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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「女王様!」
じたばたと、鼠がもがいた。
「女王様だ、陛下だ。僕の姫だ。僕の命、あは、あははは、あははははッ」
身を竦ませる。
笑い声が頭を犯す。
「僕は、忠実なあなたの鼠でーー」
「反吐が出るよ、全くさァ」
カリオストロは足で、鼠を踏み潰した。
「誰が忠実だよ、誰が。お前らみたいな奴らがいるからこの世界は気持ち悪いんだ。――お前がいない分だけ、世界が綺麗になると思わないか? お前がついた嘘の分だけ、世界が軋むと何で理解できないんだ、畜生が」
「――女王、様」
「反吐が出るよ、お前ら鼠は。ほら、畜生ども、飯の時間だ。お兄様はきっと美味いぞ」
ちゅう、と周りにいた鼠は鳴いた。
ぎゅるるととんでもなく大きな音があちこちから聞こえる。お腹の、音だ。
「カルディア、様。僕の心を差し上げた、方。盟約を、忘れはしない、です。僕を、褒めて下さった。可愛い、鼠と言って下さった。ねえ、女王陛下。僕は食べない。食べないよ、食べたりしないよ」
甘えるような声がしている。潰された肉塊が、たらたらと血を流しながらそれでも声を張り上げた。
「――僕がお慕いしたのはあなただけ」
白い鼠達が覆い被さって、声が聞こえなくなる。狂ったような声は、やがて消えた。咀嚼音だけが残った。
「あいつはお前がウミルナで見つけた鼠だったな」
カリオストロはぶっきらぼうにそう言った。私の顔を見ない。鼠達は相変わらず、むしゃむしゃと食べていた。兄弟だと言っていたはずなのに。
腰が抜けて立てない。鼠の上にいる。嫌悪感が酷いのに、どうしても立てない。
鼠達は、カリオストロがいるおかげか私に襲いかかってくることはない。せいぜい、指を齧る程度。それをした鼠はカリオストロによって燃やされて、灰になる。灰になったものも食べるので、鼠達はなんでも食べてしまうのだろう。
「ウミルナ」
「――灰の振る町だったな。疫病が流行って、俺達が見に行った。まだあの時はアハトが生きてたっけか。食料を奪い合ってて、どいつもこいつも死んでてさァ。生き残ってたのが、こいつらだった。鼠はどんなものでも食べる。共食いもするし、家も食べる。なんだって食べた。死体だって」
思い出の共有をしていると言うよりは教え込むように、カリオストロは言葉を吐き出し続ける。
「ロクサス・ジェーンはその町の市長の息子だったな。愛を持って育てられて、必死で兄弟を守った。兄妹を尊んだ。両親の屍を食って生き残ってーー俺達と出会った。その頃には、疫病で殆どの奴らが死んでいた。残った奴らも瀕死さ。ウルミナは翌年から、地図から名前が消えた。……ルコルスは嫌気がさして一人帰っていったんだったか。あいつは本当に、弱々しい貴族の坊ちゃんだよなァ。ま、情深い奴だったからな、家族が家族を食らうなんてのが受け入れられなかっただけかもしれないけど」
アハト、ルコルス。
知らない名前ばかり出てくる。
誰なのだろう。その疑問すら、今はどうでもいいのかもしれない。
だって、こいつが語っていることは、私には関係ない。私には必要ない。
「俺らで疫病を封じ込めて、治してやった。あいつらは兄弟同士での食い合いを免れた。兄妹同士での殺し合いをどうにか回避できた。ロクサス・ジェーンは助けてくれたお礼にとお前に誓ったな。何があろうと、お前を食べたりしない。腹が減っても、死ぬような責め苦を受けても。たとえ裏切ったとしても口に含んで咀嚼しない。口に含んだりしない。どんなことがあってもーー」
カリオストロは突然腹を抱えて笑い始めた。
「それなのに、なんてざまなんだ? ああなった原因を誰か教えてくれないか。あのクソ鼠に、人の見分け方を誰か教えてやれなかったものか。両親を食っちまって狂っちまったのかよ。結局は、ルコルスが言う通りってことか? 情がない獣に、約束はできなったって? 更生の機会なんていらかなかったってことかよ」
さっきまで、あの鼠を罵っていたのに。名残惜しそうに名前を呼んだ。
