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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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「知り合いなの?」
リストは難しい顔をしてドニを睨みつける。
「俺が殺した男だ」
「殺した?」
国王やクロードのように?
サガルのように、殺した男がこの場にいる?
「生きているわけがない。確かに息を引き取ったのを確認した」
「そりゃあそうさ。死んじまったのは本当ですんでね。売女から煙草をせびって吸うぐらいしかやることがない」
「ならば何故お前がここにいる」
「サア? 俺にはさっぱり。聖書のなかのお話みたいですよねぇ。死者が蘇り、裁判を受ける。地獄に行くか、天国に行くか。さあ、裁判官たる死に神が木槌を鳴らし判決を言い渡す、なんて」
「……世界が、終ると? 聖書に書かれたように、黙示録が始まったと言いたいのか」
髪を混ぜっ返してリストは戦いた。
男は答えず、煙を吐きだす。白い靄は霧のように広がり、屋根の上に昇った人間達が足を滑らせ落ちてくる。
どこかで鐘が鳴っている。大津波を現す六つの鐘。初めて聞いた。清族の本を読んだ時に出てきた知識だ。六は警戒、特に津波の来襲をあらわし、七つは祝福。結婚式や式典で用いられる。
その本にはこうも書かれていた。元々、六はこの王都から出る人間を送り出す数だったという。王都をぐるりと囲む城郭の外にも轟くような大きな音。六度、鐘を鳴らせばいずれかは旅立つ人に聞こえるだろうと。
やがて、旅立つ人を送る音から、死者をファミ河に流す音に変わり、恐怖と死が結びつき津波を現す六つ鐘になった。
聖書にも鐘が出てくる。終焉の日に、天から聞こえるのだ。神が鳴らすとされている。どんな音かは記載がない。ただ、鐘が鳴るとだけ、書いてある。七回、鳴るのだ。
「どうだっていいさア。何だっていい。どんなことだって無意味なんだから。どう見たって世界の終わりだろう、おぼっちゃま。神様が、世界を滅ぼすのさ」
赤い斑点が女の肌にびっしりと浮かぶ。
まるで花びらが散っているように見える。
げらげら笑いながら、乳飲み子を抱えた母親が泥の中に飛び込んだ。それに続くように屋根の上から人が落ちてくる。
鳥が突然力を失い地面に墜落してくるようだった。死が降り注ぐ。げらげら笑い声が響く。
「黙示録なら始まってるでしょうに。リスト様、貴方が俺を殺した日。アレが全ての間違いさ。母様はこう言ってた。王族の方には敬意を持って接すること。決して殴ったり蹴ったりしちゃあいけません。けど、貴方が俺を蹴って、殴った」
「……お前も俺を殴り、蹴った」
「そりゃあ、だって。俺は歯止めが効かないんだ。けれど、国王陛下は俺のそんなところがいいって褒めて下さった。軍人らしいってね」
「な、何の、はなし?」
ドニのピンク色の瞳が私を向いた瞬間、細まる。
リストへ向けていた表情ががらりと変わった。鼻の下がのびて、あからさますぎる野卑な視線が絡む。
不愉快に眉を顰めると、それすら愉快だと言わんばかりに口元が緩んだ。
「リスト様ぁ、やっぱり不倫していたんですか。いやぁ、良かったですよ。これで陛下も喜ばれる」
「不倫? 誰と誰が」
「お前のことだよ、股ゆる女。国王陛下はずっと疑ってた。愛人の子であるお前が母親とおんなじで淫売じゃないかって! 結果は大当たり。俺はフィガロとかいうどこぞの馬の骨とも分からない養子様と出来てると思っていたがな」
すっと頭の中が澄んだ。自分でも意外なほど冷静でいられた。
下種な勘繰りをして私を貶めて悦に浸っている。なんて馬鹿な男なんだろう。
「国王陛下は私がクロードを裏切っていると思っていたの」
「確信していらっしゃったね。マ、当たり前だろ。愛人の子供になんだって慈悲がわくんだ? 誰が信用するって? 俺だったら、すぐさま王族から外していたね。浅ましい売女に権力をやるなんて考えると鳥肌が立つ」
「空っぽな脳みそで考えたことがまるでさも名案のように言うのね」
