どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「貴族?」
「はい。貴族です」
「貧民、でしょう。お前は」
「いいえ? 俺は成り上がったんですよ。あぁ、そうだ。宝石商も営んでおります。王都でもなかなか評判でして。――カルディア姫」

 馬鹿にしたように、イルは口の端を上げた。

「震えていらっしゃる。どうしたの、寒いんですか?」
「姫……」
「あぁ、これは失敬。あの方がーーギスラン様がいつもそう呼んでおられたもので、つい。奥方様でしたね、今は」

 棘のある言い方に私が何か言う前に、リストが口を開いた。

「それで、お前は何をしに来た?」
「……あぁ、すっかり忘れるところでしたよ。リスト様、貴方を探しに来たのです。軍の方にお聞きしたらこちらだと伺ったもので。ですが、本当にここにいらっしゃるとは。正直、半信半疑できたのですがね。――魔獣が出ました」
「知っている。そこまで害のない種類だと聞いたが」
「それが違うのですよ。いや、違うと言うのも変か。最初はそうだった、と言うべきですね」

 イルは無遠慮に部屋の中を横断すると、私達と向かい合うようにソファーに腰掛けた。

「ペンギンですっけ? あれは言うなれば撒き餌だったんですよ。それを狙いにもっと大きな魔獣が現れましてね。白鯨の姿をした、大きな魔獣だ。それを見た途端、来ていた清族がね、次々と正気を失いまして」
「正気を?」
「そう、いきなり鳥の化け物に変化してね。カルディア姫は見たことがお有りになりますか、清族が狂うところ。『乞食の呪い』の成れの果てを」
「成れの果て……?」

『乞食の呪い』自体は清族を鳥頭に変えるものだったのではなかったか?
 太陽を浴びると、鳥の頭を持った怪物になる。それを薬で、抑えているのだと聞いた。
 成れの果て……?

「『乞食の呪い』についてはご理解していますか? ならば、よかった。薬を飲み続けるというのも考えものなんですよ。投与すればするほど薬は効きにくくなるし、それに投薬をやめると代償を支払うことになる」
「――代償?」
「ええ、そもそも、その呪いっていうのは薬で一時的に押さえつけているだけで、身体中に広がってはいるそうなんですよ。なんというのかなあ。ただ解熱剤を投与しているだけって言うのか。熱は下がるが、根本的な病気は治っていないっていうね。……問題は解決なんてしないんですよ。ただ、見てくれだけを取り繕っているだけ。問題の先延ばしですね」
「ど、どういう意味? 薬を断てば、どうなるというのよ」
「一気に呪いの進行が進むんですよ」

 ちらりと、イルの視線が紅茶に注がれた。飲みたいのだろうか? 使っていない私のカップに注ごうとしたら、勝手にティーポットに手を伸ばして掴んだ。取手にべっとりと血が付着する。
 目を丸くしていると、イルは注ぎ口に口をつけて飲み始めた。
 呆気にとられて、見つめることしか出来ない。
 口の端から、紅茶がぽたぽたとこぼれていく。それを指で拭って、イルはにこりと口の端を上げた。

「いやー、美味しいですね」
「無作法者が。同じ空気を吸いたくもない」
「おや、では部屋の外に出られてみればよろしいのでは? 姫様を置いて」

 きつく、リストがイルを睨みつけた。側にいるとぴりぴりと肌が粟立つのが分かる。けれど、イルはリストの怒気を受けてもまるで怯まない。

「そうそう、話の続きでしたね。呪いの進行なんて言っても俺達にはよくよく分からないこと。どうなるのかって話の方が重要ですよね。人じゃなくなるんですよ」
「人じゃなくなる……?」
「まず見た目が変わって、そのうち、視界もおかしくなる。そうなればもう進行は止まらない。聞こえる音の種類が増えて、見える色の数、嗅ぎ分けられる臭いの数が増える。そのうち、人の言葉を喋れなくなって、最後は心さえ、化物になってしまう」

 イルのいうことが確かならば、それはーー。
 それは、確かに、化物になるということだ。人ではない、異形に成り果てるということだ。

「魔獣になると言ってもいいかもしれませんね。だって、今日殺した清族達は、俺じゃあきちんと傷さえつけれなかった。魔具があってやっと殺せた」
「清族を殺したの」

 殺した。そう言った時、舌が痺れるような感覚がした。
 こくりと頷き、イルが肯定した。

「そうですよ、殺しました。化物退治をしました。元は清族でも、人の目玉をほじくって食べていたのでね。殺してやった方が救いがあるでしょう?」
「で、でも、どうして。薬を絶ったらそうなるのでしょう。魔獣にあってそうなるわけじゃない」
「それは俺にも分かりませんよ。ただ、薬が切れたような姿になったことだけは本当ですよ。突然、人を襲い出して、意思の疎通もあったものじゃない」

 白鯨のせいなのか? でもイルの話を踏まえても、一気に呪いが進行しすぎている。どういうこと?

