ!? あれから一時間も過ぎていたの!?
あまりにもびっくりしすぎてソファから転がり落ちる。と、目の前にツカサの手が差し伸べられ、私は両手でその手を掴んだ。
「ツカサが来るまで少し休むつもりだっただけなのっ。ここで寝ようと思ったわけじゃないのよっ!?」
嘘じゃないのよ……?
ツカサの目をじっと見つめると、ツカサは目を細め、くっ、と喉の奥を鳴らして笑った。
そして、笑った顔のまま一言、
「頼むから、俺が来ない日にここで横になったりするなよ?」
私は二回も三回も首を縦に振って約束する。
「じゃ、用意して出よう。ロータリーに警護班の車が待機しているから」
優しすぎるツカサに少し違和感を覚えつつ、私は「はい」と答えた。
佐野くんちの神社は思っていたよりも大きくて、ツカサの話だと一宮神社という位の高い神社なのだそう。
そういう神社はこれが普通なのか、年始までまだ一時間もあるのにたくさんの人で溢れかえっていた。
初詣の人ごみを経験したことがないわけではないけれど、家族で行くのは近所の氏神様で、ここまでの規模のものではなかったことから、正直ちょっと面食らっていた。
参道を等間隔に照らす篝火に気をとられていると、
「翠」
ツカサに名前を呼ばれ、手をつながれた。
まるで自分がちっちゃい子のように思えて少し恥ずかしい。でも、手をつないでもらえたことが嬉しくて、思わず口元が緩んだ。
「新年まであと一時間あるのにすごい人ね?」
嬉しい気持ちのまま声をかけると、
「俺もこういう初詣は初めてだから、ちょっと面食らってる」
あ、私と同じ……。
そんな思いにまた口元が緩み、ツカサがいつもはどんな初詣をしているのか尋ねてみると、藤山の中に神社があることを教えてくれた。
「今度行ってみたいな」
「それなら、少しあたたかくなってから案内する」
「楽しみにしてるね」
「そんな楽しみにするほどのものでもないけど……」
それは絶対に謙遜だと思う。だって藤山の中にある「神社」なのだ。
そんなの、間違いなくたくさん藤が植わっていて、五月には見事な花を咲かせるに違いない。
そんな想像をしながら、私は脳内スケジュールに予定を書き込んだ。
手水舎で手を洗って少し開けた場所へ出ると、佐野くんが手を振りながらやってきた。
寒さからか鼻が少し赤くなっていてちょっとかわいい。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
「今年は来れたな」
それは暗に去年のことを指しているわけで……。
「去年はものすごく心配かけちゃったよね。ごめんね?」
「もういいよ。でも、これからはずっと元気でいて」
「それはものすごく難しそう」
佐野くんと顔を見合わせ笑う。と、
「翠葉ちゃーん、いらっしゃーい!」
数メートル離れたところから弾丸よろしくやってきたのは柊ちゃん。
正面から受け止めるつもりでいると、隣のツカサに手を引かれ、柊ちゃんは素通りする羽目に。
慌てて後ろ姿を追うと、柊ちゃんは私とツカサの警護班の人たちへ突っ込んでいた。
すぐに体勢を整えた柊ちゃんは、腰を直角に折って「ごめんなさい」と謝ると、くるりと進行方向を変えて戻ってきた。そして、何事もなかったかのように、
「こんばんは! むっちゃくちゃ寒いけど、翠葉ちゃん大丈夫?」
そんな柊ちゃんがかわいくて、思わず抱きしめたい衝動に駆られる。
「あちこちにカイロ貼って、防寒対策万全!」
「考えてみれば芸大祭以来だよね? その後レッスンはどう?」
