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最終章 恋のあとさき
21話
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結局、土日二日間は生理痛と闘う羽目になり、お母さんのお見送りも満足にはできなかった。
何が救いかというならば、嘔吐に及ぶことがなかったことくらい。つまり、まだ検査の決定打には至っていない。
お腹と胃がメインで、そのほか身体のあちこちが痛かったけれど、吐いていない分、いつもより少しだけ楽だった。
今日、月曜日は保健室で湊先生の診察があり、学校が終わったら病院へ行く。
「予定が全部病院……」
手帳を見ながら零した声を拾ったのは飛鳥ちゃんだった。
「体調、悪い?」
「あ、ごめんっ。違うの。ただ……私の予定は病院ばかりだな、と思って」
私は、改めて視線を手帳に落とす。
「見てもいい?」
「うん」
仕事の予定や湊先生の結婚式のことは、ノートパソコンのスケジュール帳にしか書いていない。だから、いつも持ち歩く手帳を見せることに問題はなかった。
「うわー……本当だ。これは落ち込むね」
「うん、ここまで病院以外の予定が何もないとね」
十月までは、通院予定のほかに紅葉祭の打ち合わせ予定なども書かれていた。けれど、十一月に入ってからというもの、見事なまでに通院予定のみ。唯一、ツカサと藤山に行くはずだった日に『藤山』と書かれており、さらには二重線で消されている。そのほかに書いてあるものといえば、テスト日程くらいなもの。
佐野くんが会話に混ざり、
「じゃ、ここ」
手帳の右下を人差し指でトントンされる。
「大晦日に年越し初詣って入れといて?」
言われて思い出す。インフルエンザ明けに誘われていた年越し初詣のことを。
「来れない人もいるけど、クラスメイトの半数は集まる予定。御園生は来れそう?」
「あ、うん。お母さんに訊いたら行っていいって言われた」
「じゃ、病院以外の予定一番のりってことで。ほら、書いた書いた」
「うん」
手帳に予定を書き込み顔を上げると、佐野くんがにっ、と笑った。
佐野くんもお父さんと同じで、肌に夏の名残がある。そんな共通点に思わず頬が緩んだ。
携帯事件とやそのほかのこと。「臆病」が原因でタイミングを逃してしまうと、次に機会があってもなかなか話せない。その都度、「どう切り出そう……」と考えてしまう。タイミングをうかがって、気づいたときには固まっている。
なんだか長縄跳びにみたい……。
ぐるんぐるん、とテンポよく回る縄を跳ぶ長縄跳び。縄を回している人の脇からするりと入り、縄を跳んで出て行く八の字跳び。
人が流れるように跳んでいく中、自分の順番が来ても迫り来る縄を前に足が竦み立ち止まる。
一歩踏み出すのに勇気がいる。
踏み出して跳んで出ていく――ただそれだけのことなのに、タイミングを間違えると途端に流れが止まってしまう。
これが会話だと、会話そのものが止まってしまう。
会話が止まっても、私が話そうとしているのがわかれば待ってくれる。今、私の周りにいる友達はそういう人たち。
わかっていても踏み出せないのは、単に私が臆病なだけ。
私は踏み出す直前ではなく、もっと後ろの方にいる。順番待ちの後方。
タンタンタンタン――縄が地面に当たる音や、タタタと人が駆ける音。それらが規則正しく聞こえる中、まだ跳ぶ準備はできていなくて、所在なさげに列の最後尾にいる。
