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13歳の沈着。
釣り糸を垂らす。
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机上演習は二回目、三回目、四回目、五回目と続いた。僕が「当初の計画だと、もう次のフェイズに入っているはずだ」と告げると、ローランは「なるほど」と短く頷き、書類箱から条件票を引き抜いて、その場でさらりと書き換えた。〈頻度:八日ごと・半刻〉の行に、細い字で〈+半刻延長(次フェイズの些事を含む)〉。端に朱で効力開始日。それを僕へ向け、「では、そのフェイズのことと、こぼれやすい些事を合わせてもう半刻やりましょう」。口は少ないのに、紙が先に動く。砂時計を返す音が合図になり、僕は“青”(守)の帳、彼は“赤”(攻)の帳を開いた。相変わらず矢面の席は避け、一つ後ろに腰を下ろす。その嫌そうな座り方も、今は咎めない。今日は勝つ日ではなく、負けない設計を積む日だ。
演習の合間、話すことが増えた。通い舟だけじゃない。僕は活版印刷の初号機を持ち出して、活字の角が欠けるたびに胸がちくりとしたこと、ジルケル織りの試機で初めて潔い縞が出た朝の匂い、冬の夜に発熱装置の最初の火が静かに立ち上がった時の、手の平の驚き、夏の厨房で冷却装置が抜いた白い息の涼しさ、初留の蒸留酒を嗅いだ瞬間の、喉の奥の笑い、バーナーが鋼を素直に舐める角度を探って眠れなかった夜、ステンレスの表面に初めて曇りの出ない線が引けた時の肩の重み、そして——雲を覚えた日の空飛ぶ船。どうして作る気になったのかも、全部話した。誰かに褒められたくてではない。必要だから、出番が来たから、手の中の欠けが気になって仕方がなかったから。言いながら、自分でも笑ってしまう。ローランは黙って聞いた。途中で一度だけ、顔がわずかに歪む。『あなたは無私すぎる。名が残るように、やり方を考えた方がいい』と言って、しまった、とそんな顔。けれど言葉にはしない。彼らしい沈黙が机の上をすべり、赤の帳に静かな線が増えた。
貴族教育の進捗も、演習に持ち込んだ。礼法と舞踏は場数で骨ができ、次は土地法と家法、それから領内の書式。そう告げると、ローランは“青”の余白に三つの矢を引く。〈語を揃える→数で揃える→地図で揃える〉。「まず言い回しを領の語に置換、次に枚数・金額・待ち時間の三つで数を合わせ、最後に賛否の地図を描いて、塗り直す日を決める。八日ごとに半刻で回しましょう」僕が借りた眼(法衣・商業・政治)の合議で詰まった箇所を見せると、彼は一件ごとに一行の基準を置いてくれた。法衣には〈“扶助”は先に置く“慈善”は施し手の満足に堕ちやすい〉。商業には〈三以外は捨てる〉。政治には〈反対者地図は“塗り直す日”が本体〉。乾いた字なのに、紙が軽くなる。僕は相手の書式で覚書に変え、二行要旨を添えて送る。翌朝、返書の速度が目に見えて上がった。紙は、速さの形だ。
同じ頃、ストークがローランの昔をさらってくれた。王都記録庫の古参は言う。「あの人は国政の真ん中で机を回していた。時間と語を揃え、議題を前へ押し出す人だった」と。別の筋は少し濁す。「内務大臣が“名の一団”の首魁だと露見してから、同僚の手が反転した。関わりの有無じゃない、速さへの嫉妬だ」噂は噂のままでも、今の抑えた物腰と折り目の正しすぎる襟が、どこかの断面を照らす。夜、僕とストークは机を挟み、これからの進め方を詰めた。「嘘はつかない」と僕。「ええ、場だけ整えましょう」とストーク。彼がもう一度“欲”を燃やせるように……執政でも家宰でも、建て回す側に立ち直れるように……場所を返す。英雄譚の号令でなく、紙と時間で。僕らはそう決めた。
