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第十一章 トラウマ
24話
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マンションに着きと秋斗さんと一緒にロータリーで車を降りると、すぐに崎本さんがエントランスから出てきて、
「お車をお預かりいたします」
崎本さんが車に乗り込むと車はゆるりと走り出し、数十メートル先の緩いカーブを曲がり見えなくなった。
「翠葉ちゃん?」
「え? あ……すみません、ぼーっとしちゃって……」
そうは答えるものの、走り去った車から目が離せなかった。
「俺の車がどうかした?」
記憶をなくしてから、秋斗さんの車には数回乗せてもらっている。治療のために学校と病院を往復するのを時々秋斗さんが送迎してくれていたから。
でも、だから知っているというわけではなく、違う何かを感じる。
「右に折れるカーブ――」
それが何につながるのか……。
じっとマンションのロータリーから伸びる道を見ていた。
「……距離は短いけど、幸倉の自宅前の道とカーブが似ているかな」
背後から秋斗さんの声が降ってきて、その言葉にはっとする。
そうだ、建物を視界に入れさえしなければ、歩道に植樹されている木や車道の曲がり具合が幸倉の自宅前の道と似ている。そして、その道を走り去る車には覚えがあった。
「何か思い出した?」
秋斗さんに顔を覗き込まれ、
「……いえ。ただ、見たことがあるような気がしただけなんです。具体的に何を思いだせたわけではなくて……。ただ、二学期になってから乗ったことがあるから、とかそういうことではなくて――」
うまく説明することができなかった。
「……九月とはいえ、この時間に夏服じゃ少し冷えるよね」
秋斗さんはエントランスへ入るように私の背に手を添えた。
カウンターには真下さんがいて、「おかえりなさいませ」と迎えられる。
秋斗さんが「ただいま」と答えれば、なんとなく自分も「ただいま戻りました」と口にできる。
エレベーターに乗ると、
「今日は若槻もゲストルームに戻ってるよ。栞ちゃんもいるだろうから、俺も寄らせてもらうね」
一緒に九階で降り玄関のドアを開ければ、「おかえりなさい」と栞さんと唯兄が出迎えてくれた。
「リィ、身体は?」
「大丈夫……」
「じゃ、なんで秋斗さんも一緒なの?」
唯兄は若干嫌そうな顔をした。
最近、お仕事が忙しくて四六時中秋斗さんと顔を合わせていてうんざりだ、と何日前かに聞いたばかりだった。
秋斗さんは苦笑を浮かべ、
「若槻に用があるんじゃない。栞ちゃん、一緒に旅行に行かない?」
栞さんは唐突なお誘いに目を白黒とさせている。
「話は上がってからにしましょう。翠葉ちゃんは手洗いうがいを済ませてね。今の体調は?」
「少し痛みが残っているけど、大丈夫です。でも、明日明後日は学校を休みなさいって言われちゃいました」
「そう……。じゃ、とりあえずは夕飯にしましょう。秋斗くんも食べていくでしょ?」
「あ、いや、俺は――」
「何、仕事? 仕事があっても夕飯くらいは食べなくちゃ」
「そうだけど――」
「なら、食べていくっ。決まりっ」
栞さんは秋斗さんの返事を聞かずにキッチンへと引き返した。
「……俺、いても平気?」
秋斗さんに訊かれて少しびっくりする。
不思議に思って秋斗さんを見上げると、
「何を今さら」
唯兄が秋斗さんの後ろへ回って背中をバシッと叩いた。
聞くからに痛そうな音だったけれど、秋斗さんは一言も漏らさなかった。
言われたとおりに手洗いうがいを済ませ、ルームウェアに着替えてリビングへ行くと、テーブルにはすでに夕飯の準備が整っていた。
秋斗さんは栞さんに旅行の話をしているところ。
「それ、俺も行きたいなぁ……」
口を挟んだのは唯兄。
「本当っ!? 唯兄も一緒っ!?」
「目の前の上司殿の許可が下りればね」
唯兄はにこりと笑い、秋斗さんを見やる。
「翠葉ちゃんがそんなに喜んでいたら却下なんてできないだろ」
秋斗さんは若干むすっとした顔をした。
「あの、だめでしたか?」
「だめじゃないよ。ただ、俺が翠葉ちゃんを独り占めしたかっただけ」
私は未だに秋斗さんの甘い笑顔にも、話す言葉たちにも慣れない。でも、よそよそしくされるよりはいいのかもしれない。
