どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「何がどうなっているのよ!」

 飛び起きると、そばにいたのは猫耳の生えた男だ。
 恐ろしいことにメイド服を着ている。見知らぬ男だ。猫耳メイド、しかも男。こんな姿をした奴、一度見れば忘れられないだろう。
 夢かと思って頬を引っ張ってみたが、夢じゃない。現実だった。

「ああ、やっと起きてきたね。待ったよ、凄く待った。君のせいで仕事に遅れが出たんだけどね? 気にしなくてもいいよ。僕は優しい男だし。はなおとめに無茶を言うような男ではないしね? でも、好意に浸かりすぎるというのも考えものかな? 君はどう思う?」
「遠回しに詫びろと言っていない? ……というか、お前誰?! はなおとめと呼ぶということはミミズクの仲間?」
「心外過ぎて吐き気がしてきたんだけど。どうしてそんなことが言えるわけ? はなおとめは自分に親切をした相手を精神的に甚振るのが好きなの? 心的強姦魔なの? あーあ。せっかく助けてあげたのに。僕が必死で手当てしてあげたのに。君のぐちゃぐちゃになった脳を治してあげたのにさ、そんなことを言って僕を辱めるんだ」

 な、なんだこのよくわからないぼやき男。姿からして変なのに、喋るともっと変だ。

「あ、あの。失礼なことを言ったのならば謝るわ」
「……そう? うん、いいと思う。素直さは善良さの証だ。でもあの出来損ないの末神の信者と思われるのは業腹だよ。神として出来損なんだよ? 大神が人の女の間に作った半神だよ?」
「末神? 半神……?」

 聞き馴染みすらない言葉だ。
 末神……末っ子みたいなものだろうか。
 半神は、この猫耳メイド男が言うのが本当ならば、神と人の間に出来た神ということか? そんな存在、聖書にはないし、そもそも女神カルディアと男神以外ほとんど登場しない。登場したとしても死に神くらいだろうか。
 天帝が半神というのも始めて知った。

「いえ、その前に貴方の名前を尋ねてもいい?」
「そりゃあいいけど、今までその疑問に至らなかった君は凄く凄く変だよ。次からはきちんと尋ねた方がいい。人間ってそういう面倒くさい生き物なんでしょう? 名前聞かないと無礼とか不躾なだとか言うらしいじゃないか。あいつに聞いたよ。ほんと、君達って愚かだよね」
「あいつ?」
「そうだ。僕の名前。そう名前が知りたいんだよね。僕は春の神。エルシュオン。あ、名前が言える。そうか、ここは親父様の時計の中で、世界の禁則事項に抵触しない。それに僕は既に離脱してるから制約が効かないのか。これは新たな発見だね」
「春の神、エルシュオン……」

 エルシュオンなんて神の名前、勿論聞いたことがない。そもそも、神様の中で名前が分かっている神はカルディアだけだろう。
 死に神は名が沢山あるが決まった名前がない。それは名前がないのと同じことだと思う。
 少し話しただけでもこの男が自尊心高いことが分かる。雰囲気的にはトヴァイスに似ている。あの男はもっと嫌味で、この男はねちっこい。

「あいつというのは僕の伴侶のことだね。太陽のように美しい男だが、口が煩くてね。うん? 僕は両性を持つから男だろうと女だろうと伴侶はどちらでも構わないんだ。いつか君にも見せてあげるよ。あれで面倒見がいい清族だから、はなおとめのことも助けるだろうし」

 さっきから会話がずれる。
 自己流を貫き過ぎて、会話をしているという気にならない。数年前の手紙を読んで返答されているような気分だ。けれど、彼の言葉は魅力的だった。
 なにせ、謎が多過ぎる!