七回目の後は、演習だけでは拾えない普段の速度を見せた。停泊場でヂョウギの部下に挨拶し、帯同名簿の空欄に読了印の欄を足す。係留の速脱具の位置を半寸ずらす。食堂では遅番の皿を温める湯の箱を一つ増やす。図書室では小冊子の寄贈票に領の言い回しの収集欄を設け、透かし番号が読めるよう補助灯の角度を替える。そんな些事の連続を、僕は飾らず見せた。入口で母親が子に見学帳の余白の使い方を教えている。僕は名を出さずに通り過ぎ、司書長連署の回覧票だけを回す。廊の先で、ローランがぽつりと落とす。「恩は歌に、運びは紙に。あなたはそう分けるんですね」羨望とも諦観ともつかない響き。帰り際、彼は安全帯の緩みに無言で手を入れ、名簿の薄い印へ朱を足した。嫌な顔は隠さない。それでも、袖と襟はきちんと整える。八日ごとの半刻が、少しずつ歩幅を揃えていく。
八回目では、僕がわざと荒い草案(発着場覚書の骨子)を持ち込み、相手の書式にない語を混ぜておいた。ローランは渋面のまま席に着き、「名を出さない前提なら、私が読み上げます」と言う。僕は首を振った。「名を出していい。定型じゃなく、君の言葉で」長い沈黙。砂が半分落ちた頃、彼は条件票の「権限」の行に、自分の字で書き足した。〈私の名で、骨子の責を負う。八日ごと/当面三巡〉。そして端に+半刻延長。締めに一文。「勝つ練習ではなく、勝たせる設計。あなたの空白は、私が埋める。ただし、紙が先」その一行を読むあいだ、彼は袖口をゆっくり整えていた。嫌な顔はまだそこにある。なのに、姿勢だけが違って見えた。責任を運べる者の静かな角度。僕は印を落とし、ストークに「行事簿は八日ごとで通す」と伝えた。
夜。机の灯を落とし気味にして、僕は急がないことを選ぶ。風のない川面に、糸を長く垂らす。獲物を煽らず、身を潜めた大魚が自分から向きを変えるのを待つやり方だ。場所は用意しておく。外向きの骨子に、彼の名が自然に入る余白。条項目録の白紙に、彼の字で書かれる“受け持ち”の欄。調印台の上には二つの印(家計印と外の印)を並べ、どこを単押しにし、どこを重ね押しにするか……そこだけ決めて、あとは触れない。こちらから名を押しつけず、八日ごとの半刻で火の気だけを置いていく。いつか彼の熱が上がり、欲が前へ出る日、僕はただ頷いて席を譲ればいい。釣るのではなく、来るのを待つ。紙は乾いて積まれている。灯は長く持つ。風が変わるまで、僕は静かに、太公望のまねをして、糸を水に落としておいた。
演習の合間、話すことが増えた。通い舟だけじゃない。僕は活版印刷の初号機を持ち出して、活字の角が欠けるたびに胸がちくりとしたこと、ジルケル織りの試機で初めて潔い縞が出た朝の匂い、冬の夜に発熱装置の最初の火が静かに立ち上がった時の、手の平の驚き、夏の厨房で冷却装置が抜いた白い息の涼しさ、初留の蒸留酒を嗅いだ瞬間の、喉の奥の笑い、バーナーが鋼を素直に舐める角度を探って眠れなかった夜、ステンレスの表面に初めて曇りの出ない線が引けた時の肩の重み、そして——雲を覚えた日の空飛ぶ船。どうして作る気になったのかも、全部話した。誰かに褒められたくてではない。必要だから、出番が来たから、手の中の欠けが気になって仕方がなかったから。言いながら、自分でも笑ってしまう。ローランは黙って聞いた。途中で一度だけ、顔がわずかに歪む。『あなたは無私すぎる。名が残るように、やり方を考えた方がいい』と言って、しまった、とそんな顔。けれど言葉にはしない。彼らしい沈黙が机の上をすべり、赤の帳に静かな線が増えた。
貴族教育の進捗も、演習に持ち込んだ。礼法と舞踏は場数で骨ができ、次は土地法と家法、それから領内の書式。そう告げると、ローランは“青”の余白に三つの矢を引く。〈語を揃える→数で揃える→地図で揃える〉。「まず言い回しを領の語に置換、次に枚数・金額・待ち時間の三つで数を合わせ、最後に賛否の地図を描いて、塗り直す日を決める。八日ごとに半刻で回しましょう」僕が借りた眼(法衣・商業・政治)の合議で詰まった箇所を見せると、彼は一件ごとに一行の基準を置いてくれた。法衣には〈“扶助”は先に置く“慈善”は施し手の満足に堕ちやすい〉。商業には〈三以外は捨てる〉。政治には〈反対者地図は“塗り直す日”が本体〉。乾いた字なのに、紙が軽くなる。僕は相手の書式で覚書に変え、二行要旨を添えて送る。翌朝、返書の速度が目に見えて上がった。紙は、速さの形だ。
