【完結】自称ワンコに異世界でも執着されている

水市 宇和香

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第三章

四話 反撃の一手

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 時は遡り、アザミたちが監察史のもとを逃げだした夜。二人は夜を縫ってニーナ市へ向かっていた。ニーナ市に蔓延る薬物の出所と関係者を探るためだ。ハナミが何を嗅ぎ回っていたのか気づかれている可能性がある以上、証拠を消される前に一刻も早くニーナ市に戻る必要があった。



 
「親方たちに助けてもらうのはどうかな?」

 ニーナ市での立ち回りかたについて、非力なアザミが思いついたのは、他人の手を借りることだった。反逆者二人の話など聞いてもらえないかもしれないし、何より彼らを巻きこむのは気が引ける。しかし、いくら内密に動いたところで、ハナミとアザミ、トマスの三人では心許ない。それに、ゴーチエ他ニーナ市民は、自らが市民であることを誇りにしている。そんな彼らならきっと、ニーナ市で起きている犯罪を自分たちで解決したいのではないかと考えたのだ。

「ハナミ トチマンドウが監察史であることを一般市民にばらすというのか?」

 アザミの提案に、トマスが低く唸った。洞窟の中はあいかわらず暗くて、彼の顔かたちはわからない。

「親方たちはたぶん、言いふらしたりしないと思います」
「市民の中に監察史や薬物組織の連中と繋がっている者がいるかもしれないぞ」
「それは……いないと信じてます」
「信じる! はっ、そんな根拠のないもので動くというのか」

 今度こそトマスは、アザミを完全に馬鹿にしていた。姿が見えなくてもわかる。明らかな悪意につい首をすくめた。しかし、ゴーチエたちの言葉を聞くまでは、アザミは信じていたいのだ。

「万一裏切られても問題ないよう、うまく立ち回ってみせるよ。だから、アザミくんの言うとおり、ゴーチエ親方たちに相談してみようか」

 ハナミがそう言って助け舟を出してくれたので、ひとまずの方向性は決まった。そのため、三人はすぐに洞窟を抜け出ることにした。

 夜の森は本当に暗くて、日本の田舎の夜道とはわけが違う。しかし、トマスが木の上から正しい方向や獣の存在を伝えてくれたので、なんとか先に進むことができた。それどころか、小川の場所や食べられそうな木の実のありかまで教えてくれたのは心底ありがたかった。

 トマスは隠密という職種柄、いっさい姿を見せなかった。声の渋さから自分たちより年上な気がするが、正解はわからない。ハナミも旅に出て四年、一度も姿を見たことがないという。

(アニメのキャラみたいだな)

 トマスの存在が異次元なのはもちろん、ハナミだって国から任命された監察史という極秘任務を任されている以上、そこらの一般人とはわけが違う。二人ともすごい。自分だけが平凡すぎて場違いだ。

 国基準で鍛えられた二人の足になんとかついていけるアザミも、平凡とは言い難い体力の持ち主であった。しかし、日本にいたとき、本屋に行くため隣町まで山を越えることもあたりまえだった彼にとってはこのくらいなんでもないので、自身の非凡さには気づけなかった。




 翌日の昼前に、アザミたちはニーナ市の北門にたどり着いた。収穫祭を控えているため、各地の農村からさまざまな荷を携えてやってきた人が、関門で順番待ちをしている。

 ハナミの持っている通行許可証はどの町にも入れる特別製だが、彼が反逆者だと発覚した今、さすがにニーナ市に入るのは止められるだろう。そこで考えたのが、行商人の荷物に紛れて関門を通るというものだった。商人の数が多すぎるため、全員の荷物検査はしていないだろうという読みだ。

 ハナミもアザミも無一文だったのでどうするのだろうと思っていたところ、なんと、ハナミはアザミの前で花屋の女性に色目を使い始めた。「ニーナ市に無事入ることができたら一緒に市内を散策しよう」だのなんだの言っている。