 そこで、血の気が引いた。
 ギスラン・ロイスターのことを思い出したからだ。
『乞食の呪い』を止める薬を絶つ。それで、寿命が伸びるかもしれない。
 そうと言ったにも関わらず、あいつは薬を絶つことはしないと断言した。
 どうしてと尋ねても説明せずに、トーマに聞いてみるといいと言っていた。それはこういうことだったのか。呪いを抑える薬をやめれば、呪いが一気に進行し、正気を保てなくなる。
 ぐっと唇を噛む。そんなこと知らなかった。知るはずなんかない。だって、私は清族じゃない。乞食の呪いだってろくに知らなかったのに。
 言い訳ばかり思いつく自分が嫌だった。私はあいつに、惨い提案をしたんだ。
 歯を食い縛る。あいつだって、きっと寿命を伸ばす方法を考えたはず。その中に、きっと薬をやめるという選択肢もあっただろう。
 けれど、そうはしなかった。寿命が伸びても、正気を保てなくなるから、選択しなかった。

「白鯨も、俺が殺しました。いやあ、ユリウスが来てくれて助かりました。あの人は、清族であっても狂うことがなくて。――ま、そんな阿鼻叫喚な有り様でして、ユリウスは事後処理に時間を取られているので俺が直接貴方に報告しにきました」

 ソファーに腰掛けるイルがだんだんと変に思えてきた。ユリウスを呼び捨てにするのだって、違和感があった。
 まるで、イルじゃないみたいだ。イルはいつも立って人の話を聞いていた。だからそう思うのだろうか。
 いいや、きっと全部が不自然なのだ。貴族というには仕草が野卑で、平民というには上等な服を着込んでいる。
 貧民のように卑下するような諦観はないのに、澱んだ瞳をしている。

「軍部でもない人間が俺に報告とはおかしなことだ」
「おや、俺は善意で来たというのに、酷い言われようだ。傷ついてしまいそうですよ」
「よく回る口だな。舌を抜けば、その澄ました顔も苛立たずに見れそうだが」
「ええ、何せ主がお喋りの上手な方でしたので。――それにしても、姫様。こうやってきちんと話を出来るのは初めてですね。一つ、お訊きしたいことがあるんです」
「ききたいこと?」
「そうです。俺はこの質問を貴女にするために貴族になったので」

 イルがソファーから立ち上がる動作しか見えなかった。気がつけば私はイルに喉を掴まれていた。ギチギチと、痛みが走る。呼吸が出来ずに、イルの腕を掴む。鉄でできているのかと思うぐらいびくともしなかった。

「淫売女、ギスラン様を殺したのは貴女だろ?」

 ギスランを、殺した?

「そこにいるくそ男に頼んで毒殺するように仕向けたんだよね? 貴女は男を誘惑するのが得手だもの。ギスラン様が言っていらしゃった。潰しても潰しても、虫のように男どもは貴女に群がるって」

 頭の先から熱が下に降りてくるようだ。頭に霞がかかったようにぼんやりとしてくるし、舌が乾いて仕方がない。
 何度も腕を叩く。イルはゆっくりと私の首から指を離した。
 目の前で一閃が走った。イルは後ろに後退し、机を挟んで、ソファーの上に飛び乗った。

「――こわいこわい」

 リストは抜刀し、剣でイルを斬り伏せようとしたようだった。
 素早くそれをかわしたイルはにやにやと不気味な笑みを湛えている。
 げほげほと咳き込むと、視界が滲んだ。
 くそ、知り合いに首を絞められるなんて、悪夢以外の何者でもない。ぜいぜいと肩で息をする。いきなり呼吸を繰り返し肺が膨らんだせいなのか、肋骨あたりが痛んだ。

「殺す」
「ならばよかった。俺も貴方を六回は殺したいと思っていたんですよ。幸い、ここだとお得意の時間稼ぎは出来ないでしょうし。……貴方にとっては不幸なことなのかもしれませんが」
「汚いその手でカルディアに触れただけでも罪深い。――口汚く罵ったことを詫びながら死ね」
「っ! 待っ、待って! ハル、リストをどうにかして! イルも、どういうことだか説明して!」

 いきなり名前を呼ばれたハルは驚いていたようだったが、すぐに反応してリストを羽交い締めにしてくれた。ジタバタと暴れるリストは、それでも私が近付くと剣を落として抵抗をやめてくれた。

