中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ

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本編

医師の矜持

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 邸に戻ると、女医は医療器具を備えた鞄を抱え、そっとエマの眠る寝室へ消えていった。
 セイルは部屋の前に立ち、ただひたすらに待つ。

 ──どうか、助かって欲しい。
 最愛の人を救える可能性がやっと目の前に現れた。
 百合子さんが再び笑ってくれるなら、僕は何だってする。
 この命を差し出したっていい。
 どうか……

 永遠のような時間が過ぎていく。
 セイルの鼓動だけが彼の耳に響いている。

 やがて、静かに扉は開かれた。

「エマは……!」

「状態から見て、喀血病だと診断致します」

 女医はセイルの正面に立ち、説明をする。

「恐らく肺の奥で炎症が広がっており、免疫も落ちています。過去に患ったことがあれば、再発していてもおかしくありません。今は状態が進んでいるように見えますが……まだ間に合います」

 女医の落ち着いた声に、息が詰まっていたセイルはやっと深く空気を吸い込む。

「妻は、治りますか……?」

 その声には、希望と恐れが滲む。

「はい。奥様の体力が尽きる前に、投薬と療養を正しく続ければ――治ります」

 そう言って、女医は鞄から小瓶を取り出した。透き通った液体が中に揺れている。

「これはリーリエ領の北の果て、森の奥に生息する微生物から精製した薬です。炎症を抑え、排菌を促す効果があります。この投薬に加え、適切な温度と食事、空気の管理も必要です」

 その説明には、確かな説得力があった。

「……感謝します。どれほど礼を尽くしても足りません」

「後ほど奥様がお目覚めになられたら、痰と血液の採取、それにアレルギー検査薬の投与を行います。また、伯爵様と使用人の皆さんの検査も合わせて行いましょう。許可していただけますか」

「……よろしくお願いします」

 女医の的確な受け答えに、セイルは言葉を失っていた。
 具体的な診断と処方。その姿には“魔女”などという呼び名は似合わず、本物の「医師」としての矜持があった。

「ひとつ、うかがってもよろしいでしょうか」

 セイルの問いに、女医は静かにうなずいた。

「なぜ、あなたのように的確な医療知識を持ち、ここまでの治療を成し得る方が、『魔女』などと呼ばれているのでしょうか……」

 その問いに、彼女はすこし目を伏せた。そして、窓の外の景色に目をやりながら、静かに口を開いた。

「黒髪で黒い眼の女が、見たこともない薬を扱っている……それだけで、魔女と呼びたくなる気持ちも理解できるでしょう?」

 彼女は僅かに目を伏せ、自嘲気味に笑う。

「……この地の医学は、まだ発展の途上にあります。多くの病が『祈り』や『呪い』の影に隠され、論理や経験ではなく迷信によって語られているのが現状です。
 私は医師として学び、貧しい人々に、ほんのわずかでも『治る可能性』を届けたいと思って生きてきました。私は常に、人の生きる力を引き出すきっかけになれたらと、そう思っています」

 その語り口は、静かで、けれど熱いものを秘めていた。

「……あなたの信念には、深く感銘を受けます」

 セイルは言った。

「貴女がこのリーリエの地で医療を振るってくださっていたことに、心から感謝いたします。そして、妻の病を診てくださったことにも」

 領主の誠実な態度に、女医は微笑みを返した。

「奥様は結核ですが、適切な治療を継続すれば必ず回復なさいます。どうかご安心ください」

 女医はセイルの不安を払うように、努めて明るく告げる。
 セイルはその言葉に引っ掛かった。

 ──いま、"結核"と言ったのか?

 セイルが口を開きかけたそのとき、寝室の奥から医療者の声が響いた。

「奥様がお目覚めになられました」

 聞いて、セイルは飛び込むように駆け込む。

「……エマ!」

「……セイル様、ごめんなさい、眠っていました」

「具合はどうですか?」

「……今日は、声が少し出るようです」

 掠れた声でも、エマはセイルを安心させようと精一杯に微笑んでみせた。
 その笑顔に、セイルの胸は締め付けられる。

「エマ……薬が見つかりました! 貴女は治ります! ともに……生きられます!」

 泣き出したい気持ちをこらえ、セイルはエマの手を取った。
 エマはしばし目を瞬かせたあと、セイルの言葉が染み込んでいくように、青白い頬を紅潮させた。

「……本当に?」

「はい……貴女を救ってくださる方が見つかったのです」

 セイルは後ろに佇む女医に意識を向ける。それに合わせてエマも視線を向けた。
 そこには、白衣を纏った長身の女性が静かに立っている。

 エマは目を見開いた。

「……雪ちゃん」
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