「エルシュオンは神なのでしょう!? 伴侶は人間の清族なの?」
「女神、カルディア?」

 エルシュオンが饒舌な舌を休ませて、怪訝そうに尋ねてくる。
 伴侶の話に早く移って欲しいが、上手く誘導出来ない。

「女神というのは分かるが。あれだろう、男神と女神の。対になるはずだった神だ。けれど、女神カルディア? どうしてその名前で呼ばれるのか、見当が付かないのだけど。というかあの頭が恋愛脳の女神、まだどこにも行っていなかったの? 遅過ぎて笑いがこみ上げてくるんだけど。人間の世界じゃあ行き遅れって言うんだっけそういうのは。別に自由にすればって感じだけど、そうならそうでさっさと神の座から堕ちて妖精でもなればいいのに」
「妖精に、堕ちる?」
「産めよ増やせや人の子よと大神が叫んだように僕達にも僕達なりの規律が存在するんだよ。法とも規則とも言われるけど、この際言語上の軽微な差なんて関係ない。大神が望んだことを、神の子たる僕達は果たさねばならない義務を負っているんだよ。まるで英雄が産まれた時から英雄であることを義務づけられているようにね」

 大神からなんらかの命令が下されており、それが達成出来なければ妖精に堕ちるーー神性が失われるということになるのか。
 エルシュオンの言う通りならば、伴侶を持たないということも堕ちる要因になり得る。
 残念ながら、妖精に知り合いは一人もいないので全く……いや、待て。秋の妖精王と名乗った彼のことは見えたのだったか。

「伴侶の話を気にしていたね。まあ分からなくもないよ。交わり、増える。君達の至上命題だ。恋と愛で本能を着色して飾り付け、美しく清廉なものにしようとする。外面もいいしねえ。異類婚姻譚なんて、その美しさの最もたるところだ。人は見かけではなく、心の清らかによってのみ価値があるみたいな理想論、あいつも好きだしね」
「伴侶を得て、エルシュオンはどうするの? 話によると、私達が住む世界にいないような物言いだったけれど」
「当たり前だ。そもそもここは大神が作り上げた世界から外れている。ここは書物庫だよ。時計とも呼ばれている。大神が作り上げたこの世の歴史書が全て格納されているんだ。これを見て、僕達は新しい世界を作り上げる参考にしている。だが、この部屋にいる間はお返しとして仕事を手伝うことになっているんだよ。これが面倒くさいの極地でね。最悪最低。労働反対を訴えたくなる」

 初めて、周囲のことに意識が向いた。
 そこにあったのは本ではなく、皮だった。大きな一枚。動物の背の皮。
 そこにはびっしりと文字が書かれていた。
 読もうとして目を細めるが頭に入ってこない。文字が滑る。読めない文字ではないのに。

「この背の皮は虫食いが酷いんだよ。本質は強大な魔力の塊だから虫が集まってくるのはさもありなんなんだけど、文字が潰れれば、書かれた記述も書き換わる。すると世界だって変わるんだから困ったものだよね」
「世界が、変わる?」

 そうだ。さっきの光景はそういうことなのか。
 あれは両親の幼い頃だ。二人が死ねば、私が産まれてくるはずがない。
 それに、サンジェルマンの姿だっておかしかった。サンジェルマンが使っていた少年の人形は、屋敷の中でしか操れない筈。
 それに、獣人帝国アストロ。聞き覚えがない、国の名前だ。滅ぼされていたとしても、一度も聞いた覚えがないというのは変だ。
 さっきまでいた世界は、書き換わった世界というので間違いはないのだろう。

「ここに書かれた文字はどこまで記述されているの?」
「? 全てだよ。世界の全てが載っている。あらゆる事象、あらゆる歴史、その全てが記載されている。細かさはかなり差があるけれどね。大神は贔屓が激しくて、特に生物に対しては、愛されたものとそうでないものとの差が極端だ」
「この文字を変えれば、世界が変わる……」

 この記載をいじくれば、もしかしたら……。邪な考えが頭をよぎる。
 ギスランの余命を少しでも伸ばすことが出来るのではないか。いや、そもそも、短命だという清族という存在次第……。

「弄ろうと思っているのならばやめた方がいい。はなおとめ、君が願えばそりゃあ大神も嫌だとは言わないだろうね。だが、代償として君が大神のものにならなくてはならない。言っておくが、これはたぶんなんていう希望的観測じゃない。確実にそうだ。そもそも、君の頭のそれは、大神の寵愛の証だ。大神はもともと君を自分のものにするつもりだったはず」

 頭のそれといわれ、髪を触る。
 ぎょっとした。
 大輪の花が咲い咲き乱れていたからだ。大きな花弁が、先端がぬめついた雌しべが、さらりと手に粉をつける雄しべが、まるでここに来れたことを寿ぐようにみずみずしくそこにあった。

