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March
未来の約束 Side 司 03話
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温室に入ると、翠は屋内の人間に視線を走らせる。つられて視線をめぐらせると、二十代から三十代と思われるカップルが四組と老夫婦が二組。老夫婦以外の男女の不自然な距離感を鑑みるに、見合い中を彷彿とさせた。
翠を中央近くのテーブルへ案内すると、俺は上着の内ポケットに入れていたものを取り出す。
それは、昨日市役所で手に入れた婚姻届。
翠は不思議そうな顔で、「それ、なあに?」としげしげと封筒を見つめていた。
封筒から用紙を取り出して数秒後、
「婚姻届っ!?」
あまりの声の大きさに驚いたが、つまりは翠もそのくらい驚いた、ということなのだろう。
三つ折のそれを丁寧に広げ、翠の前に差し出すと、
「入籍は六年後でしょう? どうして婚姻届なんて――」
まじまじと婚姻届を見る翠は、俺の記入欄がすでに埋まっていることに気づいたようだ。
「本当は婚約指輪を贈りたかったけど、それは六年後の結納のときにって話になっただろ? だから、その代わりになるものが欲しくて」
俺は追加でペンを取り出し、翠の右手に握らせた。
翠はペンと婚姻届を何度か視線を往復させ、婚姻届を注視し始めた。けれども、ペンのキャップをはずすには至らない。
「安心していい。俺と翠が記入したところでまだこれは完成じゃないから」
「どういうこと……?」
「ここ」
向かって左側の証人欄を指差し、
「ここに成人ふたりの名前が必要。俺が大学を卒業したら、うちの父さんと零樹さんに記入してもらう予定。それまでは未完成の婚姻届」
翠は証人欄を見たまま動きが止まってしまった。
「書くの、抵抗ある?」
翠ははじかれたように顔を上げ、
「ううん、そういうことじゃないの。ただ、ちょっと緊張してしまっただけ……」
「書き損じても問題はない。予備であと二枚もらってきてるから」
茶封筒からその二枚を取り出して見せると、翠は「クスリ」と笑みを零した。
俺は決まり悪く視線を逸らし、市役所でのやり取りを思い出していた。
婚姻届はほかの申請書とは違い窓口でもらう必要があった。そこで、婚姻届を所望したところ、受付の女性に「え?」という顔をされた。
たぶん、未成年で婚姻届をもらいに来る人間は少ないのだろう。そのうえ、「三枚」と言ったのが驚かせた要因かもしれない。「書き損じ用に」と付け足すと、慌てた様子で用紙を三枚用意してくれた。
翠は一文字一文字丁寧に書き連ねていく。じっとその様子を見ていると、
「あ……でも、今日は印鑑持ってないよ?」
「後日捺印すればいい」
すべての欄が埋まっていることを確認すると、俺は封筒に婚姻届を戻した。
「これ、俺が持っていても?」
「もちろん」
実際の重量とは異なる重みを感じる用紙をもとの封筒へ戻し、一番安全な胸元へとしまった。
翠に視線を戻すと、
「結納のとき、ツカサは婚約指輪をくれるのでしょう? 私は何を返せばいい? 何か欲しいもの、ある?」
期待に満ちた目で訊いてくる様がかわいい。その目の輝きは、まだ幼い煌に通じるものがあった。
でも、欲しいもの、か……。
男である自分が常に身につけていられるものは限られている。
結納の返礼品に多いのは時計だと聞くが、自分も例外ではない。
「秒針つきの時計、かな……。医者になってからも使えるし」
「じゃ、そのときになったら時計探しに行こうね?」
未だ翠と買い物を主体としたデートに出かけたことがないだけに、その日がちょっと楽しみになる。でもその前に、翠と買い物へ出かけるのもいいかもしれない。
そんなことを考えているところへ園田さんがメニューを持ってやってきた。
「司様、翠葉お嬢様、本日はご婚約おめでとうございます」
深々と頭を下げる園田さんに、今度は翠が礼を言った。
どうやら、だいぶ緊張は解れたらしい。
「翠葉お嬢様はお料理をあまり召し上がられなかったとうかがったのですが、お身体の調子が優れないなどございますか?」
「あ、いえ、そういうことではなくて、なんだか緊張して食べられなかっただけなんです」
