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閑話 無辜の人々
日曜日は王子に祈りを捧げることに。
しおりを挟む「どうして、馬車が二台ある?」
詰問するマイクを前に、フィリップは正直に言うか悩んだ。マイクに本音を語ると、長いお説教が待っていそうだ。
それ自体はいい。その分、マイクを独占できる。むしろ怒って? と誘惑したいぐらいだ。
だが、マイクは禁欲主義者で、お説教のあとフィリップにつれなくする。お仕置きと称して無視し始めるのだからたまらない。
ここはなあなあで流すのが吉だ。
「必要だと思ったので」
「どういうつもりで? 先に言っておくが俺はリストと同じ見解だ」
ちっと舌打ちをする。従兄弟であるリストは気難しく、フィリップの天敵だ。
幼い頃はそれなり仲が良かったのだが、リストの誘拐騒動とフィリップ自身が被害にあった暗殺未遂があってからは疎遠になっている。
仲の悪いフィリップと違い長兄のレオンやマイクと仲が良くしている。たまに三人で狩りをしているらしい。
狡い。その立場はフィリップに譲られるべきだろう。常々そう思っていた。
――ただでさえカルディアの周りをうろちょろと忌々しいのに。
カルディアが執心するハルを確保している話はフィリップの耳にも届いていた。だが、あんな風に見せびらかすように連れ回すとは思わなかった。間男の公開処刑かと心が騒ついたが、どうにも政治の臭いがする。
「……失敗したので、水に流してくれますよね?」
「馬鹿。カルディアをどこに連れて行こうとした?」
「疫病が蔓延していない場所でしょうか。ほら、何かと他国は大変そうですし?」
意味ありげに視線を注ぐ。
アルジュナの村の一つが疫病で消えたともっぱらの噂だ。村人達は全員死に絶え、犬猫まで無残な最期を迎えたらしい。確認はしていないが、これから国を出ようとするマイクへの当てこすりなので事実かどうかは問題ではない。
「まだ、正式に死んだと決まってはいないだろう。勇み足になるな」
マイクも勿論知っていたようで、真剣な顔をしてフィリップを諌めた。
「俺は大変そうだと述べただけですが。ああ、でもよかった。兄上も疫病の心配はしておられたのですね」
かあとマイクの顔が赤らむ。マイクはいじめがいのある兄だ。真面目で愚直。情にも厚い。人として愚かだと思うが、兄としては可愛くてしょうがない。
「お、お前は。いつも俺のことをそうやってからかう」
「兄上が悪いんですよ。騎士なんかに甘んじて、おれの世話をして下さらない。いつだって、子猫のように可愛がって下さらないと」
「……可愛がる? お前が可愛がるの間違いだろう。お前が兄上の寝台でやった暴挙、忘れていないぞ。姉上はあれがトラウマだ」
たしかに、レオンとレオンの伴侶だと主張する女の初夜を邪魔したのはフィリップだ。女の浴槽に男を向かわせ、フィリップはレオンを襲った。媚薬入りの香を焚きしめていたし、うまくいくはずだったのだが女が思ったよりも手強かった。最後にはマイクの妨害もあり、達成されなかった。
惜しかった。もう一度やるときは失敗はしない。
「失敗した反省はしていますよ?」
「馬鹿なことを。やった後悔はしろ! はあ、……もういい。この話は不毛だ。それよりも、カルディアのことだ。連れ去るなんてよく思いついたな。お前がどれだけあの子に不信感を抱かれているか知らないのか?」
「……? カルディアとは、相思相愛の仲ですが」
「それはお前の勘違いだ。いい加減、夢から覚めろ」
「マイク兄上もしかして嫉妬ですか?」
ぷんぷん怒るマイクも好きだなと頬を緩める。整った眉がくっと上がるとそれだけでずっと眺めていられた。
「人の話を聞け! というか、どうしてそんな勘違いが出来るんだ? カルディアはお前に嫌われてると思っているぞ」
「まあ、カルディアがどう思っていようと問題はありません。おれは愛しているので」
「愛は一方的なものではいけないだろう……」
マイクがこぼした理想論にくすりとしてしまう。
「愛は押し付けるものですよ。熱量で溺れさせて、おれの愛がなければ息も絶え絶えになるくらいじゃないと」
「あのどうしようもないぐらい嫌味ったらしい態度がか?」
「カルディアは妾の子ですから、それなりの対応はしておかないといけません」
「……お前の考えることが分からない。カルディアのことも愛しているのだろう?」
マイクには分からないと思いながらくすりと笑う。同じ腹から産まれていない人間を厚遇すれば歪みが出る。明確に違うと線引きしなければ、同情と変わらない。
それを酷いと思うのはマイクの主観で、それはそれでフィリップは尊いものだと思う。だが、これはフィリップの愛だ。どれだけ否定されようと曲げるつもりはない。
「愛しているという感情は融通が利かず、得てして身勝手なものですよ」
「お前は……母上に似ているな」
ぽつりとこぼされた一言に目を細める。
屈辱的な認識だった。フィリップはあの女のことが嫌いだ。
だが、分かってもいた。血が繋がっているだけあって、フィリップとあの女の根の部分はよく似ていた。他人などどうでもいいのだ。愛する人のことだけで頭がいっぱいだ。
マイクの言葉を聞かなかったことにして、ゆっくりと首を振る。
「おれは、カルディアのことも兄上のことも好きですが、兄上がカルディアのことを語るのは嫌いです。胸が嫉妬で焼け爛れそうだ。だから、あまりこの話をしたくありません。好きなもの同士が慮っている姿は尊いものなのに、どうしてでしょうね?」
「俺にお前の複雑な心の機微が分かるものか」
呆れたように首を振られる。フィリップはおし黙る。マイクも習うように口を閉ざした。
治安の悪いロスドロゥ国に行ってしまうマイクをどうしか阻みたい。その思いがずっと頭のなかにあった。けれど、頑固な兄は、阻めば、阻むほど行きたいと頑なになるだろう。
――全く、困った兄だ。
蘭王が興味深そうにフィリップ達を覗き込んでいる。それを横目で見ながら、カルディアは見覚えのない人影が映ったものに近付く。
勇猛な戦士だろうか?