「ど、どうして? たしかに薬を飲んだのに。小ぶりの花が、こんなに育ってる!」
「そりゃあ、それは育つでしょう。君のなかの魔力回路がそれを望んでいる。なにを服用したかは知らないけどさ、急激な魔力抑制は、君の体には逆効果だよ。大神は君の凋落を見過ごせない。君が堕ちることを見逃せない。そもそも、今までその姿ではなかったってことが、大神にとっては屈辱以外の何者でもなかったと思うよ。大神が直接寵愛を与えたのは君以外ほとんどいないのだからね」
「何を言っているのかさっぱりよ。そもそも、大神なんて知らないもの。この花だって、この間突然現れたばかりなのに」
「それは『冬』が君の花を食ったからだ。卑しい身でありながら、差し出されたものを食べやがって。妖精に身を堕とした、奴の気がしれないよ。本に夢中になり過ぎて伴侶が選べなかったなど、神として失格だ」

 怒り心頭なエルシュオンに頬が引き攣る。この怒りよう、そして『冬』という聞いたことがある名前。
 ……そうだ、蘭王の口から出た言葉だ。
 幼い頃、私は『冬』に花を与えたのだろうか。そしてその返礼に、『冬』は蘭王を通して本を差し出して来た。
 その記憶は全くないし、幼い頃の私はこんな花お化けだったとは初耳だが、エルシュオンが言うことを信じればそうなのだろう。
 頭が混乱する。私は神に愛された特別な存在だとでも言うつもりなのだろうか?
 ただでさえ、王族という特別は、重圧なのに。

「エルシュオン? 一体誰と話しているのだろうか」

 こつこつと靴音を響かせ、青年が現れた。
 春色の温かな髪。綺麗な黄色の瞳。耳が長く尖っていた。
 怜悧とした瞳を湛えている。
 具体的には説明が難しいのだが、清族だと思う。肌感覚で分かる。纏う雰囲気がトーマやヴィクターとそっくりで、浮世離れしている。

 最初に驚いたのはその瞳の色だ。私が知る清族は殆どが澄んだ紫色の瞳をしている。紫でなかったとしても寒色系で、ここまで温かみのある色じゃなかった。
 次に驚いたのはその格好だった。

「――騎士、様?」
「っ! エルシュオン、こちらのご婦人は?」

 白金の鎧を身につけ、シルクのマントを羽織った彼は童話に出てくる騎士そのものだった。
 マイク兄様が一度だけ正装した姿を見せて下さった事がある。白い薔薇が咲いたような美しい姿だった。
 彼の衣装はマイク兄様のものそのものだ。純白の騎士、そのもの。
 春色の瞳が見開かれる。どうしてこんなところに人が。そう言わんばかりだった。

「ユリウス、一度話をしたことがあったよね。はなおとめだ」
「はなおとめ……? ああ、あの」

 ユリウスと呼ばれた騎士は居住まいを正した。育ちがいいらしく、礼をする姿は様になっていて美しい。

「ご無礼を。騎士として礼を失した格好で御前に……。申し訳ございません」
「礼も何も、この何百年僕以外と接していないのだから無理もないでしょ。人間って面倒だよね。上下関係なんてものを構築して。神様だけ崇めてればいいのに」
「何百年……ってどういうことなの」
「ご存知ではないのですか?」

 ユリウスは春色の髪を耳にかけながら問いかけた。
 騎士としてこちらを敬うユリウスに敬語を使うのもおかしな気がして、いつもの通りの口調で喋ってしまう。

「『聖塔』に寵愛の子はいないのでしょうか。今期の神はーー」

『聖塔』? どうしてその名前がここで出てくるのだろうか。だってそれは平民が掲げる新聞の名前だ。

「少し事情があって、まだ女神のままだよ。でも、なんか変なんだよね。女神カルディアなんて呼ばれているらしいし」
「女神カルディア? 私がまだ人だった時、かの神はメリル、エシミア、ソルフーユ、エキドナ、リナリナ。そのどれかの名で呼ばれていたが。カルディアという名は寡聞にして聞いたことがない。はなおとめ、失礼ながら貴女はライドルのご出身ではないのですか?」

 ユリウスがまだ人間だったとき、女神には多数の名前があったのか!?
 それに、名前の中で一つだけ、知り合いの名前があった。いやと否定する自分と、まさかと論理的に思考しようとする自分とが戦う。
 私はリナリナの名前しか知らない。
 彼女は自分の家名を名乗らなかった。ただ、リナリナとしか。あのときはただ幼いからだとばかり思っていた。だが、違うのか?