「馬鹿! 俺は武器を持っていたんだぞ、それを無防備に近付いてきて! お前に怪我でも出来たら」
「でも、お前は私のために武器を落としたでしょう。……頭は冷えた?」
「……ああ、血の気がひいてな」

 リストがもうやめろと言わんばかりに腕を動かしてハルを振り払う。
 ハルに感謝を伝えるために視線を投げて、振り返る。イルをまっすぐ見つめた。彼は皮肉げに鼻を鳴らした。

「どういう、こと? どうしてあの男をーーギスランを私が殺すのよ。あいつは私の婚約者なのに」
「じゃあなんで、看取りにも来なかった?」
「――え?」

 イルはもう私に対する憎悪を隠しもしていなかった。めらめらと、憤怒の炎が瞳の中で燃えている。

「ギスラン様が倒れて、貴女は見舞いにも来なかった。水葬のときに、泣き崩れる演技なんかして、同情をひきいて。あの方に、死んで欲しかったんでしょう? ギスラン様は、貴女のことを、貴女の幸せだけを祈っていたのに」

 悲痛な叫びに、心臓がぎゅっと握り潰されたような気がした。

 見舞いにも行かなかった? どうして?
 どれだけ考えても、分からなかった。当たり前だ。私にはその記憶がない。だって、この世界のカルディアじゃない。

「ギスラン様の腕は妖精に食われた。足は千切られ、皮膚は剥がされて、血は啜られて、眼球は舐られて、舌は丸呑みにされた。肉と骨は焼かれて嚙み砕かれた。あんなに美しい人に残ったのは、心臓だけ。貴女に捧げた、あの方の心だけ。それなのに、――それなのに!」

 心臓、だけ? 残ったのは、心臓、だけ。

「あの方が死んでそう日も経たないうちにまた婚約者を作って結婚した。あの日、葬式で見せた涙はまがい物だったんだ。あの方の真心を水に流してなかったことにした。ギスラン様のことが煩わしかった? あの方の女癖の悪さに辟易していたものね。でも、あれだって、貴女を害する人間がいないか調べるため、女を使うためだったのに。子供を産んで、他の男と幸せになって、今更、婚約者なんて、笑わせるよ」

 殺されそうだと思った。それぐらい直接的な殺意を、イルは私に向けていた。

「ギスラン様が死んだときに、貴女も死ねばよかったんだ」
「――カルディア」

 聞くなと言うように、リストが強く言葉を吐き捨てた。

「俺達は、ギスラン・ロイスターに病の可能性があると言われていた。移る可能性があるのだと。見舞いにもいけなかった。コリン領で病が流行っていたからな。ギスラン・ロイスターは対応に追われていて、コリン領へも何度も足を運んでいた。行けなかったのは仕方がないことだった」

 イルの言葉をかき消すように、リストは続けた。

「そもそも、さっきお前はカルディアに証拠もない疑いをかけたな? 証拠があるならば、裁判でも何でもして真実を白昼のもとにさらせばいい。だが、こいつが毒殺を依頼した形跡はないのだろう? そもそも、本当に毒など盛られていたのか?」

 刃のようにリストの声は鋭さを含んでいた。いっそ苛烈としか思えないほど、言葉は熱を帯びていく。

「もし、お前の言う通り、俺がカルディアに頼まれて毒を盛ったとしよう。あの狡賢い男が、俺が毒を盛った食事を口にすると思うのか? お前達の中に裏切り者がいたと言う方がまだ現実的な意見のように思うが?」
「俺達は絶対にギスラン様を裏切ったりしない」
「では、どうしてお前は生きている? ギスラン・ロイスタ―の剣奴達は皆、死んだと聞いたぞ。死に逝くあいつを目の前にして、無慮を慰めるためと言って我先に自害したのだとな」
「じ、自害……?」
「ああ」

 リストは気遣うように私に視線を向け、そっと逸らした。

「お前こそ、ギスラン・ロイスタ―に毒を盛った張本人なのではないか。貴族の女を抱いて成り上がったのも、捜査の進捗状態を知りたいがためなのでは? こうやって、カルディアを嬲りに来たのも、目くらましのためなのではないのか」
「俺があの方を害するわけがない!」
「口だけならばいくらでも吠えられるだろう。なにせ、死人に口はない。婚約者であった姫を犯人に仕立てれば、娯楽好きな大衆はより興奮する脚本を好む。お前には好都合だな」
「――っ!」

 空気が重くなった。喉がひりつき、呼吸が難しい。イルは、歯を見せて唸るようにリストを睨みつけた。今にも飛び出して、喉元を食らってやるとその瞳は言っていた。
 リストが熱に浮かされたように口を開こうとした。リストの呼吸音を聞いて、イルが前に飛び出した。

