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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む私と人形師は階段を降りて来た。
くるくると、階段を降り続けた。
けれど、リストと共に部屋を出ると、螺旋階段は上にはなく、下にあった。
見下ろしたら、人形師と降りたはずの階段のはじまりが見えた。勿論、下へと続く階段はない。
恐慌に陥る。どうして私達は上にいる? 確かに、下へ下へと降っていったはずなのに。上下が反転している。
「お前、どこにいく気なの」
空間が捩れているのだろうか。それとも、私の頭がおかしくなった?
リストに質問をぶつける。
王宮は阿鼻叫喚の地獄模様。リストはどこに行くというのだろう?
「お前だって王宮から移動してきたならば分かるはず。王宮には変なものが出て、術だって……」
「何を言っている」
リストは私を一瞥して鼻を鳴らした。
「何って、知っているはずよ。鼠が出たのだって……」
待て。
そもそも、どうやってリストはあの鼠の群れをかわし、ここまで来た?
クロードの元に辿り着いたとき、彼はまだ生きていた。だから、リストは鼠達をかき分け、聖塔に向かったのだと思っていた。だがあの鼠に襲われて、齧られた跡もないのはおかしくはないか。
何もかも、変だ。今までのことは全部私の妄想で、リストが国王やクロードを殺していないという方が本当な気がしてきた。
「本当に、何を言っている?」
「わ、私の妄想なの? 頭がおかしくなってしまった? でも、確かに人が死んでいたのに」
「……」
リストは再び歩き出した。
「計画が早まったのか? なるほど、お前のその真っ赤なドレスも、その悲惨な顔も、そのせいか」
「どういう意味?」
「お前が鼠と言っていたのは民衆達のことだろう。……今日、乗り込む予定だったからな」
乗り込む?
どういうことだ?
「反王政組織だ。商業連合――特に蘭花の連中が裏で糸をひいている。国家転覆をはかり、王都の民衆達を率いて王宮に乗り込むということになっていた」
「な……」
なんだ、それ。
どういうことだ?
私が見た鼠達の群れは、暴徒化した民衆だったということか?
そんなはず、ない。
そんな、馬鹿なことがあり得るものか。人間と鼠を見間違えたりしない。……はずだ。
「だが、聞いていた時間より大分早いな。真夜中頃に突撃するという話だったが」
「どうして、そんなことを知っているの?」
「俺が情報を掴んでいることがそんなにおかしいことか?」
おかしいことではない。リストは軍人だ。反乱分子の情報は、自ずと集まってくるだろう。
だが、だとしたら行動がおかしい。
「暴動が起きると知っていたならば、どうして国王を殺したの。お前が知っていたということは、軍部は知っているということでしょう? 対策が練られていたはずだわ。それに、そんなことになっていたら、王宮に入るときに軍人が待機していたはずだわ。けれど、軍人は王宮では見ていないわ」
「……そうだな。当たり前だ。俺はこの情報を個人的に手に入れたのだから」
「個人的に?」
だが、軍人に公私の区別などあるのか?
国家転覆を目論んでいる組織の情報を手に入れたのならば、リストだって報告の義務があるはずだ。
「俺が焚きつけた」
「……は?」
「会合に参加し、奴らの前で演説をした。今の王族の欺瞞を熱を込めて語ってやると、奴らは義憤に駆られていた。俺に跪いてお辛かったでしょうと涙を流した者さえいた」
鉛を、喉に流し込まれたようだった。
リストは何といった? 反王政組織で演説をした? リストの出自も、王族の醜聞も、語りつくしたと?
「な、何のために?」
「ランファに蘭王という男がいる。奴が、俺の出自を知っている。幼い俺をご丁寧に売りに出した商家の男だ。子供だからと顔を焼かれて無罪放免となったが、あいつの性根は処刑された親と一緒。薄汚い金の亡者だ。脅して、連れていかれ担がれた」
誤魔化しがあると直感的に思った。リストの声の調子が少しだけ違う。嘘をついている。
だが、どんな嘘をついているのかまでは分からない。
「そこからは、なし崩しだ。……俺が王宮の地図も用意した」
「……お前の話を、民衆達は信じたの? お前だって憎い王族の一人でしょう?」
階段を降りていく。まるで、サガルから逃げていたあの日のようだった。真っ白な壁は、手で擦ったような血の跡がぐちゃぐちゃな線のように残っている。イルの手の跡ではないか、とひっそり思う。
「王族の顔を、奴らがよく知っているとでも? お前のように俺の顔をまじまじと見つめる機会があると思うか。軍帽を被れば、この目立つ赤髪など、誰も見えない。この刺青もただの流行り扱いだ」
「軍人として、演説をした?」
「そうだ」
リストに腕を引かれていなかったら、その場に座り込んでいたかもしれない。私の身内に、革命軍の扇動者がいたのだ。王族ではなく、国賊として動いていた。
「お前は、どうして国王を今殺したの? 革命軍が来ると知っていたら、暴徒達に殺させればよかった」
「馬鹿か。あんな烏合の衆が、うまく近衛を殺して王族を殺せると思っているのか。鍬すら持ったことがないような奴らだぞ。煤塗れの煙突に登るしか脳がない。農民の方が強いだろうよ」
「……手を貸していたのに、成功するとは思っていなかった?」
リストは脅されていたと言っていたが、地図を渡して力を貸している。
なにか思うところがあり、手を貸していたはずだ。勝機がないのに、危ない橋を渡るような男じゃない。
「どうして……」
暴徒が国王へ届かないと思っているのならば、なおさらリストは上手く立ち回るはずだ。
もともと、襲撃が真夜中の予定だったのならばかなり時間がある。
国王を殺すと言うことは、側に控える近衛を殺すことだ。そうなれば異変に気がついた兵士や使用人が集まってきて犯人探しが始まるはず。そうなれば、リストはすぐに見つかるのではないだろうか。民衆達の手助けのために、国王を殺し、混乱を招こうとした?