「ライドル王国の王女よ、これでも。ユリウスはライドル生まれ?」
「はい、生まれも育ちもライドルです。ライドル王国第24代国王、マケド国王陛下の治世に生まれ、17歳のときに王国騎士の任を与えられました。その後、寵愛の子であると認められ、『聖塔』に」

 マケド国王陛下、か。聞き覚えがあるような、ないような。激動の時代ではなかったのだろう。国王の知名度は、戦争か政治か、どちらかで荒れなければ上がらないものだ。

「さっきから言っている『聖塔』ってなに?」
「王都にある天を衝かんばかりの塔です。神の塔とも。王都にはそのようなものはありませんか?」
「いいえ。『聖塔』という言葉はあるけれど、それは新聞の名前よ」
「新聞というのはまた難儀な……」

 頭が痛そうに額を押さえる。ユリウスも、大衆雑誌に踊らされた経験があるのかもしれない。

「その『聖塔』で、何をするの? 想像するに、建物なのでしょうけれど」
「何をする、というものではありません。『聖塔』は容れ物なのです。寵愛の子を入れるための」
「……寵愛の子は神に選ばれた人間という認識で合っている?」

 慎重に確認する私に、ユリウスは真剣な顔をして応えた。

「より正確にお伝えするならば、神々に選ばれた、でしょうか。私の場合、ここにいるエルシュオンの子でした」
「僕が選んだ僕の子なんだー。いいでしょ? 羨ましいでしょー? 絶対あげないけどね」
「エルシュオン、あまりちょっかいを加えないでくれ。説明の腰が折れる」
「構わない、ユリウスが悪いんだけど。なんで僕が反省しなきゃいけないんだよ。理不尽すぎて神罰執行したくなる。これはユリウスのせいだ」

 伴侶と言われて戸惑う部分もあるが、これは伴侶というよりは仲がいい兄弟のようだ。見ていて微笑ましい。

「選ばれた子は『聖塔』に隔離されます。エルシュオンは当時、ライドル王国の主神でしたので、私は寵愛を妬む者から執拗に命を狙われていました」
「……ライドル王国の主神?! 女神カルディアではなくて?」
「はい、この春の神エルシュオンでした。あと、申し訳ないのですが、女神のことは女神と読んで下さると嬉しいです。カルディア、という名前に馴染みがなく……」

 要求にこくりと頷きながら整理する。
 ライドル王国はもともと、女神ではなく別の神が主神だった。
 例えば、エルシュオンのような。
 彼らは気に入った人間を見つけると、寵愛の子にするのだろう。寵愛の子はつまり伴侶になる人間のこと。
 女神カルディアは、ユリウスの言葉をそのまま捉えるならば、その持ち回り制でたまたま主神に据えられているだけということになる。

「その、ユリウス以外にもいたの? 選ばれた子は」
「――いました。エルシュオンは多情な神です。私のほかに五人。争いが起きました。残ったのがこの私です」
「多情な神だと睨まないで欲しいな。僕だって一人っきりがよかったけど、人は僕に、移り気で、華やかで、豪気を望むだろう? それで殺し合われるんだから困るよ。僕のせいにしないで欲しいな」

 ユリウスがエルシュオンに向ける眼差しが凍えた。このことについては互いの間で認識にズレがあるのだろう。
 そして、そのズレは直せないものなのだ。神と人。
 伴侶、か。

「ユリウス、でも私の時代には、『聖塔』はないの。それに、寵愛の子もいない。これはまだ選ばれた子がいないから? でも死に神はもうすぐだと言っていた。言っていたような気がする。もうすぐ世界が、彼のものになると。彼の時間でということなのかしら?」
「そんなのユリウスが知るわけないだろ」

 エルシュオンは突然、そう言って突き放した。
 目を白黒させながら、ぴょこぴょこと動く猫耳に惑わされる。

「ユリウスに死に神の名を出すなんて、はなおとめでも許せないな。許せないよ。あの神は僕らとは何一つとして関係ない。関係しちゃいけない。ユリウス、何もきかなかった、いいね」

