どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 ギスラン・ロイスターの父親。ロイスター公爵。ダンの妹に惚れて、無理矢理自分の妻とした貴族。貴族界で絶大な権力を持ち、大四公爵家筆頭と目されるロイスター家を束ねる男。
 会ったことは指を折る程度。それもただの挨拶のみで、深く話をしたことはない。
 私は彼を軽蔑していたし、公爵自身も、私に対して興味はなかったようだった。

「挨拶」

 ギスランがレオン兄様と縁を繋ぐように、私はギスランの両親と縁を繋げることになる。
 正直気乗りはしない。ギスランを辛辣に扱っている彼らと仲良く出来ない。

「父が是非ともと言っておりまして。正直、あの男の元にカルディア姫をお連れするのは心が痛むのですが。あれでも我が家の当主ですので」
「挨拶するのは構わないけれど。……お前もいくつもり?」
「ええ。顔を出せと言われています」

 暗澹とした気持ちが広がる。
 この男とともにロイスター卿に会いにいく。どんな風になるか予想はつかないが、ろくな目には合わないだろうことだけは分かる。
 私がではない。王女たる私に、無礼はないだろう。ただ、ギスランに対しては違う。
 ロイスター卿はギスランに容赦がない。
 子供を鞭で躾けるように、叱りつける。
 まるで獣扱いだ。

「大丈夫ですよ、カルディア姫。父と会うのは慣れています。母が正気かどうかはまた別の問題ですが」
「……お前がいいなら、いい。一緒に行きましょう。でも、挨拶は早めの方がいいんじゃないの?」
「疫病対策は父が担当することになりましたので、その関係で今は難しいと思います」

 そうか、ギスランが眠っている間、コリン領の管理は公爵が行なっていたのか。
 元を正せば、親族が管轄する土地。代理が不在では始末が悪い。だからこそ自分で担当したのか。

「結婚式の一ヶ月前ほどがよろしいかと。清族達が作る疫病に対する特効薬も、同時期に完成すると聞いております」
「特効薬ね。彼らの研究の結果が報われると良いのだけど」

 今は祈るしかない。疫病が王都にまで蔓延したら、結婚式どころではなくなる。

「……コリン領の被害はどのくらいなの」
「甚大です。死体は焼却処分しか出来ませんでした。水葬を行えば、病原菌が水を犯し、地に住む者全てに牙を剥いたでしょうね」
「……そう。せめて厚く弔ってやりたかったわね」

 目を伏せ、黙祷を捧げる。
 女神よと祈らずにはいられなかった。
 病死はやるせない気持ちになる。流行病は対処のしようもない。
 ただ、特効薬が出来るのを待つことしか出来ない。

「薬といえば、イルから聞いたのですが、本当に呪いを消すための薬を飲むおつもりですか」
「ええ、そのつもりよ」

 イルには前もって告げていた。熱心な護衛はきちんと主人に報告したらしい。

「無謀なことをお考えになりますね。いいではありませんか、カルディア姫の髪は神秘的です」
「お前、さっきと言ってることが違うわよ。……だいたい、流石にこのまま過ごすわけにもいかないわよ。衆目を集めるし、悪目立ちしそう」
「ケープを被られてはいかがですか。トーマのようにローブでもこの際構いません」
「やけに止めるわね。凄く痛いという話は知っているわよ」

 ギスランは左右に首を振った。
 まるで、痛いだけではすまないと言うように。

「誰の言か知りませんが、そのものは経験したことがないか、痛みに鈍いか、狂人です。心臓を鷲掴みにされ、取り出されるような痛みですよ」
「…そんな、ノアは歩いて見せたわよ。自力で」
「規格外な精神力の強さですね。失神してもおかしくはないのに。発狂して、檻の中にいる者も過去にはいたのですよ」

 それは初耳だ。一ヶ月は寝込むというような話は聞いていたが。トーマもヴィクターもそれを知っていて薬を飲めと言っていたのか?