違う。視点を変える必要がある。リストは国王を殺さなくてはならなかった。それも早急に。
反王政組織に情報を渡していたからと言って、そんなこと軍部の誰が信じる?
リストは王族だ。王族が反王政組織に手を貸すなんて、普通真面目に取り合わない。自分で自分の首を絞める行為だからだ。
それに、組織を捕まえるために秘密裏に動いていたのだと言い訳のしようもあるだろう。
最悪、蘭王を始末して証拠をなくせばいい。リストは軍人として演説をした。声と顔を覚えている人間が集会に参加していたとしてもそれがリストだったという証拠はない。
……だが、あの蘭王がリストを仲間に引き入れるのに、なあなあで済ますともおもえなかった。彼自身、自分の命がかかっている。ならば、保険として、リストが集会に参加し情報を流したと言う確かな証拠があるのではないか。
リストは革命軍を烏合の衆だと思っている。失敗すると踏んでいた。ならば、今やるべきことは証拠の隠滅ではないか。失敗の確率が高い泥船から脱出するのだ。
自分でも飛躍していると思う。それに脈略がない。もしを積み上げただけの妄想だ。だが、そう外れてはいないのだという確信がなぜかあった。
階段を降りていくと足音が聞こえた。下から誰かが上がってきていた。質素な麻のシャツ、そして、不自然に汚されたズボンが見えた。しゃちほこばった動きでリストの元に駆け寄ってくる。
リストの部下のシエル。側近の一人だ。ギスランと同じぐらいの背丈の茶髪の男。甘い目元が印象的だった。とても大人びて見える。頬の肉が削れ、精悍さがあった。
後ろには、背中に銅板でも入れたような男達が控えている。
「リスト様」
「シエル」
彼の視線が私へ向けられた。眉がぴくりと不快さを表すように動く。
「どうしてここに、夫人が。それに、その姿は……」
剣の柄に手が伸びた。サーベルのような細い剣だ。リストはそれを手で制する。長い沈黙のあと、シエルの薄い唇が開く。
「リスト様。目撃者を残すべきではありません」
「いい」
「しかし」
「あまり俺を苛つかせるな。それよりも、上にいるサガルの始末を任せたい」
「……かしこまりました」
シエルは後ろに控えていた男達に上へのぼるようにと命令した。
男達が上へと登っていくのを見送り、シエルはリストを見つめた。
「どういうことなのでしょうか。夫人がここにいることを知っておられたのですか」
「知っていたと思うか」
「いえ……。ですが、とてもまずいのでは」
「いい。こいつのことは気にするな」
シエルは悩ましげに眉を寄せて、数秒考えこむように沈黙を落とし、はあとため息をついた。
「あなたの甘さは身を滅ぼす」
「そんな男に命を預けることを今更後悔したのか」
「後悔なら、数えきれないほど。しかし、あなたの甘さが嫌いではないので困る」
首の裏をかき、シエルは続けた。
「この塔の人間も処分しますか」
「馬鹿げたことを言う。ここに収容されている人間のどれだけが正気を保っていると? サガルが誰に殺されようと奴らは自分の悪夢を見ることに精一杯で何が起こっているかも分からないだろう」
「そうですね。……やはり、サガル様との対話は不可能でしたか」
「獣に会話は成立しない」
「……好都合でしたね。サガル様の手の者があの組織に参加していただなんて。狂ったというのは小賢しい偽装だとばかり思っていましたが、奴らがただ、狂った主のために走り回っただけだったとは」
「信仰とはそういうものだろう。在りし日美しい幻想こそ、祈りの対象だ。あの日を取り戻すためと命すら投げ出す。あの美貌に触れれば、人は容易く狂う。サガル自身も狂ってしまったのだからな」
面白い話でもないのに、シエルはふっと笑みをこぼした。
「死体はファミ河にでも投げ込みますか」
「それで構わないが、この頃のファミ河は死体漁りをする不敬な奴らが多いという。死体が盗まれるのだけはごめんだ。サガルは、死体となって見つからなくてはならない」
「そうなりますと、反王政組織のアジトで刺されたという筋書きにしましょうか」
「それで構わない。……もう王宮に民衆達は押し寄せてきたのか」
シエルは驚いたように目を丸くした。
「いえ。まだ動きはありません。……どうかされましたか」
「いや」