「若槻くんが一緒のほうが碧さんたちも安心だと思うわ」
「栞さんたちも一緒に行けますかっ?」
「だって、断わる理由なんてないもの」
栞さんはかわいらしくクスリと笑った。
「式を挙げてから、一度もブライトネスパレスには行ってないの。久しぶりに木田さんにもお会いしたいわ」
「俺はパレスの中でも一番人気っていうブライトネスパレスを拝みたいのと、単に家族旅行ってものへの憧れ」
唯兄の言葉に、ちょっとしんみりしてしまう。
「リィ、そんな顔しなくていいよ。俺には今の家族がいる。そうでしょ?」
私は小さく頷き、
「唯兄、あのねっ? 今回は私と家族ふたりだけかもしれないけれど、今お父さんたちがしている仕事が完成したら、そこへ家族で招待されるんだって。そのときは五人揃うよっ?」
唯兄がクスクスと笑う。
「そりゃ楽しみだ。そのときは何がなんでも休みをぶんどらねば……」
「……蒼兄は行けるかな?」
そう私が口にしたとき、玄関で音がした。
リビングから玄関を見通すと、そこには蒼兄がいた。
「リィ、出迎えずに待ってな。休めって言われてるんでしょ?」
廊下から、「ただいま」と優しい声が届く。けれども、リビングには直行せず、洗面所へ直行。
手洗いうがいを済ませると、「着替えてくる」と部屋に行ってしまった。
「今日はお酒飲んでるし、タバコ臭いところにいたからじゃない?」
秋斗さんに言われて気づく。
蒼兄はそういうところにいたとき、帰ってくるとシャワーを浴びるか着替えるかする。
「秋斗さん、よく知ってますね?」
「もう八年の付き合いだからね」
八年の付き合い――
私にそんな友達はいない。でも、今のクラスメイトと八年後も友達であれたらいいな、と思う。
蒼兄が着替えてくると、話は難なくまとまった。
「蒼兄も行けるのねっ!」
「うん、行けるよ。今週までがちょっと忙しくて、今日はその打ち上げだったんだ。だから土日は空いてる。先輩、今日は本当に助かりました」
蒼兄が秋斗さんに頭を下げると、そのあとは私の側にやってきた。
「ごめんな、今日迎えに行けなくて」
こういうとき、ものすごく申し訳なさそうな顔をするからつらくなる。
たとえば、「ううん、大丈夫」と答えたとして――それで自分ひとりでどうにかできたわけではない。
秋斗さんやツカサ、湊先生たちの助けがあったから病院へ行くことができて、帰ってくることができたのだ。だから、なんて答えたらいいのかもわからなくて困る。
「じゃ、碧さんたちに連絡しましょう」
栞さんがその場の空気を変えるように声を発した。
「栞ちゃん、その電話、俺がかけてもいい?」
「いいわよ」
秋斗さんは立ち上がり、携帯を手にひとりベランダへ出た。
外は真っ暗で、明るい室内にいる私たちからは秋斗さんがどんな表情をしているのかは見えない。けれど、数分もするとリビングへ戻ってきた。
「OK出たよ。それから、ブライトネスパレスも三部屋取れたから問題ない」
「秋斗さん、ありがとうございます」
「翠葉ちゃん、お礼なんていらないよ」
秋斗さんは少しぎこちなく笑ってテーブルに着いた。
ご飯を食べ終わると、唯兄が片づけをする。
いつもなら私も手伝うのだけど、「今日はだめ」と唯兄に言われてしまった。
栞さんと蒼兄と秋斗さんは土曜日に家を出る時間を話し合ったりなんやかや。それが済むと、唯兄は秋斗さんと仕事の打ち合わせをしに十階へ上がり、栞さんも自宅へ戻った。残ったのは私と蒼兄。
「着替えたけど、やっぱ酒臭いしタバコ臭いな。俺、シャワー浴びてくるわ」
「うん」
私はグランドピアノの前にいた。
「今日はもう横になったら?」
蒼兄に言われたけれど、何もしないでいたら、ツカサのことばかりを考えてしまいそうで……。
本当は、何もせずに休んだほうがいいのはわかっている。でも、何かしていたかった。何もしていないことが少し怖かった。
だから、 ツカサの伴奏をする楽譜をさらってピアノを弾いていた。
時刻はもう九時半を回っている。けれども、この部屋は時間を気にせずピアノを弾くことが許されるつくりになっている。
そんな特殊装備を搭載しているゲストルームに救われる。
スピッツの「優しくなりたいな」。
ピアノの伴奏も好きだけれど、歌詞も好き。私も優しくなりたい。難しいけれど……。
ツカサのことをもっと知りたいと思う。「もっと」というよりは、「ちゃんと」。
