どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 死に神がいた。
 あれは死に神だ。人の形を取り繕った化け物だ。神という存在だ。逃げて本当に正しいのだろうか。
 疑問のなか、それでも振り返れなかった。死の臭いがする。血と絶望が這い寄ってくる。背筋が溶けたように芯が保てない。
 立ち向かおうと逃げようとあの化物は全てを許さないだろう。
 終焉が、追いかけてくるようだと思った。


 階段を降りると、そこは泥水が一面にはっていた。水をかき分けながら、聖塔の外に出る。
 眩しくて目を細める。
 まず見えたのは、水だ。轟音を立てて流れていく濁流。私達は、橋の上にいた。いや、違う。
 聖塔が根元からぽきりと倒れて、ファミ河を渡す橋となっていた。私達は愕然とした。
 何が起こっている?

「……は?」

 リストは訳が分からないというように口をあけて声を漏らす。
 私も全く理解が出来なかった。聖塔を降りていたはずなのに、のぼっていていた。かと思えば聖塔はファミ河に横たわっている。王宮すら見えない。ファミ河の下流だということは何となく分かるが、それだけだ。
 縄から外れて流されてきた渡し船や木の板が激しい勢いの水とともに流れていく。ごうごうと凄まじい音を立て、水飛沫が顔にかかる。

「……くそ、どうなっている?」

 どうにか、沿岸に移り、あたりを見渡す。看板がかかる店は、かたく扉をしめているようだった。人の気配はするが、こちらから声をかけても答えはない。
 足元まで水が迫っていた。激しい水の勢いにリストは足を取られそうになりながら進む。
 開けた場所に出ると、ようやく人の声がした。屋上に逃げているのだ。屋根の上に立ち、一心に空を見上げている。
 おかしな光景だった。皆が下ではなく、上を見ている。

「……なんだ、あれは」

 空を見上げたリストは、呆然として見上げていた。眩しいと目を細めた光は、太陽ではなかった。目玉だ。真っ白な目が空に浮かんで、こちらを見ている。

「悪夢でも見ているのか……?」

 巨人がこの世界を覗き込んでいるようだった。それ以外に説明がつかない。人の目玉はああも大きくはないし、そもそも空で太陽のように輝かない。
 頭が割れるように痛い。熱の日に見る悪夢だ。魘された末に脳が見せる幻だと言われた方が納得できた。

「もうし、軍人様。軍人様ぁ。アタシの息子を見ませんでしたか?」

 縋るように声をかけられ、はっとした。
 声をかけてきたのは、老婆だった。腰の曲がった彼女が頬を涙で濡らしながらリストを見上げる。

「赤毛の、とても貴方様に似た子。アタシの子。優しい子なんですよぉ。……ファミ河に近い家の子達に避難場所を知らせると言ってもう何時間も戻っていないんです」
「……見ていない。俺達はファミ河の方から来たがこの通りに来るまで見なかった」
「そんな……。どこに行ったの、エヴァ……」
「こら、エンヤ、軍人様のお邪魔をしちゃいけないよ」

 老婆の連れ合いなのだろう。杖をついた老人が妻の肩を抱く。

「ここは危ない。早く上に上がれ。どうにも水位が上がっているようだからな」
「けれど、エヴァがまだ……」
「……そういえば、赤髪の男を建物の上で見た。角を曲がる前だ。お前の息子はもう他のところに避難している。ただ、誰かの世話をしてここには来られないのかもしれない」
「そう、なのですか?」

 希望に縋るように老婆がリストを見上げた。
 ああと泣き崩れながら何度も頷くと「一緒に家の屋上に避難しないか」と言ってくれた。
 リストはその提案に首を振り、外付けの階段まで二人を先導した。二人が階段をゆっくり上がるのを見送って、リストはまた大通りに戻る。水位は踝を越えて、太ももにまで来ていた。歩くたびに飛沫がとぶ。
 どこに向かうつもりなのだろう? こうなってしまってはどこにも逃げ場所はないように思えた。

 ……リストは嘘をついた。赤毛の男なんて見ていない。そもそも、角を曲がる前の建物の上には誰もいなかった。

「どうして、あの母親は子供を待っていたのかしら」

 家を見上げると、老夫婦が丸まって震えているのが分かった。お互いの体温で温めあっているようだった。
 彼らを見ているとハルのことを思い出す。彼と家族のことを。

「今、その質問なのか。あの空に浮かぶ目玉でも、追ってきていた化物のことでもなく?」
「それは、そうだけど。でも分からないもの」
「……そうだな」

 そう言ってリストは苦笑した。

「俺にもわからない。あの老婆は何を考えていたのだか。……子供が、足腰の弱った夫婦を置いて先に逃げたのだと、なぜそう思わないのか」
「リストにも、分からない?」
「俺よりお前の方が分かるんじゃないのか。お前は、曲がりなりにも母親だろう?」
「……分からない」
「記憶がないから?」

