光のもとで1

葉野りるは

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第十三章 紅葉祭

37話

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 茜先輩は穏やかな声で歌い始めた。
 もう、声は震えていない。さっきまでの弱い茜先輩はどこにもいない。
 サビに入れば泣いていたなんて思わせない声量で歌いだす。
 すぐにミキサー側で調整したのがわかった。
 私は必死に音符を追っていたけれど、佐野くんに言われていたとおり、そこまで音数の多いものではなかった。
 何が厄介かというならリズム。
 流れのままに弾ける部分が大多数。でも、ハートマークがついているところはきちんと目を通しておくべきだったかもしれない、と悔やみながら弾いていた。
 自分ひとりのピアノ演奏なら多少アレンジが入っても違和感なく弾く自信はある。けど、ほかの人と合わせる合奏ではソロ部分でない限りそれはしてはいけない。
 神楽さんがここだけは、と言うくらいには、ほかの楽器とずれるのはまずいのだろう。とくにベースラインやドラム、リズム隊とはずれちゃだめ、という意味だと思う。
「無理なら弾かない」と言った神楽さんは、その部分に差し掛かるとベースの風間先輩が見えるように立ち位置を変えてくれた。
 視界にピックを弾く動作が見え、演奏が合わせやすくなる。
 本当だ……。神楽さんと都さん、ほかの奏者が引っ張ってくれる。
 そう思ったら、肩から余計な力がストンと抜けた。
 それが音に現れたのか、茜先輩がこちらを見てにこりと笑う。
 楽しもう……。
 最後のサビに入る頃、私はようやくそう思うことができた。

 会場から、今までで一番大きな拍手が沸き起こった。
 茜先輩はそれに応えるように四方へ礼をする。
 右手でドレスをつまみ、膝を軽く折ってお辞儀する。その姿は堂々としたもので、とても格好良く見えた。
 茜先輩、完全復活……?
 そんな文字が頭に浮かぶ。
 急遽演奏部隊として上がってきた人に茜先輩が握手を求めた。
 神楽さんと都さんは、
「お礼なら別口でしてもらうからいいわ」
 ふたりは揃ってウィンクをする。
「お手数おかけしました。私にできることならなんでもします」
「言ったわね? 今度は学園祭じゃなくて、コンサート会場で同じステージに立ちましょう」
 神楽さんの言葉に、茜先輩は「喜んで」と胸を張って答えた。
 最後に残ったのは私。
 そのときには昇降機が下がり始めていた。
「翠葉ちゃん、本当にありがとう。……もう大丈夫だから安心してね」
「……良かったです」
 また涙が出そうになる。
「次の曲は自分と翠葉ちゃんに歌うわ」
「え……?」
「司の歌の次はまた私。なんといっても私の名前が入っている曲だからね。きっと恋愛でもご利益あるよ!」
 にこりと笑った茜先輩の隣には久先輩がいて、ふたりはしっかりと手をつないでいた。
 昇降機が下がると、奈落でも拍手喝采だった。茜先輩はその中に吸い込まれるようにして昇降機を降りていった。
 本当に、いつもどおりの茜先輩……。
「翠葉ちゃん、ありがとう」
 久先輩が私の隣ではにかんだ笑顔を見せる。
「私は……何かできたんでしょうか」
「……千里、どうする? あの茜を泣かせた子がこんなこと言ってるけど」
 久先輩が奈落で待っていたサザナミくんに声をかけると、
「ほーんと、鈍感でやんなっちゃいますよね」
 サザナミくんは呆れた顔で返事をした。続けて、
「鈍感を相手にするって大変だろうなぁ……。俺にはまず無理」
 まるで誰かに向けるように口にした。
 話をしている相手は久先輩のはずなのに、その言葉を久先輩へ向けて言っているようには見えない。かといって、自分に言われたような気もしない。
 誰に向けて言った言葉だったのかな……?
「上がります!」
 その声にはっとして昇降機を振り返ると、ツカサが立っていた。そして、そのバックに都さんと神楽さんが立っている。
「いってきまーす!」
 軽く手を振るのは都さん。
 左昇降機にも右昇降機にも人がスタンバイ済みだった。