褐色の肌に、透き通るような金髪の美男子だ。
馬に跨り、颯爽と地を駆けていく。彼のあとを屈強な戦士達が続く。
敵を蹂躙し、制圧する。
男は勝どきを上げ、前進する。姿を見ると、心臓が高鳴った。生き生きとした瞳が前だけを見つめている。
なにかを思い出そうとした。砂漠のなかを誰かと駆け巡ったような。だが、それは一瞬のことだった。すぐに映し出されているものが移り変わる。
それに視線を移した途端、強烈な腹部の痛みに襲われる。何度も何度も内腑が抉られるような、味わったことのない痛みだ。
痛みに耐えきれず、カルディアはその場所から立ち去った。
逃げた先にあったのはマイクの姿だった。
ことりことりと車輪が回っていた。
四頭の立派な馬車だ。華美さは控えられているが、やんごとなき位を持つものが乗車しているのはよく分かった。
ここはどこだろう。見覚えのない寂れた町だった。
マイクは馬車の中で、難しそうな顔をして座っていた。
窓から町を覗き込み、はあとため息をつく。
気鬱を感じているようだった。
突然、馬車が止まる。素早く、従者が中にいるマイクの元に寄ってきた。
「子供が道の真ん中で倒れているようでして」
「怪我をしているのか?」
「どうやらそのようです」
「俺が見よう。応急手当て程度ならば出来る」
従者は狼狽えた。マイクが自ら施しを行うなど、恐れ多すぎる! と思ったらしい。
「いけません。マイク様」
「気にするな。それよりもここで一番の医者を呼ばなくては。俺の応急手当てでは繋ぎしか出来ん」
制止を振り切り、マイクは外へと躍り出た。
村役人のような素朴な格好をしていた。編み上げブーツだけは上等品だと分かるほど磨かれていたが、シャツやズボンなどは平民がよく着るものとなんら変わりはない。
「寄るな。ロスドロゥに行く道のりだ。悪目立ちするのは困る」
「ですが……!」
「……これは酷い。骨が折れている。はやく医者を」
少女の腕はあらぬ方向に折れ曲がっていた。痛みに悶絶しているのか、荒い息だけを吐き出している。
マイクはまず、気道の確保を行なった。顔を動かし、呼吸を楽にさせる。
運び出すために担架のようなものが必要だ。マイクは上着とシャツを脱ぎ、その上に少女を移動させた。安普請の急ごしらえなものだから、破けてしまう心配もあった。だが、しのごのと言ってはいられない。
従者が良心に従い走り去っていく。
馬車の馭者に役に立ちそうなものがないか、トランクを確認するように言いつける。
マイクは少女の腕を見つめながら、眉を顰める。なにが起こったのか分からないが彼女は虫の息だ。強く頭を打ったのか、うつらうつらとしている。服で見えないが、じんわりと血が滲んで来ていた。
死なないでくれ。生きたいと思ってくれ。
彼女の顔をゆっくりと撫でる。すると、ぴくりと唇が動いた。マイクは必死になって、その声を聞き取ろうとした。そのときだった。
怒鳴り声とともに、マイクの頭が少女の胸に押し付けられた。少女が咳き込み、苦しそうに世界を見上げる。
その瞳に映ったのは、調理道具や鍬、鉈などを持った町の人間達だった。マイクの周りを埋め尽くし、何度も何度も、手に持ったものを振りかぶる。
馭者がやめろと怒鳴り声をあげても無駄だった。憎悪に満ちた瞳で、絶え間なく武器を振り上げる。
「また女を襲っていたのか」
「もうあんたの支配はうんざりだ! 俺達は飢えて死んじまう!」
「私たちはあんたの慰め者なんかじゃない!」
「死ね、死んでしまえっ!」
「呪われて死んじまえっ!」
マイクは、ゆっくりと赤く染まる頭を振った。馭者も頭から血を流している。あれでは助からない。すまないと声に出した。助けられなかった。
目を見開き、涙を溜めた少女を勇気付けるように微笑む。
「大丈夫。医者が、すぐに来る」
奇声が上がり、なにかが振り下ろされる。
マイクがやめてくれと懇願している。その悲痛な声をもっと上げさせるために、彼らは煌めくものを振りかぶった。
頭の上に痛みが走る。馬に蹴られたような、強烈な痛みだ。
焼けた鉄を肌に押し付けられたような、悲痛な声が聞こえた。その声にびっくりして、目を開く。
「おぬし、何者じゃ?」
椅子に座った少年が私に問いかける。額が熱い。脳がとろけそうだ。
大切ななにかを見た気がした。忘れてはいけないし、今すぐに打ち明けなければならない何か。
けれど、その何かは泡のように消えていった。
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