光のもとで1

葉野りるは

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49~53 Side 司 04話

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 洗面所に入れられて、すぐにドライヤーを手に取れたわけじゃない。
 翠がリビングではなく玄関へ向かったから、一瞬あとを追いそうになった。
 そうしないで済んだのは、カサリ、とビニール袋を拾い上げる音が聞こえたから。
 音はカサカサ、という小さなものへ変わり、洗面所の前を通過した。
 翠は買ってきたものを取りに玄関へ行っただけだった。
 どれだけ臆病になっているのか、と自分にうんざりする。
 手早く髪を乾かし洗面所を出ると、部屋のカーテンが開けられており、室内の照明が点けられていた。
 廊下から見える位置に翠はいない。
 歩みを進めると、ダイニング手前にあるキッチンにいた。
 キッチンの奥を見て、なぜか首を傾げている。
「翠?」
 声をかけると、
「髪の毛、ちゃんと乾かさないとだめだよ?」
 言いながら振り返り、俺の頭をじっと見て「あれ?」という顔になる。
 翠の考えていることを察し、
「翠の髪を乾かすほど時間はかからない」
 何を口にしたわけでもなかったが、翠は納得したように見えた。
 翠は買ってきたであろう飲み物をカップに半分ほど注ぐと、水道の水を足そうとする。
 俺は無言でその動作を止めた。
 水道のレバーを閉めると、
「え?」
 翠が不思議そうに俺を見上げる。
「そこに電気ケトルあるから、足すならお湯にして」
「あ、うん……」
 飲み物を薄めるのは相変わらずか……。
 そんなことを思いながら、翠が電気ケトルに水を入れる姿を見ていた。

 リビングへ移動すると、翠がビニール袋から買ってきたものをひとつずつ取り出す。
 俺の前にはブラックの缶コーヒーとサンドイッチがふたつ。翠の前にはサンドイッチがひとつ置かれた。
「サンドイッチじゃなくておにぎりのほうが良かった? 昨夜、何を食べたのかまでは考えてなかったの」
「いや、いい」
 さっきキッチンで首を傾げながら見ていたのは、昨日食べたピザの箱だったのかもしれない。
 ひらり、とテーブルに落ちたレシートに手を伸ばす。と、それにはこのテーブルにあるものがすべて記載されていた。
「これ、会計が全部一緒なんだけど……。まさか翠が払ってたりしな――」
「あ、違うの」
 珍しく、言葉の途中で遮られた。
「コンビニには唯兄がついてきてくれて、買うものも全部決めて支払いも済ませてくれたの。だから、私が買ったわけでもなければツカサのお財布も開けてないよ? あ、これ、ツカサのお財布」
 俺の財布はサンドイッチの隣に並べられた。
「……今、唯兄に貸しを作った、って思った?」
 きょとんとした顔で訊かれたが、やけに察しがいい。
「なんで……」
「……なんとなく? そんなふうに見えただけ」
 少し嬉しそうに言ったあと、
「あ、唯兄から伝言。『こんなんでも貸しは貸しだからいつか返せよバーカ』って」
 翠はあからさますぎるほどの棒読みで伝言を口にした。
 棒読み以前に息継ぎがなかった。
 決して似ても似つかない声音に口調。
 だけど、唯さんがそれを言っている様なら安易に想像できる。
 まるで、生霊でも飛んでいるかのようにあの顔が脳裏に思い浮かぶから最悪……。
 この場には俺と翠しかいないはずなのに、急に唯さんに割り込まれた気がした。
 若槻唯こと、御園生唯芹――
 秋兄に気に入られ、さらには部下として数年働いている時点で変人決定なわけだけど、それにしても規格外すぎる。
 それは仕事における知識やスキル以外の部分においても。
 御園生家になんの違和感もなく溶け込んでいることとか、灰汁の強いうちの生徒にさらっと馴染み紛れ混んでいることとか。
 何をもってしてもおかしいとしか言いようがない。
 俺よりもあとに出逢っていながら、今は俺よりも翠との距離が近い人物。
 そして、翠のこと一点をついて俺で遊ぼうとしてみたり、情報を与えてみたり……。
 何がしたいのかわかりかねる。
 そんなことを考えていると携帯が鳴りだした。
 ディスプレイには「御園生」と表示されている。
「はい」
『あ、司?』
 このタイミングで連絡が入るとは思っていなかったが、この人にも謝罪はするべきだと思った。
 今度こそは何を言われる前に先に謝ろう。
「お手数をおかけしてすみませんでした」
 言葉は思っていたよりもすんなりと出てきた。
『いや、それはかまわないんだけど……。今、翠葉は?』
 御園生さんが翠のことを気にかけるのはいつものことだけど、この時点ではなんの用で電話をかけてきたのかに気づけなかった。
「目の前にいます。……代わりますか?」
『いや……なんか訊いた?』
 こちらをうかがうような訊き方だった。
 何か、って……?
 妙な胸騒ぎがして翠に視線を向ける。
 翠は眉根を寄せ怯えたような表情をしていた。
『やっぱり自分じゃ言わないか……。翠葉、昨夜一睡もしてないんだ』
 テーブル上に置かれていた翠の携帯に手を伸ばし数値を見る。
 バイタルといっても携帯に表示されるのは簡略的なものだから細かいことはわからない。
 血圧数値はいつもどおり低く、今はそれより心拍の乱れのほうが目立って見えた。
『不整脈が出てる。本人も自覚してるし学校は休むことになってるから。それだけ伝えておこうと思って』
 かなりの頻度で脈が跳ぶ。
 ここまでひどければ、嫌でも心臓の動きに違和感を覚えるだろう。
「すみません……」
 ほかに言える言葉がなかった。
 こんな体調でここへ来たのは、俺がここにいたからほかならない。
『……なんというか、司が謝る必要はないと思う。そこに戻るって決めたのは翠葉だから』
 信じられない思いで翠に目をやる。
 今、御園生さんは「そこに戻ると決めたのは」と口にした。
 それはつまり、さっき一階に下りたとき、少なからずとも選択の余地があったということで――
 ……本物のバカなのか?
 心配症の御園生さんとあの唯さんが、こんな状態の翠を反対もせずにここへ残したとは思いがたい。だとしたら、翠は自分の意思で戻ってきたことになる。
『因みに、昨夜は何も食べてない。今朝もスープを少し飲んだ程度。唯がサンドイッチ買ったみたいだけど、食べてなかったら食べるように勧めてくれると嬉しい』
「わかりました」
『バスに乗れそうになかったら迎えに行くから。何かあれば連絡して?』
「はい……」
『じゃ、頼んだ』