同じ頃、ストークがローランの昔をさらってくれた。王都記録庫の古参は言う。「あの人は国政の真ん中で机を回していた。時間と語を揃え、議題を前へ押し出す人だった」と。別の筋は少し濁す。「内務大臣が“名の一団”の首魁だと露見してから、同僚の手が反転した。関わりの有無じゃない、速さへの嫉妬だ」噂は噂のままでも、今の抑えた物腰と折り目の正しすぎる襟が、どこかの断面を照らす。夜、僕とストークは机を挟み、これからの進め方を詰めた。「嘘はつかない」と僕。「ええ、場だけ整えましょう」とストーク。彼がもう一度“欲”を燃やせるように……執政でも家宰でも、建て回す側に立ち直れるように……場所を返す。英雄譚の号令でなく、紙と時間で。僕らはそう決めた。
七回目の後は、演習だけでは拾えない普段の速度を見せた。停泊場でヂョウギの部下に挨拶し、帯同名簿の空欄に読了印の欄を足す。係留の速脱具の位置を半寸ずらす。食堂では遅番の皿を温める湯の箱を一つ増やす。図書室では小冊子の寄贈票に領の言い回しの収集欄を設け、透かし番号が読めるよう補助灯の角度を替える。そんな些事の連続を、僕は飾らず見せた。入口で母親が子に見学帳の余白の使い方を教えている。僕は名を出さずに通り過ぎ、司書長連署の回覧票だけを回す。廊の先で、ローランがぽつりと落とす。「恩は歌に、運びは紙に。あなたはそう分けるんですね」羨望とも諦観ともつかない響き。帰り際、彼は安全帯の緩みに無言で手を入れ、名簿の薄い印へ朱を足した。嫌な顔は隠さない。それでも、袖と襟はきちんと整える。八日ごとの半刻が、少しずつ歩幅を揃えていく。
八回目では、僕がわざと荒い草案(発着場覚書の骨子)を持ち込み、相手の書式にない語を混ぜておいた。ローランは渋面のまま席に着き、「名を出さない前提なら、私が読み上げます」と言う。僕は首を振った。「名を出していい。定型じゃなく、君の言葉で」長い沈黙。砂が半分落ちた頃、彼は条件票の「権限」の行に、自分の字で書き足した。〈私の名で、骨子の責を負う。八日ごと/当面三巡〉。そして端に+半刻延長。締めに一文。「勝つ練習ではなく、勝たせる設計。あなたの空白は、私が埋める。ただし、紙が先」その一行を読むあいだ、彼は袖口をゆっくり整えていた。嫌な顔はまだそこにある。なのに、姿勢だけが違って見えた。責任を運べる者の静かな角度。僕は印を落とし、ストークに「行事簿は八日ごとで通す」と伝えた。
夜。机の灯を落とし気味にして、僕は急がないことを選ぶ。風のない川面に、糸を長く垂らす。獲物を煽らず、身を潜めた大魚が自分から向きを変えるのを待つやり方だ。場所は用意しておく。外向きの骨子に、彼の名が自然に入る余白。条項目録の白紙に、彼の字で書かれる“受け持ち”の欄。調印台の上には二つの印(家計印と外の印)を並べ、どこを単押しにし、どこを重ね押しにするか……そこだけ決めて、あとは触れない。こちらから名を押しつけず、八日ごとの半刻で火の気だけを置いていく。いつか彼の熱が上がり、欲が前へ出る日、僕はただ頷いて席を譲ればいい。釣るのではなく、来るのを待つ。紙は乾いて積まれている。灯は長く持つ。風が変わるまで、僕は静かに、太公望のまねをして、糸を水に落としておいた。
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※投稿時間は多少前後しますが毎日投稿は続けていくつもりです。
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※表紙は現在の主人公のイメージ図です。もしまた別の国へ行く場合、彼女の装いも変化するかもしれません。
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