あ? と片目が私を睨みつける。でも、全然怖くない。むしろ、言い返されて戸惑っているようで笑える。
「愛人、愛人と馬鹿の一つ覚えなんだもの。これで頭の中におが屑以外入っていると思う方がおかしいと思わない」
「なん、だと? あ、愛人……っ、女ごときが、俺に意見するのか」
「あら学習能力はあるの。愛人と言っても、正妃の姉なのよ。血が汚れているだなんて言われたら噴飯ものだもの。貴族名鑑でも見直してみてはどう?」
こんな男に、愛人の子だと嘲られるなんてごめんだ。底の浅い、ただ人を蔑むためだけに放たれた言葉をまともに取り合うなんて馬鹿らしい。
だが、リストがどうしてこんな男を殺したのだろう。話を聞いているかぎり、理由はギスランと同じように思えた。殺されそうになったから殺した。正当防衛だ。
自分でも不思議なぐらい、この男ならば仕方がないのではないかと思ってしまう。私がこいつのことを嫌いだから、リストにどんな理由で殺されようとそこまで興味が惹かれない。むしろ、リストが殺した理由にこそ、興味がある。
……自分の気持ちだけで罪の重さを推し量っている。ギスランを殺したときは正当防衛だって許されることではないと思っていたのに、今では、正当防衛ならば仕方がないと考えが変わっている。自分と関係ない人間が殺されても構わないんだ。心がない化物みたいだとひっそり思う。
「このっ、クソ女がッ、陛下のおこぼれて生きてこれた存在の癖に」
「そう。では国王陛下に感謝申し上げなくては。それで? 王の威を借りるお前は、どんな王族の血をひいているの。私の知っている貴族の生まれかしら」
「殺してやる!」
男は腰に手をやった。本来ならば帯刀していたのだろうが、あいにくと腰のベルトは引きちぎれてしまっている。
「あ、はは、あは、あはははッ」
「驚いたわ。殴ったり蹴ったりするのではないの。腕に覚えがあるようだったのに」
焚きつけるようなことを言ってしまった自覚はあるが、解せなかった。どうして殴りかかってこないのだろう。剣を振り回すより簡単だろうに。
「母様が、女には殴りかかるなって」
「……躾のいいお母さまなのね?」
いや、いいのか? 普通、男女の性差関係なく殴ったり蹴ったりしないものでは。だいたい、殴る蹴るが無理なら剣で切り殺そうとしたということなのではないか。
「マ、母様は俺に死ねってばかり言ってたけどな。俺って害悪なんだってさ。油によってくる虫みたいだって言われてた。母様の方が虫みたいに潰れて死んじゃったんだけどさァ」
「……お前」
得体が知れなくて怖い。何か大切なものを落っことしたような男だ。死んだからこうなのだろうか。
「女ってのは脆いよなァ。なあ、子供、どこやったのか教えて下さいよォ。陛下はずっとそれを気にしていた」
「宰相夫人が世話をしていると聞いたわ」
「そんなの嘘っぱちでしょう? 陛下はずっと探してたんだ。見つけたら、殺せって言われていたし」
こいつ、私の不倫を疑い、子供の居場所を探していたのか?
でも、なぜリストに殺されたんだ。そもそも、陛下にこんな男がなぜ会う?
軍人であってもとても、地位が高いようには見えない。陛下が重用する風な男にも見えない。顔のいい品のない男。ただ、それだけ。
精神錯乱して、妄想を垂れ流していると言われた方がまだ受け入れることが出来た。
でも、リストの様子からこいつを殺したことは本当らしかった。
考えられるのは二つだ。
こいつは本当に私のことを嗅ぎ回っていた。不倫の証拠を掴むように指示され、子供を殺すように厳命されていた。だが、リストに不利益なことをして殺された。
もう一つはリストがただ、人を殺すことを楽しんでいた場合だ。国王陛下を殺し、クロードを殺し、サガルを殺したリストは、そもそも快楽殺人鬼だった。
このドニという男は妄言を垂れ流し、疎まれただろう男だ。誰も死んでも取り合わない。だから殺した。
どっちであってもあり得るような、あり得ないような、判断に困る。
泥の表面に油のようなものが浮かんでいる。虹色のどぎつい色が反射を繰り返す。
はっとした。指が浮かんで、ずぶずぶと沈んでいく。さっき屋根から飛び降りた誰かのものだろう。
汗の臭いがする。リストのものだろうか? それとも、私の?