「眼鏡をーー」

 私の身長を優に超える跳躍を見せて、イルがリストの目の前に降り立つ。殺すつもりだと一瞬で理解できた。反射的に私は喉から声を絞り出した。

「眼鏡をまだ、持っているの」

 イルの動きが、ぴたりと止まる。振り返らずに、イルは空気を震わせる。

「どうして、眼鏡をかけていたと知っているんですか。さっきから、貴女は俺を知っているように振る舞うが、それはおかしい。貴女の視界に入らないように立ち回っていたんですよ、こっちは」

 答えるつもりはなかった。だって、この世界の私はきっと、この男が眼鏡をかけていたことを知らない。違う世界から来たから、わかるだけだ。

「もう、捨ててしまった? 前の主があげたものなんて」
「っ!」

 振り返ったイルは、眉間に皺を寄せていた。

「捨てるなんて、できるわけがない。あの方が残して下さったものだから。俺に下った、たった一つのもの。俺の心臓なんかより、価値がある、かけがいのないもの。――それに、前の主じゃない」

 イルは、目元を豪奢な服の袖で乱暴に拭った。

「あの方は、俺が死ぬまで俺の主だ。あの方以外に仕えるつもりはない。俺はあの方に、何もかも捧げている。骨の髄まで、あの方のものだ」

 ――ああ。イルだなと、どうしてか目の端が熱くなる。
 豪奢な服を着ていても、こいつはギスランの剣奴なんだ。

「お前は、ギスランを殺してなんかいないのね」
「カルディア」

 この世界のイルのことはよくは知らないけれど、きっとギスランに捧げた狂信的な忠誠は同じだ。だとしたら、この男がたった一人残ったのは。その理由は。

「……この男は、ギスラン・ロイスタ―の屋敷から、宝石類を盗んだ疑いがかけられている。ロイスタ―公爵が大事にしたくないと訴えを下げたから、捕まっていないだけだ。宝石商など笑えてくる。この男は、自分の欲のために主の屋敷から宝石をくすねた卑しい男だぞ」
「――そう。イル、お前、もしかして、眼鏡に嵌められていた宝石も売ってしまったの。……あれ、ギスランの涙からこぼれたものでしょう。あいつ、泣くと宝石がぽろぽろ落ちていたものね」
「ええ、ええ、そうですよ。売りました。あの方のものは全て。何ですか、責めているんですか」
「違う。違うわよ」

 きつい眼差しを向けてくる瞳をしっかりと見つめ返す。意地が悪そうな目つきだ。
 眼鏡をつけた姿が見慣れているせいで、なんだか無性に寂しくなった。

「ギスランが死んだのだから、無視してしまえば良かったのに」

 ぱちぱちと、睫毛を何度も瞬かせたあと、イルは目の色を変えた。悔しそうな表情を一瞬だけ浮かべて、睨みつけてくる。

「お前が守る価値なんて、私にはない」
「でも貴女を守れと、ギスラン様はおっしゃった。価値なんかなくてもーーどうして分かったんです」
「だって、お前、強いでしょう。いつでも私を殺せる。けれど、殺しにこない。ギスランを殺した女だと思っている癖に」

 だから思ったのだ。何か理由があるのだと。
 例えば、ギスランから私を守るように言われている、とか。だとしたら、宝石商になり、貴族となったのも私を守るためなのではないか。だってイルは立身出世を目論む野心家じゃなかった。少なくとも私の知るイルは違う。目の前にいるこの男も、私への憎悪は感じるが、取り入ってやろうという媚びは一切ない。そもそも、この男のギスランに対する忠誠は本物だ。ならば、答えは決まったようなものだ。

「分かったような口をきくんですね。まるで俺を知っているような口振りだ。怖気が走る。貴女のこと、俺は殺したいですよ。ギスラン様を殺したかもしれないと言うのとは関係なく、憎い。あの方がいないのに、貴女がのうのうと生き残っている。それだけで、胸が何度も剣で刺されているような痛みが走ります。足の一本でも折ってやりたくなる」

 けれど、と言ってイルは顔を背けてしまった。口元が歪んで、酷薄な笑みを浮かべる。

「帰ります。どうやら、ここにいてもいらないことばかりぺらぺら喋ってしまいそうだ。俺はただ、リスト様に報告に来ただけですので」
「ああ、さっさと帰れ。もう二度と顔を見せるな」
「嫌ですよ。俺に命令出来るのはギスラン様だけ。そして、あの方はもういない。だから、俺は誰の命令もきかないんです。――またお会いしましょう」

 来た時のように、イルは嵐のように去っていった。

「あの男は嫌いだ」

 リストは吐き捨てるようにそう言った。
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