光のもとで2

葉野りるは

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October

紫苑祭二日目 Side 翠葉 02話

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 仙波先生との電話を終えてダイニングへ行くと、テーブルを囲んでいた五人に「おかえり」と迎えられた。そして、にっこりと笑った秋斗さんはこんな言葉を追加したのだ。
「目は充血してるし鼻も若干赤い。いかにも泣きましたって顔なのに、どうしてそんな嬉しそうなの?」
「それ、俺も知りたい。帰ってきたときからすんごい嬉しそうな顔してたんだけど、間違いなく泣いたあとっぽかったから不思議でさ」
 ふたりの指摘に恥ずかしくなり、私の頬は一気に熱を持った。
 泣いた原因がツカサなら、嬉しい理由もツカサ。
 間に仙波先生との電話を挟んでも、私の表情は「嬉しい」のままだったらしい。
 まだ応援合戦の結果は出ていないけど、黒組が一位だったらツカサの雄姿を再び見ることができるし、応援姿を堂々と撮ることができるのだ。しかも、交換条件はなし。
 こんな機会はそうそうないし、意識してもしなくても、顔の筋肉を思い通りに動かせる自信は微塵もない。どうしたって緩んでしまうというもの。
「司と何かあった?」
 秋斗さんの声に我に返り、少し考える。
 嬉しい理由はツカサの写真が撮れるから。なら、どうして写真を撮れることになったのか、という部分は泣いてしまった理由とイコールになるわけで……。
 とくだん隠すようなことではない。でも、もしもみんながツカサと同じ意見で、「そんな些細なことで泣いたの?」と思われるのだとしたら、少し恥ずかしい気もする。
 それと同時に、「受験」というものを前にしたとき、ほかの人ならどういう行動を取るのかが知りたいとも思う。もし、私と同じ立場だったらどう思うのか――
「言えないようなこと?」
 秋斗さんに尋ねられ、私はフルフル、と首を横に振った。
 ラグに腰を下ろし、ツカサとの「受験」にまつわる話をしてみると、その場には苦笑いしか生まれなかった。
「超絶司っちらしい」
 唯兄はくつくつ笑ってこう付け足した。
「もし俺が司っちと同じように彼女に知らせず受験したとしても、合格した時点で種明かしはするよね。『聞いて驚け!』的な感じでさ」
 唯兄の言うそれは、いたずらみたいな要領だろう。
「受験」ですら「いたずら」にしてしまうあたりがとても唯兄らしい。そして、「受験」をものともしないあたりはツカサ寄りな気がする。
 お父さんとお母さんは、「藤宮っぽい」「静と似たり寄ったりね」と笑うだけ。
「俺は話す派。話すから何ってわけじゃないけど、『がんばって』って言ってもらえたら嬉しいし、受験前は電話やメールも頻繁にはできないだろうから、そういう事情を把握してもらう意味も含めて」
 蒼兄の意見が自分に一番近い気がするけれど、それは同じ環境で育ったからなのかな。
 それなら、ツカサと似た環境で育った秋斗さんはどう考えるだろう――
 そう思ったとき、蒼兄が同じような質問を秋斗さんへ向けた。
「非常に残念なんだけど、俺は司と同じ行動を取った気がしてならない……。そっか、そういう話はしてほしいんだ?」
 尋ねられ、私はコクリと頷いた。
「そっかそっか……。あのさ、自分や司をフォローするわけじゃないんだけど、司は翠葉ちゃんを軽視して伝えなかったわけじゃないよ。ただ、受験ってものをそこまで特別視していないだけなんだ。その都度試験はあったけど、幼稚舎からずっと藤宮で、大学も藤宮。受験はただの通過点であり、受ければ受かるのが当然だと思ってるっていうか……」
 同じようなことをツカサも言っていた。
 そのときは呑み込むのが難しかったけれど、今は呑み込める気がするから不思議だ。
 ……複数の意見になったから? それとも、第三者の言葉だから?
 もしくは、少し時間が経ったからだろうか。
「俺と司、そこら辺の価値観は似てると思う。だから、何かあったら俺のところに訊きにおいで。こんな解説ならいくらでもしてあげるよ」
 そう言ってにこりと笑みを向けられたけれど、笑顔につられて「はい」と答えてはいけない気がした。
「……翠葉ちゃん?」
「えっ、あっ――あの、お気持ちだけありがとうございます」
「どうして?」
「そりゃ、こんなことで毎回秋斗さんに泣きついてたら、司っちの機嫌損ねちゃうじゃん」
 唯兄の言うことは一理ある。でも、それだけではない気がした。
 こういうのは、ツカサの口から聞くことに意味があるような、そんな気がしたのだ。