 地味であまり顔を知られていないアザミが夫役として花屋の女性と一緒に荷台を引き、目立つハナミは、荷台に積んだ大きな花瓶の中へ隠れることになった。髪色を隠すため頭巾をかぶったアザミの横で、ハナミはさっそく花瓶の水を捨てて中に収まる。彼の上にラーバの花束を挿し直していると、

「アザミくん、怒ってる?」

 花瓶の中からくぐもった声が聞こえてきた。

「怒ってない」

 なぜかは気づきたくないがもやもやする。しかし、怒ってはいない。

「他にニーナ市に入る方法が思いつかなかったんだ。ごめんね、アザミくん」
「怒ってないよ」

 怒る資格がない、というのが正しい。だってアザミとハナミは付き合っているわけではないのだから。

 作戦は見事成功し、二人はニーナ市に入った。広場から少し離れた裏路地まで進む。周囲に誰もいないのを見計らって、花屋の女性はハナミを花瓶から引っ張り出すと、さっそく腕を取った。売り物の花がそのへんに散らばってもお構いなしだ。

「ねえ、早く行きましょう!」

(どこの世界でもモテるんだな……)

 今すぐにでもハナミと出かけたそうな女性だったが、ハナミが彼女の耳元で何かささやくと、女性はおとなしく離れた。

「絶対よ! 約束ね」

 顔が赤い。女性は何度も念押ししてからその場から去っていった。いったい何を言ったのか、聞いてもハナミは教えてくれなかった。




 人目につかないよう慎重に進み、ラロンド食堂にたどり着いた。すでに空は薄暗い。明日の収穫祭に向けて、早めに店仕舞いしているところがほとんどだった。ラロンド食堂もすでに閉店の看板を出している。扉を開けてそっと中を覗くと、食堂にはアンリと常連客の男が一人いた。なんと声をかけたらいいのかわからずまごまごしていると、アンリがこちらを向いた。そして大きく目を見はった。

「アザミ!」

 火にかけた鍋もそのままに、急いで駆けてきた彼女は、扉を大きく開くなりアザミを抱きしめた。

「無事だったんだね!」
「あ、ぶ、無事です。ご心配おかけしました」
「本当だよ! ハナミも! あんたたち、もう、本当に……! 本当に、もう……っ、もう!」

 後ろに控えていたハナミも一緒くたに抱き寄せられる。ばんばんと背中を叩かれて痛い。しかし、ぐすっと鼻をすする音が聞こえたので、されるがままになっていた。アンリに相当な心配をかけてしまったことが申しわけない。と、

「お、あんたら昨日とっ捕まった転移者たちだな」

 常連客のシメオンが、アザミたちの感動の再会をあてに葡萄酒を舐めつつそう言った。アンリはまなじりをつり上げる。

「この子たちを役人に売ったら承知しないよ」
「おお怖。そんな野暮なことしねえから安心しろよ。な?」

 ひげに隠れた口元がにいっと弧を描いた。シメオンが見上げた先を振り返り、アザミは口を開ける。

「親方……」

 階段からゴーチエが降りてきた。

 アザミとハナミの視線を感じていないかのような、悠然とした足取りで彼は階下に降り立つ。

 いつものとおり、皺の刻まれた顔に笑みはなく、気難しそうな固い表情。しかし、彼はアザミとハナミを順に見やって小さくうなずいた。そして、

「よく帰ってきた」

 視線をあわせて、確かにそう言ってくれたのだった。




 ラロンド食堂はにわかに男たちで溢れかえった。ニーナ市に存在するギルドの親方衆だ。ゴーチエが呼び集めたのである。

 厨房に一番近い席に座っているのは、肉屋のギルドの親方。年は四十過ぎだが、毎日大きな包丁を振るっているため、腕が非常に逞しい。

 肉屋の親方――エモン・カウヴァンは、どんっと卓を叩いた。

「反逆者の言うことを信じろって言うのか?」

 エモンがアザミたちを見る目は厳しい。強い目力でにらまれて、アザミは呼吸のしかたを忘れる。しかし、数々の修羅場を潜り抜けてきた親方たちは、彼の威圧感にも怯む様子がない。エモンの隣に座っていた、アザミよりよほど細身の神経質そうな男が、薄い唇を歪めた。