ツカサが何をどう考えているのか、何をどう思っているのか。ちゃんと知りたいと思う。
そしたら、今日だってあんな顔をさせずに済んだかもしれない――
「お車をお預かりいたします」
崎本さんが車に乗り込むと車はゆるりと走り出し、数十メートル先の緩いカーブを曲がり見えなくなった。
「翠葉ちゃん?」
「え? あ……すみません、ぼーっとしちゃって……」
そうは答えるものの、走り去った車から目が離せなかった。
「俺の車がどうかした?」
記憶をなくしてから、秋斗さんの車には数回乗せてもらっている。治療のために学校と病院を往復するのを時々秋斗さんが送迎してくれていたから。
でも、だから知っているというわけではなく、違う何かを感じる。
「右に折れるカーブ――」
それが何につながるのか……。
じっとマンションのロータリーから伸びる道を見ていた。
「……距離は短いけど、幸倉の自宅前の道とカーブが似ているかな」
背後から秋斗さんの声が降ってきて、その言葉にはっとする。
そうだ、建物を視界に入れさえしなければ、歩道に植樹されている木や車道の曲がり具合が幸倉の自宅前の道と似ている。そして、その道を走り去る車には覚えがあった。
「何か思い出した?」
秋斗さんに顔を覗き込まれ、
「……いえ。ただ、見たことがあるような気がしただけなんです。具体的に何を思いだせたわけではなくて……。ただ、二学期になってから乗ったことがあるから、とかそういうことではなくて――」
うまく説明することができなかった。
「……九月とはいえ、この時間に夏服じゃ少し冷えるよね」
秋斗さんはエントランスへ入るように私の背に手を添えた。
カウンターには真下さんがいて、「おかえりなさいませ」と迎えられる。
秋斗さんが「ただいま」と答えれば、なんとなく自分も「ただいま戻りました」と口にできる。
エレベーターに乗ると、
「今日は若槻もゲストルームに戻ってるよ。栞ちゃんもいるだろうから、俺も寄らせてもらうね」
一緒に九階で降り玄関のドアを開ければ、「おかえりなさい」と栞さんと唯兄が出迎えてくれた。
「リィ、身体は?」
「大丈夫……」
「じゃ、なんで秋斗さんも一緒なの?」
唯兄は若干嫌そうな顔をした。
最近、お仕事が忙しくて四六時中秋斗さんと顔を合わせていてうんざりだ、と何日前かに聞いたばかりだった。
秋斗さんは苦笑を浮かべ、
「若槻に用があるんじゃない。栞ちゃん、一緒に旅行に行かない?」
栞さんは唐突なお誘いに目を白黒とさせている。
「話は上がってからにしましょう。翠葉ちゃんは手洗いうがいを済ませてね。今の体調は?」
「少し痛みが残っているけど、大丈夫です。でも、明日明後日は学校を休みなさいって言われちゃいました」
「そう……。じゃ、とりあえずは夕飯にしましょう。秋斗くんも食べていくでしょ?」
「あ、いや、俺は――」
「何、仕事? 仕事があっても夕飯くらいは食べなくちゃ」
「そうだけど――」
「なら、食べていくっ。決まりっ」
栞さんは秋斗さんの返事を聞かずにキッチンへと引き返した。
「……俺、いても平気?」
秋斗さんに訊かれて少しびっくりする。
不思議に思って秋斗さんを見上げると、
「何を今さら」
唯兄が秋斗さんの後ろへ回って背中をバシッと叩いた。
聞くからに痛そうな音だったけれど、秋斗さんは一言も漏らさなかった。
言われたとおりに手洗いうがいを済ませ、ルームウェアに着替えてリビングへ行くと、テーブルにはすでに夕飯の準備が整っていた。
秋斗さんは栞さんに旅行の話をしているところ。
「それ、俺も行きたいなぁ……」
口を挟んだのは唯兄。
「本当っ!? 唯兄も一緒っ!?」
「目の前の上司殿の許可が下りればね」
唯兄はにこりと笑い、秋斗さんを見やる。
「翠葉ちゃんがそんなに喜んでいたら却下なんてできないだろ」
秋斗さんは若干むすっとした顔をした。
「あの、だめでしたか?」
「だめじゃないよ。ただ、俺が翠葉ちゃんを独り占めしたかっただけ」
私は未だに秋斗さんの甘い笑顔にも、話す言葉たちにも慣れない。でも、よそよそしくされるよりはいいのかもしれない。
「若槻くんが一緒のほうが碧さんたちも安心だと思うわ」
「栞さんたちも一緒に行けますかっ?」
「だって、断わる理由なんてないもの」
栞さんはかわいらしくクスリと笑った。
