中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ

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本編

 早川雪は、生まれたときから、不思議な力を持っていた。
 てのひらをかざせば擦り傷が塞がり、痛みが和らいでいく。子ども心に、自分ならどんなものでも癒せるのだと信じていた。

 だが、現実は違う。

 物心がついた頃、愛してやまない祖父母が、相次いで病に倒れた。必死に手を握り、幾度も力を込めたが――癒やせなかった。
「奇跡」を願うほど、無力さが突きつけられた。

 父はとうに戦死していた。残された母は、幼い雪を養うためにやつれた顔で夜遅くに帰ってきた。
 母の寂しい背中に寄り添うことしかできない自分が、雪は悔しくてたまらなかった。

 どうして癒せないの。

 傷は塞がっても、病は救えない。
 愛する人の命を前に、手のひらの力など、あまりに無力だった。

 ――こんなのは、絶対におかしい。

 声にならない叫びを胸の奥に沈め、雪は思った。
 癒すだけでは駄目だ。
 人を生かすには、もっと知らなければ。
 魔法のような力にすがるのではなく、確かな知識を。
 人の生きる力を引き出すすべを。

 そうして雪は、ひたむきに学び始めた。
 眠る時間を削り、書物をむさぼり読み、時に母の前で鉛筆を走らせながら。

 医者になりたい。
 人を救いたい。
 それが、この力を持って生まれた自分の使命だと、彼女は信じていた。


 *


 雪は、伯爵夫人に向かって医師としての礼を尽くした。
 白衣の裾を正し、深く一礼する。

「お初にお目にかかります。医師のユキと申しま──」
「雪ちゃん!!」

 唐突な呼び声に、雪の言葉は途切れた。

 目の前の伯爵夫人は、いきなり大きな声を上げたことで激しく咳き込み、細い肩が震える。慌ててリーリエ伯爵がその背を擦り、必死に庇っていた。

「……はい、ユキという名には違いありませんが──」

「けほっ……雪ちゃん……あぁ雪ちゃん……」

 ぽろぽろと、まるで水があふれるように涙をこぼす伯爵夫人。雪が困惑しているのも構わず、夫人はその名を呼び続けた。

「エマ……落ち着いて」

「ねぇ清一さん、雪ちゃんなの、雪ちゃんがいるわ……あぁ、こんなところに……生きていてくれた……」

「雪が……?」

「えぇ……あの子は雪ちゃんなの……」

 伯爵夫人は、子どもが泣くようにしゃくりあげながら、繰り返しそう言った。
 戸惑っていたのはリーリエ伯爵も同じだった。彼は夫人の肩を優しく抱き寄せ、雪に頭を下げた。

「……失礼を……妻は目覚めたばかりで混乱しているようです。どうか一度、席を外していただけますか」

 雪は静かにうなずき、部屋を辞した。
 廊下に控えていた執事が案内し、雪を貴賓室へ通す。扉が閉まると同時に、雪は大きく息を吐き出した。

 ──これは……なに?

 自分よりも若い伯爵夫人が、泣きながら何度も名前を呼ぶ。その目には、真実を信じ切った人間にしか出せない熱が宿っていた。
 彼女の口振りは、まるで生き別れた母のようだった。

 雪の胸に、ざらつく違和感が残る。

 元の世界に置いてきてしまった、独りの母。
 心配性で誰よりも優しい人。
 母は今も、私の帰りを待っているだろうか。

 この世界に来てしまい、帰れないと悟ったときには真っ先に母を想った。
 せめて、元気でやってるよって、伝えることができたら──

 雪はバッグからカルテを取り出し、伯爵夫人の状態を整理して書き込み始めた。

『興奮・不穏。発言に一貫性あり。記憶関連の影響による精神的乖離の可能性』

 ときおり手を止めながら、雪は思い出していた。

 母と過ごした日々。
 朝食を作ってくれた手のぬくもり。
 庭の梅の木を眺める横顔。
 心配性で、お人好しで、困っている人を放っておけない、少し不器用な……そんな母。

 ──お母さん……会いたいな

 ペンに力がこもる。
 カルテの文字が滲んでいった。
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