目の前が陰った。
大きな雲がかかったようだった。
いくつもある顔で私達を覗き込んでいる。
「はなおとめ」
どの顔がそう名前を囁いたのだろう。
女、男? どちらか、分からなかった。確認する勇気もなかった。
リストはもう逃げなかった。
剣を抜こうとして、失敗する。私を抱えているから。
黒々とした腕が迫ってくる。指が、頬を撫でようとした。
その時だった。
地響きのような音が響いた。ぐんぐんと水を切って、塊が近付いてくる。
勢いのまま、その塊が死に神に突っ込んだ。激しい音とともに、扉が開く。
そうだ、これは車だ。
ヴィクター・フォン・ロドリゲスの発明品。光電機械で出来た馬車に変わる乗り物。電気と光と水で進む科学の結晶。
「さあ、乗って!」
ヴィクターの腕を掴んで、リストと私は車内に乗り込んだ。
ヴィクター・フォン・ロドリゲスは後部座席で私達を引っ張り、そのまま前に座る人間に合図を出した。きゅるきゅると言う音とともに前へと体が持っていかれそうになる。
「下がるので、ご注意を」
「死に神に突撃する意味、あった!?」
「……我が君が、勢い余りまして……」
勢い余って死に神に車を突っ込ませたのか!?
どんな命知らずなんだ……。
今度は真後ろに引っ張られながら、車が後ろへと下がっていく。車窓から傷一つついていない死に神が見えた。
「アクセルを!」
ヴィクターが指示を飛ばすと、叩きつけられるように背中が後ろに引っ張られる。恐ろしくなって振り向くと、水飛沫があがっているのが見えた。よく見ると、足元は泥水で浸かっている。泥の中をかき分けてきたせいで車内にまで入り込んでいるのだ。
車内にはいった泥が飛び跳ねて、卵の形をつくる。ころころとした球体に亀裂が入り、舌と歯が飛び出す。
「王様も、神様も、女神様も、誰も元に戻せない」
「崖から落ちて真っ逆さま。転がり落ちて、真っ逆さま」
「誰も助けられなかった」
「誰も救いなんてもたらさなかった」
「元に戻せなかった」
「元に戻せなかった」
童謡のように、卵は歌う。
何かが頭の記憶に浮かび上がった。
剣を担ぐ血塗れな人。騎士様だと思い込んだヒト。毎日、待った。花を捧げた。あの人が、笑って花を飾る。嬉しい。嬉しい……。
花売り。悲しい。夜が怖い。あの人が来る。来てくれた。また、会いに来てくれる。幸せだった。
身代わりにされて、絶望した夜。あの人は来なかった。しょうがない。しょうがない。
馬鹿な私を騙したんだと、誰かが言った。
誰だって、自分の娘を捧げたくはないから。お前がかわりになるんだよ。
神様は人を食べるらしい。熊や狼のように。だから、しょうがない。
崖から神様への供物と称して落とされた体。ごろんごろんと体が打ちつけられて、頭が痛む。血が滲んで、それで……。
何の記憶だ。これは。何か、おかしい。私は、崖から落ちたことなんてない。バルコニーから飛び降りたことはあるけれど。火が肌を舐る、真っ赤に燃えた屋敷の記憶はあるけれど。
「――誰だって、元には戻せない。もう、戻れない」
「いいえ。戻せる」
ヴィクターは明るい声で言った。
「はなおとめは元の世界に戻る。そして、幸せになる。天帝様はそうおっしゃっている」
「愚かな神だ。半神だ」
卵は悲しげにそう歌う。
「はなおとめ、参りましょう。どれだけ泥に押し流されそうになっても、世界を戻さなくては」
泥に濡れた手が私を掴む。リストが警戒するように、横にいるヴィクターと前に座る運転手を交互に見つめた。
「どういうことだ。あの化物は? お前達はどうしてタイミングよく俺達を助けた」
「話はあとで。我が君。我が至高なる方。車という乗り物は前に進む方が早いものです」
