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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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私の男を久しぶりに見て、何故だか泣きたくなった。
相変わらず、何もない部屋だ。でも、この部屋にはギスランがいれば満足だ。豪華な家具や華燭はいらない。
ただ、この男が生きているだけで安心する。
近付いて、ゆっくりと口付けた。してしまったあとに、積極的過ぎる自分に慄く。
どうしたんだ、私!
こんなはずじゃなかった。もっと、真面目な話をしに来たのに。これじゃあ、色狂いとなにも変わらない。
「……カルディア、姫」
顔を離すと、真っ赤になって泣きそうなギスランが私を潤んだ瞳で見つめていた。
一気に顔が火照る。
「お酷い。これで私の機嫌を取ったつもりですか?」
軽く拳でポカポカ叩かれる。
力は弱かったが、ぽんぽんと叩かれるたびに、自分がやったことが現実味を帯びてきて、死にそうなぐらい恥ずかしい。
「ち、違う! お、お前が悪いのよ。会ったら口付けたくなったのだもの!」
な、なにを言っているんだ、私は!?
口を塞ぐ。不埒で、破廉恥なことを言わなかったか。
ギスランは、もう泣きそうなぐらい顔が赤い。私の顔もこんなに赤くなっているのではないだろうか。
「私が、悪い?」
「だって、この頃顔を見れなかったじゃない! 反動でこうなっても仕方がないと思うの!」
ああ……!
私の口、動かないで。喋らないで!
自分の口なのに、全く言うことをきかない。それどころか、命綱のように言い訳を吐いている。
「カルディア姫が、私を求めて下さった……! あと二回ほど同じような真似をしてもよろしい?」
「だ、だめ! もう、だめ! 二度とやったら許さないのだから」
ギスランの腕を掴み、首を振る。
顔を覗き込む。紫色の瞳は潤み、綺麗にカットされた宝石のように美しい。
「会ってくれないと、困る」
「……そう、ですか」
「そ、その。座っても、いい?」
こくりと頷くのを見届けて、寝台の上に腰を下ろす。ギスランの太ももがすぐ側にあった。
「その……。久しぶりね。ギスラン」
「はい。……イルから聞きました。沢山のものと交流も持ったと。従者も増えたのですよね?」
「テウに、従者になって貰った。お前を舞踏会で階段から突き落とそうとした奴よ」
「どうしてそんなものを従者に?」
ギスランの疑問は最もだ。
「嫌がらせのようなものよ。お前を殺そうとしたのだもの。私に人生を弄ばれるぐらいでないと割に合わないでしょう?」
「……慈悲をかけているの間違いでは? 私の手のものがいずれ殺す算段をつけていました。それを見咎めたのでしょう? 顔見知りが死ぬと分かり、いてもたってもいられなくなったはずだ」
「お前はそう思うだろうけれど、違うわ。……私はあいつを許すことはない。許さないことで、そのことをお前に証明するわ」
「だが、あの男と笑いながら食事をしていたのですよね?」
告げ口をしたのは十中八九イルだろう。
それにしても趣味の悪い男だ。テウと食事していたと知りながら、私と会おうとしなかった。
「そうよ。笑っていた。私はあいつに親しみを感じている。あいつも私に対して親愛の情を向けているわ。あいつは親族にも友人にも恵まれていない。人の情に飢えている。だからこそ、テウにとっては無限の苦しみになる。だってあいつを、私は恨み続けるのだもの」
愛と憎しみは両立する。それどころか、両輪のようにぐるぐると回りお互いの感情を加速させる。
テウを許さない。けれど、笑顔で共にいる。
ギスランは、ゆっくりと目を細めた。そして、私の手にその手を重ねる。
じんわりとした熱が、肌を通して伝わってくる。
「テウ、と名前で呼ばれるのも、カルディア姫と馴れ馴れしくするのも気に入りません。出来れば今でも殺したい。――でも、テウ・バロックに優しくするのは、貴女様への罰でもあるのですね?」
「そんなに自罰的な女に見える?」
「ええ。カルディア姫は、自分のことがお嫌いだから。テウへの評価はそのまま貴女様にも降り注ぐ。近いものが少なく、心を開くものも多くない。情に、飢えている」
近くから離れようとしたのに、ギスランの手に掴まれているせいで身動きが取れなかった。
「テウを罰しながら、自分も罰するとは器用なこと。……カルディア姫。貴女様は処刑人にはむかないようですね? あの男の始末を私に任せてくださる? テウなどという従者はいなかった。そう言ってくださるだけで解決します」
「そうはいかないわよ……」
拗ねたようにギスランが唇を尖らせる。いなかったといえば次の日にはテウは失踪していそうだ。流石にそれを許容することは出来ない。
「……とても、残念です」
