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13歳の沈着。
お爺さんの講義。
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「椅子は浅く。背は立てる。今日は制度史だ」
ラジュラエンお爺さんは厳しい口調で始めた。
「制度史は骨格、国制史は血だ。骨だけでは立たず、血だけでは形がない。暗記は要らん。なぜそうなったかを言葉にせい」
「はい」
「では問う。王権の正統を支える三つの柱」
「……慣習、信仰、合意」
「順は?」
「合意を先に」
「よろしい。合意が落ちれば慣習は砂、信仰は旗だけが残る。次。合議が残る国の条件」
「領地の重なりが多く、税の取り方が一様でないとき……」
「一様でないがゆえに、話し合いで穴を埋める。語尾まで言え」
「はい、“強い一人”より“遅い全員”を選ぶ場面がある、です」
お爺さんは小さく頷くと、机の砂時計を静かに返した。
「国制史へ移る。戦時の臨時委任と平時の非常大権の違い」
「臨時委任は期限と範囲が書かれていて、非常大権は……」
「“常に”ではない。発動の扉と停止の鍵が別々にあるのが非常大権だ。書け」
僕が羽根筆を走らせると、お爺さんの声が被さる。
「言葉の順番で権力は動く。『必要なら行う』と書けば末端が勝手をし、『行うには必要』と書けば根元が動かねばならん。どちらを選ぶ?」
「後者を」
「なぜ」
「根拠が残るから。あとで検分できるから」
「合格。——次。監察と監督は別語だ。監察は外から目を置く、監督は中で手順を進める。混ぜるな」
「はい」
「では、この条文を二行要旨に落とせ。『臨時委任は合議の名において発す。期限は二十六巡を上限とし——』」
「“停止の鍵は合議に戻る”」
「そうだ。言い切れ」
「口は渇いたか」
「少し」
湯気の立つ盃を受け取る僕に、お爺さんはふいに問いを投げた。
「おまえ、古代と近代のどちらが好きだ」
「……今は近い方がわかりやすいです」
「当然だ。だが、近代を勉強すれば古代が見えてくる。古代を勉強すれば近代が見えてくる」
「どういう意味ですか」
「近代は紙が多い。言い訳も手順も残る。そこから“なぜ”を遡れば、古代の黙っている部分が透ける。古代は紙が少ない。だが儀礼と地割が残る。そこから“どこまで許してきたか”が読める。読めれば、近代の紙の嘘が見える」
「……“紙の嘘”」
「うむ。正しい嘘というのもある。国が壊れぬようにつく嘘だ。だが、嘘は嘘。線を引く者は見分けねばならん。よし、茶は終い。戻るぞ」
「事例だ。再統一期の連合協約を見よ。表には『諸侯は等し』とある。裏の徴発条には何と?」
「『等しからざる徴発は、等しき負担を崩す』……平等の言い回しで差を許す扉が開いています」
「その扉を何で塞ぐ」
「時限と換算。扉は開けるが、いつ閉じるかを先に書く」
「よろしい。では代官制。代理と代行の差」
「代理は名を借り、代行は手順を借りる」
「短いが正確だ。次、承認の三段。地方・中央・王家のどこから押す」
「下から。上から押せば下が黙る。黙れば紙が死ぬ」
「“紙が死ぬ”とは」
「読まれない条文は無いに等しい、の意」
「よろしい。声に骨が出てきたな」
「さて、制度史は図、国制史は呼吸だ。図を描け。分権期から立法参入期への橋」
「役職の兼帯を禁じ、代理権を条項別に割る……橋は細く長く描くべきです」
「なぜ長い」
「人は変わらないから。制度は今日変えられても、人の癖は明日も残る。橋を長くすれば、うっかりが落ちる」
「その長さを何で測る」
「点検日。何日かごとに呼吸を合わせます」
「よし。では三行目を捨てて、二行に詰めろ」
「『代理権は条項に分け、上限を置く』『承認は下から重ね、八日ごとに見直す』」
「いい。短くできたな。——ここまでで半刻だ。もう半刻足す。語の掃除をするぞ。似ているが違う語を十組」
「“監察/監督”“承認/承諾”“委任/委嘱”……」
「その調子だ。語を整えれば、力が勝手に整う」
終いの砂が落ちる頃、お爺さんは帳を閉じた。
「今日はここまで。厳しいと思うか」
「はい。でも、それが僕に向けた厳しさだとわかります」
「わかるならよい。甘い言葉は短い道を作る。お前には長い橋を渡ってもらう。倒れぬ道は長い」
「次は何を」
「国制史の筋書きを二行で十本。古代三、近代三、中間四。八日後に持て」
「二行で十本……やってみます」
「“やってみます”ではない。やる。——最後に、もう一度問う。お前は誰のために学ぶ」
「僕と、僕の後ろに並ぶ人たちのために」
「よう言うた」
そう言って、お爺さんは渋い顔のまま、少しだけ口角を上げた。厳しさの向こうに、僕のためにあえて立ててくれている背中が見える。古代を語る声に、近代の息が混じる。近代をたどる指に、古代の静けさが宿る。その循環の真ん中で、僕は深く息をして、帳の最後の余白に二行を書き添えた。
『制度は骨、国制は血。骨は図で、血は呼吸』
『近代に古代を映し、古代に近代を映す』