ヴィクターは席を乗り上げて、前にいる運転手に声をかけた。とても丁寧で優しく、それでいて慈しむもののように扱う。
ヴィクターの腕の隙間から、ちらりと見えた瞳の鋭さに思わずたじろいだ。かなり目つきの険しい男だ。髪を撫で付けるようにあげていて、どこか貴族然としている。つんとした表情に似合って無機質さがあった。
そのくせ、体を丸めているのが少し可愛らしい。車体に対して体の大きさが見合っていないのだ。押し込められて載っているみたいだった。
ーーあれ。
強烈な違和感におされ、ヴィクターの腕をどける。運転席に座る男をまじまじと見つめる。
「はなおとめ?」
ーーああ、傍聴人よ。麗しのはなおとめよ。きみがききたいことは、知っている。この世の終わりの話だね? 死者が生者となるさかしまな世界。天が荒れ、水が溢れ、飢餓が起こり、疫神が降りる。暴動で国は騒ぎ、水の中にきみが沈む。終わりは近い。天帝様が嘆く。きみが死んだと。この世を嵐に埋める。
ミミズクがいつか私に告げた言葉が蘇る。
ハルと一緒に森をかけて、ミミズクを探した。あのとき、私はハルの名前すらきちんと知らなかった。
――男神様は、いつも、はなおとめと一緒。でも今日は違うね。天帝様が起きるまで、まだ少しあるよ。
――あれ。天帝様と一緒にいるの?
ミミズクの視線はハルに向かっていた。確かに、ハルを見て、天帝様と一緒にいるの? と尋ねた。
ヴィクターはこの男を何と言っていた?
我が君だと言ってはいなかったか。サランドル派が信奉するのは天帝様だ。天に座する無変の神。
「――ハル?」
運転席に腰掛けるのは、ハルだ。貧民の、ハル。
ではなぜ、ヴィクターに我が君と言われている?
リストは難しい顔をしてドニを睨みつける。
「俺が殺した男だ」
「殺した?」
国王やクロードのように?
サガルのように、殺した男がこの場にいる?
「生きているわけがない。確かに息を引き取ったのを確認した」
「そりゃあそうさ。死んじまったのは本当ですんでね。売女から煙草をせびって吸うぐらいしかやることがない」
「ならば何故お前がここにいる」
「サア? 俺にはさっぱり。聖書のなかのお話みたいですよねぇ。死者が蘇り、裁判を受ける。地獄に行くか、天国に行くか。さあ、裁判官たる死に神が木槌を鳴らし判決を言い渡す、なんて」
「……世界が、終ると? 聖書に書かれたように、黙示録が始まったと言いたいのか」
髪を混ぜっ返してリストは戦いた。
男は答えず、煙を吐きだす。白い靄は霧のように広がり、屋根の上に昇った人間達が足を滑らせ落ちてくる。
どこかで鐘が鳴っている。大津波を現す六つの鐘。初めて聞いた。清族の本を読んだ時に出てきた知識だ。六は警戒、特に津波の来襲をあらわし、七つは祝福。結婚式や式典で用いられる。
その本にはこうも書かれていた。元々、六はこの王都から出る人間を送り出す数だったという。王都をぐるりと囲む城郭の外にも轟くような大きな音。六度、鐘を鳴らせばいずれかは旅立つ人に聞こえるだろうと。
やがて、旅立つ人を送る音から、死者をファミ河に流す音に変わり、恐怖と死が結びつき津波を現す六つ鐘になった。
聖書にも鐘が出てくる。終焉の日に、天から聞こえるのだ。神が鳴らすとされている。どんな音かは記載がない。ただ、鐘が鳴るとだけ、書いてある。七回、鳴るのだ。
「どうだっていいさア。何だっていい。どんなことだって無意味なんだから。どう見たって世界の終わりだろう、おぼっちゃま。神様が、世界を滅ぼすのさ」
赤い斑点が女の肌にびっしりと浮かぶ。
まるで花びらが散っているように見える。