翠はとても決まり悪そうに答える。すると、
「それは緊張もなさいますよね」
園田さんは翠の意見を掬い上げると、広げたメニューをテーブルへ載せた。そして、左側のページの大半を占めるメニューを手で指し示し、
「こちらのアフタヌーンティーセットが当ホテルのお勧めなのですが、いかがでしょう。サンドイッチにスコーン、一口サイズのケーキが八種、上段にはフルーツの盛り合わせ。こちらにハーブティー、紅茶、コーヒー、またはソフトドリンクがつきます。司様とご一緒に召し上がられてはいかがですか?」
翠はメニューを覗き込み、「わぁ」と目を輝かせた。そして、ほかのものには目もくれず、
「じゃ、これでお願いします」
「かしこまりました。司様はコーヒー、翠葉お嬢様はハーブティーでよろしいですか?」
「はい!」
「ハーブティーは何になさいますか?」
「カモミールティーでお願いします」
「それではすぐにご用意いたします」
そう言うと、園田さんは温室のフロアカウンターへ向かい、厨房へオーダーを入れ始めた。
翠は周りを見回しながら、
「老夫婦以外はお見合いっぽいね?」
「そんな感じだな」
「お見合いって、本当にホテルでするものなのね?」
「ま、食事して歓談するにはちょうどいい場所なんじゃないの? ホテルによってはこうして花を見ながら歩く場所もあるし」
「でも、お花を見ながらお花のお話しかできなかったら本末転倒よね?」
何がどうしてそういう発想……?
疑問に思いつつ、
「そこは当人しだいなんじゃない? 互いが乗り気なら、わざわざ花の話なんかしないだろうし」
「そっか……」
でも相手が翠だったら――
そこに存在する花を無視することができず、律儀に目の前に咲く花の話をしそうだな。そしたら相手の男は脈なしと思って諦める羽目になるのだろうか。それとも、少しでも気に入られようと花の話に興じるのだろうか。
くっ……根っからの難攻不落姫だな。
そう思うと、なんだかすごくおかしかった。
アフタヌーンティーセットが運ばれてくると、よくある三段のプレートセットに翠は目を輝かせた。
しかし一段目のサンドイッチには目もくれず、二段目に載るスコーンしか見ていない。
「これ、サンドイッチから食べなくちゃいけないのよね……?」
そわそわしながら訊いてくるのがかわいすぎた。
俺はこみ上げる笑いを殺しながら、
「スコーンが食べたいならスコーンを食べればいい。サンドイッチは俺が食べる」
翠のプレートにスコーンを載せてやると、翠はことさら嬉しそうに「ありがとう」と口にした。
ナイフでスコーンをふたつに割り、さらに一口サイズに切り分けた翠は、クロテッドクリームと苺ジャムをたっぷりとつけて口へ運ぶ。そして、苺タルトを食べたときのように顔を綻ばせた。
「そんなにおいしい?」
翠はコクコクと頷いて、口に入っていたものを飲み下すとカモミールティーを口に含み、幸せそうに笑った。
その顔を見ただけで幸せな気分になれるのだから、翠と一緒に暮らし始めたら、いったいどれほどの幸せが待ち受けているだろうか、と考える。
単純に考えて、朝起きたとき、一番に翠の顔が見られるというそれだけで、十分もとが取れる気がする。
そんなことを考えていると、
「ツカサも一口食べてみる?」
首を傾げてたずねられた。
甘いものは苦手だが、翠がこんなにもおいしそうに食べるものの味が気になってコクリと頷くと、「はい」とフォークで運ばれたスコーンが目の前にやってきた。
初めての状況にたじろぎつつ口にすると、バターが香るスコーンと濃厚なクリーム、ジャムの甘酸っぱさが絶妙なハーモニーを奏で、口いっぱいに広がる。
「おいしい?」
「おいしい……」
「もっと食べる?」
「いや、あとは翠が食べていい」
「じゃ、お言葉に甘えて……」
翠は一口食べるたびににこにこと笑い、ペロリとスコーンを平らげた。そして、小さくカットされたケーキに手を伸ばしながら、大学の入学式はいつか、とたずねられる。
「四月六日」
「わぁ……またツカサの誕生日なのね?」
「あぁ、そう言われてみれば……」
スケジュールの話になってふと思い出し、自分の携帯から翠の携帯にひとつのアドレスを送る。
翠は受信したメールを見ながら、
「どうしてメール……?」
首を傾げながらメールを開き、
「これ、なんのアドレス?」
