【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫

文字の大きさ
30 / 86

一世一代の告白

しおりを挟む
 心臓の音だけがやけに大きく聞こえて、脈に合わせて身体まで震えているような気がした。息が苦しく感じるのはそのせいだろうか。それでも、見下ろしてくる室長の黒い瞳から目が離せなかった。

「し、室長、私、は……」
「うん?」
「室長のことを、お、おした……」
「待って」
「……え……」

 あと一声というところで止められてしまった。唇が震えて、息が詰まる。

(止められ、た……)

 その意味するところに思い至って、一気に身体中の熱が奪われていく感じがした。頭が真っ白になって、拒絶された事実に今まで感じたことのない絶望が押し寄せてきた。

「シャリエ嬢、息をして」

 両肩を掴まれて、我に返った。息苦しいと感じていたのは、息をするのも忘れていたせいだったのかと思いながらも、このまま儚くなってしまえるならそれでもよかった。拒絶されたことが情けなくも恥ずかしく、この場から逃げ出したくなった。もう、室長の顔を見られない……

「シャリエ嬢」
「……はい」

 もう解放してくれないだろうか。室長には私が何を言おうとしたのか、お分かりになっただろう。だったらこのまま何もなかったとして放っておいてほしい。

「すまない」

 それは何に対しての謝罪だろう。床を見つめながら次の言葉を待った。

「ああ、ちょっと待ってくれるかな?」
「……は、はい」

 待ちたくないし、ここから逃げ出したい。そう思いながらも上司命令だと思えば逆らえるはずもなかった。室長の足が視界から消えて、数歩歩いたと思ったらかちりと固い音がした。

(え?)

 今の音の意味が分からずに戸惑ったけれど、顔を上げることは出来なかった。そうしている間にも室長の足がまた視界に映った。

「ああ、すまないね。今度は……邪魔されたくなくてね」
(……邪、魔?)

 何のことかと益々混乱した。あれば鍵の音だ。その事実に混乱する。どうして施錠する必要があるのか……密室に二人きりという状況をどう捉えたらいいのだろう……

「シャリエ嬢、いや、ジゼル嬢」
(……っ!)

 初めて名前で呼ばれて、頭に一気に血が上った。思わず重ねた手に力が入った。よほど親しくなければ名前を呼んだりはしない。例えば家族や親戚、親友とも呼べるほど仲のいい友人に、後は……婚約者……でも私たちは、そんな関係じゃ、ない……

「ジゼル嬢、あなたをお慕いしているよ」
(……え?)

 上から降りてきた言葉に、空耳かと思った。お慕いしている? 室長が? 誰を……

「……う、うそ……」
「嘘?」
「だ、だって……今まで、そんな素振り……」

 とても信じられなかった。だって室長からは、所謂そういう意味での好意を感じたことなんて、今まで一度も……

「そりゃあ上司だからね。そんな気配を感じさせるわけにはいかないよ。そんなことしたらカバネルさんに何を言われるか、わかったもんじゃないからね」

 あの人はそういうところに聡いからと困ったように笑ったけれど、やっぱり信じられなかった。だって、そんな要素が私には……

「ジゼル嬢はとても魅力的だよ。一途で健気で、あのブルレック君ですら気遣う優しさを忘れなくて。そんなあなたを愛おしく思うのは当然だよ」

 言われた内容に耳まで熱くなった気がした。そんな風に思われていたなんて、ちっとも気付かなかった……

「あなたも私と同じ思いだと、そう思ってもいいのかな?」

 ぐっと顔を近づけられて、その距離の近さに心臓が破裂しそうになった。鼻と鼻が触れそうな距離に、くらくらする。

「あ、あの……」
「さっきは言葉を遮ってすまなかったね。でも、こういうことは男の私が先に言うべきだと思ったのだよ。今の若い方からすると古臭い考えかな」
「そ、そんなこと、ないです」
「そう? よかった。私はどうにも押しが弱いらしくてね。上司としても威厳がないと言われているから」

 そんなことはないとの思いを込めて頭を左右に振った。誰がそんな風に言うのだろう。そりゃあ、この国は男尊女卑が強くて父のような男性が一般的だけど、室長は弱いわけじゃない。むしろその逆。器が大きくて多少のことでは動じなくて、大きな声を出す必要がないだけ。