書き終えた僕を、お爺さんは一瞥して頷いた。砂時計は静かに止まり、部屋の空気は澄んでいた。僕の目には、今のお爺さんがいつもよりずっとかっこよく映っていた。
ラジュラエンお爺さんは厳しい口調で始めた。
「制度史は骨格、国制史は血だ。骨だけでは立たず、血だけでは形がない。暗記は要らん。なぜそうなったかを言葉にせい」
「はい」
「では問う。王権の正統を支える三つの柱」
「……慣習、信仰、合意」
「順は?」
「合意を先に」
「よろしい。合意が落ちれば慣習は砂、信仰は旗だけが残る。次。合議が残る国の条件」
「領地の重なりが多く、税の取り方が一様でないとき……」
「一様でないがゆえに、話し合いで穴を埋める。語尾まで言え」
「はい、“強い一人”より“遅い全員”を選ぶ場面がある、です」
お爺さんは小さく頷くと、机の砂時計を静かに返した。
「国制史へ移る。戦時の臨時委任と平時の非常大権の違い」
「臨時委任は期限と範囲が書かれていて、非常大権は……」
「“常に”ではない。発動の扉と停止の鍵が別々にあるのが非常大権だ。書け」
僕が羽根筆を走らせると、お爺さんの声が被さる。
「言葉の順番で権力は動く。『必要なら行う』と書けば末端が勝手をし、『行うには必要』と書けば根元が動かねばならん。どちらを選ぶ?」
「後者を」
「なぜ」
「根拠が残るから。あとで検分できるから」
「合格。——次。監察と監督は別語だ。監察は外から目を置く、監督は中で手順を進める。混ぜるな」
「はい」
「では、この条文を二行要旨に落とせ。『臨時委任は合議の名において発す。期限は二十六巡を上限とし——』」
「“停止の鍵は合議に戻る”」
「そうだ。言い切れ」
「口は渇いたか」
「少し」
湯気の立つ盃を受け取る僕に、お爺さんはふいに問いを投げた。
「おまえ、古代と近代のどちらが好きだ」
「……今は近い方がわかりやすいです」
「当然だ。だが、近代を勉強すれば古代が見えてくる。古代を勉強すれば近代が見えてくる」
「どういう意味ですか」
「近代は紙が多い。言い訳も手順も残る。そこから“なぜ”を遡れば、古代の黙っている部分が透ける。古代は紙が少ない。だが儀礼と地割が残る。そこから“どこまで許してきたか”が読める。読めれば、近代の紙の嘘が見える」
「……“紙の嘘”」
「うむ。正しい嘘というのもある。国が壊れぬようにつく嘘だ。だが、嘘は嘘。線を引く者は見分けねばならん。よし、茶は終い。戻るぞ」
「事例だ。再統一期の連合協約を見よ。表には『諸侯は等し』とある。裏の徴発条には何と?」
「『等しからざる徴発は、等しき負担を崩す』……平等の言い回しで差を許す扉が開いています」
「その扉を何で塞ぐ」
「時限と換算。扉は開けるが、いつ閉じるかを先に書く」
「よろしい。では代官制。代理と代行の差」
「代理は名を借り、代行は手順を借りる」
「短いが正確だ。次、承認の三段。地方・中央・王家のどこから押す」
「下から。上から押せば下が黙る。黙れば紙が死ぬ」
「“紙が死ぬ”とは」
「読まれない条文は無いに等しい、の意」
「よろしい。声に骨が出てきたな」
「さて、制度史は図、国制史は呼吸だ。図を描け。分権期から立法参入期への橋」
「役職の兼帯を禁じ、代理権を条項別に割る……橋は細く長く描くべきです」
「なぜ長い」
「人は変わらないから。制度は今日変えられても、人の癖は明日も残る。橋を長くすれば、うっかりが落ちる」
「その長さを何で測る」
「点検日。何日かごとに呼吸を合わせます」
「よし。では三行目を捨てて、二行に詰めろ」
「『代理権は条項に分け、上限を置く』『承認は下から重ね、八日ごとに見直す』」
「いい。短くできたな。——ここまでで半刻だ。もう半刻足す。語の掃除をするぞ。似ているが違う語を十組」
「“監察/監督”“承認/承諾”“委任/委嘱”……」
「その調子だ。語を整えれば、力が勝手に整う」
終いの砂が落ちる頃、お爺さんは帳を閉じた。
「今日はここまで。厳しいと思うか」
「はい。でも、それが僕に向けた厳しさだとわかります」
「わかるならよい。甘い言葉は短い道を作る。お前には長い橋を渡ってもらう。倒れぬ道は長い」
「次は何を」
「国制史の筋書きを二行で十本。古代三、近代三、中間四。八日後に持て」
「二行で十本……やってみます」
「“やってみます”ではない。やる。——最後に、もう一度問う。お前は誰のために学ぶ」
「僕と、僕の後ろに並ぶ人たちのために」
「よう言うた」
そう言って、お爺さんは渋い顔のまま、少しだけ口角を上げた。厳しさの向こうに、僕のためにあえて立ててくれている背中が見える。古代を語る声に、近代の息が混じる。近代をたどる指に、古代の静けさが宿る。その循環の真ん中で、僕は深く息をして、帳の最後の余白に二行を書き添えた。
『制度は骨、国制は血。骨は図で、血は呼吸』
『近代に古代を映し、古代に近代を映す』
書き終えた僕を、お爺さんは一瞥して頷いた。砂時計は静かに止まり、部屋の空気は澄んでいた。僕の目には、今のお爺さんがいつもよりずっとかっこよく映っていた。
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