光のもとで2

葉野りるは

文字の大きさ
169 / 271
November

芸大祭 Side 翠葉 08話

しおりを挟む
 どうやら、今日は声楽の先生を柊ちゃんに紹介する予定がもともとあったそうで、その間に私と倉敷くんを引き合わせようとしていたのだとか……。
 話すことが苦手な先生が一生懸命段取りを考えているところを想像すると、なんだか少しおかしかった。
「それにしてもおまえ――」
「それっ」
「は?」
「名前っ」
「御園生翠葉だろ?」
「じゃなくてっ、『おまえ』はいやっ。それから、フルネームで呼ばれるのもちょっと……」
「お、おう……」
 そんなやり取りを、先生がお腹を抱えて笑う。
「御園生さんの意外なこだわりが判明……。それに、慧くんが圧されるなんて」
 そんな先生を横目に見つつも、倉敷くんはかまわず話を続ける。
 会ってまだ十分ちょっとだけど、かなりマイペースで思ったことはズバズバ言う人であることだけはわかった気がする。
 思ったことが顔にも口にも態度にも出るので、いっそ清々しいほどだ。
「翠葉、あのコンクールのあとはどうしてたんだよ……」
「どうしてって、何が……ですか?」
「ピアノっ! それ以外にないだろっ?」
 ないんだ……。
 なんとなくわかったことがもうひとつ。
 倉敷くんにとってはピアノがすべてなのかもしれない。
 生活の中心にピアノがあって、人生からピアノがなくなることなどあり得ない、と言い切れてしまうほどの存在なのかも。
 やっぱり、音大に通う人は皆がそうなのだろうか。
 だとしたら、私はそこに入ろうとしていいのかな……。
 そんなことを考えながら、過去を振り返る。
「川崎先生のところをやめてからは、割と好きに弾かせてくれる先生のもとで習っていました。最初にコンクールには出たくないって話したのでコンクールの話は一切出なかったし、ひたすらに好きな曲をマスターするためだけに練習してきた感じで……」
 どんなふうに教本を進めてきたのか倉敷くんに尋ねられ、一つひとつ答えていくと大仰に首を傾げられた。
「基本に忠実に進んできてるのにどうしてあんなに劣化してんだよ。おまえ、間違いなく小五のころのほうがうまかったぞ」
 それはたぶん――
「さっき、病欠で留年したって話したでしょう?」
「あ? あぁ……」
「あのとき、入院していたからほとんどピアノに触れていないの。三月に入院して十月に退院してからは、高校受験のための勉強を始めたから、やっぱりピアノを弾く時間はとれなくて……」
「そのあとは?」
「そのあとは……高校の勉強についていくのに必死で、毎日ピアノを弾くことはできなくて……」
「彼女、藤宮高校の生徒なんですよ」
 先生の一言に、倉敷くんはまたしても驚いて見せる。そこに畳み掛けるように先生が、
「で、この二ヶ月は学校のイベント準備でレッスンを休んでいたしだいです」
「だからかっ! そりゃ、二ヶ月も間が開けば指だって動かなくならぁっ! おまえ、本当に音大受験する気あんのっ!? 弓弦、どうにかなんのかよ、これっ」
「はぁ……まぁ、がんばりますけどね。いや、がんばってもらいますけど……。御園生さん、覚悟なさってくださいね?」
「はい……」
 声は必然と小さくなるし、肩身も狭くなる。
「ですが、さすがは川崎先生に三歳から習っていただけのことはあるんですよね。基礎はしっかりしているし勘もいい。吸収も早い。だいたいのことは言ったその場で直せるし、遅くとも翌週までにはものにしてくる。ですが、特筆すべきは色彩豊かな音色と表現力でしょうか」
「へぇ……。でも、音色と表現力だけじゃ技術面はカバーできねーよ?」
 もっともです……。
「協力は惜しみませんのでがんばりましょうね」
「はい……」

「ところで、極度のあがり症は治ったのかよ」
「えぇと……治ったわけではないです。今でも人前で弾くのや評価される場で弾くのは苦手です。でも、前に教えてもらったおまじないがあるので……」
「あぁ、あのときも効果覿面だったしな。むしろ、教えなきゃよかったぜ」
「まさか慧くんがそのおまじないを御園生さんに教えていたとは思わなかったので、さっき御園生さんから聞いてびっくりしました。響子が喜んでいるでしょうね」
 ……ん? なんだろう……。今の文章、何か変……。
 最後の言葉が妙に引っかかったのはどうして……?
 普通なら、「響子が喜んでいるでしょうね」ではなく、「響子に話したら喜ぶでしょうね」ではないだろうか。
 先生の言い方はまるで――
 瞬時に、少し前に話してくれた先生の言葉が頭をよぎる。

