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第149話 カリム vs. 善鬼② ── 剣、交わりて ──
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——届かん。
幾度も刃を振るい、幾度も斬りかかった。闘気も解放した。限界まで力を引き出した。
けど。
「……それでも届かんか、あんたには」
善鬼はゆっくりと息を吐き出した。
砂煙の立ちこめる闘技場の中心で、呼吸ひとつにも神経を研ぎ澄ませながら、対峙する“剣聖”の姿を睨む。
目の前のカリム・ヴェルトール。
静かや。何の飾り気もない。闘気も放ってへん。ただ、まっすぐに立って、こちらを見とるだけやのに——
「ほんま、隙がないなぁ……」
ふと、故郷の空が脳裏に浮かぶ。
アカツキの山々、海沿いの神社、竹林に差し込む光の斜面。
——そこで、自分は負けたことがなかった。
年若い剣士にも、大柄な武芸者にも、妖魔にも、大鬼にも、飛竜にも。誰であろうと、自分の剣の前には無力だった。
たとえ技術が互角でも、自分には“闘気”があった。解き放てば、膂力も速度も桁違いになる。それが自分の“強さ”の証明だった。
「……せやけどな」
目の前の男に、届かない。
“剣が通じない”ってのはこういうことか。
その実感が、少しずつ胸を満たしていく。
不快ではない。むしろ清々しい。
「——世界ってのは、広いんやなぁ」
自然と笑みがこぼれた。
けど、それでも。
まだ、“闘気こそが強さ”という信念は捨てられない。
「見せたるわ。俺の——“全て”を」
善鬼は深く構え直した。手の内にある愛刀・東雲が、呼応するようにかすかに唸る。
心の底に沈めていた闘気が、じわじわと浮かび上がってくる。熱が、骨の芯から湧き上がる。意識が鋭利に研ぎ澄まされていく。
「……行くで、カリム・ヴェルトール。」
闘技場の空気が、確かに震えた。
全闘気を解放したその瞬間だった。
善鬼の視界が、一瞬、揺らいだ。
(ん……?)
違和感の正体を確かめるように、観客席のほうへ目を向ける。
すると、目に入ったのは——
祈る者たちの姿。
豪華な衣装に身を包んだ貴族でも、気軽な軽装の冒険者でもない。くたびれた服に身を包んだ、平民風の観客たちだった。
老いも若きも、男も女も。
皆が、あの男——カリム・ヴェルトールに向かって、手を合わせていた。
「……祈り、か」
ただの応援ではない。
——信仰だ。
善鬼の目が鋭くなる。
祈ってる連中からは、“闘気”が全く感じられない。
そういう体質なのだろう。“闘気を纏えない者達”。
(そういうことか)
納得した。
(あの兄さん……“闘気(魔力)を持たへん者”の希望なんやな)
かつて、戦の場において“闘気(魔力)を持たざる者”は、淘汰される存在だった。
その常識を覆したのが、あの男か。
「——まるで、戦の神様やな」
善鬼は、かすかに笑った。
「……そら、祈りたくもなるわ」
勝ち負けだけやない。
あの佇まい、あの剣の一振り。そのすべてが、誰かの“心”を救っとる。
闘技場の中央に立つその背中は、静かで、まっすぐで、どこまでも遠くて——
「……せやけど、自分は“剣士”や」
あんたらの神様、斬らせてもらうで。
善鬼は静かに目を閉じた。
身体の奥に沈めていた呼吸を、深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
喧騒も、歓声も、風の音すらも遠のいていく。
ただ自分の心音だけが、内側で確かに鳴っていた。
“心を無にせよ”
己の師、絶刀斎の言葉が脳裏に蘇る。
“刀は心に宿るもの。ならば、心が濁れば、刀もまた鈍る”
善鬼は、今この瞬間、己のすべてを削ぎ落とした。
怒りも、焦りも、驚きも。
勝ちたいという欲も、負けたくないという意地も——
ぜんぶ、ただの“雑音”や。
そして、静かに目を開けた。
