どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 紅茶のカップがびりびりと震えて音を立てる。
 サンジェルマンの人形が目を見開き、痛みにもがくように仰け反った。

「な、なに!?」
「儂の体が燃えておる!」

 強い風が吹いた。煙と、熱波が顔にかかる。
 炎の赤々とした光が、心臓で燃えているようだった。屋敷を包む悪夢の熱。燃え盛る火の粉。
 微かな記憶の残像が、逃げろと叫んでいる。

「カルディア、逃げよう」
「こ、これは……窓を探さなくては……。逃げなくちゃ……」
「カルディア!」

 ノアが荒い呼吸のまま叫んだ。固まっていた体に力が入る。

「落ち着いて。まだ延焼しているとは限らない」
「ノア、万が一を考えろ。巻き添えを食うのはごめんだ」
「……わかってる。自分で動くから、肩貸さなくていい」

 ノアは震える足で立ち上がった。足取りは覚束ないが、こういう時手を貸しても払いのけられるだけだと知っている。
 蘭王が、ゆっくりと頭を傾けた。

「どう逃げます? 窓も扉もないですよ」
「どこでもいい。壁に穴を開けて屋敷から出るぞ」

 サンジェルマンの人形は不気味な動きで、踊り狂っている。
 二人は視線を壁へと移す。どうやって人が通るほどの穴を開けるというのだろう。

「その腰にあるのは飾りか? お前が剣で斬れ」
「俺って商人ですよ? 荒事は得意じゃあ……っ!」

 人形がばたばたと蠢き、急にばりばりと割れ始めた。
 中から出てきたのはステッキを持った紳士だった。

「すまないね、サンジェルマン。都合が悪くなってしまった。死んで欲しいんだ」

 ついた破片をぱらぱらと払いながら、男は言った。
 水色の髪の先端が赤く色づいている。年は若く、二十代後半だろうか。怜悧で、落ち着いている。

「ザルゴ……! 貴様!」

 部屋全体から声が聞こえる。耳を塞いでいるように声が蟠っている。
 サンジェルマンの声だ。

「怒らないで欲しい。別に憎いわけじゃないんだよ」

 ザルゴ公爵!? この男が?
 ありえないほど若い。まるで時が巻き戻ったように。

「でも、お前が悪いんだよ? カルディアや蘭王を面白がって招待なんかするから。しかも、おれの『カリオストロ』を広めるつもりなのだろう?」
「当たり前であろう? あれは儂達の生きた証だ。下等な人間もどきどもに一泡吹かせられる」
「それは困るんだよ。グランディオスに目をつけられてしまってね。これ以上、目立ちたくない。彼の好きな女がおれのことを好きなんだよ、困ったことに。恨まれているんだ」

 ――それは。
 母のことなのだろう。父は心に住む人間があると知りながら、母に子供を産ませた。

「グランディオスに邪魔されると困るんだ。彼は能力だけはずば抜けているから。――それに、俺にはやり遂げなくてはいけないことがある」

 ステッキをくるりと回し、ザルゴ公爵はにこりと笑う。

「では御機嫌よう。申し訳ないが、ここでみんな死んでくれ」

 ステッキの先が床を叩くと、公爵の姿が液体になって床に散った。
 残され、呆然となった私達に再び大きな衝撃が襲う。サンジェルマンはうめき声を上げて、ザルゴ公爵を罵った。
 公爵が残した液体は油の臭いがする。
 私とトヴァイス、そして蘭王は互いに顔を見つめ合い、壁へ急ぐ。

「あの物言い、至る所に爆発物があるのではないですかね?」
「だろうな! どう、逃げる?」
「取り敢えず外に出ましょう! 窓から飛び降りれば大丈夫なはずよ」
「それは、そうだけど。窓なんてどこにもない」

 蘭王が阻む壁を斬り崩していくが、行く部屋、行く部屋、窓も扉もない。使用人室、酒樽置場、球技室、酒場、客室、どの部屋も作りは違うのに、どの部屋も行き来できないようになっている。

「ノア、歩みが遅くなるようなら俺が抱えるしかなくなる」
「……ごめん。大丈夫」
「というかこれ、実は同じところぐるぐる回っているだけじゃないですか?」
「それは大丈夫だ。流石に違う部屋だろう。ぶち破る壁の位置も元の場所に戻るようなことはさせていない。だがーーどうして廊下に出ない?」
「一種の術のようなものかもしれませんよ、トヴァイス様。ってか俺もそろそろ疲れて来たんですが!?」