「式を挙げてから、一度もブライトネスパレスには行ってないの。久しぶりに木田さんにもお会いしたいわ」
「俺はパレスの中でも一番人気っていうブライトネスパレスを拝みたいのと、単に家族旅行ってものへの憧れ」
唯兄の言葉に、ちょっとしんみりしてしまう。
「リィ、そんな顔しなくていいよ。俺には今の家族がいる。そうでしょ?」
私は小さく頷き、
「唯兄、あのねっ? 今回は私と家族ふたりだけかもしれないけれど、今お父さんたちがしている仕事が完成したら、そこへ家族で招待されるんだって。そのときは五人揃うよっ?」
唯兄がクスクスと笑う。
「そりゃ楽しみだ。そのときは何がなんでも休みをぶんどらねば……」
「……蒼兄は行けるかな?」
そう私が口にしたとき、玄関で音がした。
リビングから玄関を見通すと、そこには蒼兄がいた。
「リィ、出迎えずに待ってな。休めって言われてるんでしょ?」
廊下から、「ただいま」と優しい声が届く。けれども、リビングには直行せず、洗面所へ直行。
手洗いうがいを済ませると、「着替えてくる」と部屋に行ってしまった。
「今日はお酒飲んでるし、タバコ臭いところにいたからじゃない?」
秋斗さんに言われて気づく。
蒼兄はそういうところにいたとき、帰ってくるとシャワーを浴びるか着替えるかする。
「秋斗さん、よく知ってますね?」
「もう八年の付き合いだからね」
八年の付き合い――
私にそんな友達はいない。でも、今のクラスメイトと八年後も友達であれたらいいな、と思う。
蒼兄が着替えてくると、話は難なくまとまった。
「蒼兄も行けるのねっ!」
「うん、行けるよ。今週までがちょっと忙しくて、今日はその打ち上げだったんだ。だから土日は空いてる。先輩、今日は本当に助かりました」
蒼兄が秋斗さんに頭を下げると、そのあとは私の側にやってきた。
「ごめんな、今日迎えに行けなくて」
こういうとき、ものすごく申し訳なさそうな顔をするからつらくなる。
たとえば、「ううん、大丈夫」と答えたとして――それで自分ひとりでどうにかできたわけではない。
秋斗さんやツカサ、湊先生たちの助けがあったから病院へ行くことができて、帰ってくることができたのだ。だから、なんて答えたらいいのかもわからなくて困る。
「じゃ、碧さんたちに連絡しましょう」
栞さんがその場の空気を変えるように声を発した。
「栞ちゃん、その電話、俺がかけてもいい?」
「いいわよ」
秋斗さんは立ち上がり、携帯を手にひとりベランダへ出た。
外は真っ暗で、明るい室内にいる私たちからは秋斗さんがどんな表情をしているのかは見えない。けれど、数分もするとリビングへ戻ってきた。
「OK出たよ。それから、ブライトネスパレスも三部屋取れたから問題ない」
「秋斗さん、ありがとうございます」
「翠葉ちゃん、お礼なんていらないよ」
秋斗さんは少しぎこちなく笑ってテーブルに着いた。
ご飯を食べ終わると、唯兄が片づけをする。
いつもなら私も手伝うのだけど、「今日はだめ」と唯兄に言われてしまった。
栞さんと蒼兄と秋斗さんは土曜日に家を出る時間を話し合ったりなんやかや。それが済むと、唯兄は秋斗さんと仕事の打ち合わせをしに十階へ上がり、栞さんも自宅へ戻った。残ったのは私と蒼兄。
「着替えたけど、やっぱ酒臭いしタバコ臭いな。俺、シャワー浴びてくるわ」
「うん」
私はグランドピアノの前にいた。
「今日はもう横になったら?」
蒼兄に言われたけれど、何もしないでいたら、ツカサのことばかりを考えてしまいそうで……。
本当は、何もせずに休んだほうがいいのはわかっている。でも、何かしていたかった。何もしていないことが少し怖かった。
だから、 ツカサの伴奏をする楽譜をさらってピアノを弾いていた。
時刻はもう九時半を回っている。けれども、この部屋は時間を気にせずピアノを弾くことが許されるつくりになっている。
そんな特殊装備を搭載しているゲストルームに救われる。
スピッツの「優しくなりたいな」。
ピアノの伴奏も好きだけれど、歌詞も好き。私も優しくなりたい。難しいけれど……。
ツカサのことをもっと知りたいと思う。「もっと」というよりは、「ちゃんと」。
ツカサが何をどう考えているのか、何をどう思っているのか。ちゃんと知りたいと思う。
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