「ありがとう。ジゼル嬢にそう言われて安心したよ」

 また名前を呼ばれて、それだけで頬の熱が増した気がした。

「ジゼル嬢、あの言葉の続きを教えて?」

 熱のこもった声と諭すような言い方には抗いがたい何かが込められているらしい。低くよく通る声に抵抗する気持ちも恥ずかしさも薄れてしまう。

「お、お慕い、しています」

 改めて言う恥ずかしさはさっきの何倍も強かったけれど、室長の気持ちを聞いた後ではハードルが低かった。言い切った満足感と達成感が一気に押し寄せてきて、心が軽くなった。

「嬉しいよ、ジゼル嬢。ジゼルと呼んでも?」
「は、はい。勿論です……」
「私のことは、どうかレニエと」
「レ、レニエ様……」

 夢にまで見た名前呼びに、気恥ずかしく思いながらも心は天に舞い上がりそうだった。レニエ様と呼ぶお許しを頂けるなんて、思いもしなかった。

「ジゼル」
「し……レニエ様……」

 レニエ様の顔がゆっくりと近づいてきて、思わず目を瞑ってしまった。こ、これって……覚悟を決めてその瞬間を待っていたら、額に何かが軽く触れる感触がした。

「今はこれだけね」

 目を開けると悪戯っぽい表情を浮かべたレニエ様がいた。自分が想像していたことがばれてしまっていたのだろう。恥ずかしくて穴があったら入りたかった。

「この先は準備が整ってからね。ジゼルにはまだ婚約者がいるから」
「あ……」

 すっかり浮かれていたけれど、レニエ様の言う通りだった。私はまだジョセフ様と婚約中なのだ……その事実に一気に気持ちが落ち込んだ。

「ああ、心配しないで。大丈夫だよ、私が何とかしよう」
「でも、婚約は……」
「わかっているよ。ただ、手続きや根回しもあって今すぐという訳にはいかないから。暫く待っていてくれるかい?」

 黒い瞳を垂らしてそう告げる表情には何の憂いも感じられなかった。優しい表情なのに不思議な強さを感じた。

「は、はい」
「必ずあなたを迎えられるようにするよ」

 するりと頬を撫でられて顔に熱が集まった。心臓がまたドキドキしてきた。

「可愛いね、ジゼルは」
「室長!」

 ふにゃりと表情が緩んで、揶揄われているのだとわかった。これくらいで動揺してしまう自分が情けなくも恥ずかしい。

「レニエ、だよ」
「……っ!」

 また顔を近づけてそう言われて、言葉に詰まった。すっかり手のひらの上で転がされているのが悔しい。レニエ様は大人だから、私なんかよりもずっとこういう経験があるのだろう。そう思うとちょっと悔しい……

「さぁ、もう暗いから送っていこう。これくらいは上司として許されるだろう?」
「は、はい」

 差し出された手に自分の手を重ねた。大きな手は温かかった。





しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は 愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。 夫が愛人を持つことも、 その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。 けれど―― 跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。 その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。 私は悟ったのだ。 この家では、息子を守れないと。 元々、実家との間には 「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。 ならば話は簡単だ。 役目を終えた私は、離縁を選ぶ。 息子と共に、この家を去るだけ。 後悔しているようですが―― もう、私の知るところではありません。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

《完結》初夜をすっぽかされた令嬢は夫を死亡扱いする

さんけい
恋愛
クズ夫の非常識を帳簿で粛々と清算!真実の愛?笑わせるわね! 全14話。

悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。

ねーさん
恋愛
 あ、私、悪役令嬢だ。  クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。  気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…

【完結】白い結婚を終えて自由に生きてまいります

なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。  忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。  「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」 「白い結婚ですか?」 「実は俺には……他に愛する女性がいる」   それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。 私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた ――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。 ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。 「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」 アロルド、貴方は何を言い出すの? なにを言っているか、分かっているの? 「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」 私の答えは決まっていた。 受け入れられるはずがない。  自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。    ◇◇◇ 設定はゆるめです。 とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。 もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。 「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」 そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。 ——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。 「最近、おまえが気になるんだ」 「もっと夫婦としての時間を持たないか?」 今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。 愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。 わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。 政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ “白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!

処理中です...