とさらに首を傾ける。
「いいからアクセスして」
「うん……」
「ネット上にある俺のスケジュール帳を共有した。俺の予定は青で表示される。翠はほかの色で予定を書き込んで。そしたら、互いの予定をその都度伝えたり確認する必要はなくなるだろ? ミュージックルームの使用時間も入れておいてもらえると助かる。そしたら、時間合わせて会いに行けるし」
何もおかしなことを言ったつもりはない。けれど、翠はまじまじと俺の顔を見ていた。
「何……」
「なんか……」
何を言おうとしているのかわからずにいると、
「卒業式の日からものすごく優しい気がして……」
「あぁ……翠が意外と泣き虫だってことが発覚したから?」
翠は恥ずかしそうに顔を逸らす。でも――
「何、俺が優しいと困るわけ?」
翠は顔を逸らしたまま悩みこんでしまう。
そんな悩ませるようなこと言った覚えはないんだけど……。
ようやくこちらを見たかと思えば、
「嬉しくなっちゃって顔が緩みっぱなしでも笑わない?」
思ってもみない返答に虚をつかれた。しかも、言ってるそばから顔がふにゃりと緩んでいる。
喉の奥からこみ上げる笑いを堪えていると、
「もうっ、笑わないでってお願いだったのにっ!」
服装上、足をバタつかせることができないからか、テーブルの上で小さく手をパタパタさせている。その様がかわいくて、思わず口元が緩みそうになる。
「いや、相変わらず単純だなと思っただけ」
「単純じゃないものっ! 好きな人に優しくされたら誰だって嬉しいでしょうっ!?」
今度はむきになった翠に反撃された。
コロコロと表情を変える翠を見ながら、他愛のない話で言い合える関係だとか、時間がなんとも愛おしく感じる。
「愛おしい」なんて感情、翠と出逢うまでは意識したこともなかった。似たような感情はハナにも感じるけれど、ハナに対する想いとは明らかに違う。
そんな想いを抱きながら、
「翠がそうしてくれたように、これからは、翠の不安は俺が取り除く。ま、できることとできないことはあると思うけど……。基本的には善処する意向」
翠は眉をハの字型にして、
「だから、どうしてそんなに優しいの?」
どこか不安げな声でたずねられた。
「翠だって、今まで俺の不安を取り除こうとしてくれてただろ?」
それがとても嬉しかったから、救われたから、だから同じことをしたいと思ったまで。
なのに、どうして翠は困った顔をしているのか。
「俺が優しいと何か問題でも?」
翠は右に左に頭を傾げながら、妙に難しい顔をしている。
「その顔、おかしすぎるから」
今度は自分の表情が崩れるのを防ぐことはできなかった。
表情筋が動くのを感じていると、
「ツカサ、ひどいっ!」
立ち上がりそうな勢いで翠に抗議された。そのとき――
「涼さん、司が笑ってます……」
「本当ですね。どうやらうちの息子は、翠葉さんの前では笑うようですよ」
もう少し翠とふたりきりでいたかった、と残念に思いながら声のする方へ視線を向けると、声の主のほか、先ほどの個室にいた全員が揃っていた。
驚きに声を失っている翠に碧さんが近づき、
「翠葉たちが部屋を出てから一時間が経ってるのよ? なかなか戻ってこないから、澤村さんに居場所を聞いて迎えに来たの」
翠は懐中時計を取り出し時間を確認すると、
「わぁ……ごめんなさい」
「何、謝ることはないさ。私たちも楽しく歓談させてもらっていたからね」
静さんがフォローするものの、翠は申し訳なさ全開の顔で唯さん見ている。すると御園生さんが翠の近くまでやってきて、
「これから記念撮影をしようって」
「記念撮影……?」
「そう。翠葉ちゃんがかわいい振袖を着ているし、両家の家族が全員揃うことはそうそうないだろうからね」
静さんの言葉に、翠は自分の振袖に視線を落とした。でも、その表情はどこか硬い。
おそらく、写真を撮られることに抵抗があるのだ。
ただ疑問なのは、どうしてここまで苦手意識を持っているのか、ということ。
自身は写真を撮るのが何よりも好きなくせに。
浮かない表情の翠を見守っていると静さんが、
「翠葉ちゃん、カメラマンは久遠だ」
翠は顔を上げ目を輝かせた。
どうやら、自分の大好きな写真家に撮られるのは何か違うようだ。
「途端に目が輝いたわね」
