どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 明かりが灯る。イルが手に持った洋燈のようなものをかざしていた。
 隅から隅までは見えないが、カリオストロを中心として、ぼんやりと山羊達の姿は視認できた。

「魔石か? 初めて見た」
「まあ、そうですね。魔道具の一つですよ。魔力を消費しながらあたりを照らすやつ。だけど、下は見えないな。まるで底が抜けてしまったように、光が届かない」
「魔石の替えはないのか。一つ、下に落としてみた方がいい気がするが」
「……仕方がないか」

 そう言って懐から石を取り出すと、イルは何度か振ってみせた。ほのかに光を放つそれをひょいっと投げ捨てると、しばらくしてからんと乾いた音が響いた。

「……ん? 音がしましたね」
「光るところにはあの魔獣達はいないようだな。影もない」
「ではこの音はどこから? さっきから変な音がするんですけど」

 二人はそう言って黙り込む。やはり、ぎゅるぎゅると、歯車のような音がしていた。

「……もう一つ投げた方がいいんですかね、これ」
「さあ? もう一つあるなら投げてみろよ」

 イルはもう一つ、懐から取り出して同じように振り投げ捨てた。今度はからんと音は鳴らなかった。
 ぎゅるぎゅると鳴っていた音も、突然途絶える。
 動きを止めたのか、それとも警戒して音を出すのをやめたのか。山羊達も警戒しているのか、いななきを上げることをやめた。
 洋燈の炎がゆらゆらと揺れてーー突然大きく膨れ上がった。笑い声が聞こえる。ブローチが音を立てて半分に割れた。こぼれそうになった石を慌てて受け止めると、綺麗な石の中心に目が現れた。それはぎょろぎょろとあたりを見渡して、私に視線を合わせた。
 ばっと手を離して、息を吐く。
 なんだ、今の。
 からんと音が鳴り、ひび割れたような音が聞こえた。びちゃびちゃと不気味で耳障りな咀嚼音がする。

「……お、落としてはまずかった?」
「まずかっただろ、これ」
「あれ、魔石なのよね?」
「まあ、大体、そう。あれ自体に魔力があるか、貯蓄ができるはずだよ」
「やばいわよね? 魔力を食べているってことだもの……。下に何がいるのか見たくない」

 けれど、見なくてはとも思ってしまい、目を細めながらも炎の方へと視線を向けてしまう。
 ――そこにいたのは、女だった。まろい乳房をさらし艶かしくうねっている。その巨体は恐ろしいとしかいいようがなかった。
 シャンデリア全長より大きいのではないだろうか。手を伸ばせば、私達を捕まえて揺さぶることが出来そうだ。
 肌が炎に炙られたような臭いが立ち込める。呻吟をしながら、女が立ち上がる。脚はなく、何本も触手が生えていた。それを手足のように蠢かせて滑るように動く。

「……なっ」
「お、おんな? あの、化け物は……?」
「分からない。おい、貧民。お前はあれを相手にできるか。その服の下にどれほど装備がある」
「……魔銃なら、ありますけど。あの女の額を撃ち抜きましょうか。反撃は怖いが、おちおちとしていれば手で払われ潰されそうな雰囲気がします」

 そういうと、イルは服の中から大きな銃を取り出した。
 弾を素早く詰め込むと、撃鉄を下ろして、躊躇いなく引き金を引く。脳が痺れたような痛みがした。
 耳がうまく聞こえない。

「外したか」

 そういうとイルは再び弾を込めて、引き金をひく。今度は女が悶絶した。どこかにあたったらしいのはもがく姿から分かった。
 カリオストロが、口をぱくぱく動かし何かを訴えている。おそらくいきなりやるな! と言っているのだろう。
 耳の中できーんという音がするが、カリオストロの怒鳴り声だけは徐々に聞こえるようになった。

「加護もしていない状態だったんだぞ! あれが効かなかったらどうするんだよ。大体、額を撃ち抜けてないだろうが!」
「うるさいですね。手元が狂ってんですよ。それに試した方が早いでしょう。もうやったんだから、なるようになるとしか」
「この貧民嫌いだ! なんで当たり前の顔してまた構えてるんだ?! カルディア、耳をーー」

 イルは再び引き金を引いた。今度はそこまで脳を揺さぶられるような感覚はなかった。ただ、耳が痛くなっただけだ。イルは再び弾を装填した。

「倒れないな。別のところにあたったのか?」
「人の話をきけ! この、ポンコツ。俺の術をどうしてこうも軽視できるんだ? 魔銃なんて、所詮、清族がいない時用のつなぎだろうが!」
「うるさいなあ。この魔銃の弾丸は特別仕様なんですよ。魔石で出来てる。コリン領は魔石の鉱山が山ほどあったのでね。選び放題ってわけです」
「コリン領? どこの部族が治める領土だ。聞いたこともーーおい、また撃つつもりか!?」

