どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「お、お前、どうしてこんなところにいるのよ!」

 ふいっと顔を背けたまま、イルは何も言わない。
 上品な生地でできたシャツ。格子柄のベスト。艶のある漆黒のコート。まるで別人のような姿だ。
 眼鏡はーーやはりかけていなかった。冷たく、鋭い刃のような眼差しだった。
 イル。ギスランの剣奴だった男。この世界では貴族として生きてる。
 でも、どうしてこんなところにいる?

「この貧民、姿くらましのブローチを持っていたようだな。天井の燭台に腰掛けていたが、さっきシャンデリアが落ちたのにあわせてでこっちに逃げてきやがった」
「何をしていたのよ、本当に!」

 大体いつからここにいたんだ。

「こいつ、中庭にいやがった奴か? 木の後ろに隠れていた」
「……そういえばお前、指を指していたわね。……そう、木陰に人がいた……」

 もしかして、それがイルだったのか?
 じゃあ、イルはあのあと私達を追ってこの城の中に入り込んだ……?

「イル、お前顔を見せて」
「嫌ですが。何でそんなことを言われなくちゃならない?」
「お前」

 顔を逸らしているが、わかってしまう。血がたらたらと垂れているからだ。

「怪我をしているでしょう」
「それが、何か?」
「……永遠に顔を背けているつもり? 怪我をしているのならば、治療を……」

 そう言うと、イルが長いため息を吐いて、こちらを見た。

「……っ」

 顔の半分の顔の皮膚が剥がれて、肉が見えていた。そこから、ぽたりぽたりと血が滴っている。ぐっと息をつめて、吐き気を誤魔化す。
 ひどい外傷だった。痛そうで、見ていられない。

「これなもので、高貴な方には見せない方が良いかと思いましてね」
「ど、どうして、こんなことに」
「鼠に齧られたんですよ。どうにか逃げてきましたが、ここに来たのは運の尽きでしたね。……って、貴女、何ですか、そのヤバい顔は。どこか怪我が?」

 イルは私を見てわたわたと慌て始めた。自分の方が酷い有様だというのに。
 ……自分の血か、あの大山羊の血かよくわかっていないので、苦笑で返す。

「まあ、なんとか。見た目よりは酷くはないと思うけれど。……多分、ほとんどは返り血だから」
「見た目よりはって……くそ、マジで言ってます、それ。どっかから血が出てませんか。貴女、それでよくこっちの心配ができましたね。ドレスの色も、黒に近いし……」
「あのさァ」

 カリオストロが面白くなさそうに、イルと私の間を視線で行き来させる。

「こいつは何? 貧民だよね」
「……イルと言う男よ。私の婚約者……元婚約者の剣奴だった」
「剣奴?」

 よく分からないと言わんばかりに首を傾げられる。

「貧民の中でも才があるものが付く地位というか……」
「強いの」
「そりゃあね。……ってかこれ誰です? ……清族にしては、貴女に横柄だな」

 イルもまた不審そうにカリオストロを見遣る。二人はしばらく考え込むようにお互いを見つめていたが、山羊の声ではっとした。

「カリオストロ、どうなっている。魔獣どもが!」

 視線を落とすと、二つの魔獣達が、互いに体を絡ませあっていた。戦っているという感じではなくーーもっと別の、いうならば、互いの境界を失くして、一つに溶け合うような協力的なものに見える。
 カリオストロが指を鳴らして、壁に飾っている絵や花瓶などをぶつけてみるが、小さく鳴くばかりで、体が段々と溶けて混ざり合っていく。

「……なんです、あれ。魔獣?」
「クラゲか何かの魔獣だろ。もしかして合体する感じか? え、そんなこと出来るのかよ?」
「し、知らないけど。そもそも、あれ魔獣なのよね?」

 イルは魔獣を倒したと言っていた。
 ペンギンのぬいぐるみの姿をした魔獣。それを撒き餌としてやってきた白鯨の魔獣を倒したのだとリストに報告していた。
 だったら区別はつくだろうと思ったのだが、イルは首を振る。

「さあ……? 俺には魔力がないので、分からないですけど」

 ……あれ?
 イルと視線が合わなかった。
 片目があらぬ方向を、見ている気がする。

「馬鹿げたことをしてくれたな、カリオストロ!」
「どうやって勝つというのだ。お前の体も、そろそろ持たなくなっているというのに!」
「うるさい、お前達が強情だからだろうが」