「そうだなぁ、仙波先生のスパルタに拍車がかかってます?」
「それ、全然想像できないよ。うちの教室では優しい先生で通ってるから」
「なんていうのかな、口調は相変わらず丁寧で、指導だけが厳しくなる感じ。でもね、先生の仰ったとおりだった。ホームレッスンにした分、練習時間が取れるようになったの」
「そっかそっか、よかったね。ところで翠葉ちゃん、お隣の人って、もしかして彼氏?」
好奇心丸出しの柊ちゃんに詰め寄られ、私はコクリと頷いた。
少しの間放ったらかしにしてしまったツカサへ柊ちゃんを紹介しようと口を開く。と、人の声がかぶさり、自分の声が聞こえなくなってしまった。
「うおおお! やっべ、めっちゃかわいい! 人形みてぇっ! 髪、すんげー長くなってるし!」
やけに大きな話し声だな、と思いながら声のした方へ視線を向けると、こちらへ向かって歩いてくる聖くんと見知らぬ男子だった。
声を発していたのは聖くんの友達のようだけど、どうして私のことをじっと見ているのだろう……。
視線を逸らすに逸らせないでいると、ぴょん、と聖くんの前へ飛び出て自己紹介を始めた。
「はじめましてっ! 聖たちと同じ高校の山田太郎ですっ! 俺、中学んときに藤宮病院に入院してたことがあって、明とも知り合いなんだけど、リハビリルームに来る御園生さんのことも何度か見かけたことがあるんだ!」
一息に言われて面食らう。
いきなり自己紹介されたことにも驚いたし、病院で見かけたことがあるという話にも驚いた。
もっと言うなら、後者はあまり嬉しい話題ではない。
でも、病院や入院に対してマイナスな印象がない人の場合、初対面で話す際のとっかかりのひとつになると思うのは仕方のないことかもしれなくて――
うん、これは完全に私側の問題。
で、期待に満ちた目で見られている今、私には何かしらの反応が求められているわけだけど、えぇとえぇとえぇと……やっぱり自己紹介から……?
そこに考えが至ったとき、以前涼先生に言われた言葉が頭をよぎり、名前を言うと同時、ほぼ条件反射で左手を差し出していた。
するとその人は、感極まった様子で私の手を両手で包む。
びっくりした私は、自分から手を差し出したくせに、反射的に手を引きそうになっていた。すると、それまでふんわり掴んでいた手が、ガシッと手を掴みなおし、さらには手を注視し始める。
「左手に指輪? ……えっ、薬指っ!?」
先日の慧くんと同じような反応に、これが一般的な反応なのだろうか、と思う。
先日と同様の説明をしなくちゃいけないのかと思うと、なおのこと手を引き隠してしまいたくなる。
だって、あのときとは違う。今日はプレゼントした本人がすぐ隣にいるのだから。
身体ごと引き気味になっていたところ、私をかばうようにツカサが間に入ってくれた。
左手も開放されてほっとしたのは束の間。
ツカサの発っした言葉に瞬きすらできなくなる。
しばしの時間が流れてはっとした。
「へ? 婚約者?」
「婚約者って……?」
山田くんとほぼ同時に言葉を発し、ツカサの後頭部をじっと見つめる。と、ゆっくりと振り返ったツカサの表情に、何か言ってはいけないことを口にしたのだろうか、と不安に思った。
でも、すでに声に出してしまったし、声に出さなかったなら、この疑問は大きく膨らむ一方だっただろう。
「俺が結婚を前提で交際を申し込み、翠が了承した時点で婚約は成立したものだと思っているけど――」
「えっ!?」
それって四月の話……?
図書棟の生徒会室で交わした言葉は覚えているけど、あれで婚約まで成立していたの……?