その瞳には、何も宿っていなかった。
怒気も闘志もない。
あるのはただ、純粋な“斬る”という意思のみ。
刀を鞘に納め、両足をしっかりと地に据え、左手を自然と鞘に添える。
右手は柄へ。
その動きに、一切の無駄はない。
磨き上げられた技と心が、完全に一致した瞬間だった。
絶刀流・十之太刀。
"無我絶界"
「……俺の全部、受けてみぃや、剣聖さん」
その声は、決して大きくはなかった。
だが、砂がそれに応じるように、ざざ……と細かく鳴いた。
吹き抜ける風が、一瞬、止まる。
それを真正面から見据えていたカリムが、わずかに目を細める。
「……ならば、私も、“最速”で応じよう」
静かに、右足を一歩、引いた。
左足は前へ。
重心を低く、柔らかく沈め、鞘へと自然に手を添える。
藍色の外衣が、風にひるがえる。
陽光の下で煌めく刃の気配が、鞘の奥からにじみ出るようだった。
それは、美しい構えだった。
ただ速さだけを求めたのではない。
ただ鋭さだけを磨いたのでもない。
“居合い”という芸術の極致。
“蒼刃閃《アズール・フラッシュ》”
ふたりの剣士の構えが、ぴたりと重なるように対峙する。
その場に、魔法の煌きも、大仰な演出もない。
ただ、ひとりと、ひとり。
剣士と剣士。
魂と魂。
やがて、空気がふるえる。
それぞれの足元から、目には見えぬ“気配”が広がりはじめる。
無意識のうちに、空間が圧縮され、ふたりの周囲に円が描かれていく。
制空圏——
それぞれが、互いの“剣”の支配領域を広げていく。
五メートル。
四メートル。
三メートル——
円は徐々に重なり合い、ついに、重なった。
ふたりの間にあるのは、もはや“境界”ではない。
互いに踏み込めば、必ず交錯する死地。
だが、それでも。
ふたりの剣士は、動じない。
その姿はまるで——
神前にて対峙する、剣聖と剣鬼。
極限の静寂。
会場の誰もが、息を飲んだ。
そして、その“瞬間”を待っていた。
◇◆◇
重なり合った制空圏の中心。
そこにあるのは、緊張でも、油断でもなかった。
ただ、凪いだ湖面のような、“静寂”だけが支配していた。
観客の誰もが、呼吸することを忘れていた。
審判すら声を飲み、口を固く結んだまま、ただ目の前の二人を見守るしかなかった。
その沈黙を、ひと筋の風が切り裂く。
——サァァ……。
柔らかな空気の流れが、戦場の中心を撫でた。
その風を合図と錯覚するほどに、ふたりの剣士が、同時に動いた。
——刹那。
砂が炸けた。
善鬼の脚が、地面を滑るように一歩踏み出す。
流れるような重心移動。身体の軸は揺らがず、ただ一つの目的に沿って、研ぎ澄まされた動き。
瞬間、鞘から音もなく抜き放たれた刀が空気を裂く。
目視できるのは、その後に残された銀の残像だけ。
絶刀流・十之太刀——
"無我絶界《むがぜっかい》"
己を捨てる一太刀。
怒りも、焦りも、歓喜すらもそこにはない。
あるのはただ、“斬る”という一点への到達のみ。
魂が刃に昇華され、肉体すら剣と一体化する。
——その瞬間。
対するカリムもまた、静かに右足を滑らせるように踏み出していた。
わずかに重心を沈め、柄にかけた右手が、
地を割る蒼の光を引き抜いた。
疾風のように。
流星のように。
その刃筋は一直線に相手の急所を突き、同時に見る者の心までも射抜いた。
"蒼刃閃《アズール・フラッシュ》"
衝突した。
二本の刃が、空間の中で交錯する。
だが、耳には何も届かない。
——音が、置いていかれたのだ。
ただ、空間が震えた。
刃と刃の軌道が、目には見えぬ速度で交わり、わずかながら軌道がずれる。
その結果——
善鬼の一太刀が、ほんの“刃一枚分”だけ、カリムの剣を逸らす。
(──勝った!)
脳裏にその確信が灯った瞬間。
善鬼の身体が、ほんのわずか“緩んだ”。
そして、そこだった。
「……甘い。」
カリムの声が、鼓膜に直接語りかけてくるように低く、鮮やかに響く。
直後——
ガンッ!!