 過剰とも言える反応に驚いたのはユリウスも同じだった。
 春色の髪を傾けて、私を睨み付けるエルシュオンを覗き込む。

「どうしたのだろう。君が過剰に反応するのは珍しい」
「過剰じゃないし、この話は終わり。別の話に行って。地下に住む神様出てこない話がいい。僕の話とかどう? 幸せになれること請け合いだよ」

 エルシュオンは本気だ。そうしなければ、諦めるまで邪魔してやると顔に書いてある。

「ええっと、じゃあユリウスは、清族なのよね?」
「懐かしい響きです。はい、階級は清族でした。心が弾むような、軋むような、妙な心地です」
「私の時代では、騎士の清族は稀だったから、お前の姿は意外に映るわ。ユリウスの時代では普通だったの?」
「ええ。むしろ、騎士にならないものの方が少なかったぐらいです」
「でも、その……日差しの元に出たら『乞食の呪い』が」

 ん? とユリウスは可愛らしく首をかしげる。
 この清族騎士、疑問に思ったときの仕草がいちいち可愛らしい。

「日陰にいれば、では? 現に今、呪いが発動しています」

 ――!
 やはり、こういう認識なのか!
 予測はしていた。予想は合っていたのか。

「私達の時代の清族は日向にいるときの姿を呪いと呼んでいるの」

 ユリウスが盛大に顔を顰める。
 それはまるで、サンジェルマンが私達のことを罵るときのような、歪な優越感の発露のようだった。

「サンジェルマンーー私に、異形こそが普通だったと教えた男は屋敷の姿をしていたわ。ユリウスも本当はその姿ではないのね?」
「勿論です。それにしても、屋敷の姿をしている人というのは初めて耳にしました。そのような方もいらっしゃるのですね」

 深く感銘を受けたように、ユリウスは蕩けるような声を出す。
 ユリウスの生きた時代でも、サンジェルマンは規格外な男だったらしい。しかも、受け入れられている。
 認識が、ズレる。歴史が移ろうように、人間も変化している。

「私は山羊の姿をしております。この姿でも、目を覗き込んでいただければ、瞳孔が違うとお気付きになると思いますが」

 どれどれと覗き込もうとしたところを、エルシュオンに止められる。さっきから邪魔をしてくるな……。

「エルシュオン……。申し訳ございません、はなおとめ」
「いや、いいの。私も婚約者がいるのに顔が近過ぎたわ。エルシュオンに不義理をしてしまった」
「いや、ほんとそう。僕が怒り狂ってないのは君達が天然ぽいふわふわした空気をして仲良くしているからだからね?」
「ふわふわなどしていない。いつも屹然と振舞っているつもりなのだが」

 そういうところだよとエルシュオンの顔に書いてあった。神様だというわりに、全体的に人間味がある。
 ユリウスはエルシュオンを軽く睨みつけ、再度私を見遣った。

「一応、耳も名残がありますが……。こちらは、より呪いが色濃く出てしまっていて、長さが短くなっておりますね」
「そ、そういう認識になるのね」

 そっとエルシュオンに目配せする。
 猫耳の神様というのはユリウス的にはどういう判定になるのだろう。紛い物か、それとも可哀想な半端者か。
 メイド服なのも変よね……。
 いや、猫耳で、メイド服で男なのはいいのだ。個人であれば。
 ただ春の神様を自称するエルシュオンがその出で立ちなのは涜神の域ではないだろうか?
 なぜ、この神、こんな格好を?

「あのね、ユリウス、お前の生きていた頃、清族はどれぐらい生きたかしら」
「それは寿命ということですか?」
「私の時代の清族は短命なの。私の婚約者は、清族の血をひいていて、成人できるか出来ないかと言われている。呪いを抑制する薬を服用しているからではないかって、考えていたのだけど」
「成人出来ない? それは痛ましいことだ。私の両親は五百歳を越していました。私も、百歳をようやく越したというところで」
「え?」

 五百歳?
 桁が間違っていないだろうか。

「どうかされました?」
「百歳を越えているの、ユリウス」
「百と六歳です。正式には。エルシュオンと一緒にいるのでそれに数百年足すことになりますが」
「す、凄く長生きなのね」
「そうでしょうか? 先ほども言ったと思いますが、両親はもっと生きていましたよ?」

 規格外だ。これは時代の差なのだろうか。
 種族の差か?
  皮――外見の差?
 清族がもともと短命ということではなかったのか?

