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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む目を伏せる。何を目的としていたのか、私は知っている。フィリップ兄様は裁かれたかった。だが、裁かれなかった。誰も彼を断頭台へ送らなかった。誰も、彼の罪を罪だと認めることができなかった。
「フィリップは世間知らずだった。あいつは理想に生きたが、誰もがそうやって清廉ではいられない。そもそも法はある一定の教養と文化を取得した人間達の高尚な遊びだ。飢えを法が救えるのか? 病を法が癒せるとでも? 法の執行には繁栄と安寧が必要不可欠だ」
「……飢えている人間に、食べ物を盗むなというのは難しいのよね。獣と同じ。飢えや渇きを前にして秩序など二の次になる。共食いしあう鼠と同じ……」
「そうだ。野獣は法を守らない。人間も飢えれば獣と同じだ。命の危機に瀕した人間はどこまでも利己的になれる。しかも、法とは執行されるまで、姿形が霞のように朧だ。誰が意識をする?」
リストも、フィリップ兄様も、どちらも人を殺している。一方は自分を許せず法に抗い、一方はその行いを批評する。何だか、皮肉みたいな話だ。
「国王陛下には国王陛下の目的があったとは思わない?」
「目的があったとして、それが免罪符にはなりえない。国王だから、気ままに振舞ってもいいと? 法を揺るがし、どの階級の人間にとっても厳しい状況を作り出した。――いや、貧民や平民にとっては死活問題だ。飢えを訴えるものは、階級が下であればあるほど多い。フィリップが作り出したのは、ただ、いたずらに人が罰せられる世界だ」
「だから、国王陛下を弑したと」
「言っただろう。俺には、野心はない。思うところはあるが、だからといってフィリップの代わりに正しい統治をしてやろうとは思ったことはない。フィリップは確かに厳しい国を作り上げたが、正しく罪を裁くことは一貫していた。誰かが救われたのは事実だ」
リストの本心がぼんやりとしていて読めない。
確かに、フィリップ兄様を殺す理由があっただろうに、それを口にしようとはしない。
「国王を殺した理由を教えるつもりはないの」
「本心など、ないと言ったら? フィリップを殺してみたかった。それではなぜ、いけない?」
「お前がそんな男ではないと知っているからよ」
「お前に俺の何が分かるという?」
苛立ちはなかった。リストは憐れむように、私を見た。
「お前は俺を分かりたいのか。ギスラン・ロイスターを殺した俺を? お前を、殺したかった俺を?」
「……そ、それは」
「お前へ抱いた殺意を、お前が死ななかったことへの安堵を、受け止めて咀嚼したいのか。それとも知って安心したいのか。フィリップを殺した理由を知って納得したいのか。情状酌量の余地があれば許してやろうとでも?」
視線を彷徨わせる。そんなつもりはない。けれど、無意識にそう思っていたのだろうか。何か理由があれば、リストを許せると思っていたのか。裁判官のような傲慢さだ。自分が判決がきめる立場だと信じている。
「フィリップが、レオン達を殺しただろうということは知っている。謀殺だ。奴はレオンに殺されかけた。あるいは、マイクに。だから、罪を憎んだ。人の悪意を恨み、罰を望んだ」
「それは、違う」
「違うものか。フィリップは罪を憎んでいた」
「陛下は、自分を裁く方法を模索していたのだと聞いたわ。王都中を引きずり回されて、惨たらしく処刑されることを希求していたと」
「何だと?」
逡巡を表すように、リストの歩みが止まる。振り返った真っ赤な瞳は、真偽を問うように揺れていた。
「……フィリップ自身が謀殺した自分自身を殺したがっていたのか」
「そうだと、聞いたわ」
「はっ、面白いことを言う。誰から聞いた。そのような妄言を」
「オクタヴィスよ。国王陛下が寵愛していた清族」
「あの人形師が嘘をついていないと断言できるのか。いいように誑かされているとは思わないのか?」
そう言いながらも、リストの声は凪いでいった。疑問を投げかけるたびに、核心を得ていくような、不可思議な納得があった。
「お前がどれほど疑おうと、私はそう聞いた」
「もし、それが本心だとしても、愚かなことだな。そんなもの、叶うわけがない。王族は神の子供だと、本当に信じ切っている貧民もいる。階級は、ただの人間に神秘さを付与する。権力とは見えない力を表すに相応しい言葉だ。確かなものは何もないのに、人間の心の中にはしっかりと刻まれている」
「私も、不可能だと思った。愚かな行為だと。できるわけがない。出来たとして、フィリップ兄様に適用されるわけがないと。フィリップ兄様が諦める前にお前達に殺されるとは思っていなかったけれど」
今回のことは、リストだけの問題じゃない。最初は、リストの単独犯だと思っていたが、シエルとの会話を聞いた限り、ある程度計画性があった。……いや、国王の殺害は性急な行為だ。だから、計画性があるという認識はおかしいか。
ある程度想定していたという感じなのだろうか。やはり、国王に反王政組織に手を貸していることがばれたのか?
