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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「そういえば……」
外が俄かに騒がしくなっている。きっと使用人達が戻ってきたのだろう。リストのカップに紅茶を注いでやりながら、口を開く。うまく入れられなくて、カップの下にまで紅茶がこぼれてしまった。
むっと眉を顰める。こぼれるほど注ぐつもりはなかったのに。
それを指で拭って、リストが綺麗な所作で唇へ運んだ。
「オクタヴィスという清族の話を聞いたの。そいつが私に会いたいと言っていると。どんな奴なの?」
「どんな?」
カップを置いて、リストは繰り返した。
「どんな、か」
「クロードは陰気な男だと言っていたわ。独り言をぶつぶつ呟くのだと。そうなの?」
「……いや、まあそうだと思われても仕方はないのだろうが。ヴィクター・フォン・ロドリゲス。ユリウス、そしてオクタヴィス・フォン・ロゼタイン」
リストは名前を呼びながら、指を一つずつ上にあげた。
オクタヴィス・フォン・ロゼタイン。
オクタヴィスのフルネームか。
「清族の中でもとりわけ、名前の知られた三人だ。ユリウスは言わずもがな、王宮筆頭魔術師だからな。ヴィクター・フォン・ロドリゲスは光電機械の生みの親。光電工学、魔術工学、機械工学の一人者だ。――それに、比べて、オクタヴィスの功績はほとんど知られてはいないーーというか、そんなものはないのかもしれないな」
「ない?」
「ああ、あいつの論文に一度目を通したことがあったが、専門は法哲学のようだった。論文の内容は戦時中の軍法についてだ。軍法が苛烈になればなるほど、脱走兵は増え、内部粛清は過酷になる。果たしてそれで正しいのか、というものだ。とはいえ、類似の論文は多数出ている」
「――そこまで目立った発表ではなかった?」
「そうだ。だから、他に何かあるのか、たとえば何か稀有な魔術や魔法が使えるのか、と思うだろう? だが、そうではないらしい。人形を使った術を使うらしいが、そこまで稀有でもないのだと」
じゃあどういうことなのだろう?
力もなく、目立った功績もない。そんな清族がどうして取り立てられるのか。有名になったのか。
「国王陛下のお気に入りと、影では言われている」
「お気に入り……?」
「そうだ。何でも、何でもないときに呼び出しては意見を聞いているのだという。寵臣と言うやつだ。オクタヴィスは、しがない裁判官でしかないのだがな」
「裁判官なの!?」
「ああ、刑事裁判が担当だな」
私が、思い描いていたオクタヴィスとはだんだんと乖離していっている。
不気味な笑みを見せる人形使いの清族だとばかり思っていたが、裁判官……?
それでいて、国王陛下に好かれているって、どういう……?
一人の人間のことだとは思えない。もしかして、双子か何かで、二人の印象がごちゃまぜになって変なことになっているのでは?
「裁判官が寵臣だなんて、おかしいでしょう。……おかしいことだらけだわ。平民が貴族を訴えたり、貴族でもない清族が寵遇されているなんて。宰相達はそれで納得しているの」
宰相――リストの父親のことだ。国王陛下の弟。
「さてな。俺には分からない」
「……分からないって。階級制度が崩壊しつつあると思うのだけど、それで本当にそんなに悠長でいていいの」
平民が貴族を訴える、なんて今まででは考えられなかった。それだけ、階級意識がぐらついているのではないだろうか。
そのぐらつきがいいものなのか、私には分からない。
ただ、何となくだけど、正常ではない気がする。
だって、法律を作っているのは、ほとんどが貴族なのだ。そして、それを裁く裁判官も、清族がほとんどだ。中には平民もいるだろうが、貴族が圧力をかければ法を捻じ曲げる可能性があるのでは?
