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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む書斎にあった本は、驚いたことにほとんどが恋愛小説だった。甘ったるいラブロマンス。貴族令嬢が王子に見染められる話ばかりだ。
天井まで届く本棚にいれられた本達は、読まれた形跡がなかった。まるで、飾りだと笑うように、折り目さえついていなかった。
その本棚の中に、一つだけ読み込まれたものがあった。恋愛小説の間に捻じ込まれるように入っていたそれは、かなり読み込まれているようで、めくり痕がついていた。
題名はーーアカシアの年代記について。
吸い込まれるように、その本を抜き取って中身を速読する。
アカシアの年代記。聞き覚えがある。夢で聞いたはずだ。
アカシアの年代記とは、過去、現在、未来。全てが書かれた予定調和の本だ。
神によって脚本を書かれ、人々はそれを演じる。神の望む通りに踊り、笑い、生きて、死ぬ。この一連の人生が全て決められたものだとする思想だ。しかもそれにはあらゆる生命体の記憶を事細かに書かれているという。
面白いことに、そのあらゆる生命体の中に、神まで入ると書かれていた。神さえ、アカシアの年代記の中では一つの生命体として名を連ねる存在に過ぎない。
勿論、ここらへんはかなり湾曲した書き方がされている。検閲対策だろう。神が絶対的ではないという書かれ方は、清族達や聖職者達の批判を買う。
この本自体も何度も修正が入っているようだ。これは改訂第九版だと後付けにあった。
ところどころに線が引いてある。走り書きらしき言葉も。本を大切にしていないというよりは、本の活用の仕方が鑑賞ではないとはっきりとわかる使い込まれ方だった。
母のものなのだろうか。
だが、そうだとしたら、どうしてここに残されているのだろう。
ここは使われなくなった離宮だ。こんなに使い込まれているのに、持ってはいかなかったのだろうか。
しばらく頁を捲っていると、走り書きの文字とは違う字が出るようになった。
かなり綺麗な文字だ。走り書きとは反対に、長文だった。
だが、書かれていたのは、アカシアの年代記の記憶に触れられるものは瞑想を極めた人間だとか、人間には見えないものだが私にはオーラが見えるとか、果てには自分が女神の生まれ変わりでアカシアの年代記に触れたことでそれが分かっただとか、正気を失っているとしか思えないものばかりだった。
本の後半になるにつれて、常軌を逸してきている。妄想を書きなぐったような文章だった。
読んでいられなく本を閉じる。なんだかどっと疲れた。
目頭を揉んで、腕を伸ばす。
肩の筋肉を解しながら、この本の走り書きを誰が書いたのかを考える。
普通に考えるならば、母なのだろうか。だが、どちらだ。荒い走り書きの方か、長文の方か、私と書いているのだから、長文の方か。こんなに精神が不安定な人だったのか?
だいたい、だとしたら荒い走り書きは誰のものだ。父王様のもの?
だが、やはり違和感が募る。こんなものをどうしてここに置き去りにしているんだ。
イルが私の置いた本をペラペラとめくった。楽しくなさそうに眉間に皺を寄せている。あまり文字を読むのが得意ではなく、びっしり書かれていると幻滅すると、こないだこぼしていた。
文字量も多いし、辟易しているのかも知れない。
「うへぇ……。何がかいてあるかさっぱりですよ」
「『アカシアの年代記について』? そもそもアカシアの年代記って何?」
「歴史書か何かですか? 人ってどうしてこう、本を残したがるんですかね」
「それは同感。サガル様なんて絵でも言葉でも到底表現しきれないってのにさあ。芸術家って奴らは、後世に残したがるよねぇ」
「語り継いだところでその人はもういないっていうのに」
「歴史書だもの。後世に語り継ぎたいと思ったから、書かれたものが多いと思うわ」
例えば、ロイスター領の歴史書の序文にはこう書かれている。
世にとって、最も醜いものは蝗である! と。
これは蝗害のために作物が不作に終わり、飢饉が起こった。しかもそれが何度も起こったのだということを示している。
この歴史書には殆どその年に行った蝗害の対処法しか載っていない。つまり、ロイスター領で行われた蝗に対する処置方法を書かれた歴史書なのだ。
蓄積された知識が、知恵となり、対処の方法へと姿を変える。
そういう魔性のような魅力が歴史書にはある。
とは言っても、かなり硬い文章だから、読むのが難しくて私はあまり好きではないけれど。
「これは歴史書じゃないわよ。考察本というか、論文みたいなものね」
「はー、論文ですか。俺にはとんと縁のない話ですね」
「ちょっと、こっちちらちら見ないでくれる?」
「いや、そういえばリュウも清族の血を引いてるんだから、こういうの得意なんじゃないの?」
「得意そうに見えるわけ?」
イルは苦笑しながら首を振った。鼻を鳴らして、リュウが睨みつける。
「それで? これ、役に立ったの?」
「……いいえ。これは役には立たなかったわ」
「ふーん。じゃあ、戻しておいてあげる」
本棚の空きが埋まる。
『アカシアの年代記』は私の探していた本じゃない。だから、これ以上、謎で頭を悩まされる必要はないのだ。
走り書きも、夢の記憶も気にする必要はない。
古びた本だけが、綺麗な本の集合でやはり異質だった。
……どうでもいいことだけど。
ここには、童話はなかった。
