どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 数日が経った今でも、サンジェルマンのことを考える。彼の存在、彼の言葉。その全てがまるで夢のようだった。
 あのあとノアは無理が祟って寝込んだ。トヴァイスが怒りながら連れて帰っていた。無事だという手紙が昨日の夜遅くに届いている。
 トヴァイスは結局、王都にいるうちにと、薬を服用したらしい。
 その後の報告はない。あの男はかっこつけたがりだから、苦しんでいる報告なんかしない。とりあえず、落ち着いた頃に会う機会を作るよう、提案している。話し合いたいことがあった。
 特に、ザルゴ公爵の件で。
 命を狙ってきたあいつについてどう対策を取ればいいのか。同じ被害者同士、話し合いが必要だろう。
 私も早く飲んで、元の姿を取り戻さなくてはと思うのだが、なかなか勇気が出せなかった。一歩が踏み出せない。

「早く飲め。経過を観察させろ。俺としては本当に元に戻るのか、確かめたい」

 トーマは鴨肉のサラダを口の中に入れながらそう呟いた。この男、相変わらず食欲旺盛で、出された料理をぺろりとたいらげてしまう。

「でも苦痛を伴うんだろう? お姉さんは女の子だし、戸惑うのも分かるよ」

 空いた皿を片付けながら、テウが私を庇う。
 怖い、か。テウはよく私を見ている。
 だって 清族だけの呪いだったのに、急に私達に降り注いできたのだ。
 自分でも自分の感情にうまく折り合いがつかない。この姿を疎んじているのだと思う。
 他人がこの姿をとっていたら、憐れんだり、同情を向けたり出来ただろう。だが、自分の身に降りかかったら駄目だ。
 もやもやと苛立ちばかりが胸を焼く。急に物に当たりたくなり、どうして私がこんな目に!? と叫びたくなる。
 はやく元に戻したい。そう思うと同時に、薬を飲んだノアの苦しそうな姿が浮かぶ。
 熱いと分かっているのに燃え盛る暖炉の火に手を近付けるようなものだ。つい、躊躇ってしまう。

「そうですわよねえ……。はなおとめは結婚を控えた方ですもの。一ヶ月も激痛に悩まされるときけば躊躇うのも無理はありませんわ」

 ヴィクターは当たり前のように食卓に座ってぱくついている。バケットにサーモンとチーズ、トマトをのせたサンドだ。よだれが出そうなほど美味しそうだった
 遠慮してほしいと伝えたのだが、やんわりと断られてしまった。案外、押しが強い。
 ギスランや『カリオストロ』のことで度々世話になっている分、強く言いだすことも出来ず、まるで私の従者の一人であるかのような振る舞いをしている。
 助かると思う部分と困ると思う部分が半々で、裏切り者を身内に抱えているような妙な気分にさせてくれる。

「咄嗟にしちゃった約束も気になるけどね。イルから聞いたときはびっくりしたな。サンジェルマンって人にオペラ歌うって約束したんだよね? お姉さんって、歌あまり上手じゃなかったような……」
「……そこまで言うならばはっきりと言ってほしいくなるわね。……下手よ。音痴なの。王族にかけられた呪いなの」
「陰謀論じゃねぇか」

 というか、サンジェルマンの屋敷――サンジェルマン自体が燃えて灰になったのだし、布教などしなくてよくなったのではないか。
 サンジェルマンも、互いに生き残ったらと言っていたし。

「というか、勢いでイヴァンを従者だと言ってしまったわ……。流石に、驕りが過ぎたわね」
「別にいいんじゃねえの? 音楽家も従者に入れてやれよ」

 トーマは軽く言い放った。流石は無理矢理従者になった男。簡単に言ってくれる。

「イヴァンはどういう意図であの招待状を届けたのかさえ分からないのよね。だからこそ、勘繰ってしまいたくなる」
「イヴァンが全てーーサンジェルマンが燃えるのも含めては、打算ありきでなおとめを屋敷に向かわせたということ? それは流石にあり得ませんわよ」
「そうは思っているのけれどね」

 だが、あの場面でザルゴ公爵の登場だ。
 しかも彼は私達に死んでくれと言い放った。
 彼は敵だ。
 他にも敵がいないとは限らない。盲目的に信じるというにはイヴァンのことを知らない。