ツカサは薄っすらと笑みを浮かべ、
「えって何? それ、どこに疑問を持ったわけ?」
「えと、婚約っていうところ……?」
小さな声で答えると、
「婚約――つまり結婚の約束をした時点で婚約の状態なわけだけど、何。異存があるとでも?」
つないでいた右手を引かれ、ツカサの真正面に立たされる。
「……ないような、あるような……」
もはや視線を合わせていることはできず、白々しく視線を逸らしてみたりする。と、
「それ、どっちなの?」
有無を言わさない詰問に、
「若干あります……」
「どこら辺に」
まじまじと見下ろされているのを感じ、恐る恐る視線を戻す。
私は観念して、
「あれ、プロポーズだったの?」
さっきよりさらに小さな声で尋ねた。
でも、返事はなんとなくわかっていた。
たぶん表情ひとつ変えずにこう言うのだ。「そのつもりだけど……」と。
そしてそれは的中した。
直後、ものすごく呆れた顔で、
「でも、俺にその気があっても言われた側がまったくその意図を汲んでなかったら意味がないから、もう一度言う。付き合う限りは結婚まで考えているし、そのつもりで付き合ってきたんだけど、何か異存は?」
異存異存異存……――異存はない、かな? うん、話の中身に異存はない。けれども、不満なら多分にある。
私は確認するように、
「だからそれ……プロポーズなの?」
ツカサは困惑した表情で、
「何をどう話したら正解なの?」
決して遠回りすることなく核心部分を問いただしにくるところがツカサらしい。
でも、それに対する答えは言いたくない……。
不満を言語化できないわけじゃなくて、できることなら察してほしい。ツカサ自身で気づいてもらいたい。
それは相手に求めすぎだろうか。
もとはといえば、語句の意味をきちんと理解せずに了承してしまった自分が悪いわけで……。
そうは思っても言い訳をしたくもなる。
あのときは、付き合う付き合わないという話に一挙一動していて、ツカサの言葉が「婚約」を指していることに気づけなかったのだ。
悶々としていると、
「あぁ、わかった。結婚してください?」
「そんなに投げやりに言わないでっ!」
「投げやりにだってなるだろ。四月にそのつもりで会話してて、さらにはクリスマスパーティーで婚約指輪の代わりのプレゼントって指輪まで渡してるんだから」
今までの口調よりも語気が荒く、声に熱量を感じた。
その熱に、少しの冷静さを取り戻す。
プロポーズをまるで日常会話のように済ませた人と、プロポーズに気づかず素通りしてしまった人は、はたしてどちらの分が悪いのか――
そんなことを考えてしまうと、強く言える身ではない気がしてくるわけで、結果、
「そうなんだけど……婚約、とまではたどり着いていなくて……」
若干の後ろめたさに語尾を濁す物言いになってしまう。
「じゃ、今たどり着いて。俺が大学を卒業したら入籍するよ」
有無を言わせない物言いに、もはや「はい」以外の返事はなかった。
「俺が高校を卒業したら、もう少しきちんと形にするから」
「きちんと……?」
ツカサは静かに口を開き、
「周りに公表するということ。つまりは婚約発表。結納とまではいかずとも、両家揃っての会食くらいはするべきだと思う」
こんやくはっぴょう……?
完全に思考がストップしたところで、
「まだ何かあるの?」
何かあるというよりは、もう少しスローテンポでお願いします。
なんていうかなんていうか――
「現実味がないというかなんというか……」
気分的にはツカサより五歩くらい後ろに置いてきぼりを食らっている感じだ。
「じゃ、家に帰ったら三月末か四月頭に会食するって家族に伝えて。それで少しは真実味が増すんじゃないの?」
今この時点で現実に追いついていないのだけど、それはどうしたら……。
ツカサの腕に閉じ込められ途方に暮れていると、
「はい、そこまで。あんたここが屋外で公衆の面前ってこと忘れてない?」
飛び切り涼しい桃華さんの呆れ声が耳に届いてはっとする。
パチパチという薪の燃える音や周りのざわめきが聞こえてきて、ここが外であることや、公衆の面前であることを認識する。
パニックを起こしそうになっていると、ツカサの腕を振り払った桃華さんが私の身柄を確保してくださった。
心配そうに私の顔を覗き込んだ桃華さんは、
「新年までまだ時間があるわ。佐野んちの地下スタジオに場所移すわよ」
私は桃華さんに連れられるまま、佐野くんのおうちの地下スタジオへ連行された。
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「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
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*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
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