一瞥が向けられる。だが、すぐにリストは視線を戻した。
「何でもない。近衛達に通達しろ。まだ隠し通せと。……夜まで持つと思うか」
「何を今更心配していらっしゃるんですか。いつまでも持たせろというのならばあいつらはそれに従うのみでしょう。そうするしか、もう道はない。……前王は律法家ばかりに寵愛を注ぎ過ぎた。兵も報われねば、命をとして守ろうとは思わないものです。しかしリスト様は、報いて下さる」
「だが、俺が王になれば奴らには職を辞してもらう。腐った兵など俺には不要だ」
「ええ」
シエルは一礼し、一瞬、私に顔を向けた。視線が交わったが、すぐに逸らして階段を降りていく。
目の前が回っているようだった。シエルは、こう言っていた。民衆達に動きはない。
ならば、やはり私が見ていた鼠とは何だったのだろう?
私が一人、狂っていたのか。だが、さっきリストは人形師のことを認識していた。……何が起きている?
「近衛を、買収していたの」
「買収というのは正しくない。誰もが、己の責務に誇りを抱いている。それが命を懸けるものならばなおのこと。仕事の価値は、自らの価値だ。だがフィリップはその価値を与えなかった」
「なるほど、それならば王を守る近衛が仕事を放棄しても納得ね」
皮肉をこぼすと、リストは肩を竦めた。
「フィリップは、人を軽視していた。法を尊ぶくせに施行する人間の気持ちなどお構いなしだ。罪があるからと幼児にまで手をかけろと平然に言ってのけた。助命を嘆願した心ある兵を、非情に処罰した。法には、幼子に手心を加えよとは記されていないとな。その場で牢に連れていかれ、兵は獄中死した」
赤子を庇った男が牢屋に引き摺られていく姿を幻視した。徳の高い男を、兵達はどんな気持ちで見送ったのだろう。冷徹さをどれだけ恐怖しただろう。
「……誰も国王陛下に諫言をしなかった?」
「オクタヴィス以外の人間は、フィリップに取り入ろうとばかりだ。心あるものは、理論が破綻している。不十分な法理解だと突き放された。律法家は従順なものしか残らず、残った志あるものは、陥れられ、失脚していった。フィリップは人の能力を愛したが、情を理解する能力が著しく欠けていた。……ある法律家は、こう言っていた。耄碌したものや年端もいかないものが起こした殺人や事故は減刑してもよいのではないかと。前例もあり、過去には法として法典に明記されていた。だが、フィリップは罪は罪だと言った。どんな事情があれど、許すことは認められないと。また、三宥も廃止された」
「三宥……?」
リストは私を振り返り、少しだけ首を傾げた。
「知らないのか。王が王族にのみ使うものだ。王族の人間が罪を犯しても三度、罪を許す。恩赦を与える法だ。……とはいえ、前に使われたのは百年だか、二百年前だったと聞いた」
「な、なによ、その意味不明な法は……」
「他にも、過失や遺忘による減刑を廃止とした。情状酌量の余地があっても、減刑はほとんど望めなくなった」
「……それは、つまりどの罪も厳罰化したということ?」
こくりと頷かれる。
フィリップ兄様はより自分の理想に近い形を選択しようとした。罪は重くなり、法は人の手を離れ、激烈になったのか。フィリップ兄様らしいような気がした。彼は、とても浮世離れしているところがあった。
……押し寄せてきた複雑な感情に首を振りそうになった。この世界の私の思考に今でも流されそうになる。やはり、この世界の私は、いまだにフィリップ兄様のことを憎らしく思っている。呼び方も統一できない。国王陛下と憎々しく思うこともあれば、フィリップ兄様と親しげに思うこともあった。
「そうだ。平等的な法の執行は俺もある程度はその意義を認めるところがある。これまでは、あまりにも貧民達に過酷すぎた。だが、フィリップの法整備の目的は貧民や平民の地位向上ではない。法の下での平等など副産物的なもので、本質ではない。あいつは、あるい意味、原始的な法施行を目指していた。人を騙したのならば、自分も騙されるべき。モノを盗んだのならば、モノを盗まれるべき」
「人を殺したのならば、自分が殺されるべき?」
「そうだ」
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