重い衝撃。
カリムの左手が携えていた“鉄拵えの鞘”が、善鬼の腹部に深く食い込む。
「ぐっ……!」
声にならない呻きが漏れる。
内臓をかき乱されたような痛みが、意識を引き裂く。
だが、攻撃はそれだけで終わらなかった。
身体が揺れた瞬間——
カリムの右腕が、一度大きく回転し、刀を逆手に持ち直す。
そして、挟むように——
背中側から前方へ、鋭く、そして優雅に。
「──“蒼牙連閃《アズール・ファング》”。」
鉄鞘と逆手剣の"二刀流"。
カリムの声と共に、蒼い剣閃が善鬼の"東雲"を打ち払う。
善鬼が構えていた刀が、鋼の音を残して宙を舞った。
次の瞬間、首筋に、冷たく鋭い感触が触れる。
止めの斬撃ではない。
だが、疑いようのない“決着”だった。
その刃が振り抜かれれば——という明確な“死”の実感。
闘技場全体が、ようやく動き始める。
止まっていた風が、ゆるりと流れ、
観客の誰もが、ようやく、呼吸を再開した。
善鬼は、目の前に突きつけられた男の刃先を、しばし無言で見つめていた。
鋼の冷たい光。その輪郭は僅かに震えているように見えたが、それは自分の呼吸の乱れが見せた幻だとすぐに気づいた。
そして——ぽかん、と口を開いた。
まるで夢から覚めたかのような表情。
勝利を確信した刹那に逆転されたという事実が、ようやく全身を巡って、
肩から、胸から、そして心の奥から——何かがふっと抜け落ちていく。
沈黙が数秒。だが、それは永遠のようにも思えた。
やがて善鬼の肩が、わずかに震え始める。
笑っていた。
諦めの苦笑でも、強がりの笑顔でもなかった。
そこには、心からの敬意と納得があった。
「……参った。降参や」
その静かな言葉は、風に乗って舞い上がり、
魔導拡声器を通じてコロシアムの空に響き渡った。
刹那——
観客席が炸裂した。
「カリムだッ!!」
「剣聖、カリム・ヴェルトール!!」
「勝ったぁぁあああ!!」
割れんばかりの歓声と拍手が渦を巻く。
人々の熱狂が一斉に爆発し、地鳴りのようにコロシアムを揺るがす。
だが、その中心にいるふたりの剣士だけは、まるで静寂の中にいた。
善鬼は、刀を落としたままその場に立ち尽くし、苦笑交じりに呟く。
「……“無我絶界”は、人の限界を超えた速度の斬撃——の筈やったんやけどなぁ」
その言葉に、カリムは刀をゆっくりと引き、
流れるような所作で“蒼刃”を鞘へと納める。
金属が納まる澄んだ音が、祝福の喧騒の中に小さく響いた。
「私は、訓練相手に恵まれていてな」
そして視線を横に流す。
試合場の外、選手席の一角。
そこには、腕を組み、やや身を乗り出すように立つ青年の姿があった。
白衣の様なシルエットの白いコート。いたずらを思いついたような、ニヤリとした笑み。
九条迅。
カリムの口元が、わずかに緩む。
「“人の限界を超えた速度”の持ち主とは、毎日のように剣を合わせている。」
その言葉を聞いて、善鬼は思わず目を丸くした。
驚きと困惑と——少しの納得が入り混じった表情。
しばし、遠くの観客席に立つ迅をじっと見つめたあと、
ぽつりと、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「……そりゃ……勝てへん訳やな」
肩から力が抜けるように、ふっと笑った。
悔しさはあった。だが、それ以上に——
嬉しかった。
自分の全力をもってしても届かぬ高みが、確かに“ここ”にはあった。
それを知れたことが、ただただ、誇らしかった。
空には蒼が広がっていた。
風が吹き抜ける。
カリムの名が、歓声とともに幾度となく叫ばれる。
その中で——
東堂善鬼は、そっと頭を垂れた。
剣を落としたまま、堂々と。
敗北の中に、己の誇りを抱いたまま。
「……カリム。あんたは、ほんまもんやったわ」
静かに、力強く。
