【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫

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気まずい距離

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 侍従が去った後の空気は途端に気まずいものに変わった。どうしてジョゼフ様のことを室長に話してしまったのか。我に返ればまだ決まってもいない不確かなことを話してしまったことが悔やまれた。相手がこの話を受けると決まったわけではないのに。

「し、室長、あの……」
「ああ、シャリエ嬢。心配しないで。デュノア伯爵家のジョゼフ君なら伝があってね。一度話してみるよ」

 まだ何も決まっていないと言おうとしたけれど、先の室長にそう言われてしまった。伝って何だろう。侯爵当主だから色んな繋がりはお持ちだろうけど。

「あ、あの……でも、まだ決まったわけではなくて……」
「そうなの? でも、話があるのだよね?」
「え、ええ」
「彼にはまだ決定権がないからね。彼が拒んで終わりとはいかないかもしれないだろう?」
「え? あ、そう、ですが……」
「シャリエ嬢が嫌だというのなら、ここ話はなかったことにするよ」

 簡単にそう仰ったけれど、そんなことが可能なのだろうか。そりゃあ侯爵は伯爵よりもずっと力があるだろう。我が国は特に上下関係にはうるさいから。

「ああ、誰か想う相手がいるのかな? いるなら……助けになれるかもしれないけれど……」
「想う、相手……」

 それはあなたですと言えたらどんなにいいだろう。でも、そんなことを言う勇気はもうすっかり萎んでいた。あそこで侍従が来なかったら……そう思わずにはいられない。

「誰かいない?」

 室長ですと言いたい衝動に耐え、首を左右に振った。一度廃れた勇気は戻ってこなかった。頬が熱く、気恥ずかしくて顔を上げられない。

「そうか」

 その言葉にホッと安堵するとともに、寂しさを感じた。もしかした千載一遇のチャンスだったかもしれないのにと、今度は後悔が広がる。

「……あなたに想われる、幸運な男は、一体誰なのだろうね?」
「え?」

 微かに聞こえた呟きに、思わず室長を見上げたけれど、その視線は既に私には向いていなかった。そうしている間にフィルマン様たちが戻って来たため、その話はそこで終わった。

 その後一日は、どこか夢の中にいるような心地だった。夜、ベッドに入ってもあの時のことが思い出されて寝付けない。外はすっかり深い夜に沈んでいるのに、私の意識は一向に沈まなかった。

(……聞き間違い、だったのかしら……)

 最後の室長の言葉が心からどうしても消えなかった。あんな風に言われたら、余計な勘違いをしてしまいそうだった。あの時室長に触れられた頬と顎を触れた。あの時感じた手の冷たさに反して感じた熱は、まだ残骸が残っている様に感じられた。
 諦めたつもりでいるのに、この想いは消えるどころか一層育っていた。フィルマン様の時に感じたものよりもずっと強く、ずっと度し難いものだった。今ならフィルマン様の気持ちがわかる気がした。こんな想いを抱えながら婚約を続けるのは確かに不実で心苦しかっただろう。





「それは恋ね」

 オリアーヌがバッサリ言い切られても、反感よりも嬉しさが勝った私は完全に重症なのだろう。そう思える今はまだ理性が勝っているのかもしれないけれど。

「反論しないの?」
「そんな時期、もうとっくに過ぎているっていう自覚はあるわ」

 悲しいかな、もう否定出来る余地は欠片もなかった。あれから室長のことを一層意識している自分がいた。お陰で仕事中も変に思われたりしないかと気が気ではない。

「疲れた顔しているわね」
「だって……平常心を保つのに精一杯なんだもの」

 仕事に私情を持ち込むべきではないと思うのに、心臓は勝手に跳ね、頬は熱を持ち、私を翻弄した。

「ミオット侯爵かぁ。元奥様のことがなければ優良物件よね」
「そうね」

 特別華はないけれど、整った顔立ちに落ち着いた雰囲気。穏やかな口調と品のある所作は十分魅力的だと思う。そりゃあ、若い令嬢が好むような派手さや流行に詳しそうなところはないけれど、三十を過ぎていたら軽薄にしか見えないからそんなものは不要だ。あの穏やかでいながら力のある黒い瞳に自分だけが映ったらどれほど幸せだろう。

「それで、デュノア伯爵家に話を付けてくれるって?」
「それが、よくわからないのよ。室長からはあれから何の話もないし」

 話をしてくれると言って下さったけれど、あれから特にこの件に関しての話はなかった。ここ数日はお忙しいらしくて不在がちだし、居ても同僚たちがいるのでそんな話が出来る雰囲気じゃないけれど。

「でも、顔合せは明後日なんでしょう?」
「ええ」

 ジョセフ様との顔合わせは明後日に迫っていた。それでもあちらも父からも何の連絡もない。このままでは顔合わせの日になってしまう。

「どうなっているのかくらい、教えて頂きたいわね」
「ええ」

 室長を疑うつもりはないけれど、あれから私的な会話をする機会がないから、あの時の会話は夢だったのではないかとすら思えてきて余計に焦りを感じていた。ジョセフ様は結婚に前向きに見えたし、父は本人同士が拒んでもデュノア伯爵が是とすれば問題ないと思っているだろう。家長同士が是としてしまえば断ることは難しい。

「明日、時間があったら聞いてみたら?」
「ええ。何とかスキを見つけて尋ねてみるわ」

 仕事に関する質問に見せかけて、こっそり尋ねるくらいは出来るだろう。そう思って出勤した私だったけれど、その計画は見事に外れた。丸一日室長は会議だ何だと呼ばれて、執務室にすら姿を現さなかったからだ。




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