「――い。翠?」
 ツカサに声をかけられはっとする。
「黙り込むほど反省してくれなくていいんだけど……」
「あ、うん。ごめん……」
 色々な意味で……。
「……俺も、兄さんたちに話したからお互い様」
「……え?」
 思わぬ言葉にツカサを見上げる。
 湊先生と静さんが結婚してからも、ツカサが静さんを「義兄さん」と呼ぶことはない。つまり、「兄さん」と言うからには楓先生に話したのだろう。でも――ツカサが話したの? ツカサが……? 本当に……?
 あまりにも食い入るように見すぎただろうか。
 ツカサは決まり悪そうに顔を逸らした。
「昨日、翠を見送ったあと兄さんが帰ってきたんだ。その場で少し話して、誘われたから夕飯にお邪魔した」
 ツカサは話しづらそうに言葉を続ける。
「もし、兄さんが俺と同じ立場だったらどうするのか、聞いた。それから、翠が昨日言ったこと。……何を思って口にした言葉なのか、義姉さんの解釈を教えてもらった」
 不器用に並べられる言葉に、いつもより言葉数の多いツカサに、胸がじんわりとあたたかくなる。
 基本、自分のことを人に話す人ではない。そんなツカサが人に相談するのはどれほどハードルが高かったことだろう。さらには、人に相談したことを私に話すことにだって抵抗があるはずで……。
 何よりも、別れたあとも気にかけてくれていたことが嬉しいし、写真を撮らせてもらえることに舞い上がっていた自分が申し訳なく思えてくる。
 視線が足元に落ちそうになったそのとき、
「たぶんこれからも、何かにつけて『価値観の差』は出てくると思う。そのたびに翠を傷つけるかもしれない。でも、傷つけようと思って傷つけてるわけじゃないから、それはわかっていてほしい。それから――」
 言葉に詰まったツカサは、言おうかどうしようか躊躇っているのが見て取れた。
 そんな姿に、何を伝えようとしてくれているのか、と考えをめぐらせる。
 けれど、私が想像するより先にツカサが口を開いた。
「『価値観の違い』があったとして、翠の価値観が理解できなくても認めないわけじゃないし、わかろうとしないわけでもないから――無理に割り切らないでほしい」
 その言葉に気づかされる。
 昨日、傷ついたのは私だけではないのかもしれない、と。
 あのとき私は、これ以上傷つきたくなくて、わざと距離を置くような、突き放すような言い方をした。その言葉にツカサが傷ついたのだとしたら――
「ツカサ、ごめんっ。昨日、ごめんね? 突き放すような言い方して、ごめんなさい」
「いや、いい……。先に傷つけたのは俺だから」
 でも、それだって私を傷つけようと思って傷つけたわけではない。
 ……こういうことも、あるのね。
 どちらに悪気があったわけでもなく、それでもすれ違ってしまうことが、あるのね。
 でも、話すことができたなら……こうやって話すことができたなら、絡まった糸は解けるし、切れてしまった糸をつなぐこともできる気がする。
 ツカサも私も、どちらかというと話すのは苦手だ。でも――
「ツカサ、たくさん話そう? すれ違ってもケンカになっても、私が泣いても何してもっ。……時には時間を置かないと冷静に話せないこともあると思う。でも、時間を置いたらちゃんと話そう?」
 思ったことを片っ端から口にしていったら、ツカサは呆気に取られた顔をしていた。
 ツカサの返事を待っていると、
「話すの、苦手なんだけど……」