そう言いながら、ギスランが私の髪にーー花に触れた。なにかを探るような視線を向けられる。
「トヴァイス・イーストンとノア・ゾイデックとの密会中に呪いにかけられてこの姿になったのだと聞きましたが、本当ですか?」
「色々あったのよ……。『カリオストロ』の信者に襲われて……。報告は受けているのでしょう?」
「そのためのイルです。『カリオストロ』は必ず排除します。残党すら残さない。けれど、そもそも他の男と一緒の部屋にいて欲しくない」
わかりやすい独占欲にきゅっと心臓が締め付けられる。
「特にあの二人は……カルディア姫と通じている。婚約者だからでしょうか? 気を許すような素振りがある」
「婚約者、だったよ。だいたいあいつらは二人とも既婚者よ」
「二人とも配偶者と上手くいっていないようですが? それに、カルディア姫はこんなに可愛らしいのです。魔がさすということも」
「ないわよ」
特にトヴァイスは「自意識過剰が激し過ぎて呆れを通り越して笑える」と嫌味を言われそうだ。
「あのトヴァイス・イーストンが? 自意識を拗らせて、取り返しのつかないところまで来ている男が、私に? どうしてあの愛人過多な男が私に魔がさすの?」
「……カルディア姫は、トヴァイス・イーストンのことを意識なさっておいでですね」
「お前がへんな疑いを向けてきたからよ。あの男と関係を疑われること自体心外極まりないわ」
ギスランがそっと目を伏せた。信じ切っていない様子だ。
トヴァイスにだけ過剰反応したのが悪かったのだろうか。
だが、ノアは掴み所が無さすぎて恋愛のれの字も想像できない。
「お前の懸念は的外れよ」
「……憎たらしいです。カルディア姫の御髪が、花に変わるなど、到底許されていいわけがない。守れなかったあの二人、縛り首にして晒してやりたい」
「無茶苦茶を……。それに、こうなって悪いことばかりじゃないわ。身になることを見聞きした」
勿論、火に飲まれるという代償はあったが、今まで表面化していなかった策謀の一端を見れた。
整理をつけるのは難しいが、一つ一つ丁寧に紐解けば、パズルの絵図が理解できる気がしてならない。
「それで? お前の覚悟は決まった?」
また仮死状態になり、少しでも長く生き長らえてくれると信じて、力を込めてギスランの拳を握る。
「カルディア姫はどうしても私に寝てほしいようですね? 男と密会なさるから?」
「違うわよ。というか、はぐらかさないで。……お前が眠るのが恐ろしいと思う気持ちはよく分かるわ。けれど、無理しても一日も長く生きていて欲しいのよ」
「たとえそうやって頑張っても、年を越えることが出来るだけでしょうに」
ギスランは私の気持ちをわかっている癖に、わざと嫌味な言い方で煙に巻こうとしている。
許せなくて、肌に爪を立てた。私の爪の形が皮膚に残る。
「……分かりました。カルディア姫がそこまで言われるなら。気乗りはしませんが」
「本当に?」
こう言ってはなんだが、ギスランが意見を曲げるとは思っていなかった。無理矢理に勧めても、頑なにうんとは言わない人間だ。
「お疑いになるぐらいならばやめましょうか?」
「いえ。……嬉しいわ。無理を言ったのは分かっているし、自己満足だって重々承知しているけれど。お前が私を尊重してくれたようで」
「私はいつだってカルディア姫を尊重していますよ?」
減らず口に苦笑する。それでも嬉しくて、口角が上がった。
「そうだわ。もう一つ、有力な情報を手に入れたのよ」
自慢するように一呼吸あけ、もったいぶる。
ギスランは不思議そうに首を傾げた。
「なんですか? 秘匿にしたいほど、重要なこと?」
「ある意味ではそう言えるのではないかしら。だって……。お前の寿命、少しは伸びるかもしれないのだもの」
ギスランは少しだけ驚いた様子で体を跳ねさせた。
驚くのも無理はない。私だって偶然聞いたのようなもの。完全に巡り合わせがよかった。
サンジェルマンの功績と言えるだろう。何気ない会話で教えてくれたのだから。
「お前、『乞食の呪い』を解くために薬を飲んでいるでしょう? あれを、やめて欲しいのよ。そうすれば、お前が死ぬまでの時間が伸びるかもしれないの」
「無理です」
「ど、どうして? 検討してくれても……」
「どうしても、です。理由をお知りになりたいならばトーマにでも尋ねてみられては?」
ギスランが誰かに聞けと言うのは初めてだ。
私が他の奴と話しているだけで嫉妬してくるような奴なのに、どこか投げやりに勧めている。
ギスランの口からはどうしても言い出し辛い理由があるのだろうか。
「ともかく、それは不可能ですので」
いや、待て。そもそも、ギスランが眠っていた間、薬は服用できなかったはず。どれだけ、薬の効力が続くのかは想像の域を出ないが、そう長くはないはずだ。
人の体は、毒も薬も案外早く抜けるようになっている。
ならば、ギスランは薬の効果が切れていたのではないのか?
