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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む「屋敷にいた貧民……」
「ハル、だわ。どうしてこんなところに」
ヴィクターにこき使われているのか? でも、なぜ?
ハルは屋敷にいたはずだ。ヴィクターとの関わりもないはず。
心の中で三度、ハルは関係がないと繰り返す。ハルは何にも関係ない。巻き込まれただけ。時の気まぐれ、ただそうなっただけ。
「ど、どうして答えないの」
ハルは黙したまま、何も言葉を話そうとはしない。
「ねえ、ハル」
耐えきれず、名前を呼ぶと、ヴィクターが私の口を覆った。
「はなおとめ、それはよろしくない」
「ん! んっ!?」
「天帝様の御前で他の男の名前をみだりに呼ぶなど。――も、申し訳ございません、我が君」
ぱっと手を離したヴィクターはがたがたと震えていた。ハルの視線が彼から私へと移動してくる。無機質で温度のない瞳はハルらしさを削ぎ落としたように違和感があった。双子、あるいは顔の似ている兄弟だろうか、と思うほどだ。
「お許し下さい。はなおとめに危害を加えるつもりはございませんでした」
「先ほどから、何を言っている。ヴィクター・フォン・ロドリゲス。世界と同じようにお前まで狂ったとでも言うつもりか。貧民を天帝に見立ててどうするつもりだ」
「見立てではございません。狂ったと思うのは無理もありませんが。……ですが、それも今更だ。ラサンドル派は気狂いばかりと言われてきたので」
唇を小さく動かしたときに出る低い声でヴィクターは喋った。軽蔑が混ざって音を出しているようだった。
「では、どういうことだというの」
「この貧民、ハルと言うのですね」
「え、ええ。……私の屋敷の使用人の一人よ」
「ですが、今は我が君の器です。やはり、貧民では格が足りないのか、我が君は口を開くことはなさいませんが」
不快な言いように眉根を寄せる。
こいつはこう言いたいのか。ハルの体を今得体の知れない何かが占有している。その中身は天帝であり、ハルという貧民の体ゆえに物を言わないと。
「にわかには信じられないわ……。天帝は神様なのでしょう。どうして人の身に宿るの。ハルの体を奪うの」
「奪うという言い方は正しくありません。この貧民は既に死んでいるのですから」
「は?」
「死んでいるのです。三時間ほど前に。天帝様は死んだ体に入っていらっしゃるだけ」
「ど、どうして、死んだの!?」
「はなおとめのお屋敷にある家財を盗もうとした侍女に刺されたようです。……覗き込まれて、確認してみますか? 一目で確認できるかと。内臓が露出しておりますので」
確認するかと言われた瞬間、体を上げて覗き込んでしまった。シャツは腹部が真っ赤に染まっていた。臓器の一部が露出し、ぴゅーと噴水のように血が流れ続けている。
鏡のような瞳が私を映した。ハルが、笑った。……いや、得体の知れない何かが、だ。
「尊き御方の肉体に相応しくない。この体以外入り込めるものが無かったのだとしても、薄汚れた鼠のような男ですから」
はじめて会った時のことを思い出す。ハルは人を水浸しにしてきた。ギスランがいたから耐えられたけれど、一人ならば怒鳴っていたかもしれない。
森をかけた。私を追いかけてきた彼からは土の匂いがした。
錯乱した時、助けると言ってくれた。
王女だとバレて、拒絶されたこと。殺すと宣言されたこと。それでも、レゾルールで助けてくれたこと。いいことも悪いこともぐちゃぐちゃに混ざって、嬉しいような、苦しいような感情が込み上げる。
ハルが死んだ。母様と同じ死に方だ。中身がこぼれて、血が噴き出している。
この世界に来てから、人の死を見過ぎだ。
あっけないもの、残忍なもの、ふと瞬間に呪いのように思い出す凄惨なもの。クロードや国王――フィリップ兄様の死。
あれだけ気持ち悪くて失神してしまいそうだったのに。
ハルの惨状を見ても、もう吐き気すらしない。
獣の咆哮が聞こえてきた。外で死に神が鳴いているのだと思ったが、違う。自分自身の喉から絞り出された叫び声だった。手を喉に突っ込んで音を出さないようにする。隣にいたリストがぎょっとして、唾液でべたべたな私の手を掴んだ。
「何をやっている!」
「もう、いや」
「……カルディア」
「元の世界に戻りたい。こんなことになるなんて。こんなところ、一秒だっていたくない」
溜まった唾液が熱い。
暴れまわりたいぐらい、気持ちが悪い。
どうしてこんなことになるのだろう。ギスランがリストを殺すことを止められなかった私のせい?