 は?
 私はカリオストロのひび割れた頬を撫でて気をひいた。だが、カリオストロは頑なにこちらを見ようとはしなかった。

「人形師はどこにいるのだ。あやつがいれば治るのではないか」
「この場にいない者の話をしても仕方がなかろうが」
「だが、この場を乗り切るには」
「馬鹿が! ルコルス様を殺した男に、阿ると?!」

 山羊の中にも冷静になった奴らがいるようで、互いに言い争っているのが聞こえる。

「お前、魔力を使い過ぎているの?」
「……違う。山羊達の馬鹿げた妄想だ。というか、強いって何が強いの。魔力はないと言っていたから、矢を射るのとかか?」
「矢を射るのも得意だが……。カルディア姫、何ですか、この清族」
「…………」

 やっぱりイルの様子がおかしい。私がいない方向に向かって話しかけている。そして、誤魔化すようにすぐに顔をずらして私を見つめる。
 それに、カリオストロもだ。さっきは顔のひびを魔法で戻していたが、今はそうしようともしない。
 ……もしかして、二人とも相当無理をしているのではないだろうか。
 よく見ると、イルは何度も目を瞬かせていた。血が目の中に入ってくるからだ。かきだすように、何度も何度もまつ毛が落ちる。胃がきりきりと痛む。どうしたら、いい?

「カリオストロ、術をかけられる? イルを、治してほしい。そうしたら、イルは魔獣と戦える。前に白鯨の魔獣を倒したと言っていたでしょう?」
「そうなのか?」

 カリオストロは不思議そうにイルを見遣った。威嚇するようにあらぬ方向を睨みつけながらイルはまあと頷く。

「倒しましたけど。清族の補佐なしには無理でしたよ。そもそも、治すって何です。齧られたのを元に戻せるって?」
「治せるが、魔力が足りない。それにこいつは信用ならない」

 信用ならない? いや、たしかにイルはカリオストロの前で実力を見せていないが、それだけではない根本的な懸念を示しているように見える。

「さっき尋ねたな、カルディアに血が出ていないかと。だが、お前もずっとこの広間の中にいたはずだろう。カルディアがルコルスに踏み潰されるのを見て助けに来なかった奴を信用しろと?」

 時が固まったように、しんと音が消えた。
 どうしてそれを今指摘するんだ、この男は。
 そんなこと、どうでも良かったのに。
 イルはギスランに忠誠を誓っている。私にも害を成すことはないだろう。だが、勝手に私が自滅する分には構わないと思っていたのではないだろうか。
 だから、手を出さなかった。そもそも、下にはうじゃうじゃ山羊がいた。応戦していれば、自分自身も危うかったのだ。死んだ主の婚約者を守るより生き残りたいと思って何が悪いというのだろう。大怪我しているのに。

「俺が、カルディア姫を助けなかった……?」

 だが、イルは酷く顔を青褪め、途方にくれたような表情を見せた。どういうことか分からないと言わんばかりに。

「何を言っているんですか? 貴女達はさっきここに突然現れたでしょう。俺の姿くらましのブローチを取って」
「……何を言っている?」
「何って。俺には見えませんでしたよ、あの魔獣は見えたけど、恐ろしくて近寄れませんでしたし。魔獣は清族がいないとどうしようもないですから。せめて観察だけでもと思って近付いていたら、縄を出し始めるし」
「本当のことを言え。怯懦で降りてこられなかったのだろう?」

 詰るような言葉に、イルは眉尻を吊り上げる。意地悪そうな顔が恐ろしく歪む。

「この人が殺されるところをむざむざ見るぐらいなら、俺が身代わりになっている」
「口では何とも言える」
「――待って。イルの意見は本当なのではないの? そのブローチを取ったらと私達が現れたと言ったわよね」

 イルが身につけている、蒼い色をしたブローチは魔石が嵌め込まれていた。カリオストロはそれを掲げると、目を皿のように細める。

「これは、碧目の魔石じゃないか? 魔眼を持つ人間が土に埋もれ、土の中で石となったもの。これほど貴重なものは見たことがない。誰が姿くらましのブローチに仕立てた?」
「骨董品屋で買ったもので値段以外は覚えていない。隠密にとても優れていると言っていたが、人が見えなくなるなんて効果はないぞ。――ないよな?」
「知らないが、魔眼だとしたら何か祝福があるのかもしれない。詳しくは調べてみないことには……。いや、これをカルディアにつけて一人逃げさせた方がいいのか……?」