げらげら笑いながら、乳飲み子を抱えた母親が泥の中に飛び込んだ。それに続くように屋根の上から人が落ちてくる。
鳥が突然力を失い地面に墜落してくるようだった。死が降り注ぐ。げらげら笑い声が響く。
「黙示録なら始まってるでしょうに。リスト様、貴方が俺を殺した日。アレが全ての間違いさ。母様はこう言ってた。王族の方には敬意を持って接すること。決して殴ったり蹴ったりしちゃあいけません。けど、貴方が俺を蹴って、殴った」
「……お前も俺を殴り、蹴った」
「そりゃあ、だって。俺は歯止めが効かないんだ。けれど、国王陛下は俺のそんなところがいいって褒めて下さった。軍人らしいってね」
「な、何の、はなし?」
ドニのピンク色の瞳が私を向いた瞬間、細まる。
リストへ向けていた表情ががらりと変わった。鼻の下がのびて、あからさますぎる野卑な視線が絡む。
不愉快に眉を顰めると、それすら愉快だと言わんばかりに口元が緩んだ。
「リスト様ぁ、やっぱり不倫していたんですか。いやぁ、良かったですよ。これで陛下も喜ばれる」
「不倫? 誰と誰が」
「お前のことだよ、股ゆる女。国王陛下はずっと疑ってた。愛人の子であるお前が母親とおんなじで淫売じゃないかって! 結果は大当たり。俺はフィガロとかいうどこぞの馬の骨とも分からない養子様と出来てると思っていたがな」
すっと頭の中が澄んだ。自分でも意外なほど冷静でいられた。
下種な勘繰りをして私を貶めて悦に浸っている。なんて馬鹿な男なんだろう。
「国王陛下は私がクロードを裏切っていると思っていたの」
「確信していらっしゃったね。マ、当たり前だろ。愛人の子供になんだって慈悲がわくんだ? 誰が信用するって? 俺だったら、すぐさま王族から外していたね。浅ましい売女に権力をやるなんて考えると鳥肌が立つ」
「空っぽな脳みそで考えたことがまるでさも名案のように言うのね」
あ? と片目が私を睨みつける。でも、全然怖くない。むしろ、言い返されて戸惑っているようで笑える。
「愛人、愛人と馬鹿の一つ覚えなんだもの。これで頭の中におが屑以外入っていると思う方がおかしいと思わない」
「なん、だと? あ、愛人……っ、女ごときが、俺に意見するのか」
「あら学習能力はあるの。愛人と言っても、正妃の姉なのよ。血が汚れているだなんて言われたら噴飯ものだもの。貴族名鑑でも見直してみてはどう?」
こんな男に、愛人の子だと嘲られるなんてごめんだ。底の浅い、ただ人を蔑むためだけに放たれた言葉をまともに取り合うなんて馬鹿らしい。
だが、リストがどうしてこんな男を殺したのだろう。話を聞いているかぎり、理由はギスランと同じように思えた。殺されそうになったから殺した。正当防衛だ。
自分でも不思議なぐらい、この男ならば仕方がないのではないかと思ってしまう。私がこいつのことを嫌いだから、リストにどんな理由で殺されようとそこまで興味が惹かれない。むしろ、リストが殺した理由にこそ、興味がある。
……自分の気持ちだけで罪の重さを推し量っている。ギスランを殺したときは正当防衛だって許されることではないと思っていたのに、今では、正当防衛ならば仕方がないと考えが変わっている。自分と関係ない人間が殺されても構わないんだ。心がない化物みたいだとひっそり思う。
「このっ、クソ女がッ、陛下のおこぼれて生きてこれた存在の癖に」
「そう。では国王陛下に感謝申し上げなくては。それで? 王の威を借りるお前は、どんな王族の血をひいているの。私の知っている貴族の生まれかしら」
「殺してやる!」
男は腰に手をやった。本来ならば帯刀していたのだろうが、あいにくと腰のベルトは引きちぎれてしまっている。