書斎には目当てのものがなかった。学校の図書館の方が当たり前だけれども、本が多い。それでも、何かないかと思って離宮内を一回りしてみる。
地下室や倉庫みたいなものもあったので、嫌がるリュウを説得してなかにはいった。地下室にはさして気になるものはなかったが、倉庫にはあった。
布がかけられたキャンパスだ。
定期的に掃除されているからか、埃っぽくはない。ただ、布は長年変えられていないことを物語るように黄ばんでいた。
「よし、取りましょう」
「ちょ、ちょっと! 姫なのになんで率先して取ろうとするわけぇ!?」
「えい」
「俺がやるっていう前に取らないでくれる?!」
蜘蛛の巣を払い除けて、絵をまじまじと見つめる。
青年が一人、水面に浮いている。喉は裂かれ、彼を中心に満月のような血が広がっている。
浮かべている表情は、神聖だ。無垢を象徴するような微笑。
腕を伸ばされている。まるで抱っこをせがむ子供のよう。
真っ赤な血に被さるように、さめざめとした青い月の光が水面を照らしている。
胸を掻き毟るように美しく、凄惨な描写だ。
目が離せずに、ずうっと見つめていた。
指が官能で痺れていた。
「『青い絵』」
ぽっと口に出てきた言葉に、自分でも驚いた。そうだ、この作者を私は知っている。ザルゴだ。
ザルゴが描いた『青い絵』シリーズ。
この絵はそれにとてもよく似ている。
けれど、おかしい。ザルゴの『青い絵』は全部で五つ。
『売られた娼婦』『盲目の聖職者』『磔の醜女』『業病の盗賊王』『水に浮かぶ聖女』
謎めいた連作に、この青年の絵はなかった。ザルゴ公爵だって言っていた。
あれは、五つだからこそ意味を持つ。
キャンパスを持ち上げて裏を覗き込む。
そこには、ザルゴ公爵のサインが描かれていた。
「うわっ、なんですか、これ」
イルが指差したところを見て、私もわっと声を上げてしまった。
隅の方に、『俺の愛する』とかかれていた。その愛するのあとは黒い絵具で塗り潰されている。
「これ絶対に名前が書いてあったよねぇ。それを、塗り潰して消した」
「誰がそんなことを? というか、これってまだ描き書けってことですかね? こんな状態で置いてあるってことは」
「さあ? でも、あの公爵様が自分の作品をこんな風に置き去りにするとはとても思えないけど」
そういえば、リュウはザルゴと一緒にいた。慇懃無礼に接していたはずだ。
「死を偽造していたっていうのに、自分の作品を買い戻すために公の場に出たくらいなんだもの」
「そういえば、そもそも、サガルとザルゴ公社はどういう関係なの? 死んだと偽って匿っていた?」
「さあ、俺は詳しい事情は知らないけれど。ある日突然転がり込んで来たって聞いた」
「そんな無茶苦茶な。ザルゴ公爵を匿っていたと知られたら事だろうに」
それはそうだ。ザルゴ公爵は亡くなって、トデルフィ公爵家は勢力を著しく失った。
軍人の英雄。芸術にも優れた才人。そんな凄い人間の後釜を、並大抵の人間がこなせるはずがない。
ザルゴ公爵が蘇ってくれればと思われているに違いなかった。それを王族が匿っていたとなれば、どんな言いがかりをつけられるか。
「サガル様がお決めになったこと。俺達に口を出せる道理はないわけ。分かる?」
「それはそうだろうけれど。…‥ねえ、今でもザルゴ公爵を匿っているの?」
「まさか。お姫様が移ってきたぐらいから何も言わずに出て行ったきりだよぉ。サガル様も気にしていらっしゃらない様子だから、捜索もしていない」
あの男、人を殺そうとしておいてどこに行ったんだ。次会ったときは、嫌味ぐらい言ってもいいはずだ。
というか、本当にあのとき、私達を殺そうとしたのはザルゴ公爵だったのだろうか。
若かった。時間を巻き戻したように。
「リュウは、この絵のこと何か知らない?」
「知るわけないでしょ。これはここに置いてあった。ここにいた人間しか見られなかったはずなんだから」
それもそうか。
私の母はザルゴのことが好きだったのだという。父王様はその母のことが好きで、王妃は父王様に懸想していた。そして、ザルゴは王妃に。だが、ザルゴの探している人間は王妃ではなかったと言っていた。人違いだったのだと。
不思議な四角関係があった。それは間違いないのだろう。
だとしたら、この絵の宛先を塗り潰したのはきっと、ザルゴのことを好きだった人なのだろう。
自分ではない人間に向けられた絵を、こんな日の目の見ない場所に追いやった。
ザルゴ公爵も探しただろうが、とうとう見つけられなかったのだろう。
私だったらどうするだろう。
もしギスランが私のことが好きではなくて、他の人間に向けた親愛の品を残していたのだとしたら。
愛でるのか、捨てたいと思うのか。それとも、別の感情に支配されるのか。
考えても無駄だと思い知る。私にはきっと、分からない。
キャンパスを手に取る。
魅惑的な絵だ。これがもし、『青い絵』と同じように『カリオストロ』から取られているとしたらどの場面を表したものなのだろうか。
サンジェルマンの言葉が突然、よみがえった。
『カリオストロ』は予言書ではない。
あれは、あの男の妄執だ。
キャンパスの中では男が喉を掻き切っていた。この絵を見て最初に感じたものとは真逆の印象を受ける。何かを誘い込むような、誘蛾灯のような妖しさがあった。
この男は誰なのだろう。
答えを知っている人物は一人しかいない。そして、そのたった一人の証人は、今どこにいるかも分からない。
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