 自分の携帯を放り、しばらく翠のバイタルを見ていた。
「本当にバカだろ……」
 今朝になって何度口にしたかわからない言葉は自然と口から漏れ出ていた。
「……ツカサにお財布渡されなかったら、唯兄たちと一緒に帰るつもりでいたもの」
 翠は口を尖らせしどろもどろに言う。
「それ以前の問題。こんな時間にここへ来る必要はなかっただろっ!?」
「だって、ツカサが学校へ来るかなんてわからなかったし――」
「こんなことくらいで休まない」
「そんなこと私にわかるわけないでしょうっ!?」
「わかれよっっっ」
 翠がぐ、と口を引き結ぶ。
 そのあと、「じゃぁ」と押さえるように静かに話し始め、
「百歩譲ってわかったとして、学校で会ったら話してくれたっ? さっきの話、全部話してくれたっ? 私、学校では話してくれないと思った。まるで知らない人に接するように対応されるんじゃないかと思った」
「怒鳴り返す」という言葉がぴったりな話しぶりだった。
 しかし、さっきから何度となく翠に怒鳴られていることもあり、とくに動じることはない。
「いずれにせよ、話す必要はあった」
 淡々と返すと、
「……ごめん。私、余計なことしたみたい。帰るっ」
 俺を睨んでいた視線をす、と逸らし、翠は一気に立ち上がった。
 バカッ――
 携帯を放り、翠の元へ駆け寄る。
 瞬発力のみでそこに到達した。
 間一髪で支えられたから良かったものの、このまま倒れていたら痣くらいはできていただろう。
 さっきも翠の鼓動を感じられる距離にいたけれど、あのときは自分のことでいっぱいで、自分の心拍にしか意識がいかなかった。
 でも、今はしっかりと翠の鼓動を感じることができる。
 携帯で見たとおり、心拍はひどく乱れていた。
「正真正銘のバカだろ……」
 支える腕に力がこもる。
 こんな身体で何やってるんだ……。
「短時間で何度同じ過ちを繰り返せば気が済む?」
 心配なのに苛立ちがそれを上回る。
 翠の体調に対してはいつも心配と怒り、苛立ちが入り混じる。
 こんな言い方をしても翠に伝わるわけがないのに。
 ……わかっているのに俺は何度同じことを繰り返す?
 そう思うなら、いい加減自分もどうにかするべきだ。
「さっきも言ったけど……翠が自分を粗雑に扱うと、俺は自分を制御できないくらいに腹が立つみたいだ」
 少し間はあったものの、翠からは反論が返ってきた。
 声を発することができる。意識があることにほっとする。
「……私は自分を大切にしてないわけじゃない。ただ、自分以上に大切なものがあるときは仕方ないと思う」
「……その、『自分以上に大切なもの』がいくつあるのか教えてくれないか?」
「……え?」
 その対象が俺だけなわけがない。
 今回がたまたま俺だっただけで、秋兄がこんな状況になっても、クラスメイトがこんな状況になっても、翠は駆けつけられる限り駆けつけるだろう。
「自分より優先するものがひとつふたつなら認められなくもない。でも、翠のは違う気がする。自分より上位に家族や友人、周りにいる人間全員載せてないか?」
 腕の中で、翠がビク、と動いた。
 それは、俺の言葉を認めたも同じ。
「それで自分を大切にしていないわけじゃない? 笑わせるなっ」
 何度言えば理解するのだろうか。
 自分を大切にすること、命がどれほど大切なものなのか、どう話したら翠に伝わるのか。
「……翠はいつになったら自分を赦す? 俺には自分を赦せって言ったくせに、自分のことは棚に上げるのか?」
 ゆっくりと身体を離し、翠の顔を覗き込む。
 翠は声を殺して泣いていた。
 目から大粒の涙をいくつもいくつも零し、唇を震わせて。
 そうやっていったい何を堪えているのか……。
 俺は再度問いかける。
「翠はいつになったら自分を赦す?」
 潤んだ目はひどく動揺していた。
「わ、から、ない……」
「……俺はたぶん、あまり気が長いほうじゃない。でも、この件――翠のことだけは待つつもりだから」
 今のところ、翠は自分を赦すつもりなどないのだろう。
 でも、時間が経ったら何か変わるんじゃないか、と願う自分がいる。
 翠が何に戸惑っているのかは知っている。
 けど、それは俺がどうこうできるものではない。
 翠が自分を認めない限り、乗り越えることはできない。
 だから、待とうと思う。俺が待てる間は……。
 ただ、「待つ」に徹することは難しそうだけど――
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