どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 甲高い喇叭が聞こえる。
 地を響くのは、獣の咆哮。
 水面を揺らすドラムの音。
 不思議な節がついた音が聞こえる。声というには不明瞭で、けれど無秩序なものではない。だから、こう思う。人間以外のための歌だ。
 たまにうっとりとしてしまう。酩酊感は睡魔に襲われ眠りにつく一瞬によく似ている。頭が白み、悩みも苦痛もなくなる安らぎに。
 天を見上げていた人々が音に気が付き、下を振り返る。
 黒々とした塊がのそりのそりと水面を這う。そのたびに、小さな津波が起こり、建物にあたって地震のように揺れる。

「おい、おい! 軍人様、はやく上に!」
「何やってんだ。上に来い!」
「ワタシ、死ぬの? こんなところで?」
「ああ、神様だ。母さん、お出迎えがやっと来たよ」
「なにがきたの?」
「やだよぅ、あたし、まだ死にたくねえよぉ」
「大丈夫だ、俺がやっつけてやるから!」
「どうか、女神カルディアよ、我々をお助け下さいっ! どうか、どうかぁ……」

 急かす声、怯える声。寿ぐような声。命乞いする声。いきり立つ声。救いを求める声。
 まるで、軍人達と同じだ。人間の全ての感情が降ってくるみたいだった。
 死に神はどの声も意に介していない。ただ歩み続ける。
 サガルに似た美しい顔が涙を流す。女の顔がけらけら笑う。子供は興味なさそうにそっぽを向いて、老人は祈るように目を閉じた。
 無力な人間を神様が模して笑っている。
 泣いたり、怒ったり、笑ったり、祈ったりする。けれど、救いはしない。何もせず、水面を滑るように歩くだけ。
 どこにも慈悲がない。

 水面はタールでも混じったようにヘドロとかし、地盤沈下でも起こったようにずぶずぶと沈んでいく。怒鳴り声や悲鳴があたりに巻き散った。
 リストの足にも、ヘドロが迫ってくる。駆け出すと、飛沫がおたまじゃくしになって「逃げるな」と叫ぶ。
「逃げるな」
「逃げるな」
「逃げるな」
「……悪夢だ」

 リストが呟く。けれど、夢ではないから、覚めることはない。

「呪い給え、呪い給え」
「終焉の一端を見える」
「ああ、やっと終わる。終われる……」

 ヘドロの中を、船のように人が流れていく。
 清族だった。瞬きするたびに、顔の肉が削がれていく。けれど、彼らは苦痛に悶えるのではなく、喜ばしそうに死に神を見て讃えている。

「妖精達よ、お前達にも終焉が見える?」

 唇が割れ、粉々になっていく。指先が欠けてガラスが割れるように砕ける。人の死に方とは思えない。ガラス細工のようにあっけなく崩れる。

「リスト、リスト!」

 名前を叫ぶと、固まっていた彼がはっと顔を上げた。
 ぴょんぴょんと清族達を葉っぱのように伝い、ガマガエルが飛んでくる。人の顔ほどもある大きな主だ。

「怠け者め、我らが神のお通りだ。ことごとく、息絶えよ」
「このカエル、喋るの!?」
「うるさいぞ、人間風情め」

 二つのぎょろりとした目玉が溶けて、二つの唇が現れた。一つ一つ違う言葉をべらべら喋っていて全く聞き取れない。ゲコリと一番最初からあった口で泣き声をこぼし、飛び上がる。

「不敬だ、不敬だ、不敬だぁああ」
「マ、うるさいお口だこと」

 カエルの隣には真っ赤なドレスを着た女がいた。四十歳ほどの艶然とした貴婦人だった。
 こぼれんばかり実った胸。愛嬌のある目元がとても印象的だ。カエルは、恋に落ちたように押し黙った。

「まったく、今日はよき日だよ。この苦界も終わりさね。だが、さて。こんなに良い気分なのだもの。男を貪り食うにはいい」

 彼女が煙草を咥えて、火をつける。よく見れば、首は真っ白な骨だけで肉も皮膚もない。煙が首の下から漏れている。きつい煙草の臭いが服にもまとわりつくとけらけらと女は笑って紅をひいた唇をにやりとする。

「おい、その煙草を俺に寄越せ、売女」
「おや、ドニ・カーラント坊ちゃん。これはそう美味しいもんでもありませんよぅ」
「構わん。どうせ死んでいるのだからな」

 女から煙草を奪った男は、吸い口を唇に当てた。
 金髪の美しい男のように見えた。右半分は。
 けれど、左半分はどうしようもない。爛れ、腐りきった皮膚はかろうじてくっついているといった有様だ。
 死者が蘇ったのだと左半分を見たら思うだろう。死後何十日と経過しているせいか、うじが目玉を這う。

「ドニ・カーラント」

 リストが信じられないというように彼を見た。まさしく、亡霊でも見えたように。

「げほげほ、なんだこのまずいものは。こんなものを好んで吸うやつらの気が知れない」
「その潔癖ぷりが祟って死んじまったんでしょうに。懲りないお人」
「ハッ、うるさい。年増め。お前の股の間でおっ死んだ男達にもそう言ってたのか?」
「うるさいわねぇ。男なんてみんなバカよ。ろくでなしよ。犬のように可愛がるのがあってるの。何せあそこを膨らませて出すことしか考えてないもの」
「本当の男を知らなかったと見える。その年でおぼこは可哀想だな」
「なら、あんたのお綺麗で高潔なソレで私の処女をぶち破っておくれ。なあんて、もう血を流すやつは腹にはいないんだけどねえ」
「下品な女だ」

 侮蔑の視線をくれると女は形のいい眉を上げた。そんなもの、慣れっこさと言わんばかりの挑発的な眼差しを返す。

「お前、生きていたのか?」

 声を荒らげたリストを一瞥すると、ドニという男は煙草の煙をふきかけてきた。
 煙を嫌うように手を振りぐっと眉間に皺を寄せる。
 この男を、私は貴族の夜会で見たことがない。この世界の私の記憶を含めて、知らないのだ。ならば彼は平民以下の階級のものだろう。……おそらく、軍の人間だ。

「死人のパーティーにようこそ、リスト様」
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