 トヴァイスは剣を振り回せるような人間ではない。戦闘能力はほとんど皆無だ。
 荒事はノアが得意。だが、そのノアは今暴れられるほど体力が残っていない。必然的に蘭王にお鉢が回ってくる。

「右側、壁を。手を動かせ」
「トヴァイス様―! 変わって下さいよ!」
「馬鹿を言うな。頭脳労働が俺の役目だ」
「なら、俺が変わりますよ」

 ひゅっと影が落ちてくる。
 服が焦げたイルだった。彼は息を整えながら、一礼する。

「イル!」
「様子を伺おうと潜入したんですが、火事に巻き込まれまして。カルディア姫だけでも掻っ攫って逃げようと思ったんですが、貴女いなかったから。空いた穴を辿って追いかけてきました」
「いいタイミングよ! 取り敢えず、右の壁に穴を開けて!」
「了解です」

 イルは足で壁を力強く蹴り上げた。蘭王が力任せに振りかぶった剣と同じように、ぽっかりと壁に穴が開く。

「お前、いつの間に人間をやめたの?」
「まさか。術を仕込んだ靴なんです、これ。ギスラン様は清族の術も詳しい方なので、肉体強化系の魔術の仕込みにも余念がないんですよ」

 開けた部屋は調理室らしい。料理道具が並んでいる。
 だが、窓や扉はどこにもない。

「またですか!? 俺、もう壁は見たくない……」
「おかしい。……トヴァイス、一度部屋を引き返してみたら?」
「それはやめた方がいいかと。かなり火の勢いが強いですから。そろそろ、ここも危ういと思いますよ」
「火の臭いが近付いているわね……。きっと、さっきザルゴ公爵がばら撒いた油のせいよ」

 トヴァイスは四人分の言葉を聞いて、ふうっと息を吐いた。

「さっきから頭のなかで地図を描いていた。外観から屋敷の見取り図を算出して、穴を開けさせていたが、廊下どころか窓にもあたらない。そもそも部屋割りがおかしい。どうして使用人部屋がこんな場所にある? 普通は地下だ。この建物、外で見た何倍も広く、部屋割りがむちゃくちゃだ」
「でも、幻術の類じゃない。この屋敷は、サンジェルマンの体だって言ってたね」

 ノアの言葉に、渋々といった様子で頷く。

「ならば、サンジェルマンはある程度屋敷を動かせるんじゃない? だから部屋割りがばらばら」

 サンジェルマンと交渉すればいい。出来なくてもともと、出来れば逃げおおせられる。
 声を張り上げ、サンジェルマンに呼びかける。トヴァイスは乗る気ではないようで、後ろの部屋をちらちらと伺っていた。

「ここから私達を出して」

 帰ってくるのはもんどりをうつような荒い息だった。
 よく考えれば、この部屋自体、サンジェルマンの体なのだ。その壁をばんばん壊していっている。
 ……それって控えめに見てもやばい状況じゃないだろうか。

「自分の体を剣で穴を開けていく奴と共闘が結べる聖職者ならば、『カリオストロ』を広める算段をつけていないと思うが」
「そうはいっても外に出る必要があるわ! ねえ、サンジェルマン。お前の心臓はどこなの? 屋敷がどれくらい燃えれば、お前は死ぬの?」

 駄目だ。答えがない。痛みに我を失っているらしい。
 何か気をひくような話題はなかっただろうか。
 ……『カリオストロ』。彼はその司祭だ。
 教えを広める聖職者。

「イヴァンは私の従者よ! 私が頼めば、オペラも作曲してくれる!」

 うめき声が止んだ。
 サンジェルマンの意識がこちらを向いたのが分かる。
 失敗は許されない。慎重に、ゆっくりと言葉を続ける。

「お前がどうして『カリオストロ』を布教したいのかは分かっているわ。『カリオストロ』には人間が腕や足の数を失っていく描写がある。認めさせたいのでしょう、そのことを」

 トヴァイスから痛いほどの視線を感じる。
 視線だけでひりりと火傷しそうだ。
 それでも、言わなくてはならなかった。きっと、私だからこそ意味がある。

「お前には矜持がある。この屋敷は偉大なるお前の体。他のものどもはお前におよばない紛い品。お前がーーお前達こそが、人間だとね」

 思えば彼はずっとそのようなことを言っていた。
 異形の姿こそが、正しい人間なのだ、と。

「ここを生きて出られたら私が布教してあげるわよ、イヴァンの曲を歌って。『カリオストロ』は反女神。反カルディアなのでしょう? カルディアの名前を持つ私が『カリオストロ』のオペラを演じれば、話題になること間違いなしでしょうね。お前達の正しさを多くの人間が見聞きする!」