「あ、はは、あは、あはははッ」
「驚いたわ。殴ったり蹴ったりするのではないの。腕に覚えがあるようだったのに」
焚きつけるようなことを言ってしまった自覚はあるが、解せなかった。どうして殴りかかってこないのだろう。剣を振り回すより簡単だろうに。
「母様が、女には殴りかかるなって」
「……躾のいいお母さまなのね?」
いや、いいのか? 普通、男女の性差関係なく殴ったり蹴ったりしないものでは。だいたい、殴る蹴るが無理なら剣で切り殺そうとしたということなのではないか。
「マ、母様は俺に死ねってばかり言ってたけどな。俺って害悪なんだってさ。油によってくる虫みたいだって言われてた。母様の方が虫みたいに潰れて死んじゃったんだけどさァ」
「……お前」
得体が知れなくて怖い。何か大切なものを落っことしたような男だ。死んだからこうなのだろうか。
「女ってのは脆いよなァ。なあ、子供、どこやったのか教えて下さいよォ。陛下はずっとそれを気にしていた」
「宰相夫人が世話をしていると聞いたわ」
「そんなの嘘っぱちでしょう? 陛下はずっと探してたんだ。見つけたら、殺せって言われていたし」
こいつ、私の不倫を疑い、子供の居場所を探していたのか?
でも、なぜリストに殺されたんだ。そもそも、陛下にこんな男がなぜ会う?
軍人であってもとても、地位が高いようには見えない。陛下が重用する風な男にも見えない。顔のいい品のない男。ただ、それだけ。
精神錯乱して、妄想を垂れ流していると言われた方がまだ受け入れることが出来た。
でも、リストの様子からこいつを殺したことは本当らしかった。
考えられるのは二つだ。
こいつは本当に私のことを嗅ぎ回っていた。不倫の証拠を掴むように指示され、子供を殺すように厳命されていた。だが、リストに不利益なことをして殺された。
もう一つはリストがただ、人を殺すことを楽しんでいた場合だ。国王陛下を殺し、クロードを殺し、サガルを殺したリストは、そもそも快楽殺人鬼だった。
このドニという男は妄言を垂れ流し、疎まれただろう男だ。誰も死んでも取り合わない。だから殺した。
どっちであってもあり得るような、あり得ないような、判断に困る。
泥の表面に油のようなものが浮かんでいる。虹色のどぎつい色が反射を繰り返す。
はっとした。指が浮かんで、ずぶずぶと沈んでいく。さっき屋根から飛び降りた誰かのものだろう。
汗の臭いがする。リストのものだろうか? それとも、私の?
目の前が陰った。
大きな雲がかかったようだった。
いくつもある顔で私達を覗き込んでいる。
「はなおとめ」
どの顔がそう名前を囁いたのだろう。
女、男? どちらか、分からなかった。確認する勇気もなかった。
リストはもう逃げなかった。
剣を抜こうとして、失敗する。私を抱えているから。
黒々とした腕が迫ってくる。指が、頬を撫でようとした。
その時だった。
地響きのような音が響いた。ぐんぐんと水を切って、塊が近付いてくる。
勢いのまま、その塊が死に神に突っ込んだ。激しい音とともに、扉が開く。
そうだ、これは車だ。
ヴィクター・フォン・ロドリゲスの発明品。光電機械で出来た馬車に変わる乗り物。電気と光と水で進む科学の結晶。
「さあ、乗って!」
ヴィクターの腕を掴んで、リストと私は車内に乗り込んだ。
ヴィクター・フォン・ロドリゲスは後部座席で私達を引っ張り、そのまま前に座る人間に合図を出した。きゅるきゅると言う音とともに前へと体が持っていかれそうになる。
「下がるので、ご注意を」
「死に神に突撃する意味、あった!?」
「……我が君が、勢い余りまして……」
勢い余って死に神に車を突っ込ませたのか!?