緊張して、もじもじしているだけ。「跳ぼう」と思うまで、列に加わることはない。そんなところに私はいる。
みんな、私が何か抱えていることには気づいているけど、無理に聞き出そうとはしない。無理に列に加えようとはしない。
跳ばない私がその場にいられるのは、みんなが優しいからほかならない。
そういうの、全部わかっているのに私は何も話せないでいた。
あの日の女子生徒と校内で鉢合わせることはない。でも、処分という処分が下らなかったということは、今もこの学校のどこかにいるわけで――
私はあの人の名前も学年も知らない。訊けば教えてもらえたかもしれない。そうしなかったのは、自分の持つ負の感情を抑えられそうにはなかったから。
携帯を池に落とされた代わりに、私は彼女の頬を叩いた。それで喧嘩両成敗ならぬ、両者ともに処分下らずとなったわけだけど、私は未だ怒りの感情を持て余している。
ほかの人はこういう感情をどうやってやり過ごすのかな。どうやって落ち着けるのかな。
いくら考えても答えは出ない。訊いてみればいいのに訊くこともできない。
先日、果歩さんの病室で雑誌を破る作業に加わらせてもらったのは、この鬱憤を晴らしたいという理由もあった。でも、紙を破る程度では、気持ちは晴れなかったみたい。
果歩さんの、ものを投げたい衝動や怒鳴りたい衝動。そういうの、少し理解ができて、それと同時に、感情を思い切り外に出せる果歩さんを羨ましいと思った。
「言っていいよ」「出していいよ」 と言われたところで、そうできるかできないかは人による。私はできなかった。
どろどろとした感情を口にすることや人に見せることに、抵抗があるのかもしれない。そのくせ、完全に隠すこともできない私はいったいどうしたいのだろう。
金曜日には終業式がある。今日を含め、あと五日で二学期が終わってしまう。
三学期制の中で一番長い学期はあっという間に過ぎ去った。
色んなことがありすぎた。色んなものを詰め込みすぎて消化不良。
それはものの見事に私の胃と同調している。
消化できない。片付かない。あるべきところにものが収まらない。
「あるべきところ」がどこなのかすらわからない。
この迷宮に迷い込んでから、いったいどのくらいの時間が経っただろう――
月曜日も病院には行ったけど、果歩さんの病室には寄らなかった。
いつものように果歩さんからメールは届いていたけれど、土曜日に休んだ分の勉強と、今日明日の授業の予習復習をしなくてはいけないから。
……というのは建前。
勉強をしなくてはいけないのは本当。でも、三十分くらいなら寄ることはできたと思う。
そうしなかったのは、また浅はかなことを口にしてしまいそうだから。
……これは言い訳かも。
話の途中、また言葉に詰まってしまうのが怖かった。ふとした瞬間に、目を背けている自分の真正面に立ってしまうのが怖かった。
人に話せたら楽になるのかもしれない。でも、人に話すのにはそれ相応の勇気を要する。
楓先生が言うように、出逢って間もない、互いのことをよく知らない人だからこそ言えることもあるだろう。でもそれは、相手が健康な人であることに限られる気がする。
……というのも言い訳、かな。
何にせよ、今の私は心にあるものを言葉に変換する能力が足りていない。
初めての人に何から話したらいいのかわからないし、どこまで話したらいいのかもわからない。
自分が躓いている決定的な原因を自分自身が把握できていない。
考えなくては、と思うのに、過去のどこまで遡ればいいのか――
……これも言い訳?