 トヴァイスは言った。カルディアという名前は祝いであり、呪いであると。ならば、この名前、少しでも幸いのために使いたい。
 どうせ、嫌だと泣き喚いてもついて回る名前なのだ。とことん利用してやる。

「それに、悔しくないの? お前も、私達もここで皆殺しに出来るとたかをくくっていたのよ、あの男! 人を潰せば消える虫だとでも思っているようだった!」

 人を殺そうとしてきたのだ。しかも、火あぶり。あの澄ました顔を殴りつけてやることぐらい許されるべきだろう。

「私はあいつの鼻っ柱を折らないと気が済まない。今死んでいる場合じゃないのよ!」

 言い切ると、しんと静まり返った。
 心臓の音だけがやけにうるさい。
 はじめに笑い声をあげたのは蘭王だった。

「はっ、はははっ! お姫さん、凄い啖呵を切りますね? そんなこと約束しちゃっていいんですか?」

 いや、まずい。そもそもイヴァンを私の従者にしたつもりはない。あいつは音楽家で、私は第四王女。それ以上の関係はないのだ。
 ちらりと気になる男に視線を向ける。
 この面子の中で、一番煩そうなトヴァイスの顔が怒りを通り越して真顔に変わっている。
 女神カルディアを讃える聖職者の前で、一応王族である私が『カリオストロ』を布教すると言ってしまったのだ。
 国教なのだ。女神のおかげで階級があると信じているものも少なくない。
 王族が言うにはあまりにも軽率な言葉だった。
 怒髪天をついているのかもしれない。
 視線を合わせられなかった。

「俺は賛成しますよ。よく分かりませんが、カルディア姫を殺そうとするなんて、ギスラン様への挑戦だ。鼻の骨を折ってやりましょう」
「……それだけでいいの? お返しはきちんとしないと舐められる」
「恐ろしいことを平然といいますね。お貴族様を殺すわけにもいかないと思いますけど……あ、いや、あの人ってもう死んでいるんですっけ?」

 反応が欲しいもう一人は黙ったままだった。
 だが、沈黙は笑い声でかき消された。
 サンジェルマンが喉を震わせ、部屋を震わせて笑った。

「剛毅な女じゃ。よかろう。互いに生き抜いたら、おぬしには対価を払ってもらう。――ああ、本当に愉快だ。ザルゴ公爵の腫れ上がった顔が見たいものじゃな。……見たかった」

 部屋に扉と窓が現れた。まるで、最初からあったように。

「あの男も儂も生き過ぎた。死は安らぎではないかと思えるほどに。この先あの男は自分の予言を実行するだろうよ。これまでのように」
「これまで?」
「『カリオストロ』は予言書ではない。ましてや教典でも聖書でもない。あれは、あの男の妄執だ」

 今までのことがひっくり返っていく。妄執だと? だが、あれは歴史書のような、予言書であるとトヴァイスは言っていた。
 違うはずがない。少なくとも三百年ほど前から学者達の論文があるのだから。

「あの男こそ、予言書だ。予備を知っているか? それとも知らないか。……どちらでも構わん。だが、確かなことがある」

 サンジェルマンは息も絶え絶えと言った様子で言葉を押し出すように吐く。

「三百年前、世界は変わるはずであった。だが、変わらなかった。全てが狂い、奴も狂った。儂達の運命さえ。……女神カルディアを昔は信奉していた。じゃが、それでは駄目じゃ。駄目だと知った」

 窓から燃える館が見える。轟々と燃え上がる火の粉を見物しに人が集まっていた。トヴァイスはローブを目深に被った。
 ノアとは違い、彼は頭さえ隠せば欺ける。

「――三百年前の予言だけが、正しい。ゆめゆめそれを忘れぬよう」

 それ以降、サンジェルマンの声は途絶えた。
 背後から火の手が忍び寄ってきた。
 窓を開けて、皆で外に出た。
 ノアの前に立ち、衆目から隠す。イルが先導し、引火しないところまで逃げおおた。

 その数時間後、屋敷は全焼し、全てが灰に変わった。

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