姉さんの突っ込みに、翠は恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
この日、翠だけが微妙な顔をした写真を撮り、婚約を取り交わすための会食は終わりを告げた。
翠を中央近くのテーブルへ案内すると、俺は上着の内ポケットに入れていたものを取り出す。
それは、昨日市役所で手に入れた婚姻届。
翠は不思議そうな顔で、「それ、なあに?」としげしげと封筒を見つめていた。
封筒から用紙を取り出して数秒後、
「婚姻届っ!?」
あまりの声の大きさに驚いたが、つまりは翠もそのくらい驚いた、ということなのだろう。
三つ折のそれを丁寧に広げ、翠の前に差し出すと、
「入籍は六年後でしょう? どうして婚姻届なんて――」
まじまじと婚姻届を見る翠は、俺の記入欄がすでに埋まっていることに気づいたようだ。
「本当は婚約指輪を贈りたかったけど、それは六年後の結納のときにって話になっただろ? だから、その代わりになるものが欲しくて」
俺は追加でペンを取り出し、翠の右手に握らせた。
翠はペンと婚姻届を何度か視線を往復させ、婚姻届を注視し始めた。けれども、ペンのキャップをはずすには至らない。
「安心していい。俺と翠が記入したところでまだこれは完成じゃないから」
「どういうこと……?」
「ここ」
向かって左側の証人欄を指差し、
「ここに成人ふたりの名前が必要。俺が大学を卒業したら、うちの父さんと零樹さんに記入してもらう予定。それまでは未完成の婚姻届」
翠は証人欄を見たまま動きが止まってしまった。
「書くの、抵抗ある?」
翠ははじかれたように顔を上げ、
「ううん、そういうことじゃないの。ただ、ちょっと緊張してしまっただけ……」
「書き損じても問題はない。予備であと二枚もらってきてるから」
茶封筒からその二枚を取り出して見せると、翠は「クスリ」と笑みを零した。
俺は決まり悪く視線を逸らし、市役所でのやり取りを思い出していた。
婚姻届はほかの申請書とは違い窓口でもらう必要があった。そこで、婚姻届を所望したところ、受付の女性に「え?」という顔をされた。
たぶん、未成年で婚姻届をもらいに来る人間は少ないのだろう。そのうえ、「三枚」と言ったのが驚かせた要因かもしれない。「書き損じ用に」と付け足すと、慌てた様子で用紙を三枚用意してくれた。
翠は一文字一文字丁寧に書き連ねていく。じっとその様子を見ていると、
「あ……でも、今日は印鑑持ってないよ?」
「後日捺印すればいい」
すべての欄が埋まっていることを確認すると、俺は封筒に婚姻届を戻した。
「これ、俺が持っていても?」
「もちろん」
実際の重量とは異なる重みを感じる用紙をもとの封筒へ戻し、一番安全な胸元へとしまった。
翠に視線を戻すと、
「結納のとき、ツカサは婚約指輪をくれるのでしょう? 私は何を返せばいい? 何か欲しいもの、ある?」
期待に満ちた目で訊いてくる様がかわいい。その目の輝きは、まだ幼い煌に通じるものがあった。
でも、欲しいもの、か……。
男である自分が常に身につけていられるものは限られている。
結納の返礼品に多いのは時計だと聞くが、自分も例外ではない。
「秒針つきの時計、かな……。医者になってからも使えるし」
「じゃ、そのときになったら時計探しに行こうね?」
未だ翠と買い物を主体としたデートに出かけたことがないだけに、その日がちょっと楽しみになる。でもその前に、翠と買い物へ出かけるのもいいかもしれない。
そんなことを考えているところへ園田さんがメニューを持ってやってきた。
「司様、翠葉お嬢様、本日はご婚約おめでとうございます」
深々と頭を下げる園田さんに、今度は翠が礼を言った。
どうやら、だいぶ緊張は解れたらしい。
「翠葉お嬢様はお料理をあまり召し上がられなかったとうかがったのですが、お身体の調子が優れないなどございますか?」
「あ、いえ、そういうことではなくて、なんだか緊張して食べられなかっただけなんです」
翠はとても決まり悪そうに答える。すると、
「それは緊張もなさいますよね」
園田さんは翠の意見を掬い上げると、広げたメニューをテーブルへ載せた。そして、左側のページの大半を占めるメニューを手で指し示し、