 私は定位置に戻りビーズクッションに座る。
 もう、茜先輩が隣にぴたりとくっついて座ることはないだろう。
 今も久先輩と手をつないでモニターを見ている。
 ふたりの後ろ姿を見て、本当に良かった、と心から思う。
「お疲れさん」
 空太くんがリンゴジュースとミネラルウォーターを持って現れ、その後ろから、手に紙コップを持った香乃子ちゃんもひょっこりと顔を出す。
 ふたりが共同作業で即席水割りリンゴジュースを作ってくれた。
「ありがとう……」
「どうしたしまして」
 ペットボトルを受け取ると、ツカサの歌声が聞こえてきた。
 少し抵抗を感じつつもモニターに目を向ける。
 歌はいきものがかりの「ふたり」。
 歌い始めから歌詞が鋭く胸に刺さる。ザクザク刺さる。
 でも、カメラ目線でも困らない。
 だって、もう勘違いのしようがないから顔が熱くなることもない。
 自分に向かって歌われているような気がして身体が熱くなるとか、錯覚していたころが懐かしい。
 そんな前のことでもないのに、すごく昔のような気がする。
 先ほどよりは落ち着いてステージを見ることができた。
 心は痛いけれど、視線を逸らさずに見ることができた。
 目の前にツカサがいるわけじゃない。だから、大丈夫。
「なんか落ち着いたっぽい?」
「……佐野くん。うん、涙は打ち止めみたい」
 たくさん泣いたから、きっと流れる涙もなくなったに違いない。
 これから先も、涙なんて補充されなくていい。補充されたらまたすぐに溢れてしまいそう。
 もう、涙なんていらない。泣きたくない。
 そう思うと、せっかく作ってくれた水割りリンゴジュースも飲めなくなってしまった。
「佐野くん、好きな人がいる人を好きでいるってどんな感じ?」
「……御園生らしい直球な質問」
 佐野くんは苦笑した。
「ごめんね。ものすごく無神経なことを訊いてるよね」
 自覚はある。でも、知りたいの……。
「そうだな……。ま、俺の場合は好きな人に好きなやつがいるを通り越して、彼氏ができちゃったわけだけど……。俺はさ、そこでスッパリ諦められるほど潔い人間じゃないんだ」
 ……やっぱり、香乃子ちゃんが言っていたみたいに想い続けるの?
「くっ……御園生は思ってることが顔に出すぎ」
「……もう、この際口にしたほうがいいのかな?」
「それ、悩むところがなんか違うし……。しばらくはさ、このままだよ。先のことなんてわからない。こればかりは気持ちがどう転ぶのか予測できないし。御園生が知りたいのはつらいかつらくないか?」
「……うん」
「……難しいな。正直、これからあのふたりを目の当たりにするわけだし。でも、好きな子が笑ってるのはやじゃないよ。御園生は?」
 笑ってるところ……? ツカサが、笑ってるところ……?
「なんで無言なの?」
「えっ? ……ちょっと待って。……今、一生懸命笑っている顔を思い出そうとしてるの……」
「……なんだよそれ」
 佐野くんは、くくく、とお腹を抱えて笑い出したけど、私は真剣。
 ツカサの笑顔なんてあまり見たことがない。
 たいていが無表情。少し顔の筋肉が緩んだとか、雰囲気が優しい気がするとか、そういうのはあるのだけど――
 思い出せる笑顔は作為的なものか、苦笑や冷笑、嘲笑の類のみ。
 え、嘘――
 自然に笑っている顔の記憶がない……?
「何、笑わない人なの?」
「……無表情がデフォルト? 作られたきれいすぎる笑顔や苦笑冷笑嘲笑はよく見るのだけど、自然に笑ったところはほとんど見たことなかも……。いつも呆れられてばかりだし……」
 真面目に悩んでいると、
「御園生、それだけで誰かわかっちゃうからあまり言わないほうがいいよ」
「ど、どうしてっ!?」
「だって、御園生の周りにいる男で無表情な人間っていったらひとりしかいないじゃん」
「さ、佐野くんっっっ」
「言わない言わない。黙ってるって」
 佐野くんは、「困ったやつめ」と言いながら笑った。
 ツカサは……好きな人の前なら自然に笑うのかな。
 穏やかに、優しい目で笑うのかな……。
 優太先輩が嵐子先輩を見るように、久先輩が茜先輩を見るように、そんな優しい顔をするのかな。
 私が見たことのない笑顔を見られる人が、羨ましくて仕方がない――

「お、藤宮先輩戻ってきたね。次、茜先輩の歌か」
「うん、次はどんな歌だろう。……あのね、私に歌ってくれるって言われたの」
 それが嬉しくて、少し自慢するように話した。
「うんうん、だろうね」
 佐野くんはにまにまと笑っている。
「これ、用意するのすごい手間隙金人員かかってるからね」
 手間と暇とお金と人員……?
「見たらわかるよ」
 言い終わる頃には、私の前の視界が開けた。
「え……?」
 人が私の前からいなくなり、モニターまでなんの障害もなくなる。
 な、に……?
 会場には、「モニターに映し出される映像をお楽しみください」とアナウンスが流れていた。
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