過去を遡って考えれば糸口は見えてくるはず。でも、それに直面するのがどうしようもなく怖かった。
だって、私は答えを出したはずなの。出したはずなのに、それは「答え」と認めてはもらえなかった。
「自分のことはいつ許すのか」と訊かれて言葉に詰まってしまった。
「許すつもりはない」――それは「答え」と認めてはもらえなかった。
違う答えなどそうそう見つかるわけもない。一生懸命考えて出した答えをそんなすぐに変えられるわけがない。
きっと、ツカサもそれはわかっていると思う。だから、「待つ」と言ってくれたのだと思う。
でも、待たれたところで私はこれ以上の答えを出せるとは思っていない。思っていないのに――「待つ」という言葉を聞いたとき、不覚にも嬉しいと思ってしまった。嬉しいのに、同じくらい苦しくて……。
私は誰も失わないための選択をしたつもりでいたけれど、この選択で自分の「想い」以外をなくすとは思っていなかった。違うものを、こんなカタチで失うことになるとは思いもしなかった。
何が救いかというならば、嘔吐に及ぶことがなかったことくらい。つまり、まだ検査の決定打には至っていない。
お腹と胃がメインで、そのほか身体のあちこちが痛かったけれど、吐いていない分、いつもより少しだけ楽だった。
今日、月曜日は保健室で湊先生の診察があり、学校が終わったら病院へ行く。
「予定が全部病院……」
手帳を見ながら零した声を拾ったのは飛鳥ちゃんだった。
「体調、悪い?」
「あ、ごめんっ。違うの。ただ……私の予定は病院ばかりだな、と思って」
私は、改めて視線を手帳に落とす。
「見てもいい?」
「うん」
仕事の予定や湊先生の結婚式のことは、ノートパソコンのスケジュール帳にしか書いていない。だから、いつも持ち歩く手帳を見せることに問題はなかった。
「うわー……本当だ。これは落ち込むね」
「うん、ここまで病院以外の予定が何もないとね」
十月までは、通院予定のほかに紅葉祭の打ち合わせ予定なども書かれていた。けれど、十一月に入ってからというもの、見事なまでに通院予定のみ。唯一、ツカサと藤山に行くはずだった日に『藤山』と書かれており、さらには二重線で消されている。そのほかに書いてあるものといえば、テスト日程くらいなもの。
佐野くんが会話に混ざり、
「じゃ、ここ」
手帳の右下を人差し指でトントンされる。
「大晦日に年越し初詣って入れといて?」
言われて思い出す。インフルエンザ明けに誘われていた年越し初詣のことを。
「来れない人もいるけど、クラスメイトの半数は集まる予定。御園生は来れそう?」
「あ、うん。お母さんに訊いたら行っていいって言われた」
「じゃ、病院以外の予定一番のりってことで。ほら、書いた書いた」
「うん」
手帳に予定を書き込み顔を上げると、佐野くんがにっ、と笑った。
佐野くんもお父さんと同じで、肌に夏の名残がある。そんな共通点に思わず頬が緩んだ。
携帯事件とやそのほかのこと。「臆病」が原因でタイミングを逃してしまうと、次に機会があってもなかなか話せない。その都度、「どう切り出そう……」と考えてしまう。タイミングをうかがって、気づいたときには固まっている。
なんだか長縄跳びにみたい……。
ぐるんぐるん、とテンポよく回る縄を跳ぶ長縄跳び。縄を回している人の脇からするりと入り、縄を跳んで出て行く八の字跳び。
人が流れるように跳んでいく中、自分の順番が来ても迫り来る縄を前に足が竦み立ち止まる。
一歩踏み出すのに勇気がいる。
踏み出して跳んで出ていく――ただそれだけのことなのに、タイミングを間違えると途端に流れが止まってしまう。
これが会話だと、会話そのものが止まってしまう。
会話が止まっても、私が話そうとしているのがわかれば待ってくれる。今、私の周りにいる友達はそういう人たち。
わかっていても踏み出せないのは、単に私が臆病なだけ。
私は踏み出す直前ではなく、もっと後ろの方にいる。順番待ちの後方。
タンタンタンタン――縄が地面に当たる音や、タタタと人が駆ける音。それらが規則正しく聞こえる中、まだ跳ぶ準備はできていなくて、所在なさげに列の最後尾にいる。
緊張して、もじもじしているだけ。「跳ぼう」と思うまで、列に加わることはない。そんなところに私はいる。