「薬が改良され、そういうのは減ったのでしょう? トーマは気軽に飲めと言っていたわ」
「トーマは貴女様が発狂してくれた方が都合がいいのでしょうね」
「がみがみとやかましくないから? あの男……!」

 嫌味を言いながらせせら笑うあの男の姿が目に浮かぶようだった。

「危険が付きまといます。それでも、戻りたい?」
「……ええ。レオン兄様に挨拶をしに行かなくちゃいけないもの。ケープやローブを被っているわけにはいかないでしょう」
「………………。ならばせめて、ギスランがお守りいたします」

 長い沈黙のあと、ギスランが嫌々そうに頷く。
 ギスランの胸の上に手を置く。
 服の上からなのに、肋骨の位置が分かった。

「そのためにお前のところに来たのよ。手ぐらい握っていてよ?」
「はい、カルディア姫」

 しばらく二人で話をした。たわいもない会話だったけれど、とても楽しかった。ギスランは珍しく聞き役で、私がサンジェルマンの家に行った時のことを話したのだ。
 ギスランは凄く興味深そうに、それでいてどこか悲しげに聞いていた。
 仲間はずれにされたと思って拗ねているのかもしれない。
 そんな、おめでたいことを、その時は考えていた。
 使用人が薬を持ってきた。ギスランに中身を確認してもらい、ぎゅっと握りしめる。
 ゆっくりと瓶の中身を傾ける。
 流れてくる液体が喉に入った時、焼けるような痛みが走った。

「――――っ!」

 鼻から入る息さえ痛い。
 なんだこれ!? まるで硫酸を飲み下したようだ。喉の奥がぶくぶくと膨れていくのが分かる。
 風邪をひいて喉が腫れている時と同じだ。
 立っていられなくなり、座り込む。絨毯の感触が、肌に刺さるようだった。
 ギスランが腕を伸ばし、私を抱えあげる。生温い体温が、汗ばんだ皮膚の不快感に似ていて振り払いたくなる。
 だが、そんな余力はどこにもなかった。足元に力が入らない。
 こんな満身創痍な状況で、ノアは自立歩行していたのか。あの男、やっぱり化け物の類だ。いくら痛みを感じにくいからといって精神力だけでどうにかできる次元じゃない。
 体が作りかえられていく。光を浴びただけで変わった癖に、元に戻すには忍耐と痛みに打ち勝つ精神力が必要らしい。
 最悪な呪いだ。
 唾液が唇から溢れる。顎の筋肉が言うことをきかない。ギスランが溢れたものを舐めたような気がするが、気のせいだと信じたい。
 急に頭の中に虫が湧いた。ぶんぶん音がする。視界が羽虫で覆い隠されると、顔にひたりと虫の足が乗った。ぞわぞわと鳥肌が立つ。

「妖精の悪戯です。気をしっかり」

 虫達を剥ぎ取りたいのに指が動かない。想像を絶する辛さだ。
 何一つ体の自由がきかない。
 寒気がしてきた。頭からつま先まで、血の巡りがなくなったように冷たい。

「ショック状態のようですね。少し眠らせます」

 ギスランの声がぼんやり聞こえた。額に重たい鉛のようなものが押し付けられる。
 頭の中に何かが流れ込んでくる感覚がして、目の前が真っ暗になった。


 再び意識が浮上したとき、私は草原が見える馬小屋から、太陽を見上げていた。
 しばらく歩くと、人に出会った。話しかけても反応しない。
 そもそも、私が見えていないようだ。夢の中の出来事のようだった。

 私が出会ったのは少年だった。彼の後をついていくと、積み上げられた煉瓦の壁を椅子代わりにして、少女が本を広げていた。
 タイトルは『王様と乞食』だ。
 少年は躊躇いなく、隣に腰掛けた。

「また、そんなものを読んでいるの?」

 少年はからかうように少女の顔を覗き込む。

「ザルゴが読んでいたからだろ」
「……悪い?」

 少女は大きなお世話だと言いたげに眉を顰める。
 少年は美しく、少女は醜かった。少なくとも、少年と並ぶと見劣りする。

「どこがそんなに好きなの? 僕には良さが全く分からないよ」
「別に、言う必要ないでしょう」
「想い人だっているんだよ。だから君の告白をまともに取り合わない」

 傷ついたように少女が唇を噛む。
 彼女は藍色のドレスを着ていた。頭を飾るリボンの色も同じ色だ。野暮ったくて、記憶に残らない、そんな少女だった。

「……そんなの、知ってる」
「君って被虐趣味でもあるの? よくもそんな恋に身を投じられるね」

 一方、少年の方は違う。利発そうな顔つきで、背丈も子供にしては高い。成長期になればぐんぐんと背が伸びることは間違いないだろう。きっちりと着込んだ乗馬服がよく似合っていた。
 少女は陰で、少年は陽。まるでそう運命付けられているように真逆だ。

