光のもとで1

葉野りるは

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27~28 Side 秋斗 02話

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 さっき冷蔵庫に入れたばかりのタルトとサンドイッチをトレイに載せ、電気ケトルを稼動させて寝室へ戻る。と、大泣きしている彼女がいた。
 慌てて駆け寄り、
「痛みっ!?」
「違っ……ごめんなさい、違うの――自分が……嫌――」
 自分が嫌って何……!?
 そんなに俺に触れられるのが、キスをされるのが嫌だったんだろうか――
 どう対応しようか考えていると、俺の携帯が鳴り出した。
 こんなときに誰だ……。
 ディスプレイを見れば湊ちゃんからだった。
「はい」
『翠葉は?』
「今は俺の寝室」
『何かあった?』
「ちょっと情緒不安定っぽい」
『脈が乱れたけど大丈夫なのね?』
「うん、大丈夫。何かあれば連絡する」
 そう言うと通話を切ってベッドの上に携帯を放った。
「ちょっと待っててね」
 持ってきたトレイを持ってキッチンへ戻ると、トレイはそのまま冷蔵庫へ入れ、代わりにミネラルウォーターを取り出す。
 いったい何が原因であんなに泣いている?
 ミネラルウォーターを持って戻ると、さっきと同じようにベッドへ腰掛けた。
「少しこれを飲んで落ち着こう」
 ストローを挿したペットボトルを顔の近くに差し出すと、彼女は両手で持って小さく喉を上下させた。
「……キスが嫌だった? それとも、触れられるのが嫌だった?」
 訊くのは怖かった。でも、訊かないことには始まらない。
「……違うんです……ドキドキしちゃうから――」
 彼女の目から涙が一筋零れる。
「でも、それって恋の醍醐味だと思うんだけど」
「……だって、みんなに知られてしまうのはすごく恥ずかしい――」
「――バングルか」
 今は袖で隠れて見えないシルバーの装置に目をやる。
 彼女はコクリと頷いてまた涙を零した。
「ちょっと待ってね」
 俺はさっき放った携帯を手に取り、いくつかの操作を済ませた。
 ディスプレイ表示が変わったところで彼女にそれを見せる。
 彼女は不安そうな顔のままディスプレイに視線を移した。
 詳しい説明はいらないだろう。
 ディスプレイの上部にはリアルタイムの数値が表示され、そのバックアップは別の領域に保存される。そして、下部に表示されているのはバイタルチェッカーに送信されていた安静時の彼女の数値。それは一時間ループから六時間ループまで設定時間を変えられるようになっている。
 湊ちゃんや栞ちゃんであっても気づきはしないだろう。
 実のところ、これはとても簡単な操作で彼女の携帯からも設定可能な機能だ。
 このバングルをいつまでつけているかは彼女しだい。けれど、こういうことで脈拍が上がるのを複数人に知られるのは年頃の女の子には酷だろう、とそこまで考えて作ったものを作った自分がすっかり忘れていた。
「今、みんなに送信されているのは下に表示されている数値。これは安定期の翠葉ちゃんの数値四時間をループさせているもの。上は実際の数値のバックアップ」
「……え?」
「すっかり忘れていたけど、こういうときのためにそういう機能も作ってあったんだ。安心した?」
 返事は得られない。
 恥ずかしいのに変わりはないということだろうか。……でも、慣れてもらわないとね。
 俺がベッドへ上がるとよりいっそう驚いた顔をされる。
 そんな彼女のごく近くに横になり、彼女を胸にしまうように背中に腕を回した。
「泣くときはさ、俺のとこで泣いてよ」
 返事はない。けれど、その代わりと言っていいだろうか。
 彼女の身体から力が抜け、俺の胸にぴたりとくっつく。
「そう……力を抜いて? せっかく側にいるのにそんなに緊張していたら疲れちゃうでしょ?」
 こうしていると森林浴に行ったときのことを思い出す。
 あのころは、こんなにも彼女のことを欲するようになるとは思いもしなかった。むしろ、司と付き合うことにならないか、と望んでいたくらいなのだから。
 彼女は俺の胸元で深い呼吸を繰り返していた。
 彼女にとっての緊張を解くための儀式なのかもしれない。
 少しすると、
「……なんの香りですか?」
「……あぁ、ケンゾーのローパケンゾーって香水。嫌い?」
「いえ……水みたい。森林浴をしているときに感じるような香り……」
「それは嬉しいかな。……そういえば、今日はシャンプーの香りしかしないけど、いつも何かつけてるよね?」
 ずっと気になっていた彼女の香りについて尋ねてみる。と、
「え……香り、きつかったですか? 寝る前に一吹きしかしないんですけど……」
「いや、至近距離じゃないとわからないくらいだったけど……」
 今度は俺の言葉で真っ赤になってしまった。
 至近距離、って言葉に反応したかな?
「入院していたとき、消毒薬の匂いが嫌で……。看護師さんがくれた香水を愛用してるんです。エラミカオのユージンゴールド――」
「あの香り、好き。フルーツとフローラルの香りがバランス良くて翠葉ちゃんに合ってるよ」
 なんて普通に答えているけど、その首筋に吸い付きたくて仕方がない。
 白く細い首筋もそそるけど、赤味を帯びるとそれが増す。
 しかし、彼女の顔を見れば頬を緩ませ少し落ち着いた感じだった。
 今仕掛けるわけにはいかないだろ……しっかりしろ、俺――
「落ち着いたかな?」
 彼女は少しびっくりして俺を見上げると、はにかんだ表情で「はい」と答えた。
「不安なことはひとりで抱えなくていいから。話してくれさえすれば今みたいにすぐに解決してあげられることもある」
「でも、それは甘えすぎじゃないですか?」
「……あのさ、俺は甘えてほしいんだけど?」
「……でも、それは怖いです」
「どうして?」
「……だって、秋斗さんがいなくなって自分ひとりで立てなくなったら困るもの……」
「どうして俺がいなくなることが前提かな……。そんなこと考えなくていいよ」
「それでも、不安なんです……」
 彼女は自信なさげに目を伏せた。
「大丈夫だよ。毎日だって好きだ愛してるって伝える。毎日伝えても伝えきれいないくらいだ」
 もしかしたら言葉で伝えるだけじゃ足りないのかもしれない。
「秋斗さんは蒼兄以上に甘い気がします」
「蒼樹と一緒にされるのは嫌だな。俺は兄じゃない。彼氏だよ? 俺に誰が相応しいかは俺が決めることだし、翠葉ちゃんに誰が相応しいのかは翠葉ちゃんが決めることだ。ほかの誰の意思も介入しないよ」
 言って彼女を抱き寄せた。
 華奢だけれど女性らしい身体つきの彼女。何度こうして抱きしめたいと思ったことか……。
 君が許してくれるなら、何度でも身体ごと愛して持てるすべての愛情を注ぐんだけど……。
 そしたら君は安心できるんじゃないのかな。
 言葉だけではなく、全身で伝えることができれば――
 ……でも、その前に色々交通整理をしなくてはいけない。
 彼女のご両親にも交際を認めてもらわなくてはいけないし……。
 それから、彼女には俺にもう少し慣れてもらわないといけない。
 愛撫ともいえないような域であの怯えようだ。最後までたどり着くのにどれだけの時間を要すことか――
 本当に攻略しがいのあるお姫様だ。
 そんなことを考えていると、胸元からクスクスと笑いが聞こえてきた。
「どうかした?」
「いえ、秋斗さんの鼓動がお母さんの心音だとしたら、私はさしずめ赤ちゃんだな、と思って」
「君らしいけど、もう少し色気のあるたとえがいいなぁ……」
 つい本音が漏れる。
「今度こそ本当にお昼にしよう? 戻ってきたら泣いてるなんてやめてね」
 漏らした言葉をごまかすように立ち上がると、彼女は笑顔で「はい」と答えてくれた。
 心からの笑顔――そう、俺はこれが見たいんだ。
 この笑顔のためならなんだってできる気がする。
 彼女と結婚することに親戚がうるさく言うようなら、すぐにでも藤宮の一切から手を引く。会社を辞めてもかまわない。もともとそんなものに固執はしていないのだから。
 彼女の平穏を守るためならなんでもできる。
 君は、俺がここまで考えていることなんてまったく知らないんだろうね。