 はいと言いながら、イルは躊躇わずに指を動かした。胸、腕、腹、肩、首。何度も撃ち込んでいく。
 ……イルと名前を呼ぶ。
 こいつ、視界がぼやけて、狙い通りに撃てていないのではないか。これだけ撃っていて、一度も額を撃ち抜けないなんて、おかしな話だ。銃の装填と発射の間隔が短くなる。それだけ焦っているのか?
 甲高い悲鳴があたりに響く。銃撃自体は女に効いているらしい。

「清族、あいつの弱点の部分は分かりませんか」
「はあ?」
「……なんだか、役立たずだな。透視とか出来ないんですか」
「この男……。今すぐこっから落としてやっていいんだけど?! ……お前、治してやろうか。あの膨らんだ腹が見えないなら相当目が悪い」

 イルは億劫そうに口を開く。

「うるさいな。片目だけですよ。距離感が掴めないだけ……。膨らんだ腹?」

 膨らんだ腹。そう言われて私もはっとした。確かに腹が突き出ている。

「妊婦だろうな。胎児がいるのかもしれない。魔獣の子か?」
「考えるのは貴方に任せますよ。俺は倒す方に専念するので」

 そう言って、銃を構えたイルの体がぐらりと傾く。銃口は上を向き、硝煙が上がった。ぱらぱらと頭上から屋根のかけらが落ちてくる。

「イル!?」
「くそッ」

 ずるりと引き摺り込まれるように、イルが背中をのけ反らせる。そのまま、カリオストロの手から離れ、イルが真っ逆さまに落ちていく。
 手を伸ばすが、掴んでも体の重さに耐えきれなかった。
 小さく舌打ちをこぼして、カリオストロが指を鳴らす。
 ふわりとイルは体が浮くがすぐに下に下に、ひきづり込まれるように落ちていく。
 イルがたまらず何度も下に向けて発砲した。だが、もうどうにもならなかった。イルは闇の中へと引きづり込まれていく。

「カリオストロ!」

 叫びながら彼を見る。ぎょっとしておし黙る。顔の全体に隠しきれないひびが入っていた。息も荒く、忌々しそうに下を睨みつけている。
 どうしてイルを助けられなかったのと聞くまでもなかった。もう限界に近いのだ。

「助けーー」

 遠くで山羊達が声を上げる。きっとイルのように襲われているのだ。
 私はたしかに、イルの脚に巻きつくものを見た。イルを引き摺り落とした、青ざめた粘着質な触手。
 そっと覗き込む。女が自分の体を中心に花弁のように触手を広げていた。げらげらと哄笑が響く。何度も何度ももう意識のない山羊を床に叩きつけて遊んでいる。
 残忍な仕打ちだった。
 イルはと視線を巡らせる。
 いないのか? 弄ばれてもいない?
 さっきの銃撃で逃げられたのか? それとも。
 分からない。イルの名前を叫んだら答えが返ってくるだろうか。
 もし返事が返って来なかったら? 怖くて、舌が張り付いたように声が出なかった。
 カリオストロは私を強く抱き寄せて、山羊の方へと飛んでいく。ゆらりと、体が傾き落ちそうになるのが、恐ろしかった。

「カリオストロ、貴様!」
「口答えするな。時間がない。もうすぐ、俺の術も切れる。お前達は自分でどうにかしろ。魔力ならあるだろ」
「ば、馬鹿なことを!」

 山羊達は狼狽え、カリオストロを罵った。出来るわけがない。貴様がどうにかしろ。殺してくれと懇願するものまでいた。そこでようやく私は、カリオストロが覚悟を決めろと言って回っているのだと理解した。もう、勝てる見込みが殆どないのだろう。カリオストロは覚悟を決めたような、諦めたような、神妙な顔で繰り返した。

「俺はお前らを助けない」
「ならば、今ここで殺して、ルコルス様の仇をうってやる!」
「はっ! やってみろよ。山羊風情に俺を始末できるならいいな」
「カリオストロ!」