「こちらのアフタヌーンティーセットが当ホテルのお勧めなのですが、いかがでしょう。サンドイッチにスコーン、一口サイズのケーキが八種、上段にはフルーツの盛り合わせ。こちらにハーブティー、紅茶、コーヒー、またはソフトドリンクがつきます。司様とご一緒に召し上がられてはいかがですか?」
翠はメニューを覗き込み、「わぁ」と目を輝かせた。そして、ほかのものには目もくれず、
「じゃ、これでお願いします」
「かしこまりました。司様はコーヒー、翠葉お嬢様はハーブティーでよろしいですか?」
「はい!」
「ハーブティーは何になさいますか?」
「カモミールティーでお願いします」
「それではすぐにご用意いたします」
そう言うと、園田さんは温室のフロアカウンターへ向かい、厨房へオーダーを入れ始めた。
翠は周りを見回しながら、
「老夫婦以外はお見合いっぽいね?」
「そんな感じだな」
「お見合いって、本当にホテルでするものなのね?」
「ま、食事して歓談するにはちょうどいい場所なんじゃないの? ホテルによってはこうして花を見ながら歩く場所もあるし」
「でも、お花を見ながらお花のお話しかできなかったら本末転倒よね?」
何がどうしてそういう発想……?
疑問に思いつつ、
「そこは当人しだいなんじゃない? 互いが乗り気なら、わざわざ花の話なんかしないだろうし」
「そっか……」
でも相手が翠だったら――
そこに存在する花を無視することができず、律儀に目の前に咲く花の話をしそうだな。そしたら相手の男は脈なしと思って諦める羽目になるのだろうか。それとも、少しでも気に入られようと花の話に興じるのだろうか。
くっ……根っからの難攻不落姫だな。
そう思うと、なんだかすごくおかしかった。
アフタヌーンティーセットが運ばれてくると、よくある三段のプレートセットに翠は目を輝かせた。
しかし一段目のサンドイッチには目もくれず、二段目に載るスコーンしか見ていない。
「これ、サンドイッチから食べなくちゃいけないのよね……?」
そわそわしながら訊いてくるのがかわいすぎた。
俺はこみ上げる笑いを殺しながら、
「スコーンが食べたいならスコーンを食べればいい。サンドイッチは俺が食べる」
翠のプレートにスコーンを載せてやると、翠はことさら嬉しそうに「ありがとう」と口にした。
ナイフでスコーンをふたつに割り、さらに一口サイズに切り分けた翠は、クロテッドクリームと苺ジャムをたっぷりとつけて口へ運ぶ。そして、苺タルトを食べたときのように顔を綻ばせた。
「そんなにおいしい?」
翠はコクコクと頷いて、口に入っていたものを飲み下すとカモミールティーを口に含み、幸せそうに笑った。
その顔を見ただけで幸せな気分になれるのだから、翠と一緒に暮らし始めたら、いったいどれほどの幸せが待ち受けているだろうか、と考える。
単純に考えて、朝起きたとき、一番に翠の顔が見られるというそれだけで、十分もとが取れる気がする。
そんなことを考えていると、
「ツカサも一口食べてみる?」
首を傾げてたずねられた。
甘いものは苦手だが、翠がこんなにもおいしそうに食べるものの味が気になってコクリと頷くと、「はい」とフォークで運ばれたスコーンが目の前にやってきた。
初めての状況にたじろぎつつ口にすると、バターが香るスコーンと濃厚なクリーム、ジャムの甘酸っぱさが絶妙なハーモニーを奏で、口いっぱいに広がる。
「おいしい?」
「おいしい……」
「もっと食べる?」
「いや、あとは翠が食べていい」
「じゃ、お言葉に甘えて……」
翠は一口食べるたびににこにこと笑い、ペロリとスコーンを平らげた。そして、小さくカットされたケーキに手を伸ばしながら、大学の入学式はいつか、とたずねられる。
「四月六日」
「わぁ……またツカサの誕生日なのね?」
「あぁ、そう言われてみれば……」
スケジュールの話になってふと思い出し、自分の携帯から翠の携帯にひとつのアドレスを送る。
翠は受信したメールを見ながら、
「どうしてメール……?」
首を傾げながらメールを開き、
「これ、なんのアドレス?」
とさらに首を傾ける。
「いいからアクセスして」
「うん……」
「ネット上にある俺のスケジュール帳を共有した。俺の予定は青で表示される。翠はほかの色で予定を書き込んで。そしたら、互いの予定をその都度伝えたり確認する必要はなくなるだろ? ミュージックルームの使用時間も入れておいてもらえると助かる。そしたら、時間合わせて会いに行けるし」