「別に、貴方には関係ない話でしょう」

 少年は少女の言葉に少しだけ傷付いた顔をしたが、すぐに取り繕った。まるで仮面でも被るように。

「それはそうだけど。賢明な判断を期待しているだけ」
「……グランディオス殿下。貴方もこの頃読書に勤しんでいると聞くけれど、いったいどんな本を読んでいるの」

 よそよそしい雰囲気をかき消すように、少女は目を見つめて尋ねた。少年は照れを隠すように早口になる。

「アカシアの年代記に関する考察だよ」
「アカシア? そんな国あったかしら」

 首を傾げた少女のことが面白くなり、くすくすと笑う。
 むっと睨みつける目を見つめ返して、グランディオスと呼ばれた少年は立ち上がった。

「アカシアは国の名前じゃない。概念の名前だよ。過去、未来、現在、全てを刻む永遠の砂時計。あるいは、無限に繋がる絵画、かな」
「もう少し詳しく言ってくれなくては困るわ。全く理解できないんだもの」
「思ったことはない? この世は全て神が作ったシナリオ通りに動いているのではないかって」

 手を引かれ、少女が立ち上がる。
 二人の体は重なり合うように近付いた。

「宿命論?」
「そうだね。そう言われることもある。我らの女神が舞台を用意し、我々が踊る。そのための脚本のことを、清族達の一部はアカシアの年代記と呼ぶんだ」
「アカシアはイーストンにある女神の聖域の名前ね……今思い出した」

 イーストンの大神殿。その奥に存在する不踏破の地である。聖域の中にあるため、聖獣が四六時中住み着き、人を寄せ付けない。

「概念的には女神の上位種に書かれたものだね。女神カルディアの生まれや生い立ちもアカシアの年代記には書かれているとされているから。……カルディア教団は女神の上をあまり作りたがらないから、体裁を保つために名前だけはカルディアに関連させている」
「国教の世知辛いところね。それにしても、どうしてそんなことを? 国政と何も関係ないじゃない」
「僕は王にならないから、政なんて知らなくていいんだよ」

 きっぱりと断言するグランディオスに少女はため息を吐いた。

「正妻の子で、しかも王太子の貴方がどうやって王になるのを回避するのよ」
「弟がやればいい。あの子はやりたがっているようだし」
「奸臣に唆されてでしょう? リヒテルに一目惚れしてから、貴方への対抗心も芽生えてしまったようだし」
「だからこそ、リヒテルからの好意含めあいつにあげるよ。僕はリヒテルが嫌いだ。顔が好きじゃない」

 リヒテルという名前に頭蓋骨が軋む。
 綺麗な名前なのに、まるで悪い魔女のような女だと思わずにいられない。

「あの子の顔、綺麗なのに。国の華と呼ばれる美少女よ? くらりともしないの」
「あいにくと、好みじゃない」

 にべもないグランディオスに少女は嘆息する。
 少女の従姉妹か、姉妹か。どちらか検討がつかないが、親類であることは確かなようだ。ため息をつく顔には憂いがあった。

「兄様も貴方には期待しているのに。良き王になれる逸材だと言っていたわよ」
「持ち上げてくれるのは嬉しいけど、僕は政治に興味がないんだ。民草なんてどうでもいい。いい感じに生きて死ねばいいじゃないか」
「王族の言葉とは思えないわね」

 再び大きなため息を吐いて、少女は広げていた本を閉じた。

「それで? どうしてアカシアの年代記の考察を読んでいたの?」
「少し、考えていたことがあってさ。ま、杞憂だとは思うけど」

 遠い空へ視線を投げ、グランディオスは腕を組んで思案する。

「全てが定められているって考えると少し心当たりがあるような気がしてさ」
「心当たり?」
「このあいだの大戦だよ。開戦のきっかけは、ライドルの外交官、グンダーラが子供を馬車で轢いた事件がきっかけだった。今は亡き獣人帝国アストロはグンダーラを首だけの姿にして送り返してきた」
「明朝、国王陛下はザルゴに中隊を率いらせ、緩衝地帯を掌握。そこを拠点とし、王都アストロに進軍したのよね」
「だけど、たかたが子供を轢いたぐらいで、他国の外交官を首だけの姿にして送り返してくる?」

 たかたがと言い切ったグランディオスに、呆れ返った様子で、女が首を振る。

「誰もが貴方のように冷血漢ではないのよ」
「でも馬車で轢かれたのは貧民の子供だった。戦争を起こして、無辜の子供達が戦争に駆り出されるような悲劇だったのかな?」
「……誰かによって、仕組まれたものだとでも?」
「もしかしたら、アカシアの年代記に記されているのかもしれないね」