 怒りで逆上した山羊の姿が急に消える。後ろに引っ張られるような感触がして、ぎゅっと目を瞑った。胃が置き去りにされたようにもやもやとした。

「くそ!」

 指が鳴る。途中で地面についたように引っ張られるような感覚はなくなっていた。

「カルディア。よく聞け。お前が思い浮かべる一番安全な場所はどこだ」
「え?」

 カリオストロは私をしっかり抱き締めたままそう尋ねてきた。
 彼の胸に顔を埋めるような状態なので、今どうなっているのかは分からなかった。

「いいから。強く思い浮かべろ。詳細に、何があったかもだ」

 そんなことを言われても、そう簡単に思い浮かべられるものではない。
 決めれずにいる私をカリオストロは急かすように叱りつける。

 一番、安全な場所。

 記憶の本棚をひっくり返し、答えようとする。だが、そんなところがあれば、外に出たりせず、その部屋のなかに引きこもっているだろうと苛々してきた。そんな場所はない。そう口に出そうとして、ふっと記憶が滑り込んできた。
 思い浮かぶのは、私とクロードの私室。内側から開かない部屋だ。
 出ることが叶わない寝室。眉を顰めながらあの部屋のことを思い出す。
 初めて、この世界のクロードと沢山話をしたあの部屋。ギスランが死んだこと、クロードと私が結婚していることもあの部屋で知った。
 けれど、あそこは安全とはとてもじゃないが言い難い。ユリウスやヴィクターが無断で入り込めたし、侍女が鍵をかけ忘れたら開いてしまう。

 ――でも。

 私室にある化粧台の棚のなか。あのなかのものは、安心だ。
 だって、正しい方法で開けなければ絶対になかを見ることは叶わない。間違った、変な開け方をしてしまえば中身が燃えるようになっているのだ。自分自身に言い聞かせるようにそう思う。
 けれど、そう思うと同時にそんなもの知らない。どうして知っているのと疑問が湧き出す。私の記憶じゃない。……この世界のカルディアのものだ。彼女は、あの化粧台を安全なものだと思っていた。
 そうだ、中にはーー。

「想像したな? よし、ずっと思い浮かべていろよ」

 カリオストロがそういうと頭の上に重たく、冷たいものがのしかかる。顔を顰めて数秒考える。この重みはなんだ?
 ちらりとカリオストロを見上げると、ひび割れた顔は血の気を失い、木目のようなものが浮かんでいた。ぐっと頭の上のものが重みを増す。

「大丈夫だ」

 優しく、安心させるようにカリオストロは呟く。だが、声は裏返り、木と木を擦り合わせたような音になる。
 こめかみを締め付けるような痛みが襲った。大丈夫だとカリオストロが何度も刻み込むようにつぶやく。
 ぱきぱきと木が割れるような音がした。かわいた、背筋が凍るような音。
 風がびゅうと吹く。いや、違う! 吹いているのではない。この風は、落ちているからこそ感じるのだ。背骨に強い衝撃があった。痛みにうめきながら見上げると山羊達も奇声をあげながら近付いくる。ぼたぼたと生々しい音と共に、近くに山羊達が落下してきた。
 真っ逆さまに落っこちたのだと気がついたのは、しばらくしてからだった。カリオストロもまた山羊達のように床に床に伸びている。
 上半身だけ起き上がらせる。首には、クロードの手が巻き付いているが振り返るのが恐ろしかった。私が無事でいられたのはクロードがいたおかげだ。きっと背中にいる彼は酷い状況だろう。頭蓋が一部凹んでいてもおかしくはない。それどころか、踏み潰された花ののようにどこかひしゃげていてもおかしくないだろう。
 カリオストロに這いながら近寄る。ひゅうひゅうと、乾涸びた喘鳴が聞こえる。こちらに手を差し伸ばそうとしているのか、少しだけ手が動いた。
 はっとして周りを見渡す。落ちたということはあの化物の近くに来てしまったということだ。
 カリオストロは虫の息で、抱えて逃げられそうもない。くそっと視線を巡らせる。
 化物をすぐ近くにいた。捕まりとって食われるのに三秒もかからないだろう。
 けれど、襲いかかってくる様子はなかった。むしろ、ぶるぶると体を震わせている。うえっというえずきとともに、吐瀉し始めた。人の骨、肉、臓物が口から一気に溢れ出す。
 女は腹を突き出し、うめき声をあげ始める。建物が揺れるほどの大きな声だ。自分でも驚いたのか、触手を自分の口の中に突っ込んだり、ぼこぼこと山のように動く腹を何度も撫でている。
 吐き出した骨や肉が人の形をとり、手を上げて咽ぶように揺れていた。何かの儀式のような光景だった。生と死が真っ赤な血と肉と白い骨を照らしている。
 やがて、女はふうふうと荒い吐息をあげて力み始めた。

 ――陣痛が来たのだと、何故か分かった。


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