どんな命知らずなんだ……。
今度は真後ろに引っ張られながら、車が後ろへと下がっていく。車窓から傷一つついていない死に神が見えた。
「アクセルを!」
ヴィクターが指示を飛ばすと、叩きつけられるように背中が後ろに引っ張られる。恐ろしくなって振り向くと、水飛沫があがっているのが見えた。よく見ると、足元は泥水で浸かっている。泥の中をかき分けてきたせいで車内にまで入り込んでいるのだ。
車内にはいった泥が飛び跳ねて、卵の形をつくる。ころころとした球体に亀裂が入り、舌と歯が飛び出す。
「王様も、神様も、女神様も、誰も元に戻せない」
「崖から落ちて真っ逆さま。転がり落ちて、真っ逆さま」
「誰も助けられなかった」
「誰も救いなんてもたらさなかった」
「元に戻せなかった」
「元に戻せなかった」
童謡のように、卵は歌う。
何かが頭の記憶に浮かび上がった。
剣を担ぐ血塗れな人。騎士様だと思い込んだヒト。毎日、待った。花を捧げた。あの人が、笑って花を飾る。嬉しい。嬉しい……。
花売り。悲しい。夜が怖い。あの人が来る。来てくれた。また、会いに来てくれる。幸せだった。
身代わりにされて、絶望した夜。あの人は来なかった。しょうがない。しょうがない。
馬鹿な私を騙したんだと、誰かが言った。
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崖から神様への供物と称して落とされた体。ごろんごろんと体が打ちつけられて、頭が痛む。血が滲んで、それで……。
何の記憶だ。これは。何か、おかしい。私は、崖から落ちたことなんてない。バルコニーから飛び降りたことはあるけれど。火が肌を舐る、真っ赤に燃えた屋敷の記憶はあるけれど。
「――誰だって、元には戻せない。もう、戻れない」
「いいえ。戻せる」
ヴィクターは明るい声で言った。
「はなおとめは元の世界に戻る。そして、幸せになる。天帝様はそうおっしゃっている」
「愚かな神だ。半神だ」
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「はなおとめ、参りましょう。どれだけ泥に押し流されそうになっても、世界を戻さなくては」
泥に濡れた手が私を掴む。リストが警戒するように、横にいるヴィクターと前に座る運転手を交互に見つめた。
「どういうことだ。あの化物は? お前達はどうしてタイミングよく俺達を助けた」
「話はあとで。我が君。我が至高なる方。車という乗り物は前に進む方が早いものです」
ヴィクターは席を乗り上げて、前にいる運転手に声をかけた。とても丁寧で優しく、それでいて慈しむもののように扱う。
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そのくせ、体を丸めているのが少し可愛らしい。車体に対して体の大きさが見合っていないのだ。押し込められて載っているみたいだった。
ーーあれ。
強烈な違和感におされ、ヴィクターの腕をどける。運転席に座る男をまじまじと見つめる。
「はなおとめ?」
ーーああ、傍聴人よ。麗しのはなおとめよ。きみがききたいことは、知っている。この世の終わりの話だね? 死者が生者となるさかしまな世界。天が荒れ、水が溢れ、飢餓が起こり、疫神が降りる。暴動で国は騒ぎ、水の中にきみが沈む。終わりは近い。天帝様が嘆く。きみが死んだと。この世を嵐に埋める。
ミミズクがいつか私に告げた言葉が蘇る。
ハルと一緒に森をかけて、ミミズクを探した。あのとき、私はハルの名前すらきちんと知らなかった。
――男神様は、いつも、はなおとめと一緒。でも今日は違うね。天帝様が起きるまで、まだ少しあるよ。
――あれ。天帝様と一緒にいるの?
ミミズクの視線はハルに向かっていた。確かに、ハルを見て、天帝様と一緒にいるの? と尋ねた。
ヴィクターはこの男を何と言っていた?
我が君だと言ってはいなかったか。サランドル派が信奉するのは天帝様だ。天に座する無変の神。
「――ハル?」
運転席に腰掛けるのは、ハルだ。貧民の、ハル。
ではなぜ、ヴィクターに我が君と言われている?
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