 不謹慎な軽口に、しかし少女は気がついたようだ。グランディオスが一体何を懸念しているのかを。彼がアカシアの年代記についての考察を読んでいた理由が、私にもわかる気がした。
 アカシアの年代記のように誰かが世界の大勢を操っているのではないかという陰謀論めいた懸念だ。

「そんなわけないでしょう。貴方が思っているように世界は偽善や策謀だらけではないのだから」
「そうかな?」
「そうよ。そんな戦争と陰謀説をくっつけている暇があったら貴方が今度口説くアルジュナのお姫様のことでも調べたら? 国の規模、文化的な成熟さが違うとはいえ、貿易している国の中でもっとも恩恵が大きい。王族同士の結婚はお互いの国の活力ともなるわ」
「国の為に結婚するのは別に構わないけれど……」

 傷ついた瞳を浮かべるのは二回目だった。
 二回目ともなれば流石に分かる。
 グランディオスは少女のことが好きなのだ。気をひきたくて、でも言葉では伝えきれていないのだ。
 身分差があるのかもしれない。王族は王族と結婚する。グランディオスは王太子で、少女は貴族のようだ。王子に目通りが叶う位の子供なのだろうが、王族の伴侶となるには階級が足りない。
 しかも少女には想い人がいるようだ。不毛な感情を悶々と抱えているのだと思うと微笑ましくなってくる。

「あははははっ! なんじゃなんじゃ、おぬしら、まるで仲睦まじい番いの鳥のようではないか。可愛らしくて、喉を潰せばすぐに生き絶えてしまいそうじゃな!」

 ――二人の間に一つの影が落ちる。それは、子供の影だった。それなのに、二人を覆い尽くすほど存在感があった。
 グランディオスは少女の前に出て、影を睨み付ける。彼の額から汗が滴り落ち、ポタポタと地面に染みを作った。
 それぐらい影は圧倒的な威圧感を放っていた。
 人ではないと、グランディオスは肌で感じているようだった。

「小鳥達よ、儂は『カリオストロ』の信徒。お主らを殺せば、教祖となれるらしくてなあ。長い余生の暇つぶし、神のように讃えられるのもよいかと思ってしまったのじゃよ」

 影は武器になりそうなものは一つも持ってはいなかった。
 それどころは丸腰に近い格好だ。貧民が着るようなボロ切れのシャツとズボン。
 それでも殺気は本物だ。冗談のような口振りの目の前の人影が二人を害そうとしているのだけは感じ取れた。

「逃げて!」

 少女の名前を呼びながらグランディオスは護身用のナイフを懐から取り出す。だが、遅かった。
 影はグランディオスの頭上を優雅に歩くように飛び越え、そのまま少女の首をへし折った。
 血が噴き出して、グランディオスの顔を真っ赤に染め上げる。
 べとべとの血がだらだらと彼の頭から滴り落ちる。
 目にも留まらぬ早業で、首を捻られ、人が死んだ。

「ほら、簡単に折れたじゃろう?」

 けたけたと影が笑う。まるで、人形が壊れたと告げる無邪気な子供だった。
 悪いことなど一つもしていないというような無垢な少年。
 グランディオスは雄叫びを上げてナイフを構え駆け出した。
 悪鬼のような表情で突進し、――あっさりと躱される。
 影は上へ飛び上がり、そのままグランディオス目掛けて落ちてくる。空中の敵に気付かないまま、グランディオスの首が折れた。
 力をなくし、体が倒れる。
 首の骨が皮膚を突き破って、露わになる。
 影はーー小さな白い肌をした少年は紫色の髪をかきあげて、手応えのない結果に肩を竦める。
 やがて何を思ったのか手で胴体から首を引きちぎり、血管を切り取りながら天高く掲げた。

「これぞ、王族の首。次期国王の首! さあ、城門にでも飾りにいこうか?」

 強烈な死の臭いが充満する。虚ろな目をした少年の首は悲惨なぐらい鮮明に目に焼き付いた。
 なんだ、これは! これは。いや、待て。そもそもここはどこなんだ?
 グランディオスは私の父の名前だ。それにあの少女。さっきまでは気がつかなかったが私の母親ではないのか。
 私はギスランの部屋で薬を飲み干したはず。どうしてこんな馬小屋の近くで、二人のことを観察していたのだろうか。

「あっれえ? これってやばい流れじゃない?」

 声とともにぱちんと空間が捻れ、歪む。
 穴に吸い込まれるように、落ちていく。
 落ちていく体を無理矢理起こし、今なお首を勲章のように掲げる少年を見た。
 血の海のなかで笑っているのは確かにサンジェルマンだった。
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