「一刀両断されると困るのよね。こっちは、意気揚々と教えたのに」
「申し訳ございません。口付けで機嫌をなおして下さる?」
「それで、どうしてなおると思うのよ!」
「口付け、お好きなのでしょう?」
毒気のない顔で言われると羞恥心が溢れてくる。
「す、好きというか、お前が好きというか、その……」
「私が、なに?」
「お前、私をからかっているでしょう?! そうなのでしょう!? 虐めて楽しいの?」
「ええ。楽しいです」
最高の笑顔を浮かべられた。
この男、被虐趣味があるのに、加虐趣味あるの本当にどうなんだ。性癖が相反し過ぎて、心配になってくる。
「それで、もう一度」
「す……す……いや、こういうのは繰り返すものではないでしょう!?」
「残念です。何度だってきいていたいのに。罰として、カルディア姫にはギスランのお願い事をきいていただきましょうか」
最初からそれが目的でしたと言わんばかりにギスランは交渉の札を切った。
まるで、敏腕の外交官だ。ギスランの笑みが、余裕を浮かべた婉然としたものに変わる。
「まず、結婚式の準備ですが、既にレオン殿下より親書が届きました。トヴァイス・イーストンに司祭役を与えたのは業腹ではありますが、未来の義兄の顔を立てると思って我慢いたします」
レオン兄様とギスランは親戚になるのか。今更だが、考え深いものがあった。
昔から知っている人間達が義理とはいえ兄と弟の間柄になる。しかも私という人間を介して繋がるのだ。
万感の思いが募る。私の血の繋がりが半分しかない兄達とやっと家族になれるような、淡い期待が胸をわかせる。
「だが、他のことについては既にこちらで準備が整っていることをお伝えしました。カルディア姫も、何も心配なさらず、正式に日取りの日が決まるまでは何もされなくて結構です。幼い頃から、カルディア姫と既成事実を作ったときのために準備はしているのですから」
「聞き捨てならない言葉が聞こえたのだけど」
「服はオーダーメイドで作らせますので問題ありません。いつもカルディア姫に差し上げている店のものなので、馴染みも深いかと。採寸に向かわせますので、あまりお痩せにならないように。むしろ沢山太って下さっても構いません。歩けないほど肥えて下されば、最高です」
「お前の願望、底がないわね……」
いっそカルディアという名前があれば、大木でも受け入れそうだ。
「ドレスも、出し物も、記念品や御祝品なども全てギスランが手配いたします。花束から、料理に至るまで、監修は臣下達に。下卑たものも、汚れたものも、悪しきものも、厭わしきものも私達の結婚式には入り込まない」
ギスランは心臓を上から押さえつけるように、手を胸に置いた。
「お約束します。カルディア姫に楽しんでいただける式にすると」
感嘆の声を上げそうになる。
祝いは呪いに変わる。祝福は、怨嗟に。華やかさは凄惨さに。
誕生日は殺人現場に変わった。
ならば、結婚式はどんな悲惨な目に合うのか。
無意識にそう思い込んでいた。だから、急がなくてはならないのに、レオン兄様に頼めずにいた。結婚しようと言ったのは私なのに、とんだ臆病者だ。
ギスランは臆病な私の心をきちんとすくってくれた。
「……ありがとう。ギスラン。でも、私にも何かさせて。一人で執り行うものではないでしょう」
「カルディア姫がそうおっしゃるならば。席次をお願いしても?」
「席次ね。分かったわ。任せておいて」
頼られて子供のようにはしゃいでしまう。任されるという責任が心地よい。席次か。レオン兄様達に聞いてみるか。
「では二つ目のお願いなのですが。結婚式の前の月には眠りから覚めて行かねばならない場所があります」
「行かなくてはならない場所?」
「生家です、私の」
全身から汗が噴き出してくる。
それはつまり、ロイスター家を訪ねるということだ。ギスランの両親にきちんとした挨拶をするということに他ならない。
「父に挨拶してくださいますか、カルディア姫?」
相変わらず、何もない部屋だ。でも、この部屋にはギスランがいれば満足だ。豪華な家具や華燭はいらない。
ただ、この男が生きているだけで安心する。
近付いて、ゆっくりと口付けた。してしまったあとに、積極的過ぎる自分に慄く。
どうしたんだ、私!
