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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟むあたり一面に広がっていた光が収束すると、そこには何もなくなっていた。
血溜まりも、屍肉の群れも、骨も、蒸発するように消えている。カリオストロだったものに這うように近付く。
干からびた脳。白い花で出来た花冠。
白い花は寄り添うように脳に立てかけられていた。
こんなもの、カリオストロは持っていたのだろうか。だが、この脳はカリオストロだと思う。カリオストロが残したもの。
「――カルディア、姫」
喉の奥から搾り出すような声に仰天しながらイルを見やる。暗闇の中、イルの手のなかにある剣は光り輝いていた。だからこそ、彼が目から血を流していることが分かった。大丈夫かと問うと、イルはこれくらいと言いながら目元を擦った。涙のような血の跡が滲んでいた。
「声、聞こえませんでしたか? 年老いたーー」
「ほう、あの声が聞こえるのか?」
明瞭とした声が近くで聞こえた。
「流石は聖剣を掲げた物だ。大広間が、荒屋のような有様だな。爺様をここまで扱えるとは尊敬に値するぞ」
『この城がボロいのが悪いのだ。我の一割もこやつは使いこなしておらん』
「そうか? 確かに死んで何百年か経っているようだが、手入れがされたいい城だろう。爺様の辣腕の前では誰もが泥壁のようになるだけでは?」
『――人形師、お主はまっこと口がうまい』
ひょいっと長い指がカリオストロの脳に摘んだ。
栗色の長い髪を肩口で結んだ男が屈み込み、花冠をしげしげと覗き込む。
ほっそりとした四肢。滑らかな肌。三つ並んだ黒子。紫色の瞳が妖しく光る。
この男の姿を見たことがある。死んだと思ったあのときに、身に覚えのない記憶を見た。こいつは神はいないと論じて、魔獣を従えていた。人形師と呼ばれていた。そして、所長とも。
「な……、どこから、声が」
視線を彷徨わせる。確かに周りには誰もいない。この大広間で生きているのは、私とイル、そして人形師の男だけだ。
「手に持っているだろう」
「手に?」
イルは視線を剣へと向けた。ありえないと眉を上げて、こちらに視線を戻す。
「これは剣ですよ」
「だからどうした。聖剣アルフレード。爺様は健康そのものだ。一体、いつその体を見つけたのかは知らないが」
「剣は喋らない」
「それは正しくない。勿論、喋ることを忘れたものもいるだろうが、お前が手に持つ爺様は喋るものだ」
イルは目を丸くした後、頭を掻きむしった。
「山羊が喋って、魔獣がよく分からないものを産んだと思ったらこれか? 剣が喋る? まるで、悪夢だ」
「山羊? ここにルコルス達がいたのか。愚かな雄山羊は塵にかえったか。おしいものを失くした」
長い睫毛を落とし、男は痛むように眉根を寄せた。
『生き物は塵へとかえるものだ、人形師。貴様のお遊びもここまでのようだのう』
「……確かに、山羊達も、鼠どもも手遅れだった。アハトも見当たらない。俺のコレクションは、ほとんどは駄目になってしまったな」
『そうだろう。だが、どうしてこうなった? 聖剣たるこの身を、どうして貧民がふるえる? 我は貴様の本に格納されていたはずだろうに』
そうだなと言って男は顎を指で擦る。
「俺はコレクションにリストから譲られたものを差し込んだだけだ。だというのに、どうしてこうなった? 世界は崩れて、秩序を失った。魔獣達は至る所に発生し、死んだはずの奴らが蘇った。しかも俺のコレクションばかりだ」
「リスト?」
知った名前に驚いて口を出していた。ちらりと男に顔を向けられる。
「ああ。背の皮を渡された」
「――は?」
なんで、そんなものを。そう思いながら、背の皮と頭の中で繰り返す。急に背筋がぞくりと震えた。
大神の背の皮のことを思い出したからだ。預言書と繋がる、世界のすべてが書かれたもの。けれど、背の皮と繋がっていた預言書は自殺してしまったはずだ。ザルゴ公爵は死んだとフィリップ兄様も言っていた。牢にやってきて、銃で自殺をしたのだと。いや、銃殺されたはずのザルゴ公爵が亡霊となってそうしたという話だったか。
……ああ、でも、フィリップ兄様は、国王陛下はこうも言っていた。
使用人に聞いた話だった。ザルゴ公爵は、前はカリオストロ・バロックを名乗っていたのだと。何でも、世話になった魔術師の名前を借りているのだそうだ。
カリオストロ・バロック。確か、そう名乗っていたはずだ。
男がいつの前に手にもっていたカリオストロへ――その脳みそへと視線を注ぐ。
名前を変えるというのを聞いたとき、背の皮だ、と思った。ニコラが言っていた。預言書は宿主を変える。他人に寄生し、乗り移っていく。
だが、本当にカリオストロ・バロックという名前をザルゴ公爵が借りただけだとしたら? 彼は、ザルゴ・トデルフィ公爵となる前に、カリオストロ・バロックを名乗っていたということになる。
では、その前は?