剣士・東堂善鬼は、闘技場の勝者に深い敬意を捧げた。
幾度も刃を振るい、幾度も斬りかかった。闘気も解放した。限界まで力を引き出した。
けど。
「……それでも届かんか、あんたには」
善鬼はゆっくりと息を吐き出した。
砂煙の立ちこめる闘技場の中心で、呼吸ひとつにも神経を研ぎ澄ませながら、対峙する“剣聖”の姿を睨む。
目の前のカリム・ヴェルトール。
静かや。何の飾り気もない。闘気も放ってへん。ただ、まっすぐに立って、こちらを見とるだけやのに——
「ほんま、隙がないなぁ……」
ふと、故郷の空が脳裏に浮かぶ。
アカツキの山々、海沿いの神社、竹林に差し込む光の斜面。
——そこで、自分は負けたことがなかった。
年若い剣士にも、大柄な武芸者にも、妖魔にも、大鬼にも、飛竜にも。誰であろうと、自分の剣の前には無力だった。
たとえ技術が互角でも、自分には“闘気”があった。解き放てば、膂力も速度も桁違いになる。それが自分の“強さ”の証明だった。
「……せやけどな」
目の前の男に、届かない。
“剣が通じない”ってのはこういうことか。
その実感が、少しずつ胸を満たしていく。
不快ではない。むしろ清々しい。
「——世界ってのは、広いんやなぁ」
自然と笑みがこぼれた。
けど、それでも。
まだ、“闘気こそが強さ”という信念は捨てられない。
「見せたるわ。俺の——“全て”を」
善鬼は深く構え直した。手の内にある愛刀・東雲が、呼応するようにかすかに唸る。
心の底に沈めていた闘気が、じわじわと浮かび上がってくる。熱が、骨の芯から湧き上がる。意識が鋭利に研ぎ澄まされていく。
「……行くで、カリム・ヴェルトール。」
闘技場の空気が、確かに震えた。
全闘気を解放したその瞬間だった。
善鬼の視界が、一瞬、揺らいだ。
(ん……?)
違和感の正体を確かめるように、観客席のほうへ目を向ける。
すると、目に入ったのは——
祈る者たちの姿。
豪華な衣装に身を包んだ貴族でも、気軽な軽装の冒険者でもない。くたびれた服に身を包んだ、平民風の観客たちだった。
老いも若きも、男も女も。
皆が、あの男——カリム・ヴェルトールに向かって、手を合わせていた。
「……祈り、か」
ただの応援ではない。
——信仰だ。
善鬼の目が鋭くなる。
祈ってる連中からは、“闘気”が全く感じられない。
そういう体質なのだろう。“闘気を纏えない者達”。
(そういうことか)
納得した。
(あの兄さん……“闘気(魔力)を持たへん者”の希望なんやな)
かつて、戦の場において“闘気(魔力)を持たざる者”は、淘汰される存在だった。
その常識を覆したのが、あの男か。
「——まるで、戦の神様やな」
善鬼は、かすかに笑った。
「……そら、祈りたくもなるわ」
勝ち負けだけやない。
あの佇まい、あの剣の一振り。そのすべてが、誰かの“心”を救っとる。
闘技場の中央に立つその背中は、静かで、まっすぐで、どこまでも遠くて——
「……せやけど、自分は“剣士”や」
あんたらの神様、斬らせてもらうで。
善鬼は静かに目を閉じた。
身体の奥に沈めていた呼吸を、深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
喧騒も、歓声も、風の音すらも遠のいていく。
ただ自分の心音だけが、内側で確かに鳴っていた。
“心を無にせよ”
己の師、絶刀斎の言葉が脳裏に蘇る。
“刀は心に宿るもの。ならば、心が濁れば、刀もまた鈍る”
善鬼は、今この瞬間、己のすべてを削ぎ落とした。
怒りも、焦りも、驚きも。
勝ちたいという欲も、負けたくないという意地も——
ぜんぶ、ただの“雑音”や。
そして、静かに目を開けた。
その瞳には、何も宿っていなかった。
怒気も闘志もない。
あるのはただ、純粋な“斬る”という意思のみ。