「……とにかく、本当にイヴァンにオペラを書いてもらうとしても、何年も先になるでしょうね。オペラの作詞作曲が生半可な時間で出来るとは思えないし」

 そうなれば、サンジェルマンとの約束を履行するのも難しくなるだろう。
 ギスランの寿命が許さない。私はギスランに芋虫のようにされる予定なのだから。
 あいつが姿を見せれば、それとなくオペラ作曲の依頼する予定ではいる。
 従者として信頼を置くというのとは別の話だ。
 残念ながら、天才音楽家は多忙なようで、手紙を送っても返事がない。

「……それはそうと、さっき渡した本はどう?」

 蘭王から渡された『清族の寿命についての論文集』を二人には渡してある。専門用語が多すぎて、私には読みこなせなかったものだ。

「お前達ならば分かると思ったのだけど」

 行儀悪く、トーマはフォークを噛んだまま、本に視線を落とす。
 表情はどうしてか冴えなかった。
 トーマがこういう難儀そうな顔を浮かべたのは『カリオストロ』を読んで異形に変じたときぐらいのものだ。

「……分かる、ねえ」
「はなおとめは酷なことをおっしゃるのね」
「……? どういう意味? 私には分からなかったから、お前達に聞いているだけなのに」

 二人はお互いの顔を見合った。

「これが俺らに読めると?」
「読めるでしょう? だってーー」
「読めない。からかっているんだとしたら笑えねえ」

 本を突き返される。
 読めない? 
 蘭王のように文盲ではないはずだ。トーマの部屋には溢れるほど本があったし、図書館にも出入りしていた。
 手元に戻って来た本に視線を落とす。やはり、文字は読み取れる。

「太陽光を浴びないようなり、我々の背中は傴僂のように曲がり始めた。投薬実験とともに、近似の結合により先祖返りによって改善を図る。投薬実験は10734だけ効果あり。魔力の増幅がみられるものの、原因は不明。その後の調査にて根本的な魔力に変わりはないことを発見する。個体差があるものの激痛が走るため、10734の使用を制限する」

 書いてあることを読み上げる。
 私にはさっぱりだ。内容が入ってこない。けれど、トーマ達には分かるのではないのだろうか。

「……本当にそんなことが書かれていますの?」
「即興で作ったとでも? そんなに想像力豊かじゃないわよ。本当に読めないの? 文字は日常的に使われるものと大差ないと思うのだけど」
「見たこともない字だ。『カリオストロ』のやつよりも見覚えがねえ」

 本に穴が空くほど見つめるが、やはり見覚えのある文字だった。トーマ達にはこの文字が別のものに見えているのか?

「イル、お前もこの文字が読めない?」

 壁に寄りかかり、遠くを見るともなしに見ていたイルに話しかける。イルはサンジェルマンの一件からずっとぼおっとしていた。
 声に対する反応も一呼吸を置いてだった。

「読めません。古語とやらだと思っていたんですが、違ったんですか?」
「違うわ。だって……お前が読んだことのある童話と同じで、読みやすい文字で書かれているし」
「……印刷物には見えませんけど。どう見ても手書きです」
「そ、そんなわけ……」

 私の目がおかしいのか? ぎゅっと目を瞑り、再び目を開ける。
 目眩がした。やはり、整った綺麗な文字で書かれている。

「お前はよくよく変な本を呼び寄せるな」

 ぼそっと呟かれた言葉に苦笑する。トーマらしい皮肉だ。

「この変な本のついでだ。これを見ろ」
「これは……祈祷書ね? トヴァイスがもう届けたの?」
「仕事が早くて助かった。だが、読めない。見たこともない文字が使われている」

 埃まみれの年季の入った本だ。一息だけでむせそうになる。
 表題はぼろぼろで読めない。ページをめくると、さらりと砂が落ちてきた。

「祈祷書……じゃないわよ、これ。だって」

 虫食い穴が沢山あるから文字が潰れているところもあった。けれど、文字が潰れていようと、埃まみれだろうと、長年見慣れた童話のことは見れば分かる。

「かなり、古い童話集みたい。目次があるわね。『夜の王とミミズク』『だれが女神を殺したのか』『女王陛下の悪徳』『王様と乞食』……全部見覚えがあるわ」

 というか愛読書だ。好奇心から読み進めて、手を止める。なんだ、これ。

「全然話が違うのだけど!? なんなの、この『夜の王とミミズク』! 妖精の話じゃない! ティターニア? 誰?!」

 妖精の女王が出てきて夜の王たる妖精の浮気をミミズクと一緒に糾弾する話に変わっている。
 いや、古さからいってこっちの方が元なのか?
 釈然としない。

「読め……ますのね」
「またか。このバカ姫だけ読み解ける文字、か」
「バカは余計よ。……この本も読めないの?」
「読めたらこんな場所に来てねえで読み耽ってる」

 表紙をなぞると指先に埃がつく。どうして、私にだけ読めるのだろうか?