こんなはずじゃなかった。もっと、真面目な話をしに来たのに。これじゃあ、色狂いとなにも変わらない。
「……カルディア、姫」
顔を離すと、真っ赤になって泣きそうなギスランが私を潤んだ瞳で見つめていた。
一気に顔が火照る。
「お酷い。これで私の機嫌を取ったつもりですか?」
軽く拳でポカポカ叩かれる。
力は弱かったが、ぽんぽんと叩かれるたびに、自分がやったことが現実味を帯びてきて、死にそうなぐらい恥ずかしい。
「ち、違う! お、お前が悪いのよ。会ったら口付けたくなったのだもの!」
な、なにを言っているんだ、私は!?
口を塞ぐ。不埒で、破廉恥なことを言わなかったか。
ギスランは、もう泣きそうなぐらい顔が赤い。私の顔もこんなに赤くなっているのではないだろうか。
「私が、悪い?」
「だって、この頃顔を見れなかったじゃない! 反動でこうなっても仕方がないと思うの!」
ああ……!
私の口、動かないで。喋らないで!
自分の口なのに、全く言うことをきかない。それどころか、命綱のように言い訳を吐いている。
「カルディア姫が、私を求めて下さった……! あと二回ほど同じような真似をしてもよろしい?」
「だ、だめ! もう、だめ! 二度とやったら許さないのだから」
ギスランの腕を掴み、首を振る。
顔を覗き込む。紫色の瞳は潤み、綺麗にカットされた宝石のように美しい。
「会ってくれないと、困る」
「……そう、ですか」
「そ、その。座っても、いい?」
こくりと頷くのを見届けて、寝台の上に腰を下ろす。ギスランの太ももがすぐ側にあった。
「その……。久しぶりね。ギスラン」
「はい。……イルから聞きました。沢山のものと交流も持ったと。従者も増えたのですよね?」
「テウに、従者になって貰った。お前を舞踏会で階段から突き落とそうとした奴よ」
「どうしてそんなものを従者に?」
ギスランの疑問は最もだ。
「嫌がらせのようなものよ。お前を殺そうとしたのだもの。私に人生を弄ばれるぐらいでないと割に合わないでしょう?」
「……慈悲をかけているの間違いでは? 私の手のものがいずれ殺す算段をつけていました。それを見咎めたのでしょう? 顔見知りが死ぬと分かり、いてもたってもいられなくなったはずだ」
「お前はそう思うだろうけれど、違うわ。……私はあいつを許すことはない。許さないことで、そのことをお前に証明するわ」
「だが、あの男と笑いながら食事をしていたのですよね?」
告げ口をしたのは十中八九イルだろう。
それにしても趣味の悪い男だ。テウと食事していたと知りながら、私と会おうとしなかった。
「そうよ。笑っていた。私はあいつに親しみを感じている。あいつも私に対して親愛の情を向けているわ。あいつは親族にも友人にも恵まれていない。人の情に飢えている。だからこそ、テウにとっては無限の苦しみになる。だってあいつを、私は恨み続けるのだもの」
愛と憎しみは両立する。それどころか、両輪のようにぐるぐると回りお互いの感情を加速させる。
テウを許さない。けれど、笑顔で共にいる。
ギスランは、ゆっくりと目を細めた。そして、私の手にその手を重ねる。
じんわりとした熱が、肌を通して伝わってくる。
「テウ、と名前で呼ばれるのも、カルディア姫と馴れ馴れしくするのも気に入りません。出来れば今でも殺したい。――でも、テウ・バロックに優しくするのは、貴女様への罰でもあるのですね?」
「そんなに自罰的な女に見える?」
「ええ。カルディア姫は、自分のことがお嫌いだから。テウへの評価はそのまま貴女様にも降り注ぐ。近いものが少なく、心を開くものも多くない。情に、飢えている」
近くから離れようとしたのに、ギスランの手に掴まれているせいで身動きが取れなかった。
「テウを罰しながら、自分も罰するとは器用なこと。……カルディア姫。貴女様は処刑人にはむかないようですね? あの男の始末を私に任せてくださる? テウなどという従者はいなかった。そう言ってくださるだけで解決します」
「そうはいかないわよ……」
拗ねたようにギスランが唇を尖らせる。いなかったといえば次の日にはテウは失踪していそうだ。流石にそれを許容することは出来ない。
「……とても、残念です」