「ロクサス・ジェーンはねずみの子。沢山いる異母兄弟達を、必死に必死に守ってた。馬鹿で、間抜けで、臆病で、両親を食べたねずみの子。それでも誓いは絶対と、女王陛下に誓ってた。けれど、結局誓いは嘘で、悪い魔術師に倒され死んじゃった」
ひとしきり笑って、カリオストロはあたりの鼠達を一掃した。灰さえ、残らず燃やし尽くした。その頃には、彼は涙を浮かべて泣いて、蹲っていた。私は近付くと、警戒するような低い声で足の動きを止めさせる。
「お前は、カルディアじゃないんだな」
ごくりと唾を飲み込む。真実は何度も告げていたが、改めて、鼠を焼き尽くしてしまった男に自分が求めていた女ではないと真実をつきつけるのは、勇気がいった。拳で手のひらを傷付けながら、小さく頷く。
「ええ」
「そうか」
涙が、ぽろりと落ちる。
カリオストロはゆっくりと笑みを作った。まるで、その表情しか浮かべることを許されていないように。
「それでも、いい。お前がカルディアであることは変わらないんだからな」
「……意味が分からない。私は、本当にお前の言うカルディアじゃない。私は女王ではないし、鼠の従僕なんかいない。お前のことも知らない。ウミルナなんて知らない。そこであった病気のことも、お前が言う誰かのことも、知らない」
「それでも、いいんだよ」
いつの間にか、カリオストロの体は元に戻っていた。潰れていた体は、元に戻って、鼠が這い出た腹の穴は塞がれている。
ばさりと翼が一度だけ羽ばたいた。
羽根が落ちていく。床につくと、泥に落ちたように黒ずんで消えた。
「俺はお前を守ると誓った。あの馬鹿鼠のように、俺もお前と約束した。どんなことがあろうとも、誰からであろうとも。空が落ちて、大地が枯れて、剣が折れて、体が崩れ尽きようと守る」
「――それは、私じゃない」
「お前だよ。俺が今そう決めた」
「無茶苦茶だわ。お前は、オクタヴィスを殺した。他の奴らだって、生きているかどうか分からない。私はお前のことが嫌いだわ。お前が誰も止められないほど強い男でなければ、牢に閉じ込めて、今すぐ首を斬り落とせと命令するぐらいには」
強気な態度をしめせるのは、この男が私を守ると言っているからできることだった。突き放して、詰って、こいつに責任を全部おっかぶせたいのだ。私のせいじゃないと現実逃避して、真っ赤に染まった床を見ないようにする。
だって、壁には、指が刺さったままになっているのだ。指先だけが、もがいた誰かの存在を忘れるなと訴えるように残っている。
鼠は燃やされて、残ったのはただこのなかで誰かがもがいて苦しんだという証拠だけだった。
私のせいじゃない。これは私のせいじゃない。
――こいつのせいだ。
黒々とした痛みが溢れてくる。
こいつが来なければ、ここで痛みに喚いて、壁に爪を立てていたのは私だったかもしれない。体の中を鼠に齧られて、ぼろぼろ泣きながら命乞いしていたのは私だったかもしれない。
鉄の臭いがしない。鼻が馬鹿になって、もう何の臭いも感じない。
生きていることがいいことなのかも分からない。
「そりゃあ、よかった。強く産まれたことに感謝しなきゃいけねぇな」
カリオストロにとって、この血の海はただの汚れに過ぎないのだろうか。さっき流した涙は、何だったんだ。
鼠のために流した涙だった?
それとも私がこいつが言っていた女ではないとわかったから?
誰も彼も食い尽くして、王宮をめちゃくちゃにしたのに。そんな理由で泣いたのか?
私に向ける執着が怖い。それがどこから来ているのか分からないことも、分かるように説明されないことも。私の体がおかしくなっていることも。
髪から声がする。甲高い声だ。私を慰める、親しみを込めた声。
誰か、この声を止めて。
私を、正気に戻して。
「カルディア、それでどこに行きたかったんだ。仕方がないから、付き合ってやるよ。お前一人じゃすぐに食われて死ぬだろ」
化物しかここには生き残っていない。
人の声は、どれだけ耳を澄ませても聞こえてこなかった。
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