「……この本、少し預かってもいいかしら? 童話集なのだけど、タイトルは知っているのに、中身がまるで別物だわ」

 これではまるで、タイトルだけ同じな別の作品だ。

「お姉さんは童話が好きなんだね。そんなに気になる?」
「そりゃあ、気になるでしょう。だって、この本、イーストン家に祈祷書としてあったのよ。でも、内容は童話。聖書に関連しそうなものでもない。あの家のものにしては変だわ」
「……俺は構わねえよ。望みのものじゃなかったしな」
「ありがとう。……でもどうして、私にしか読めないのかしら。文字になにか術が?」

 不思議だ。イルや蘭王、トーマ達も読めない文字なのに、私には読める。

「神の背に書かれた文字ですからねえ。そりゃあ見る人間は選ぶでしょうよ」

 蟹のように手が生えた少年が、ふわふわと宙に浮いてそう言った。

「わっ!」

 長細い六本の手。そのくせ、体は小山のように大きい。
 ぎょろりとした瞳が驚いた私を映した。

「な、なに?! 誰?!」
「姫……?」

 イルの呼ぶ声が、耳を通り抜けていく。
 こんな奴、さっきまでいなかったはずなのに。
 はなおとめ、と声がする。か細い声で、警戒心をにじませている。

「僕のことが見えるんですか?」

 驚いたように少年が目を見開く。

「見えるも何も、そこにいるじゃない」
「……ふうん。変な人間ですね。いいことを教えてあげます。僕は優しくて、いい妖精の王ですから。――それ、神の背を加工した紙ですよ」
「神の背?」
「神の背中の皮膚に書かれた文字ってことです。羊皮紙ってご存知ないですか? 羊の皮に文字を書いたもの。それと同じです。大神はこの地を去りましたが、種を残していった。それらは予言書と呼ばれ、大神の加護が宿ります」

 予言書? 大神の加護?
 知らないというには、耳に聞き馴染みがある言葉のように感じられた。

「それは『カリオストロ』のことではないの?」
「『カリオストロ』? なんですか、それ。……予言書みたいなもの? 不思議な力が宿る? へえ、じゃあ原本は予言書の一部なのかもしれませんねえ」
「予言書の……一部?」
「そりゃあそうですよ。背中の皮膚が予言書だと言ったでしょう? 予言書は生きているんですから、一部です」

 書なのに、生きているとは?
 だめだ、全く分からない。
 助けを求めるためにトーマに視線を流す。

「予言書が生きてるなんて聞いたことないわよね、トーマ」

 トーマはむっつりと黙り込み、小さく口を開けた。

「誰と話しをしているんだ」
「……え?」
「お姉さん、そこには誰もいないよ」

 テウの指差す先には確かに少年がいる。
 私は指差しながら、皆を見渡した。
 からかっている様子は、ない。
 慄然とした。私にしかこいつは見えていないのか?
 気がつくべきだった。トーマもヴィクターもこちらを窺うように静かだった。幻覚でも見ていると思われているのではないだろうか。
 体から熱が急速に奪われていく感覚。異物を見るような厳しい視線に寒気がする。

「ち、ちがう……私は……」
「さっきからぶつぶつと独り言を呟いて。予言書が生きているって何の話だ」

 手に爪を立てる。
 痛みに、心臓が変な音が立てて抗議した。
 痛みは感じるのに目の前に異形の少年がいるのは変わらない。
 トーマ達が私を見つめる怪訝そうな顔も変わらない。

「僕って最上級の妖精さんなので、他の人にはあんまり見えたりしないんですよー」
「妖精……なの? どうして、清族にも見えないの?」
「契約者以外は基本見えないようになっているんですよ。人の目が僕をとらえることを嫌うんです。難儀ですよねえ」
「名前を教えて」
「僕は、秋の妖精王と呼ばれています。僕としては森の、妖精王を自認しています。まぁ、どうぞ、お好きなように呼んでいいですよ」

 私はこいつと契約を結んでいない。なのに、見えるのはなぜだ。髪の毛が花になった異常な状態だからか?