そう言いながら、ギスランが私の髪にーー花に触れた。なにかを探るような視線を向けられる。
「トヴァイス・イーストンとノア・ゾイデックとの密会中に呪いにかけられてこの姿になったのだと聞きましたが、本当ですか?」
「色々あったのよ……。『カリオストロ』の信者に襲われて……。報告は受けているのでしょう?」
「そのためのイルです。『カリオストロ』は必ず排除します。残党すら残さない。けれど、そもそも他の男と一緒の部屋にいて欲しくない」
わかりやすい独占欲にきゅっと心臓が締め付けられる。
「特にあの二人は……カルディア姫と通じている。婚約者だからでしょうか? 気を許すような素振りがある」
「婚約者、だったよ。だいたいあいつらは二人とも既婚者よ」
「二人とも配偶者と上手くいっていないようですが? それに、カルディア姫はこんなに可愛らしいのです。魔がさすということも」
「ないわよ」
特にトヴァイスは「自意識過剰が激し過ぎて呆れを通り越して笑える」と嫌味を言われそうだ。
「あのトヴァイス・イーストンが? 自意識を拗らせて、取り返しのつかないところまで来ている男が、私に? どうしてあの愛人過多な男が私に魔がさすの?」
「……カルディア姫は、トヴァイス・イーストンのことを意識なさっておいでですね」
「お前がへんな疑いを向けてきたからよ。あの男と関係を疑われること自体心外極まりないわ」
ギスランがそっと目を伏せた。信じ切っていない様子だ。
トヴァイスにだけ過剰反応したのが悪かったのだろうか。
だが、ノアは掴み所が無さすぎて恋愛のれの字も想像できない。
「お前の懸念は的外れよ」
「……憎たらしいです。カルディア姫の御髪が、花に変わるなど、到底許されていいわけがない。守れなかったあの二人、縛り首にして晒してやりたい」
「無茶苦茶を……。それに、こうなって悪いことばかりじゃないわ。身になることを見聞きした」
勿論、火に飲まれるという代償はあったが、今まで表面化していなかった策謀の一端を見れた。
整理をつけるのは難しいが、一つ一つ丁寧に紐解けば、パズルの絵図が理解できる気がしてならない。
「それで? お前の覚悟は決まった?」
また仮死状態になり、少しでも長く生き長らえてくれると信じて、力を込めてギスランの拳を握る。
「カルディア姫はどうしても私に寝てほしいようですね? 男と密会なさるから?」
「違うわよ。というか、はぐらかさないで。……お前が眠るのが恐ろしいと思う気持ちはよく分かるわ。けれど、無理しても一日も長く生きていて欲しいのよ」
「たとえそうやって頑張っても、年を越えることが出来るだけでしょうに」
ギスランは私の気持ちをわかっている癖に、わざと嫌味な言い方で煙に巻こうとしている。
許せなくて、肌に爪を立てた。私の爪の形が皮膚に残る。
「……分かりました。カルディア姫がそこまで言われるなら。気乗りはしませんが」
「本当に?」
こう言ってはなんだが、ギスランが意見を曲げるとは思っていなかった。無理矢理に勧めても、頑なにうんとは言わない人間だ。
「お疑いになるぐらいならばやめましょうか?」
「いえ。……嬉しいわ。無理を言ったのは分かっているし、自己満足だって重々承知しているけれど。お前が私を尊重してくれたようで」
「私はいつだってカルディア姫を尊重していますよ?」
減らず口に苦笑する。それでも嬉しくて、口角が上がった。
「そうだわ。もう一つ、有力な情報を手に入れたのよ」
自慢するように一呼吸あけ、もったいぶる。
ギスランは不思議そうに首を傾げた。
「なんですか? 秘匿にしたいほど、重要なこと?」
「ある意味ではそう言えるのではないかしら。だって……。お前の寿命、少しは伸びるかもしれないのだもの」
ギスランは少しだけ驚いた様子で体を跳ねさせた。
驚くのも無理はない。私だって偶然聞いたのようなもの。完全に巡り合わせがよかった。
サンジェルマンの功績と言えるだろう。何気ない会話で教えてくれたのだから。
「お前、『乞食の呪い』を解くために薬を飲んでいるでしょう? あれを、やめて欲しいのよ。そうすれば、お前が死ぬまでの時間が伸びるかもしれないの」
「無理です」