平民が訴えても、裁くのは人間だ。賄賂や上からの鶴の一声で簡単に判決が変わるのでは。
訴えれるのに、訴えても勝てない矛盾。理はあるのに、判決で覆さられる屈辱。そんなのが続けばどうなるかなんて明らかだ。――暴動が、起きる。
けれど、一方で、こう考える自分もいる。一方的に虐げられる存在だった貧民が抗う力を持つのはいいことなのではないか。馬車で轢かれ殺された子供の両親が、階級の壁に阻まれて、正義を成せないことがおかしかったのだ。正義がなされる可能性を考えれば、悪いとは思えない。
自分でもどの立場でものを考えているのか。視点がぐちゃぐちゃでうまくまとまりきれない。そもそも、この問題は、オクタヴィスを寵臣にしている国王陛下――父王様が悪いわけじゃない。
裁判官というだけで、さきほど聞いたリストの話と関連付けているだけだ。裁判官を寵愛しているから、平民が貴族を訴えるなんて因果関係はない。
「なるようになれと言うやつだ。時代の趨勢がそうなのだから、抗っても意味がないだろう。……そもそも、大四公爵家はほとんどが落ち目で、今時、羽振りがいい貴族はゾイディックか、イーストンか、と数えるほどだ。豪商や金貸しに食いつぶされて、没落し、首を吊った伯爵などごまんといる。娘を娼婦に堕として、それでも金が用立てられず自分が犬の餌になった奴もな。――カルディア、もはや、階級なんてものは、ただの飾りのようなものだ。成り上がりが子爵令嬢を娶って貴族になったり、そいつらが王宮で大きな顔をしたり、な」
「な……何、それ」
「……いや、忘れろ。こんな話をしに来たわけじゃない。そもそも、お前には関係のない話だ。お前は、王族で、金にも困っていない。兄上は賢い方だからな。弁えていないものを側には――いや、案外そうでもないのかもしれないな。使用人達はお前を置いて外でお楽しみだ」
リストの口から聞かされた言葉は衝撃過ぎて、口を開けなかった。
私の世界でも、サラザーヌ公爵家はお金に困っていて、正直、どうにもならない状況に陥っていた。けれど、それでも、階級制度が足元から崩れていくような感覚はなかった。貴族のよくある衰退だと、思っていたのだ。個人の事情だと。だが、その流れが、貴族全体に広がっているというのならば、いずれ、気がついたら階級なんてものはなくなってしまうのではないだろうか。
だが、階級の代わりに何が人と人を分けるんだろう。
平等にはすぐにはならないだろう。階級がなくなれば、何かが人と人を明確に測るものになるはずだ。
金、なのだろうか。それとも個人の能力?
人徳や正義でないことだけは分かる。それらは、綺麗すぎて人間の間を飛び交ううちに汚れていく。善行や義憤は、人の間を転がるうちに泥に塗れて汚れたものに成り代わる。
けれど。
その秤もなくなったら。
平等という淡い理想が頭のなかによぎった。ちらりとハルを見遣った。苦い記憶がよみがえる。半年もたっていないことなのに、心臓がじくじくと痛む。私が平等を享受するなんて、できるはずがないのに。
「あの男が、どうしたのか」
リストは私の視線をよく見ていたのか、厳しい視線をハルに向ける。
「いいえ、違うわ。屋敷の外が騒がしいのに、まだ誰も屋敷の中に入ってはこないのだと思っただけよ」
「そう言われれば、そうだな」
リストの視線が、扉へと向かう。そのとき、とたばたと大量の足音が聞こえてきた。目を丸くしながら、その音に耳をすませていると扉の前で足音が途絶えた。コンコンとノックされる。ハルが、ぎこちなく扉を開けた。
「奥様……! と、リスト坊ちゃん!?」
「坊ちゃんはやめてくれ。婆や、どうして、この屋敷をほとんど無人にしたんだ。これでは、来客があったときに示しがつかないだろう」
「そ、それは……も、申し訳ございません」
「執事のロバートはいないのか。家令はいるはずだな? いくら、母上の息がかかっているからと……」
「いやあ、お話し中に申し訳ありませんね」
侍女を押しのけて、男が入ってきた。目つきの悪い優男だった。手はべっとりと血が付着していた。独特の臭いに鼻をおさえる。
――この、男。
「お前っ……」
「いやはや、リスト様! 本当にこのような場所でお会いできるとは驚きました。クロード様に出入り禁止にされたのはなかったので?」
「お前こそ、どの屋敷にも出入りはまかりならないと言われているはずでは?」
「そうなんですがね、困ったことに俺に入れないところの方が稀でして。なにせ、ほら、俺は強くて凄い男ですから」
声に、とても聞き覚えがあった。いや、と首を振って否定しそうになる。だって、眼鏡がないから。あれは、ギスランから貰った大切なものだと、この男自身が言っていたはずだ。
「――イル」
口からこぼれるように名前を呼んだ。きつい眼差しがこちらを向く。見覚えのある、瞳だった。
「この頃はイル・キルベールを名乗っているんですよ、カルディア姫。キルベール子爵です。――でも、貴女様が俺の名前を憶えていてくれて嬉しいですね。この間、お会いしたときは、俺のことをきつく睨みつけていらしたので、嫌われたものだとばかり」
「し、子爵? でも、お前はギスランの剣奴でーー」
キツい眼差しで睨みつけられ、続きの言葉が紡げず口を閉じる。
肌を刺すような、緊張感が広がる。
「ええ、あの方の剣奴でした。ですが、今は違いますよ。貴族の仲間入りをしましたので」
にこりと、口だけでイルが笑みを作る。冷め切った瞳が私をじとりと見つめていた。瞳のなかは空洞のように何も映していない。闇が瞳の中で渦巻いているようだと思った。
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