 白けたようにそういうので、何だが苛立った。

「記憶は……まあ殆ど戻っているのだけど」
「だろうな。お前、いつ戻ったんだ? いや、こう尋ねるべきか。記憶を失っていたというのは本当だったのか」
「本当だったわよ。王宮を出る少し前に突然……。この話は、私にもうまく説明はできないのだけど」

 私とこの世界の私の記憶が混ざり合っているだなんて、リストに言ったところで信じられるとは到底思えない。

「母親になんてなった気はしない。記憶を取り戻してもそう思う。乳母に取られて乳だってやっていないの。ただ、痛くて重くて苦しいだけ」
「母性や愛情は芽生えなかったと」
「だから、私は子供を自分の手で育てていないのでしょう? 子供が恐ろしくてたまらないから」

 実際のところどうなのかは分からない。
 け陣痛は辛かったし、お産は散々だった。産褥期は出血も酷くずっと寝室は血に染まっていた。幻覚もよく見た。ギスランが子供を殺す夢。私が子供をファミ河に投げ捨てにくる夢。
 それだけ思い出して、もう知りたくないと蓋をした。その癖、何度も何度も出産をして、自分のことながら馬鹿なのではないかと思う。

「帰ってこない息子を待つことが母性なの。あれが正しいこと?」

 ならば、今この状態になっても子供のことを一つも思えない私はどんな人非人なのか。
 母親失格だ。

「子供達が恋しいのか」
「恋しいと思う?」
「いや。クロード兄上も、お前も子供達には淡白だった。家族の肖像画を描いてそれきりだ。俺もあの子達に数度しか会っていない。――何度も何度も会ったら、殺してしまうかもしれないと思った」

 ごくりと唾を飲み込む。言葉を返せなかった。子供を殺されても今の私は何も感じないだろうと思った。

「……記憶を思い出すまで、国王陛下が――フィリップ兄様がギスランを殺したのだと思っていたわ」

 話題を変えたことに眉を顰めながら、それでもリストは応えてくれた。

「どうして?」
「どうして……。レオン兄様やマイク兄様を殺した人だから、そう思ったの」
「人を殺した人間が罪を重ねるのはおかしいことではないと思ったのか」
「そうなのかもしれない。人を殺すなんて、普通の人間ならばやろうと思っても実行しない。理性の箍を外さなくては。そうでしょう?」
「そうだな」

 リストを責めるように語尾を強める。

「俺のこともそう思ったか。ギスランを殺したのだから、今更誰を殺すことにも躊躇しないと」
「……だからこそ、不思議だとは思っているわ」

 眉を上げて、彼が尋ねた。

「不思議? お前の息子達を殺さないことが?」
「私を殺さないこと。あの老人達と一緒に置き去りにしないこと」
「……お前が」

 リストがとてもぼんやりとした声を出した。寝起きの声。あるいは、私を愛でるときの優しく甘い声によく似ていた。

「抱いていた方が怪我をする確率が低い」
「怪我なんて、今更でしょう。ドレスは汚れきって、髪の毛だって血を浴びすぎて変な臭いがするのよ」
「そうだな。お前はひどい格好をしている。……きっと、俺は致命的に間違ったのだろうな。クロード兄上を殺したことも、国王陛下を弑したことも。……過去、王政は一度崩壊した。だが王族を殺した革命軍に、女神の裁きが下された。ファミ河は氾濫し、病ははびこった。革命は失敗だった。数百年前の二の舞を俺は犯した」

 空を指差し、畏怖を込めて見上げる。

「あれは俺を罰するために顕現した女神なのかもしれない。では俺の部下を殺し追い掛けてくるのは、女神の眷属か。それともお前の言う通り、死に神なのかもしれないな」

 リストは私を抱えなおした。ふわりと浮いた体をがっしりとした腕が支える。

「殺されるかもしれないのに、私を連れ回すの? 怪我をさせる確率が低いと言った口で?」
「死ぬならば、お前も一緒だ」

 もう、この国は終わりなのかもしれない。死に神が現れた。
 ニコラに言われていたことだ。死に神の蘇りが近い。終焉の臭いがする。世界の終わる気配がする、と。
 元の世界に帰れるとも思えない。きっと、私はこの世界で死ぬ。元には戻れない。
 死ぬならば、とリストの首筋に視線を向ける。薄く焼けた喉元はいくつも汗が伝う。
 リストを殺してから、死のう。
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