何もおかしなことを言ったつもりはない。けれど、翠はまじまじと俺の顔を見ていた。
「何……」
「なんか……」
何を言おうとしているのかわからずにいると、
「卒業式の日からものすごく優しい気がして……」
「あぁ……翠が意外と泣き虫だってことが発覚したから?」
翠は恥ずかしそうに顔を逸らす。でも――
「何、俺が優しいと困るわけ?」
翠は顔を逸らしたまま悩みこんでしまう。
そんな悩ませるようなこと言った覚えはないんだけど……。
ようやくこちらを見たかと思えば、
「嬉しくなっちゃって顔が緩みっぱなしでも笑わない?」
思ってもみない返答に虚をつかれた。しかも、言ってるそばから顔がふにゃりと緩んでいる。
喉の奥からこみ上げる笑いを堪えていると、
「もうっ、笑わないでってお願いだったのにっ!」
服装上、足をバタつかせることができないからか、テーブルの上で小さく手をパタパタさせている。その様がかわいくて、思わず口元が緩みそうになる。
「いや、相変わらず単純だなと思っただけ」
「単純じゃないものっ! 好きな人に優しくされたら誰だって嬉しいでしょうっ!?」
今度はむきになった翠に反撃された。
コロコロと表情を変える翠を見ながら、他愛のない話で言い合える関係だとか、時間がなんとも愛おしく感じる。
「愛おしい」なんて感情、翠と出逢うまでは意識したこともなかった。似たような感情はハナにも感じるけれど、ハナに対する想いとは明らかに違う。
そんな想いを抱きながら、
「翠がそうしてくれたように、これからは、翠の不安は俺が取り除く。ま、できることとできないことはあると思うけど……。基本的には善処する意向」
翠は眉をハの字型にして、
「だから、どうしてそんなに優しいの?」
どこか不安げな声でたずねられた。
「翠だって、今まで俺の不安を取り除こうとしてくれてただろ?」
それがとても嬉しかったから、救われたから、だから同じことをしたいと思ったまで。
なのに、どうして翠は困った顔をしているのか。
「俺が優しいと何か問題でも?」
翠は右に左に頭を傾げながら、妙に難しい顔をしている。
「その顔、おかしすぎるから」
今度は自分の表情が崩れるのを防ぐことはできなかった。
表情筋が動くのを感じていると、
「ツカサ、ひどいっ!」
立ち上がりそうな勢いで翠に抗議された。そのとき――
「涼さん、司が笑ってます……」
「本当ですね。どうやらうちの息子は、翠葉さんの前では笑うようですよ」
もう少し翠とふたりきりでいたかった、と残念に思いながら声のする方へ視線を向けると、声の主のほか、先ほどの個室にいた全員が揃っていた。
驚きに声を失っている翠に碧さんが近づき、
「翠葉たちが部屋を出てから一時間が経ってるのよ? なかなか戻ってこないから、澤村さんに居場所を聞いて迎えに来たの」
翠は懐中時計を取り出し時間を確認すると、
「わぁ……ごめんなさい」
「何、謝ることはないさ。私たちも楽しく歓談させてもらっていたからね」
静さんがフォローするものの、翠は申し訳なさ全開の顔で唯さん見ている。すると御園生さんが翠の近くまでやってきて、
「これから記念撮影をしようって」
「記念撮影……?」
「そう。翠葉ちゃんがかわいい振袖を着ているし、両家の家族が全員揃うことはそうそうないだろうからね」
静さんの言葉に、翠は自分の振袖に視線を落とした。でも、その表情はどこか硬い。
おそらく、写真を撮られることに抵抗があるのだ。
ただ疑問なのは、どうしてここまで苦手意識を持っているのか、ということ。
自身は写真を撮るのが何よりも好きなくせに。
浮かない表情の翠を見守っていると静さんが、
「翠葉ちゃん、カメラマンは久遠だ」
翠は顔を上げ目を輝かせた。
どうやら、自分の大好きな写真家に撮られるのは何か違うようだ。
「途端に目が輝いたわね」
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竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
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