だが、リストはそのことをシエル達に話したのだろうか。なぜ、そんなことをしたのだと聞かれて疑いをもたれなかったのはなぜだろう?
シエルがリストの何もかもを知っていて、それでも力を貸しているというのならば、話は簡単だ。けれど、シエルにはその様子はなかった。リストは王族然として振舞っていたし、何もかも、ちぐはぐに思える。
「命など、そのようなものだ」
階段を降りていく。まだ、終わりは見えない。
――最初に、怒号が聞こえた。次に激しい衝突音。螺旋階段間、底へと続く空洞に男が投げ落とされた。
リストが素早く仰ぎ見た。私も習うように上を見た。
それは最初、虫に見えた。黒く蠢く集合体。だが、男を掴む枝のような細い腕がそれが生き物であることを教えてくれた。
「い、いやだぁあああ!」
絶叫とともに、男の体が真っ二つに折れた。胴体を二つ折りにされた男の絶叫が凄まじく、耳が潰れると思うほどだった。
「やめろ!」
部屋から出てきた男が、恐慌状態に陥ったのか、手すりと飛び越えて落ちていく。リストが手を伸ばすが、男を掴むことが出来なかった。
「リスト様、お逃げ下さい。ここは、我々が」
「い、いやだ、嫌だ、リスト様」
「くそ、この化物が」
「誰か、俺の銃を取ってくれ」
「逃げろ、死にたくなければさっさとしろ!」
男達の懇願や怒号が響く。
目があった。腹ある女の顔と。腕に老人の顔と。足にある子供の顔と。まるで、仮面でも体についているみたいだった。目がぎょろぎょろと動いている。口がぱくぱくと何かを語ろうとしている。
狂気が歩いているようだ。
頭が理解を拒む。人間を繋ぎ合わせて出来た代物だって、こんなに醜悪にはならない。
「引け! 相手は化物だ」
「お逃げ下さい、リスト様。お早く」
「サガル王子がどうしてこんな化物になる!? それとももともと人の精気を食らう悪魔だったのか!?」
「悪魔だったらどれほどよかったか。――おい! 誰でもいい。こいつに一撃、食らわせてやれ!」
命令通りに銃を構えた男の腕がぐにゃりと曲がった。周囲の空気ごと、捻じれたように見えた。噴き出す血が雨のようにぱらぱらと降り注ぐ。
「き、清族はいないのか!? こんな化物、俺達じゃあどうしようも……」
「黙れ! おい、逃げるな!」
「無理だ。殺される。こんなのに殺されたくない!」
逃げ出してきた男の体がぺちゃんこになって潰れた。
血だけが階段を伝い落ち、私達のところまで逃げてくる。
「逃げるな、立ち向かえ。さもなくば死ね!」
「あ、ああ、ああああああ、あ! くそ、クソが!」
「助けて下さい。俺は命令されて仕方なくやったんです。こんな犯罪者まがいのことだって本当はやりたくなかった。もう手は出しません。悪いことは何もしません」
「命乞いをする奴は俺が殺してやる。さっさと撃て。殺せ!」
銃弾が雨のように化物に降り注ぐ。全弾撃ち終えても、全員が銃口を構えたままだった。カチカチとトリガーをひく音が聞こえる。
何もかも、無意味だった。化物は傷ついてもいなかった。
ただ、首についた顔らしくものがそっと彼らに視線を流した。
それだけで、リストの部下達は自分の頭に銃口をつきつけた。弾丸を全て出し切ったはずなのに、ぱんと派手な音を立てて、脳漿をぶちまける。
――サガル兄様。
横顔でも見間違えるはずがない。サガル兄様の顔だ。喉奥から悲鳴が出そうだった。
「死に神」
圧倒的な化物はのそりのそりとゆっくり階段を降りてくる。
リストが私を抱き上げ、駆けだした。階段を降りる。落ちるように、駆ける。
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