 寝室へ戻ると、彼女はベッドの上でだるそうに身体を起こしていた。
「大丈夫なの?」
「……今は大丈夫みたいです」
「良かった」
 副作用が少しずつ落ち着き始めているのかもしれない。それでもまだずいぶんとだるそうだけど……。
 彼女には苺タルトが乗ったプレートを、自分にはサンドイッチを用意した。そして、自分にはコーヒー、彼女には果汁百パーセントのリンゴジュース。
「秋斗さん、グラスを貸していただけますか?」
 遠慮気味に訊かれた。
「ちょっと待っててね」
 すぐに席を立ったものの意味は理解できていない。
 たかだか二百ミリリットルの小さな紙パックだけど、それすら全部を飲むことができないのだろうか。
 グラスを手に戻ると、彼女はそれに水を入れてから半々になるようにリンゴジュースを注いだ。
「あ……味が濃い?」
 彼女は苦笑いで頷いた。
 そっか……だから校内で飲めるものがミネラルウォーターだけなのか。
「……そういうの、遠慮しないで言ってね?」
「はい……」
 彼女のことをひとつずつ知っていきたい。彼女を見て、彼女の口から聞いて、少しずつ、少しずつ……。
 そんな時間がひどく大切なものに思えた。
 彼女は嬉しそうに苺タルトを口にし、咀嚼して飲み込めば今度はグラスに手を伸ばす。
 グラスやカップを両手で持つのは癖なのかもしれない。その仕草がかわいい。
「妖艶」なんて言葉からはほど遠い彼女なのに、どうしてかこんなにも「男」である自分を意識させられる。
 それは司もなのだろうか……。
 いや、あいつはまだそこまでたどり着いていないような気がする。もし、それに気づいてしまったのなら彼女の側に近づけたくはない。
 葵は? ――いや、あれは除外だな。
 彼女があそこまで普通に接することができるのは蒼樹だけだ。つまり、兄と同等にしか見ていないということ。
 でも、葵のほうはどうだろうか……。まさか親友の妹に手は出さないか。
 ――俺、自分のこと棚に上げてるかも……。
 そんなことを考えていれば彼女がピルケースから薬を取り出すところだった。
「秋斗さん、ごめんなさい……。これを飲むとどうしても眠くなっちゃうんです」
 申し訳なさそうに俺を見る。
「かまわないよ。そこのドアの向かいの部屋で仕事してるから。ドアは開けたままにしておく。定期的に見にくるから何かあればそのときに言って?」
「はい」
 キッチンで洗い物を済ませ寝室に戻ると、早くも彼女はとろんとしていた。
「……ゆっくりおやすみ」
 俺は優しく声をかけ、額にキスを落とした。
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