「……私だって苦手だもの。……でも、話そう? 話さないとわからないこと、たくさんあると思うから」
 一緒にいられたらそれだけで幸せだと思っていた。言葉がなくてもある程度は伝わる、分かり合えると思っていた。
 でも、違った……。
 人よりも少し一緒にいる時間が長いくらいではツカサのすべてを知ることはできないし、知っていてもおかしくないであろうスケジュールですら把握していなかった。
 やっぱり、言葉は必要なのだ。
「私はツカサのことを知りたいと思うけれど、ツカサは――ツカサは思わない? ……それなら、私にしか利点のない話だから考え直さなくちゃいけないけど……」
「いや、別に知りたくないわけじゃなくて……」
 すぐに否定してくれたけれど、言葉を濁す理由はなんだろう……。
 ツカサはひどく困惑した表情で、
「……それ、話した末に理解されなかった場合、どうなるわけ?」
「え……?」
「……だから、考えとかその他もろもろ、話した末に理解されなかった場合、どうなるのかを知っておきたい」
「え? それは……――ツカサと同じだよ」
「同じ……?」
「ついさっき、言ってくれたでしょう? 『価値観の違い』があったとして、私の価値観が理解できなくても認めないわけじゃないし、わかろうとしないわけでもないからって……。それと同じ。知らないことは知りたいと思う。でも、知って理解できないからって嫌いになるわけじゃないよ?」
 言った直後、ツカサの白い肌が一気に赤くなった。
 驚きのあまりに目を見開く。と、次の瞬間にはツカサに引き寄せられ抱きしめられていた。
 パニックを起こしかけた自分を落ち着け、
「……どうして、赤面したの?」
 小さく問いかけたものの、返答はない。
 いつもなら即答、もしくは数秒で切り返しがきそうなものだけど、無言が続くのは――
 説明するにできない心境? それとも、それほどまでに余裕がないのだろうか。
 何にせよ、ツカサの赤面なんてそうそう見られるものではない。
 しっかりと抱きしめられていてツカサの顔を見るのは容易ではないけれど、なんとかして見られないものか、と顔を上げることを試みようとしたそのとき、
「今の、忘れるなよ?」
「え?」
 小さすぎた呟きが聞き取れずに訊き返す。と、
「今の、忘れるなよ?」
「今の、ってどの部分? 赤面?」
 力のこもっていた腕が少し緩み、至近距離で笑みを向けられる。
 紅潮した頬はすでに白く戻っており、久し振りに氷の女王様を拝んでしまった。
 距離が距離なだけに迫力満点だ。
「知って理解できないからって嫌いになるわけじゃない、って部分」
「……そんな凄むような笑みを向けられなくても忘れないよ?」
 私は笑いながら返したけれど、態勢を立て直したツカサは余裕ありげな表情で、
「翠はまだ、俺の性癖を知らないだろ?」
「え……? ……せい、へき……?」
「そう。性格の性に癖と書いて性癖」
 ツカサが口角を上げたかと思うと腕は解かれ、あっさりと解放された。そして、何食わぬ顔で歩き始める。
「えっ!? ツカサっ!? ちょっと待ってっ!?」
 いつもは待ってくれるのに、こんなときばかり長い脚を駆使してスタスタと行ってしまう。
「待ってってばっ!」
 傾斜に任せて足を踏み出そうとしたそのとき、三メートルほど先を歩いているツカサが振り返り、「走るなよ」とにこりと笑って釘を刺された。
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