国王やクロードを殺すリストを止められなかったから?
「皆、頭がおかしいのよ。いや、おかしくなっているのは私? 空に目玉のようなものは浮かんでいなくて、濁流が王都を押し流そうとしていない? 鐘も鳴っていないし、王宮で人も死んでいない? そうなの?」
「はなおとめ」
「私一人頭がおかしいならばいいのよ。けれど違うのでしょう!? 天帝がハルの体のなかに入っている? ハルが死んだ。 訳が分からない。ヴィクター・フォン・ロドリゲス。お前は王宮にいたはずでしょう? あの時、ユリウスと一緒にいたのに、今はハルと一緒?」
カリオストロと敵対した時、ヴィクターとユリウスの二人が揃っていた。
そのあと、カリオストロのせいで王宮がひとりでに動き始め、鼠が這い回り、場は混乱した。二人のことも見失い、てっきり鼠に飲まれたものだとばかり思っていた。
「あの鼠の中をどうやって掻い潜ったの。それに、清族でありながら王宮にいた人間を助けずにここまで来たの?」
「…………」
ヴィクターは明らかに不快そうな顔をした。意外だった。ヴィクター・フォン・ロドリゲスは私に対していつも慇懃に接していた。
恍惚とした表情で見つめられたことはあっても不愉快そうに眉間に皺をつくられたことはなかった。
「ユリウスは重症でした。角が折れて、立てもしない有様。援軍もいない。そんな状態で王宮のなかに入れば死んでしまうと誰でも分かること。……しかも、そのときちょうど、天帝様が御降臨あそばされた」
「だから、ユリウスを置き去りにしたと?」
「……今さきほど、はなおとめを助けたと思っていましたが? いらないお世話でしたか」
睨みつけられる。何だか、急に愉快になった。
しおらしくしていたのが嘘みたいだ。ヴィクターはあからさまに私へ批判がましい視線を向けている。
「ラサンドル派が尊き御方を優先して悪いとおっしゃりたい?」
「本当に、天帝が入っているとも限らないのに? 悪霊でも宿っているとは思わないの」
「貴女には聞こえないだろうが……!」
再び、ヴィクターが私を掴もうとした。狭い車内では躱すこともできない。
伸びてきた腕が、ぐにゃりと曲がった。空間が捻じれたように、服も皺が寄って黒い靄が広がると、次の瞬間、風が吹いて霞が消える。
ヴィクターは片腕を失っていた。ひらひらと袖だけひらめいている。
「も、申し訳、ござ」
運転席のハルが振り返る。真っ青な顔をしてヴィクターは唇を噛む。
「頭が悪くて申し訳ございません。もう二度とはなおとめを傷付けるような真似は……。はい。はい! 喜んで。我らの神。尊きお方。貴方様の口になれて嬉しゅうございます」
こくりと頷いて、ハルは窓の外に目を遣った。運転へと意識を集中させるように。
「はなおとめ」
ヴィクターは嬉しそうに顔を赤らめてしっとりとした声を出す。
「この者の声を通して愛おしい君に話しかけることを許して欲しい。不出来な男だが、今はこの男しか私の声を伝えられるものがいないと天帝様はおっしゃっておられています」
「は……」
どんな声もしないのに? ただ、唸るような音が座席の下から聞こえてくるだけだ。
リストもさっぱり状況がつかめないという顔をしている。
「語りつくしたいことはあるが、まずはこの体についてだ。気に入らないか?」
「気に入らないって……」
「男として。それとも恋人だった? 情があるようだった」
「恋人?! ち、ちがう」
「そうか。だが、すまないことをした。死に神によって暦が動かされ、私の暦が失われた。これでは、地が水に沈む。君を助けることも叶わない」
「私を助ける?」
彼は本当に天帝の言葉が聞こえているのだがろうか。返答を待つような沈黙のあと、ヴィクターは口を開く。
「元の世界に戻りたいと言っていただろう。その願いを叶えるために来た」
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