 ――「いえ、身内に同じことを言う人間がいたもので」。

 い、た……?
 倉敷くんは私の奏でる音と響子さんの音が似ていると言った。先生は「僕には懐かしさを感じる音でもあって」と言った。
 先生の言葉はどうして過去形なの……?
 理由を考えれば考えるほどに、手先から温度が失われていく。
「翠葉? どうしたんだよ、急に深刻そうな顔して」
「えっ? あっ、なんでもないですっ――」
 なんでもないと言ったのに、私の目には早くも涙が滲んでいた。
 聞かなくても「答え」ははじき出されていて、でもそれを確認するのは怖いし、とても尋ねられる内容ではない。
 あの日、ピアノを教えてくれたお兄さんに再会できて、お姉さんにもいつか会えるかもしれないと思っていた矢先に知る内容としてはひどく重い事実で――
「御園生さん……?」
「あ、いえっ、本当になんでもなくて――」
「いや、なんでもなかったら泣かないだろ?」
 倉敷くんは私のすぐ近くまでやってくる。
 でも、こんなの言えるわけない……。
「御園生さん、体調悪いですか? さっきの熱、どうなりました?」
 先生が携帯を気にしていたから、私はそれを手に取り確認する。
 熱は上がりも下がりもしていなかった。でも、この際具合が悪いことにしてしまえばいいのではないだろうか。
「もしかして、響子の話?」
 私の足元に座り込んだ倉敷くんに顔を覗き込まれ、私は大きく動揺してしまった。
「弓弦、響子の話ってどこまでしたの?」
「どこまでも何も、御園生さんが三歳のころにピアノの手ほどきをしたのは自分と響子って話だけだけど……」
「なんだよそれ。俺の知らない話なんだけど?」
「あぁ、言ってなかったからね。でも、引き合わせたら話そうとは思ってたんだよ?」
「や、別にかわまないんだけどさ、じゃ、響子が亡くなった話まではしてなかったんだ?」
「進んで話すようなことでもないし……」
 先生の言うことは正しい。人に進んで話す話じゃない。
 それは私にも言えて、気づいたからといってここまで動揺することじゃない。かえって失礼だ。
 でも、どうしてだろう……。
 私は「人の死」というものにひどくうろたえる傾向がある。
 まだ、身近な人を亡くすという経験もしていないのに、どうしようもないほどにうろたえる。
 芹香さんが亡くなっていると知ったときも、果歩さんのお父さんが亡くなっていると知ったときも、ひどく衝撃を受けた。
 知らないからこそ余計にうろたえるのだろうか。
 自己分析をしていると、頭に軽い衝撃があった。
 何かと思ったら、倉敷くんの手に頭を撫でられていた。
「悪い……。俺たちにとってはもうずいぶんと前の話なんだけど、人の死って結構な衝撃だよな。事、おまえみたいなタイプはガッツリダメージを受ける」
 私みたいな、タイプ……?
 倉敷くんの目を見ると、倉敷くんはニッと笑って、
「感性豊かな人間」
 と口にした。
「にしてもおまえ、耳ざといよなぁ……。普通、あんな会話聞き流すだろ? ってか、聞き流せよ」
「だって、違和感があって……」
「ずいぶんいいセンサーお持ちなこって……。まぁさ、中途半端に知るくらいならなんで亡くなったのかくらい知っておいたら?」
 そうは言われても、どう反応したらいいのかに困る。すると、先生に声をかけられた。
「配慮が足りなくて申し訳ありません」
「いえっ、あのっ――」
 先生はにこりと笑顔を作り直し、
「慧くんが言うことも一理あるので、少しだけ姉の話をさせてください。実は、とっても元気な人だったのですが、ある日突然白血病になりまして、骨髄移植もしたのですが、八年前、あのコンクールの翌日に亡くなりました」
「っ……」
 病気と知ってさらなる衝撃を受けると、それを一緒に受け止めてくれるかのように、倉敷くん手が背中に添えられた。
「そんなわけで、あの年のコンクールに僕は出ていないんです。その後も通夜だ告別式だなんやかやとバタバタしていて、コンクールの結果も把握しておらず、慧くんが二位入賞だったと知ったのは二ヶ月ほど経ってからのことでした」
 まだ話が続くのか、と思ったけれど、話はそれでおしまい。
 先生は席を立ち窓辺へ行くと、二重サッシになっている窓を開けた。
「慧くん、飲み物はコーヒーでいいですか?」
「砂糖三つにミルク多めっ!」
「今日は蓼科さんがいるので違わず淹れてくれますよ。それから御園生さん、チョコレートはお好きでしょうか?」
 チョコレート……?
「ほら、チョコレートは好きかって」
「あっ、大好きです」
 慌てて答えると先生は笑い、
「では、美味しいチョコレートを持ってきてもらうので、それまでに泣き止んでくださいね」
 そう言うと、さっきと同様にデスクの電話に手を伸ばした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません

竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...