……この男はリストという人物から背の皮を渡された。そして、コレクションに加えたと言った。
背の皮には、預言書が自殺することが書かれていたはずだ。
ニコラが言うには、自殺をすることで預言書としての機能が失われると言ったことが書かれていたらしかった。
そして、背の皮に書き込んでも、もうこの世界に干渉することは出来なくなったのだと。
自殺したのだと疑わなかったが、本当は、この男のコレクションになったからある作用が働いて干渉できなくなっただけだとしたら?
いや、そんなことはありえない。荒唐無稽が過ぎる。ただでさえ複雑なことが起こったのだ。これ以上、複雑なことが起こってどうする。何でもかんでも、私が聞きかじったものが関連あるとでも?
でも。そうだとしたら。
こいつの持っている背の皮を取り上げて、記述を変えてしまえば何もかもをなかったことにできるかもしれない。だって、背の皮の記述への干渉は、つまり、世界の書き換えだ。元の世界に戻れる。――誰も、死んでいない世界に。ギスランが、クロードが、生きる世界に。
「背の、皮?」
喉の奥から絞り出したのは疑問符をつけたたったそれだけの言葉だった。
「有難いものだったらしいが俺はよく知らん。宗教的に価値があるものだとかなんだとか言っていたような気がするが」
「酷く曖昧ね」
「興味がないからな」
男はそのまますたすたと歩いてイルに近付いていった。
警戒するように後退したイルの体を勢いよく蹴り倒した。
簡単にイルは転がって、聖剣を手放した。痛みに悶えながら、起き上がろうとするイルの頭を踏みつけて、聖剣を拾い上げる。あっという間の出来事だった。
「ほう。聖剣への依存もないのか。シシード卿並みの適合だな」
『我が友、シシード』
「爺様はやはり懐かしいか。残念ながら、シシード卿の遺骸はなかったし、爺様達が駆けまわれる戦場などもうどこにもありはしない」
そう言うと男は、イルが腰に下げていた鞘を奪った。放っていた光とともに剣を鞘のなかにおさめていく。
「やっと、一人目か。もう、爺様以外はいないのかもしれんな。カリオストロもこの有様だ。これは使えるのか? ……山羊はこと切れてしまっているしな」
「何を、探している?」
男の足を払いのけ、イルが唸るようにそう言った。
「何を? コレクションだ」
「喋る剣が貴方のコレクションだと?」
「人間だ」
冷淡な声だった。
「俺は死んだ人間のコレクションをしている」
「……は?」
「遺骸から、血や魔力を抜き取り、本に収めていた。俺は人形師だからな。適合する人形が見つかれば、研究材料使えるだろう? だが、気が付けば蘇っていた」
「な、なにを言っているの、お前」
蘇ったって。人間が? でもさっきのは人間だ。
それに、本に収めていたって、どういうことだ。血や魔力を取っておけば、研究材料に使えるって? そもそも人形師とは何なんだ。オクタヴィスとは違うのか。人形を操るものという意味ではない?
「何を? 何が聞きたいのか分からん」
そ、そんな。
とりあえず知りたいことは何でも聞いてみるかと思い、まずリストのことについて尋ねる。
「り、リストというのは、誰のこと?」
「リストはリストだ。リスト様」
「……赤髪に赤目の花の刺青をいれた男?」
「赤髪、赤目だが、花の刺青はなかった。……誰か別の人間のことを言っているのか? お前の従兄弟だっただろう?」
「従兄弟」
確かに、リストは私の従兄弟だ。だが、私の知っているリストとは別人なのは確かだ。そもそも、私はこいつを死にそうになった記憶でしか見たことがない。リストだって、会ったことがないはずだ。
「ああ、だが会ったときは顔が分からなかったな。穴が、空いていた」
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