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本編
医師の矜持
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邸に戻ると、女医は医療器具を備えた鞄を抱え、そっとエマの眠る寝室へ消えていった。
セイルは部屋の前に立ち、ただひたすらに待つ。
──どうか、助かって欲しい。
最愛の人を救える可能性がやっと目の前に現れた。
百合子さんが再び笑ってくれるなら、僕は何だってする。
この命を差し出したっていい。
どうか……
永遠のような時間が過ぎていく。
セイルの鼓動だけが彼の耳に響いている。
やがて、静かに扉は開かれた。
「エマは……!」
「状態から見て、喀血病だと診断致します」
女医はセイルの正面に立ち、説明をする。
「恐らく肺の奥で炎症が広がっており、免疫も落ちています。過去に患ったことがあれば、再発していてもおかしくありません。今は状態が進んでいるように見えますが……まだ間に合います」
女医の落ち着いた声に、息が詰まっていたセイルはやっと深く空気を吸い込む。
「妻は、治りますか……?」
その声には、希望と恐れが滲む。
「はい。奥様の体力が尽きる前に、投薬と療養を正しく続ければ――治ります」
そう言って、女医は鞄から小瓶を取り出した。透き通った液体が中に揺れている。
「これはリーリエ領の北の果て、森の奥に生息する微生物から精製した薬です。炎症を抑え、排菌を促す効果があります。この投薬に加え、適切な温度と食事、空気の管理も必要です」
その説明には、確かな説得力があった。
「……感謝します。どれほど礼を尽くしても足りません」
「後ほど奥様がお目覚めになられたら、痰と血液の採取、それにアレルギー検査薬の投与を行います。また、伯爵様と使用人の皆さんの検査も合わせて行いましょう。許可していただけますか」
「……よろしくお願いします」
女医の的確な受け答えに、セイルは言葉を失っていた。
具体的な診断と処方。その姿には“魔女”などという呼び名は似合わず、本物の「医師」としての矜持があった。
「ひとつ、うかがってもよろしいでしょうか」
セイルの問いに、女医は静かにうなずいた。
「なぜ、あなたのように的確な医療知識を持ち、ここまでの治療を成し得る方が、『魔女』などと呼ばれているのでしょうか……」
その問いに、彼女はすこし目を伏せた。そして、窓の外の景色に目をやりながら、静かに口を開いた。
「黒髪で黒い眼の女が、見たこともない薬を扱っている……それだけで、魔女と呼びたくなる気持ちも理解できるでしょう?」
彼女は僅かに目を伏せ、自嘲気味に笑う。
「……この地の医学は、まだ発展の途上にあります。多くの病が『祈り』や『呪い』の影に隠され、論理や経験ではなく迷信によって語られているのが現状です。
私は医師として学び、貧しい人々に、ほんのわずかでも『治る可能性』を届けたいと思って生きてきました。私は常に、人の生きる力を引き出すきっかけになれたらと、そう思っています」
その語り口は、静かで、けれど熱いものを秘めていた。
「……あなたの信念には、深く感銘を受けます」
セイルは言った。
「貴女がこのリーリエの地で医療を振るってくださっていたことに、心から感謝いたします。そして、妻の病を診てくださったことにも」
領主の誠実な態度に、女医は微笑みを返した。
「奥様は結核ですが、適切な治療を継続すれば必ず回復なさいます。どうかご安心ください」
女医はセイルの不安を払うように、努めて明るく告げる。
セイルはその言葉に引っ掛かった。
──いま、"結核"と言ったのか?
