【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫

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番外編~レニエ

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◆◆◆閲覧注意◆◆◆
この回は残虐な表現や自死の記述があります。
苦手な方はこのままお戻りください。
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 文官として勤め出してもう少しで三年を迎えようという頃、その知らせが届いた。職場の上司に事情を話して馬に乗って駆けつけた先は妻の実家。一年前からひっそりとしめやかな空気が漂うようになった屋敷の中に案内された先にいたのは、義理の父親だった。

「レニエ君、今までありがとう」

 ソファに腰かけた俺に、静かに、深く頭を下げた義父の頭を眺めながらまだ収まらない鼓動を落ち着かせるために深く息を吐いた。

「……何が、あったのですか?」

 慌てて馬を駆ったせいで喉が枯れ、声も震えているのを感じるがそんなことすらどうでもよかった。何かが起きたからこうなっているのだということだけはわかった。ただ、そうなった理由が知りたい。義父はゆっくりと頭を上げた。この一年ですっかり老け込み、随分痩せてしまったせいか肌のたるみも目立つ。快活だった頃の姿しか知らなければ別人だと思っただろう程に面変わりしていた。

「……あの子が望んだ」
「……そう、ですか。どうやって?」

 彼女がそれを望んでいたことは知っていた。何度も止めようとしたから。その為に義父だけでなくこの屋敷の者が常に気を張っていたことも。

「……ガラスを……窓ガラスを割って……その破片で喉を……」
「ガ、ラス……?」

 俄かには信じられなかった。ガラスを割った? 彼女が? 今更? これまでも自死しようとするからナイフの類は遠ざけていたし、周りに危ないものがないかはシーツ交換や掃除の度に徹底的に確かめていたはず。窓ガラスを割ろうと思えば何度でも機会はあった。なのに何故その事に思い至った?

「……昼食の時、ガラスのコップを、落として割ってしまったんだ……それで、ガラスが割れるものだと思い出したのだろう……眠ったからと侍女が水差しの水を交換するため側を離れた隙に……」

 そう言うと義父が顔を覆って嗚咽を漏らし始めた。低く唸るような鳴き声が部屋を満たしていった。おれはただ茫然とそんな義父を見ていた。

「すまない。取り乱してしまった……」
「いえ、当然のことですから」

 落ち着いた義父が力なく笑ったけれど、一層悲しみの色が濃くなった。

「……彼女に、会っても?」

 会っていいのかとの迷いはあるけれど、今を逃したら次はないとわかっているから会わない選択肢はなかった。それでも義父が止めるのなら無理に会おうとは思わない。止めるのは彼女が見られたくないと思う状況なのだろうから。

「……そう、だな」

 幽鬼のように力なく立ち上がった義父に付いて彼女の元へと向かった。案内されたのは客間の一つで彼女のいつもの部屋ではなかった。

「あの部屋は……見せられる状態じゃないんだ」

 ガラスを割ってそれで首をかき切ったのなら、相当な惨状だろう。そこは見たくなかった。彼女に関する記憶にこれ以上苦しみや悲しみを増やしたくなかった。
 案内された客間の寝室で彼女は静かに眠っていた。顔のあちこちに小さな傷があるし、首には包帯が巻かれ、血の滲みも見える。手も掛布の下で組まれていて、見せられないのだと察した。

 会うのは半年ぶりだった。結婚式が予定されていた日、せめて指輪だけでもと思って会いに来たが、彼女は俺の顔を見た途端に泣き叫び、窓から飛び降りようとした。その後も俺に会えば興奮して死のうとするからと会うのを禁じられたし、俺も会いに行けなかった。泣き叫ぶ様を見てしまえば、会いたいなどと言えなかった。医師も時間がかかると言われたし、時間が経って落ち着くまではと言われてそれを信じた。義父も義母も義兄も義妹も口を揃えて待ってほしいと言った。それを押し切って会うのは我儘に思えた。

「……クロエ……」

 久しぶりに会った妻は、記憶よりもずっと痩せていた。薔薇色だったふっくらした頬は青白く痩せこけ、赤く色付いた唇はかさつき、色を失っていた。そっと丸い額を撫でるとまだ温かかった。髪に指を通すとさらっと流れ落ちる。この髪の感触が好きだった。髪を指に絡めていると絡まるから止めてとよく叱られた。いつも朗らかな笑顔で俺の名を呼び、結婚式の準備を楽しんでいた。もう少しでその日を迎える筈だった。あいつらが……あいつらがそれを壊さなければ……!!

「……クロエ……」

 呼んでも返事がなかった。いつものようにレニエ様と言って笑みを返してはくれなかった。

「……っ! クロエ……っ!」

足に力が入らなくなって床に膝をついた。現実なのだと、本当に死んでしまったのだと実感が湧き上がる。認めたくない事実に息が出来なくなった。行き場のない感情が爆発して涙が止まらず、床に頭を付けたまま暫く泣き暮れた。




「落ち着いたかい?」
「…………はい。申し訳ございません」

 起きた現実を認めたくなかった。情けなく身も世もなく泣き叫んだ後、義父と共に応接間に戻った。泣いたせいか身体が水を欲していた。出された水を一気に飲み干した。泣いたのは何年ぶりだろうか……

「……義父上、俺は……あいつらを……」
「レニエ君」

 その先の言葉は義父の声でかき消された。驚いて見上げて真剣な目とぶつかった。そこにいたのはさっきまでの弱々しい義父ではなく、ずっと俺が見て来た力強く当主としての威厳を纏う義父だった。

「今言おうとした言葉、二度と口にしてはいけない」

 重々しく告げられた言葉に息を呑んだ。言葉にではない、その声に含まれる強い意志にだ。

「復讐などするな。クロエも望んでいない」
「ですがこのままあいつらをのさばらせては……!!」

 言いかけたところで手のひらを俺に向けて止められた。

「勘違いしてはいけない。泣き寝入りするわけじゃない。だが、その前に我々は生き延びなければならないのだよ」
「な、何を……」

 こちらは被害者なのに。あいつらは貴族の令嬢を襲ったのに。なのにお咎めなしなのか? それでは法は何のためにある?

「落ち着くんだ。いいかね、レニエ君。我々は危うい立場にあるんだ」

 しっかりとした口調と視線、腹に響く様な力強い声に戸惑った。



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