刀を鞘に納め、両足をしっかりと地に据え、左手を自然と鞘に添える。
右手は柄へ。
その動きに、一切の無駄はない。
磨き上げられた技と心が、完全に一致した瞬間だった。
絶刀流・十之太刀。
"無我絶界"
「……俺の全部、受けてみぃや、剣聖さん」
その声は、決して大きくはなかった。
だが、砂がそれに応じるように、ざざ……と細かく鳴いた。
吹き抜ける風が、一瞬、止まる。
それを真正面から見据えていたカリムが、わずかに目を細める。
「……ならば、私も、“最速”で応じよう」
静かに、右足を一歩、引いた。
左足は前へ。
重心を低く、柔らかく沈め、鞘へと自然に手を添える。
藍色の外衣が、風にひるがえる。
陽光の下で煌めく刃の気配が、鞘の奥からにじみ出るようだった。
それは、美しい構えだった。
ただ速さだけを求めたのではない。
ただ鋭さだけを磨いたのでもない。
“居合い”という芸術の極致。
“蒼刃閃《アズール・フラッシュ》”
ふたりの剣士の構えが、ぴたりと重なるように対峙する。
その場に、魔法の煌きも、大仰な演出もない。
ただ、ひとりと、ひとり。
剣士と剣士。
魂と魂。
やがて、空気がふるえる。
それぞれの足元から、目には見えぬ“気配”が広がりはじめる。
無意識のうちに、空間が圧縮され、ふたりの周囲に円が描かれていく。
制空圏——
それぞれが、互いの“剣”の支配領域を広げていく。
五メートル。
四メートル。
三メートル——
円は徐々に重なり合い、ついに、重なった。
ふたりの間にあるのは、もはや“境界”ではない。
互いに踏み込めば、必ず交錯する死地。
だが、それでも。
ふたりの剣士は、動じない。
その姿はまるで——
神前にて対峙する、剣聖と剣鬼。
極限の静寂。
会場の誰もが、息を飲んだ。
そして、その“瞬間”を待っていた。
◇◆◇
重なり合った制空圏の中心。
そこにあるのは、緊張でも、油断でもなかった。
ただ、凪いだ湖面のような、“静寂”だけが支配していた。
観客の誰もが、呼吸することを忘れていた。
審判すら声を飲み、口を固く結んだまま、ただ目の前の二人を見守るしかなかった。
その沈黙を、ひと筋の風が切り裂く。
——サァァ……。
柔らかな空気の流れが、戦場の中心を撫でた。
その風を合図と錯覚するほどに、ふたりの剣士が、同時に動いた。
——刹那。
砂が炸けた。
善鬼の脚が、地面を滑るように一歩踏み出す。
流れるような重心移動。身体の軸は揺らがず、ただ一つの目的に沿って、研ぎ澄まされた動き。
瞬間、鞘から音もなく抜き放たれた刀が空気を裂く。
目視できるのは、その後に残された銀の残像だけ。
絶刀流・十之太刀——
"無我絶界《むがぜっかい》"
己を捨てる一太刀。
怒りも、焦りも、歓喜すらもそこにはない。
あるのはただ、“斬る”という一点への到達のみ。
魂が刃に昇華され、肉体すら剣と一体化する。
——その瞬間。
対するカリムもまた、静かに右足を滑らせるように踏み出していた。
わずかに重心を沈め、柄にかけた右手が、
地を割る蒼の光を引き抜いた。
疾風のように。
流星のように。
その刃筋は一直線に相手の急所を突き、同時に見る者の心までも射抜いた。
"蒼刃閃《アズール・フラッシュ》"
衝突した。
二本の刃が、空間の中で交錯する。
だが、耳には何も届かない。
——音が、置いていかれたのだ。
ただ、空間が震えた。
刃と刃の軌道が、目には見えぬ速度で交わり、わずかながら軌道がずれる。
その結果——
善鬼の一太刀が、ほんの“刃一枚分”だけ、カリムの剣を逸らす。
(──勝った!)
脳裏にその確信が灯った瞬間。
善鬼の身体が、ほんのわずか“緩んだ”。
そして、そこだった。
「……甘い。」
カリムの声が、鼓膜に直接語りかけてくるように低く、鮮やかに響く。
直後——
ガンッ!!