セイルが口を開きかけたそのとき、寝室の奥から医療者の声が響いた。
「奥様がお目覚めになられました」
聞いて、セイルは飛び込むように駆け込む。
「……エマ!」
「……セイル様、ごめんなさい、眠っていました」
「具合はどうですか?」
「……今日は、声が少し出るようです」
掠れた声でも、エマはセイルを安心させようと精一杯に微笑んでみせた。
その笑顔に、セイルの胸は締め付けられる。
「エマ……薬が見つかりました! 貴女は治ります! ともに……生きられます!」
泣き出したい気持ちをこらえ、セイルはエマの手を取った。
エマはしばし目を瞬かせたあと、セイルの言葉が染み込んでいくように、青白い頬を紅潮させた。
「……本当に?」
「はい……貴女を救ってくださる方が見つかったのです」
セイルは後ろに佇む女医に意識を向ける。それに合わせてエマも視線を向けた。
そこには、白衣を纏った長身の女性が静かに立っている。
エマは目を見開いた。
「……雪ちゃん」
セイルは部屋の前に立ち、ただひたすらに待つ。
──どうか、助かって欲しい。
最愛の人を救える可能性がやっと目の前に現れた。
百合子さんが再び笑ってくれるなら、僕は何だってする。
この命を差し出したっていい。
どうか……
永遠のような時間が過ぎていく。
セイルの鼓動だけが彼の耳に響いている。
やがて、静かに扉は開かれた。
「エマは……!」
「状態から見て、喀血病だと診断致します」
女医はセイルの正面に立ち、説明をする。
「恐らく肺の奥で炎症が広がっており、免疫も落ちています。過去に患ったことがあれば、再発していてもおかしくありません。今は状態が進んでいるように見えますが……まだ間に合います」
女医の落ち着いた声に、息が詰まっていたセイルはやっと深く空気を吸い込む。
「妻は、治りますか……?」
その声には、希望と恐れが滲む。
「はい。奥様の体力が尽きる前に、投薬と療養を正しく続ければ――治ります」
そう言って、女医は鞄から小瓶を取り出した。透き通った液体が中に揺れている。
「これはリーリエ領の北の果て、森の奥に生息する微生物から精製した薬です。炎症を抑え、排菌を促す効果があります。この投薬に加え、適切な温度と食事、空気の管理も必要です」
その説明には、確かな説得力があった。
「……感謝します。どれほど礼を尽くしても足りません」
「後ほど奥様がお目覚めになられたら、痰と血液の採取、それにアレルギー検査薬の投与を行います。また、伯爵様と使用人の皆さんの検査も合わせて行いましょう。許可していただけますか」
「……よろしくお願いします」
女医の的確な受け答えに、セイルは言葉を失っていた。
具体的な診断と処方。その姿には“魔女”などという呼び名は似合わず、本物の「医師」としての矜持があった。
「ひとつ、うかがってもよろしいでしょうか」
セイルの問いに、女医は静かにうなずいた。
「なぜ、あなたのように的確な医療知識を持ち、ここまでの治療を成し得る方が、『魔女』などと呼ばれているのでしょうか……」
その問いに、彼女はすこし目を伏せた。そして、窓の外の景色に目をやりながら、静かに口を開いた。
「黒髪で黒い眼の女が、見たこともない薬を扱っている……それだけで、魔女と呼びたくなる気持ちも理解できるでしょう?」
彼女は僅かに目を伏せ、自嘲気味に笑う。
「……この地の医学は、まだ発展の途上にあります。多くの病が『祈り』や『呪い』の影に隠され、論理や経験ではなく迷信によって語られているのが現状です。
私は医師として学び、貧しい人々に、ほんのわずかでも『治る可能性』を届けたいと思って生きてきました。私は常に、人の生きる力を引き出すきっかけになれたらと、そう思っています」
その語り口は、静かで、けれど熱いものを秘めていた。
「……あなたの信念には、深く感銘を受けます」
セイルは言った。
「貴女がこのリーリエの地で医療を振るってくださっていたことに、心から感謝いたします。そして、妻の病を診てくださったことにも」
領主の誠実な態度に、女医は微笑みを返した。
「奥様は結核ですが、適切な治療を継続すれば必ず回復なさいます。どうかご安心ください」
女医はセイルの不安を払うように、努めて明るく告げる。
セイルはその言葉に引っ掛かった。
──いま、"結核"と言ったのか?
セイルが口を開きかけたそのとき、寝室の奥から医療者の声が響いた。
「奥様がお目覚めになられました」
聞いて、セイルは飛び込むように駆け込む。
「……エマ!」
「……セイル様、ごめんなさい、眠っていました」
「具合はどうですか?」
「……今日は、声が少し出るようです」
掠れた声でも、エマはセイルを安心させようと精一杯に微笑んでみせた。
その笑顔に、セイルの胸は締め付けられる。
「エマ……薬が見つかりました! 貴女は治ります! ともに……生きられます!」
泣き出したい気持ちをこらえ、セイルはエマの手を取った。
エマはしばし目を瞬かせたあと、セイルの言葉が染み込んでいくように、青白い頬を紅潮させた。
「……本当に?」
「はい……貴女を救ってくださる方が見つかったのです」
セイルは後ろに佇む女医に意識を向ける。それに合わせてエマも視線を向けた。
そこには、白衣を纏った長身の女性が静かに立っている。
エマは目を見開いた。
「……雪ちゃん」
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