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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む子供が産まれる。
そう思うと、愕然とした。この女は本当に妊婦だったのだ。
人を食い、骨と肉で肥え太った化物は何かを産もうとしている。
だが、何を?
魔獣が合体して出来たこの女は何を産む?
びりびりと肌を震わせるような声で泣き叫んでいる。
……どうしてか潮の匂いがした。
随分前にゾイディックを訪れた際、街に近付くにつれてこの臭いがした。眉間に皺を寄せてしまうような、どことなく太陽の匂いを思い出す香りだった。
突然、びしゃあという音とともに顔に雫が飛んできた。生温かい水だった。
破水だ、と気が付いたのは陣痛だと思ったときと同じように直観だった。
――本当に産まれてしまう。
空気を震わせるような大きな声を上げて、女は何度も力んで荒い吐息をあげる。
腹が裂けるほど蠢いて、なかにいる何かも必死で外に出ようとしているようだった。
女の膣が広がり、真っ白な頭がその中から現れる。空に浮かぶ真っ白な月の様だと思った。
「ああぁぁぁあああ」
激しい咆哮とともに、頭がずるりと出てくる。
へその緒が首に絡まったそれは赤ん坊とは言えないほど大きかった。まるで成人した男性のように見える。しかもよく見ると頭には聖痕が刻まれていた。女はゆっくりと弛緩して、山羊達の死体の上に寝そべると、自分の赤ん坊を手探りで引き寄せた。
「あ……」
いつまでたっても、赤子は産声をあげない。
化物は不思議そうに赤子を揺さぶったり、叩いたりしている。
無事に産まれたかどうかすら分からないまま、女はゆらゆらとあやすように子供を揺らし始めた。
死んでいると気が付いていないのだ。
明らかに死んでいるというのに。
もう発狂したくてたまらない。自分が正気だなんて少しも思えない。
体が痛む。眩暈と吐き気が襲う。頭は破水と血で濡れている。どろりとした血の臭いに酔いそうだ。
正しい世界の形が溶けるように跡形もなくなっていく。悪夢だと言われた方が納得できた。人の言葉を喋る山羊頭達も、この化物女も、しっかりとした重量を持ってそこに存在している。足元に滴る血も、悪臭も、吐き気がするほど夥しい数の死体も。なのに、実感だけが欠如していた。
ガタンと、急に何かが降ってきた。
「な、何で」
化物女の赤子を踏み潰すように落ちてきたそれは、あの私室に置いていた化粧台だった。
赤子にとってかわるように現れた化粧台を、化物女は気が付いていないように揺らし続けている。
「どう、して」
化粧台がこんなところに落ちてきたのだろう。天井を見上げても答えはなかった。そこには、暗闇が広がるだけだった。
「は。はははは」
哄笑が響く。
肉を断つ生々しいぐちゅりという音が聞こえた。
「は、ははは。痛いな、くそ。意識が飛んだ。死んだかと思った」
掠れた、無理矢理張り上げたような声だった。
「最初からこうしてればよかったな。銃に頼り過ぎた」
そう言いながら、イルは剣を化物女の腹の中から取り出した。
――いや、刺していた剣を抜き取ったのだ。
不思議な剣だった。イルが手にもつと、青白く表面が光っている。まるで、魔石で発光させているように不可思議なほど眩い光だった。
攻撃されたと気が付いた化物女が化粧台を振り上げてイルに攻撃をしかける。軽々と攻撃を避けると、嘲るようにイルが笑った。
「赤子を武器にしちゃだめだろうに」
「あぁぁああぁ」
「化物に言っても難しいか。母性は魔物にないってこと?」
顔の前に掲げた剣が淡く光を纏い始める。滑らせるように、イルが剣を振る。ぶんという音とともに、化物女の――隣をかすった。というか私にあたりかけた。凄まじい衝撃波が髪を逆立てる。
足の先の床が抉り取れていた。喉の奥が鳴った。
「い、イル」
「げ! 姫様!?」
「お、お前、化物女にあたっていないじゃない!」
「貴女にはあたってません?! いるならいるって先に言って下さいよ! というか、え? あたってないんですか?」
「あたっていないわ!」
化物女の叩きつけるような攻撃をかわしながら、イルが鬱陶しそうに大声を出す。
「くそ、じゃあ間合いを詰めて、倒れるまで出鱈目に切りつけてやります。――あの清族は?」
「カリオストロは……。立ち上がるのも、難しそうだわ」
「いざという時に使えないですね!? くそ、目を治して貰っていればよかったか?」
がっと足首を掴まれ、きゃっと声を上げる。イルが焦ったように声を上げた。
「な、何ですか、今の声? まさか、触手に捕まった?」
「……くそ、ひん、民が、俺を使えな、いと、いった、か?」
冷たい指の感覚と、きゅうきゅうと喘鳴のような呼吸音に紛れて、かすかにカリオストロは言葉を吐きだした。
「あくうんの、強いやつ。生きて、た、なんて」
「……生憎としぶとく生き残ってきたのでね」
「は、は、はッ、ひん、民。お前、ばかだ。せいけん、を、軽はずみ、に、持つな」
「せいけん? ……聖剣?」
「それ、だ。だが、今は希望の、ひかりか。ーー英雄よ、清、じょう、の鐘を、ならしたまえ。狩られる、べき、けだもの、はここにいる」
「ああ……、もう、喋るな。何を言っているのか分からないし、すぐにこの化物は俺が片付けれるから」
カリオストロの口の塗装がぼろぼろととれていく。灰のような色をしたぼろぼろの木の肌が露出した。
「まもの、狩りの英雄、よ。カリオストロ・バロック、はしろい、外套を、着て。真っ、赤に、燃えて、いる。手、もなければ、足も、なく。立っている、ことも、できない」
「わっ!」
イルが驚きの声を上げながら、飛び上がる。
淡いを光を帯びた剣が激しく揺れていた。自我を持つように、つるりとした刀身がさめざめとした輝きを放つ。
イルが構える前から分かった。あの剣はこちらを狙っている。意思を持つようにゆっくりとイルの体を置き去りにして刀身を伸びていく。イルよりも剣は大きくなっているように見えた。
化物女は目を見開いて、初めて太陽を見たように剣の瞬きを見つめていた。子供のような無邪気さで体をぴたりと止めると、わなわなと震え始める。火を恐れる獣のように。
こちらにあの剣がくると分かってはいても体はついていかなかった。衝撃に耐えるように目を瞑ると、横からすさまじい力で押された。何度も転がりながら、抱えていたクロードごと落下死した山羊の頭に顔から突っ込む。
「願、いは、たった、ひとつ。いきたい。溶けて、しまいたく、ない。はなを、くれと、言った。そうしたら、世界、で一番の、まじゅつしに、なって、やる」
「剣が、勝手に動いて……! 避けて下さい、カルディア姫!」
「ああ。どうして、も、なれなかったぁ……なにも、できずに」
『ああ、よき獲物だ』
誰かの、歓喜に蕩けた声がした。
目蓋をあけたとき、強烈な光を見た。雷の権化の様ような光が真っすぐとカリオストロに向けて放たれる。その直線上にある化物女ともども、光のなかに全てが消える。
ーー女は死ぬ間際、化粧台を遠くへと投げ捨てたような気がした。
再び目を開いたときにそこに残っていたのは、干からびた脳と小さく白い花でできた花冠。
それだけだった。
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