「さっきの話を続けますけど、預言書は別に本の形をしているとは限らないんですよ。だって、あの傲岸不遜、自分のことが大好きな大神が、容易に燃えて跡形もなくなるようなものを自分の現身に選ぶと思います?」
「大神のことは知らないけれど……。動物の姿を取っているの? それとも、人?」

 秋の妖精王は六本ある腕で器用に顎を掻いた。

「さあ、今世の預言書がどんな形をとっているかは知りませんし、知りたくもありません。でも、これだけは言えます。その本は神の背で作られた本。書き記した預言書は、預言の書よりも、童話作家になりたかったようですね」

 預言書が愛した童話。
 本を腕のなかに囲い込む。目の前にいる少年は本当は私が作り上げた幻なのかもしれない。あるいは、たまに聞こえる幻聴のように、精神が軋んでいることの証左なのかもしれなかった。
 けれど、この本がーー童話が愛されている。そう言われている気がした。たとえ、正気を無くした私の言葉だとしても。
 私が童話が好きだ。だから、よかった。

「この本と、もう一つ私しか読めないものがあるの。清族に関する論文よ。これもまた、預言書が書き記した? だから、私にしか読めない?」
「その答えは自分で探して下さいよ。なにもかも外野が教えてしまっては、興ざめもいいところでしょう?」
「そもそも、どうして私だけが読めるの?」
「あまり人の話を聞かない人種のようですね。人間のこういう厚かましいところうざくってたまりません。けど。これぐらいのヒントならば教えてあげてもいいですよね? だって、どうせ答えるまで永遠に聞いてくるんでしょうし」

 嫌々なのに、と言わんばかりな態度を取っているが、目がきらきらと輝いている。本質的には誰かに何かを教えるという行為が好きな妖精なのかもしれない。

「森にいる馬鹿なミミズク、知りません? あれは預言書のスペアなんですよ。預言書が死んで、次の預言書に代替わりするまでの繋ぎ役なんです。罰を与えられて、そんなひどい役回りになっているんですが、それはそれ。あれが予言書として機能していないということは、今世の預言書はきっちり生きているってことです」

 預言書のスペア?
 ああ、どうしてだろう。変な言葉なのに、妙に聞き覚えがある。そんな漠然とした感覚があった。

「その予言書といずれ会うか、もうすでに会っているか。それは分かりませんけれど、この本を持てば会えるかもしれませんね? なにせ、大神が人の道はかくあるべしと定めた紙で童話を書いてしまうような愛好家なのですから! この本を取り戻しにやってくるとも限らない!」

 くすくすと笑いながら、秋の妖精王は泡のように消えていく。
 残されたのは、私の正気を疑う沢山の目だ。
 ……トヴァイスがいなくてよかった。
 あの男がいたら、私は病院にぶち込まれていただろう。

 結局、トーマ達が『清族の寿命についての論文集』を調べることになった。私が読み上げた個所と、文字を比較して読み解いてみせるとトーマは息まいていた。
 テウはかなり私の正気を疑っているようで、食事をとって、薬は控えめにすることと説教じみたことを言ってきた。思いやってくれているのが分かって、くすぐったくなる。
 だが、私は好んで麻薬は使わないからな。

 テウの部屋で朝食を終え、出るとイルがゆっくりと目配せしてきた。
 意味は分かっている。そろそろ、花人間みたいな姿にも飽き飽きしてきたところだ。だいたい、この体は変過ぎる。この間なんか、花が口から出てきてびっくりした。

「ギスランのところで、清族の薬を飲みたい。……いい?」
「ギスラン様が拒むと思いますか?」
「さあ、どうかしら。この頃のあいつは私のことを嫌いになったようだから」

 イルが苦笑する。ギスランの心を分かっているくせにと言いたげだ。声なき声を黙殺して、イルの背中についていく。
 馬車が用意されていた。乗り込むと、素早く鞭が打たれ、動き始める。
 拒絶され続けたせいだろうか。ギスランの前に行くのが怖い。だが、彼の側以外で、薬を飲む気にはなれなかった。
 痛みを伴う薬を、ギスラン以外の誰の前で飲めばいい?
 悶えるような苦しみも、あいつの前ならば許せる気がした。だから、行くのだ。

 屋敷について、案内される前にギスランの寝室にむかう。
 久しぶりに会ったあいつは、痩せ細り、力なく笑っていた。

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