「ど、どうして? 検討してくれても……」
「どうしても、です。理由をお知りになりたいならばトーマにでも尋ねてみられては?」
ギスランが誰かに聞けと言うのは初めてだ。
私が他の奴と話しているだけで嫉妬してくるような奴なのに、どこか投げやりに勧めている。
ギスランの口からはどうしても言い出し辛い理由があるのだろうか。
「ともかく、それは不可能ですので」
いや、待て。そもそも、ギスランが眠っていた間、薬は服用できなかったはず。どれだけ、薬の効力が続くのかは想像の域を出ないが、そう長くはないはずだ。
人の体は、毒も薬も案外早く抜けるようになっている。
ならば、ギスランは薬の効果が切れていたのではないのか?
「一刀両断されると困るのよね。こっちは、意気揚々と教えたのに」
「申し訳ございません。口付けで機嫌をなおして下さる?」
「それで、どうしてなおると思うのよ!」
「口付け、お好きなのでしょう?」
毒気のない顔で言われると羞恥心が溢れてくる。
「す、好きというか、お前が好きというか、その……」
「私が、なに?」
「お前、私をからかっているでしょう?! そうなのでしょう!? 虐めて楽しいの?」
「ええ。楽しいです」
最高の笑顔を浮かべられた。
この男、被虐趣味があるのに、加虐趣味あるの本当にどうなんだ。性癖が相反し過ぎて、心配になってくる。
「それで、もう一度」
「す……す……いや、こういうのは繰り返すものではないでしょう!?」
「残念です。何度だってきいていたいのに。罰として、カルディア姫にはギスランのお願い事をきいていただきましょうか」
最初からそれが目的でしたと言わんばかりにギスランは交渉の札を切った。
まるで、敏腕の外交官だ。ギスランの笑みが、余裕を浮かべた婉然としたものに変わる。
「まず、結婚式の準備ですが、既にレオン殿下より親書が届きました。トヴァイス・イーストンに司祭役を与えたのは業腹ではありますが、未来の義兄の顔を立てると思って我慢いたします」
レオン兄様とギスランは親戚になるのか。今更だが、考え深いものがあった。
昔から知っている人間達が義理とはいえ兄と弟の間柄になる。しかも私という人間を介して繋がるのだ。
万感の思いが募る。私の血の繋がりが半分しかない兄達とやっと家族になれるような、淡い期待が胸をわかせる。
「だが、他のことについては既にこちらで準備が整っていることをお伝えしました。カルディア姫も、何も心配なさらず、正式に日取りの日が決まるまでは何もされなくて結構です。幼い頃から、カルディア姫と既成事実を作ったときのために準備はしているのですから」
「聞き捨てならない言葉が聞こえたのだけど」
「服はオーダーメイドで作らせますので問題ありません。いつもカルディア姫に差し上げている店のものなので、馴染みも深いかと。採寸に向かわせますので、あまりお痩せにならないように。むしろ沢山太って下さっても構いません。歩けないほど肥えて下されば、最高です」
「お前の願望、底がないわね……」
いっそカルディアという名前があれば、大木でも受け入れそうだ。
「ドレスも、出し物も、記念品や御祝品なども全てギスランが手配いたします。花束から、料理に至るまで、監修は臣下達に。下卑たものも、汚れたものも、悪しきものも、厭わしきものも私達の結婚式には入り込まない」
ギスランは心臓を上から押さえつけるように、手を胸に置いた。
「お約束します。カルディア姫に楽しんでいただける式にすると」
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祝いは呪いに変わる。祝福は、怨嗟に。華やかさは凄惨さに。
誕生日は殺人現場に変わった。
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「では二つ目のお願いなのですが。結婚式の前の月には眠りから覚めて行かねばならない場所があります」
「行かなくてはならない場所?」
「生家です、私の」
全身から汗が噴き出してくる。
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