「なら、やっぱり、服用をやめさせればいいの? でもギスランはかなり難色を示していたわね……」

 トーマに聞けばと言われたが、他に知る方法がないものか。
 視線を、神の背の皮に向ける。この世の何もかもが書かれた不可思議な書物。ここに書かれていないだろうか。

「そうだ、予言書。この神の背とは違うけれど、予言書がいるって聞いたの。それについてユリウスは知らない?」
「予言書、ですか?」
「ええ、人の形をとることもある、大神の力を能力を受け継いでいる存在だって」

 ユリウスは考え込んで、何か思い出したように目を見開いた。そしてゆっくりと唇を動かそうとしたーーその時。

「はなおとめ」

 頭の上からそれは降り注いだ。
 甘く、優しい玉音。蕩けるような至高の声に、瞠目する。
 エルシュオンもユリウスも、膝をついていた。声の威光にひれ伏すように。
 気がつけば、周囲が光の粒で照らされていた。
 目が焼けるような光源。目を細め、首を竦める。
 はらりはらりと羽根が落ちて来た。触れると、雪のように溶ける。

「はなおとめ」

 エルシュオンも、ユリウスも、姿が見えなくなる。
 目の前にいたのは赤髪の美青年だった。
 彼は私の手を取ると、ゆっくりと指先に口付けた。

「――貴方は」

 会ったことはない青年だ。
 どことなくリストに似ているけれど、知らない顔だ。整っているけれど、冷たくて、完成され過ぎている。
 けれど、胸が疼く。知らない顔だと拒むことができない。懐かしいと感じる。

「花は、好きですか?」

 口が勝手に動いた。口を、閉じたときに気がついた。目の前が滲んでいた。
 知らないはずの彼に会えたことが嬉しくて、悲しくて、涙を流していた。
 慚愧の念が湧いてくる。
 彼はなにかを好きになったりしない。
 花も、空も、星も、彼が育てたはずなのに、彼は無感動にそれらを見つめる。感嘆するほど美しいものだと感じない。
 心が凍ったまま、動かない。
 私は彼を知っている。心の核になる部分が叫んでいた。

 彼の答えはなかった。
 体の力が抜けていく。ユリウスの声が遠く聞こえる。
 萎んでいく自我が泣いている。
 花を好きになって欲しかった。
 神々の宴会を開いて、楽しむ彼を見たことがある。笑顔で進められた酒を飲み、言葉を交わしていた。
 そんな風に、会話をしたかった。
 ただ、見つめられ、感情のこもらない寵愛を与えられるのは嫌だった。

「はなおとめ。――どうして、花は枯れる?」

 花が枯れる、理由。
 ――それは。





 目が覚めたのはガラスが割れる音がしたからだった。
 目を開けたと同時に、ギスランが体ごと私を目を塞ぐ。

「じっとしていて下さい」

 人の足音がした。大きな音。打撃音。そして、濃厚な血の臭い。
 体が熱を帯び、痛みを発している。ギスランに眠らされてそれほど時間が経っていないようだった。

「こ、れは」
「カルディア姫はただ目を瞑って、耳を塞いでいて下さい」

 エルシュオンのことも、ユリウスのこともきちんと覚えていた。最後に会った美しい赤毛の男のことも。
 あれは、夢だけど、夢ではない。感覚的にもそう思うし、なによりずっしりと重い髪がそう伝えてくる。
 最後に花が枯れる理由を尋ねられた。答えようとして、答えを持たなかった自分に気がつく。あのまま続いていたらどんな答えを私は導き出していたのだろう。

「血の臭いが」
「子守唄を歌って差し上げる」

 有無を言わさず寝かせようとするギスランに苦笑しそうになる。
 遠くで剣戟の音が聞こえる。血の臭いは濃くなるばかりで、一向に風が彼方へ運んでくれる気配がない。
 殺し合いが敷地内で起こっているのは明白だ。流れ弾が、硝子を割ったのだろう。
 イルが出ているのだろうか。いつもならば有事の際に現れるあいつの声が聞こえない。

「これは悪夢です。もう一度お眠りください」

 再び目の上に手を乗せられる。
 けれど、残念なことに、眠気はやってこなかった。
 人が死ぬうめき声を聞きながら、ずっと耐えた。
 朝がやってくる。
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