光のもとで2

葉野りるは

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May

藤の会 Side 司 02話

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 なるべく人の少ない場所を歩き、声をかけてくる人間を適当にあしらって母屋へ向かう。
 客という客は皆庭園に出ており、屋敷の中は給仕の人間が忙しく行き交う程度。そういう意味では、外にいるより遥かに心落ち着ける場所だったかもしれない。
 調理場へ翠を連れていくと、翠に気づいた須藤さんが駆けてくる。
「須藤さん、お久しぶりです」
「翠葉お嬢様、ご無沙汰しております」
「先日はホワイトデーのお菓子をありがとうございました。とっても美味しかったです。それから、先ほど静さんから桃のシャーベットをいただきました。そちらもとても美味しくて……。どうしてもお伝えしたくて、ここまで連れてきてもらいました」
 その言葉に唖然とする。
 ホテルへもプレゼントを持っていったんだろうとは思っていたが、まさかシェフにまで用意していたとは思いもしなかった。
 家族内のイベントが一気に拡大しすぎじゃないか?
 ふたりはとてものんびりとした調子で残りのシャーベットを食べる食べないと話している。翠が嬉しそうに食べる旨を伝えると、須藤さんがこちらを向き、
「司様、すぐにご用意いたしますので応接室にてお待ちください」
 どうやら翠の分だけではなく、俺の分まで用意されるようだった。