重い衝撃。
カリムの左手が携えていた“鉄拵えの鞘”が、善鬼の腹部に深く食い込む。
「ぐっ……!」
声にならない呻きが漏れる。
内臓をかき乱されたような痛みが、意識を引き裂く。
だが、攻撃はそれだけで終わらなかった。
身体が揺れた瞬間——
カリムの右腕が、一度大きく回転し、刀を逆手に持ち直す。
そして、挟むように——
背中側から前方へ、鋭く、そして優雅に。
「──“蒼牙連閃《アズール・ファング》”。」
鉄鞘と逆手剣の"二刀流"。
カリムの声と共に、蒼い剣閃が善鬼の"東雲"を打ち払う。
善鬼が構えていた刀が、鋼の音を残して宙を舞った。
次の瞬間、首筋に、冷たく鋭い感触が触れる。
止めの斬撃ではない。
だが、疑いようのない“決着”だった。
その刃が振り抜かれれば——という明確な“死”の実感。
闘技場全体が、ようやく動き始める。
止まっていた風が、ゆるりと流れ、
観客の誰もが、ようやく、呼吸を再開した。
善鬼は、目の前に突きつけられた男の刃先を、しばし無言で見つめていた。
鋼の冷たい光。その輪郭は僅かに震えているように見えたが、それは自分の呼吸の乱れが見せた幻だとすぐに気づいた。
そして——ぽかん、と口を開いた。
まるで夢から覚めたかのような表情。
勝利を確信した刹那に逆転されたという事実が、ようやく全身を巡って、
肩から、胸から、そして心の奥から——何かがふっと抜け落ちていく。
沈黙が数秒。だが、それは永遠のようにも思えた。
やがて善鬼の肩が、わずかに震え始める。
笑っていた。
諦めの苦笑でも、強がりの笑顔でもなかった。
そこには、心からの敬意と納得があった。
「……参った。降参や」
その静かな言葉は、風に乗って舞い上がり、
魔導拡声器を通じてコロシアムの空に響き渡った。
刹那——
観客席が炸裂した。
「カリムだッ!!」
「剣聖、カリム・ヴェルトール!!」
「勝ったぁぁあああ!!」
割れんばかりの歓声と拍手が渦を巻く。
人々の熱狂が一斉に爆発し、地鳴りのようにコロシアムを揺るがす。
だが、その中心にいるふたりの剣士だけは、まるで静寂の中にいた。
善鬼は、刀を落としたままその場に立ち尽くし、苦笑交じりに呟く。
「……“無我絶界”は、人の限界を超えた速度の斬撃——の筈やったんやけどなぁ」
その言葉に、カリムは刀をゆっくりと引き、
流れるような所作で“蒼刃”を鞘へと納める。
金属が納まる澄んだ音が、祝福の喧騒の中に小さく響いた。
「私は、訓練相手に恵まれていてな」
そして視線を横に流す。
試合場の外、選手席の一角。
そこには、腕を組み、やや身を乗り出すように立つ青年の姿があった。
白衣の様なシルエットの白いコート。いたずらを思いついたような、ニヤリとした笑み。
九条迅。
カリムの口元が、わずかに緩む。
「“人の限界を超えた速度”の持ち主とは、毎日のように剣を合わせている。」
その言葉を聞いて、善鬼は思わず目を丸くした。
驚きと困惑と——少しの納得が入り混じった表情。
しばし、遠くの観客席に立つ迅をじっと見つめたあと、
ぽつりと、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「……そりゃ……勝てへん訳やな」
肩から力が抜けるように、ふっと笑った。
悔しさはあった。だが、それ以上に——
嬉しかった。
自分の全力をもってしても届かぬ高みが、確かに“ここ”にはあった。
それを知れたことが、ただただ、誇らしかった。
空には蒼が広がっていた。
風が吹き抜ける。
カリムの名が、歓声とともに幾度となく叫ばれる。
その中で——
東堂善鬼は、そっと頭を垂れた。
剣を落としたまま、堂々と。
敗北の中に、己の誇りを抱いたまま。
「……カリム。あんたは、ほんまもんやったわ」
静かに、力強く。
剣士・東堂善鬼は、闘技場の勝者に深い敬意を捧げた。
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気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
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