 じっと見つめられ慌てて首を振る。一人で逃げるだなんて出来ないし、そもそも、このブローチがきちんと作用するのか疑問なのではないか。だって、カリオストロはイルの存在に気が付いたのだから。

「そのブローチをしていてもお前は気が付いたのでしょう? だった、他の奴も気が付くのではないの」
「まあ、その可能性はなくはないな。大気魔力を使っている魔術道具は少ないし」
「大気……なに?」

 聞いたことがない単語だ。訊き返すと、カリオストロは面倒臭そうに片目を閉じた。

「大気中に広がる魔力のことだ。この空間だとかなり薄い。俺も使っているしな」
「それが薄いから気が付いたということ? どうして気が付いたの」
「そりゃあ、できる術に制限がかかるからな」

 ……それって、つまり、この男が自分の顔のひび割れを治せなくなっているのと繋がっているのではないだろうか。
 このカリオストロは大気中にある魔力を使用して、普通の清族が難しいような術を多発しているということでは。だが、この場に広がる大気魔力が少ないから、難儀している?

「清族ならば、大気中の魔力量の異変などすぐに気が付く可能性はあるだろうが……。魔獣はそこまで頭が回らないと思う」
「そうですか? 野生の勘とかあるじゃないですか。俺は流石に敵わないと思って息をとめて潜んでましたし、確実じゃない。ならば、俺の側にいて貰った方がいい。目を離したうちに殺されてましたなんて、絶対にあっちゃいけないことだ」
「……お前、なんか不遜な奴だな」

 はあとイルは気のない返事をした。

「というか、貴方、誰なんですか。姫様の近くにこんな人いましたっけ」

 胡乱な視線を向けられる。私に向けられても困るのだが。

「……色々と助けてもらっているのよ」
「色々って、なんですか。クロード様が怒るんじゃ……」

 そう言ったイルの視線が私の肩に背負うものに向けられる急に萎んだ声は誰がそこにいるのか分かったのだと告げているようだった。
 イルは唇を噛んでしまった。気まずい空気が広がる。

「そ、そういえば、こいつの紹介をしていなかったわね。カリオストロというのよ。魔術師だと自称しているわ」
「その紹介の仕方は雑でむかつくな……」
「清族なのはわかりますけど。……羽根、生えてますよね」

 ……そ、それは確かに、そうだ。

「それに明らかに顔が割れてませんか。人じゃないでしょう。あっちの山羊達も、何なんですか。剥製でも被っているのかと思いましたけど、瞬きもしてるし、口も動いてますよね」

 そんなの私だって分かっている。イルのせいで正気を取り戻しそうになる。そもそも、こんなことになったのはカリオストロが王宮を術で動かしたからじゃないのか。そう責めたくなる。
 魔獣の出現だって、カリオストロ達のせいでは?

「……俺が、貴女の止まり木になっていた方がいい気がしてきました。カルディア姫を俺に渡してもらってもいいですか」
「それは難しい。俺はお前をまだ信用できていない」
「それはこっちの台詞なんですが。明らかな人外に、姫を預けろと?」
「……面倒だな。こいつ、このまま下に突き落としてやろうかな」

 邪悪なカリオストロの呟きに、鳥肌が立った。イルを突き落とすって、魔獣に食わせる気なのか!?
 そんなの、絶対にさせるわけにはいかない。
 そう思いながら、カリオストロに言葉を吐こうとしたとき、急にあたりが真っ暗になった。
 カリオストロの顔も、イルの顔も見えない。
 山羊達が唸り声をあげる。お互いの声で、距離を確認し合っているかのようだった。
 ぎゅるぎゅると歯車が無理矢理動いているような音が真下から聞こえてくる。
 下には絡み合い、もつれ合っていたはずの魔獣達がいたはずだ。
 その魔物達がこぼす音にしてはどこかおかしい。
 いったい、何の音なのだろう?
 耳をそば立てる。
 今度は急に、オルゴールのような澄んだ旋律が聞こえてきた。
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