 庭に面する廊下を歩いていると、
「ここまで長い廊下を見たのは初めて。お庭も広いけど、お屋敷も広いのね?」
「それなりに」
「ここには元おじい様しか住んでいらっしゃらないの?」
「……じーさんの呼び方変わった?」
「あ……あの、今日会ったときにね、『朗元さん』とは呼ばないように、って言われたの。それで、『元おじい様』と呼ばせていただくことになって……」
 そんなことを口にするのにも、翠は頬を赤らめる。
 翠が頬を染めれば染めるほど、自分の欲求を抑えきれなくなっていく。結果、応接室に入ってすぐ、障子を閉めた俺は翠を引き寄せキスをした。
「つ、ツカサっ?」
 口付けたら紅がつく――わかっていても抑えることができなかった。
「……口紅、ついちゃったよ?」
 翠は困った顔に笑みを浮かべ、胸元から懐紙を取り出した。渡された懐紙で口元を拭くと、真っ白な懐紙に紅が滲む。紅は懐紙によく映えたが、翠の唇に引かれたもののほうが鮮烈な印象を受ける。
 意識せずにはいられない自分を恥ずかしく思いつつ、翠にソファへ座るよう促す。翠はいつものように部屋の家具へ視線をめぐらせた。
 ソファに座ってしまえば手をつないでいる意味もない。離すべきか――
 手から力を抜こうとしたそのとき、
「ツカサ、手、つないだままでもいい?」
 まだほんのりと赤い顔で言われ、離しかけた手に力をこめる。
「和服姿が似合うのは知っていたのだけど、今日は一段と格好良くてまだまともに見られないの。……でも、いつもみたいに手をつないでいてもらえたら、少しは落ち着く気がするから」
 どうしたらこんな素直に思っていることを口にできるのか……。俺が言葉にしようとしたところで、
「……現状に困っているのは翠だけじゃない」
 これがせいぜい。
 人目が遮られた途端にキスをするほどには冷静さを欠いているし、今だって抱きしめたいという欲求を抑えるのが困難なくらいには平常心から程遠い。さらには、その着物を脱がせたいとすら思う――
「……このおうち、とても広いけど住んでいるのは元おじい様だけなの?」
 翠が提供してくれた話題に少し救われた。
 俺たちは視線を合わせることなく、互いが同じソファに掛け正面を見て話す。
「……じーさんのほかには住み込みのお手伝いさんとじーさんの側近、ボディーガード、料理長、紫さんと清良さん」
「……藤原さんも?」
「籍は入れてないけど、あの人紫さんの内縁の妻だから」
「……知らなかった」
「籍を入れるにはお互い難しい立場にいるから、この先もこのままだと思う」
「そうなのね……。でも、良かった。元おじい様がひとりじゃなくて」
 ちら、と翠をうかがい見ると、心配そうな表情にほんの少し笑みを浮かべていた。そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫だと伝えたくて、
「……藤山には親族の家があるからさほど寂しくはないんじゃない?」
「……そういうもの?」
「さぁ。料理長を雇っているくせに、うちの夕飯にもよく顔を出すし。俺にはそんな寂しそうには見えない」
 翠は少し考えてから口を開いた。
「ツカサがひとりを感じるのはどんなとき?」
「……は?」
「ツカサがひとりを感じるのはどんなとき?」
「……あまり意識して考えたことがない。……強いて言うなら、朝の道場にひとりでいるとき」
 要領を掴めずに答えると、
「私はご飯を食べるときと眠りにつくまでの時間。うちは自営業だから、ひとりでご飯を食べることはめったにないの。だから、ご飯を食べるとき、ひとりだとものすごく寂しい。それから、夜。夜って静かでしょう? 家には家族が揃っているってわかっていても、なんだかひとりのような気がして寂しくなる。小さいときは、蒼兄のベッドやお母さんのベッドによく潜り込んでた」
 最後はクスクスと笑って話す。話した内容が妙に翠らしくて、そんな状況はすぐに想像することができた。
「じーさんが翠と同じように思っているとでも?」
「ううん、そこまでは思わないけど……」
 気にはなる、か。
「そんなに気になるなら、直接じーさんに訊いてみたら?」
「んー……それはちょっと訊きづらい」
「それなら、たまにはここに遊びにくるなり泊まりにくるなりしてあげれば? じーさんは諸手をあげて喜びそうだけど?」
「……そうかな?」
「あとで訊いてみればいい」
「……やっぱり訊けない」
「何をそんなに遠慮してるんだか……」
「だって、図々しく思えるもの」
「それを言うなら、本当の孫でもない人間に『元おじい様』って呼ばせているほうが図々しいと思うけど……」
「そうかな?」
 そんな話をしているところ、廊下から声がかかった。
 障子が開くと顔馴染みのお手伝いさんがトレイにシャーベットを載せてやってきた。配膳を済ませるとすぐに応接室を出ていく。
 翠は目の前に用意されたシャーベットを目にして満面の笑みを見せる。直視するのを躊躇するほど眩しい笑顔で、
「とっても美味しいのよ?」
「……甘いもの苦手なんだけど」
 俺は翠から少し視線を逸らしてシャーベットを見下ろす。と、
「果物の桃も苦手?」
「果物なら食べられるけど……」
「なら大丈夫っ! だって、果物の桃の甘さしかしないもの」
 それはそれは嬉しそうに笑って見せた。スプーンまで差し出されたら口にしないわけにはいかない。見られたまま食べるのか、と思うと少々気が重い。
 感想も求められるだろう。そう思いながらスプーンを口に運ぶ。と、口腔に広がるのは桃の甘さのみだった。
 張り付いてやまない視線に答えるよう、「食べられる」と口にすると、
「ツカサ、やり直し。食べられる、はあまりいい感想じゃないよ? 美味しいなら美味しいって言わなくちゃ」
 やり直しを命じた翠はじっと俺の顔を覗き込んでいた。
 人が違うだけ――いつも母さんに言われることを翠に言われただけだ。
 心を落ち着けようと苦心する自分が口にできた言葉は「美味しい」の一言。
 翠の視線に耐えかねて顔を逸らす。
 ……どうしたらいい? どうしたら翠の唇を、首筋を意識せずに済む?
 翠は俺がこんなことを考えているとは露ほども思っていないだろう。今は隣で本日二回目のシャーベットを嬉しそうに口へ運んでいる。
 俺はそんな翠を盗み見ながら、このあとはどうするべきか、と考えていた。
 翠を人目にさらしたくない反面、このままふたりだけの空間にいたら、自分を抑えきれなくなりそうだ。
 一度目を閉じ、当初の目的を思い出す。今日は翠を人目にさらす日――
 それでいかなる面倒ごとが起ころうと、それらを払い除け護るのが翠をエスコートする人間の役目。
 まさか、こんなにも男である自分を意識することになるとは思いもしなかった。そして、そんな感情を抱くと、その感情に囚われたままになる、と身をもって知る羽目になる。
 シャーベットを食べたあと、あたたかいお茶を飲みながら翠が口火を切った。
「ずっとここに隠れていたいけど、それじゃだめなのよね?」
 俺は何も答えず翠へ視線を向ける。
「……だから、庭園へ戻ろう――」
 翠は決意したように、庭と応接室を遮る障子を見やった。
「ツカサ、元おじい様は今日もお忙しい?」
「いや……挨拶に来る人間の応対をする程度だと思う」
「あのね、午前中に気づいたのだけど、元おじい様と一緒にいたときは誰にも声をかけられなかったし、そこまで不躾な視線も感じなかったの」
 翠は肩を竦めて苦笑する。
「だから、今日は元おじい様を頼っちゃだめかな?」
 そこで自分を頼って欲しいとは思うものの、自分がじーさんに敵うわけもなく、俺ごときでは牽制にすらなりはしない。次々期会長と言われる秋兄ほどの影響力も持たない。
 会長職になど興味はない。候補にあがろうとなるつもりもない。それでも、その立場が翠を護る力を持つというだけで迷いが生じる。
 翠に左右されすぎだ――
 そんな自分を悟られたくはなくて、
「そのくらい利用しなくちゃ割に合わないだろ」
 そんな言葉を返してソファから立ち上がった。けど、いつものように手を差し伸べることはできなかった。
 人目のない場所で翠に触れたら歯止めが利かなくなる。そう思えば、外に出るまで翠には触れることはできなかった――
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