みんな、私が何か抱えていることには気づいているけど、無理に聞き出そうとはしない。無理に列に加えようとはしない。
跳ばない私がその場にいられるのは、みんなが優しいからほかならない。
そういうの、全部わかっているのに私は何も話せないでいた。
あの日の女子生徒と校内で鉢合わせることはない。でも、処分という処分が下らなかったということは、今もこの学校のどこかにいるわけで――
私はあの人の名前も学年も知らない。訊けば教えてもらえたかもしれない。そうしなかったのは、自分の持つ負の感情を抑えられそうにはなかったから。
携帯を池に落とされた代わりに、私は彼女の頬を叩いた。それで喧嘩両成敗ならぬ、両者ともに処分下らずとなったわけだけど、私は未だ怒りの感情を持て余している。
ほかの人はこういう感情をどうやってやり過ごすのかな。どうやって落ち着けるのかな。
いくら考えても答えは出ない。訊いてみればいいのに訊くこともできない。
先日、果歩さんの病室で雑誌を破る作業に加わらせてもらったのは、この鬱憤を晴らしたいという理由もあった。でも、紙を破る程度では、気持ちは晴れなかったみたい。
果歩さんの、ものを投げたい衝動や怒鳴りたい衝動。そういうの、少し理解ができて、それと同時に、感情を思い切り外に出せる果歩さんを羨ましいと思った。
「言っていいよ」「出していいよ」 と言われたところで、そうできるかできないかは人による。私はできなかった。
どろどろとした感情を口にすることや人に見せることに、抵抗があるのかもしれない。そのくせ、完全に隠すこともできない私はいったいどうしたいのだろう。
金曜日には終業式がある。今日を含め、あと五日で二学期が終わってしまう。
三学期制の中で一番長い学期はあっという間に過ぎ去った。
色んなことがありすぎた。色んなものを詰め込みすぎて消化不良。
それはものの見事に私の胃と同調している。
消化できない。片付かない。あるべきところにものが収まらない。
「あるべきところ」がどこなのかすらわからない。
この迷宮に迷い込んでから、いったいどのくらいの時間が経っただろう――
月曜日も病院には行ったけど、果歩さんの病室には寄らなかった。
いつものように果歩さんからメールは届いていたけれど、土曜日に休んだ分の勉強と、今日明日の授業の予習復習をしなくてはいけないから。
……というのは建前。
勉強をしなくてはいけないのは本当。でも、三十分くらいなら寄ることはできたと思う。
そうしなかったのは、また浅はかなことを口にしてしまいそうだから。
……これは言い訳かも。
話の途中、また言葉に詰まってしまうのが怖かった。ふとした瞬間に、目を背けている自分の真正面に立ってしまうのが怖かった。
人に話せたら楽になるのかもしれない。でも、人に話すのにはそれ相応の勇気を要する。
楓先生が言うように、出逢って間もない、互いのことをよく知らない人だからこそ言えることもあるだろう。でもそれは、相手が健康な人であることに限られる気がする。
……というのも言い訳、かな。
何にせよ、今の私は心にあるものを言葉に変換する能力が足りていない。
初めての人に何から話したらいいのかわからないし、どこまで話したらいいのかもわからない。
自分が躓いている決定的な原因を自分自身が把握できていない。
考えなくては、と思うのに、過去のどこまで遡ればいいのか――
……これも言い訳?
過去を遡って考えれば糸口は見えてくるはず。でも、それに直面するのがどうしようもなく怖かった。
だって、私は答えを出したはずなの。出したはずなのに、それは「答え」と認めてはもらえなかった。
「自分のことはいつ許すのか」と訊かれて言葉に詰まってしまった。
「許すつもりはない」――それは「答え」と認めてはもらえなかった。
違う答えなどそうそう見つかるわけもない。一生懸命考えて出した答えをそんなすぐに変えられるわけがない。
きっと、ツカサもそれはわかっていると思う。だから、「待つ」と言ってくれたのだと思う。
でも、待たれたところで私はこれ以上の答えを出せるとは思っていない。思っていないのに――「待つ」という言葉を聞いたとき、不覚にも嬉しいと思ってしまった。嬉しいのに、同じくらい苦しくて……。
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