「だが、近年地区の治安が良くないのは事実だ。そうだろう?」
「ああ。浮浪者が増えた。それから行方不明者もな」

 呼応したのは魚屋のギルドの親方。有志でニーナ市の巡視を行っていることから、西区の様子にも詳しいのだという。

「しかし、薬が出回っているというのは本当なのか? 事実だとしたら、一都市の問題じゃなくなるぞ」

 そのとおりだと、親方たちがざわめく。

 トルバート王国の近隣諸国では過去、薬物により国が痩せ、内紛に発展したところも少なくない。そのため、薬物の栽培や販売、乱用は戦犯に匹敵するほど重い罪とみなされ、死罪となる。だからこそ、ゴーチエはニーナ市の親方衆を集めたのだ。

 親方たちは皆声が大きいので、それぞれが口を開き始めると収拾がつかなくなる。ギルドの長たちのなかでも年嵩のゴーチエは視線で彼らを黙らせたのち、仕切り直しの意味でハナミに再度発言を促した。

「おまえの推論をもう一度言ってみろ」

 扉近くの席に座っていたハナミは立ち上がり、親方たちの注目を集める。

「俺が最初に薬物の存在を疑ったのは、西区の浮浪者が菓子という単語に異様な反応を示したのを目の当たりにしたからです。薬物乱用者のような動きだったので、もしやと思うようになりました」
「薬物乱用者を見たことあんのか?」
「ええ。さらに言うと、あの薬物特有の甘い香りを嗅いだこともあります。どうしてかは……言えませんが」
「なぜ言えない?」

 親方衆の中から、当然とも言える問いが飛び出す。これに応えるには、ハナミが監察史だと明かす必要がある。話を円滑に進めるためには、正体を明かすことも考えなくてはならないが……ハナミが何か言う前に、花屋のギルドの親方が、はっはと大きく口を開けて笑った。

「あんたは人よりかなり鼻がいいだけの、一般人の兄ちゃんだろ」
「一般人じゃねえ、反逆者だ」

 肉屋のエモンが即座に訂正を入れた。他の親方たちは、ハナミが反逆者であることはひとまず置いておき、自分たちの市に迫る危機に対応しようとしている。というより、彼らの大半が、ハナミが反逆者という仮面を被った監察史であると予想がついているように見えた。そうでない者たちも、ゴーチエが世話していたからという理由で、ハナミの発言を受け入れようとしてくれていた。そんな中でエモンがいつまでもハナミの犯罪歴を気にするのは、大事な娘が彼に惚れこんでいるからなのだが、アザミはそんなことには思いもいたらない。エモンの野太い声に心臓が縮こまる気がする。しかし、ハナミ一人に任せておけないと奮い立った。

「ぼ、僕も西区で浮浪者の人を見ました。僕は薬物のことには詳しくないです。でも……異様だったことはわかります。お菓子を見た途端、動物みたいな動きで襲ってきたんです……」
「俺らがどれだけ声をかけても何も反応しない、無気力なあいつらが……?」

 魚屋の親方が驚きの声をあげる。親方たちの間では、以前から西区の浮浪者の様子は共有されていたらしく、多くの親方が魚屋の親方同様、驚愕の表情を浮かべた。

「このニーナ市で薬物――よその地域では≪葉っぱ≫と呼ばれているのでここでもそう呼びますが、≪葉っぱ≫が出回るようになってから、それほど年数は経っていないと思います。≪葉っぱ≫に侵された都市は全体的に退廃的な雰囲気が漂っているものですが、ニーナ市にはそれがないので。それで、俺は教会やモンフォール邸を洗い出そうと考えました」

 ハナミが違和感を覚えたのは、教会に飾られた装飾品の数々が、近年王都で流行している様式だったからだと言う。五年前に現れた転移者が王宮から脱走したことも伝わっていないほどの辺境に、最新の美術品が並んでいることを非常に不自然に感じたそうだ。相当金を積んだに違いなく、その資金の出所を不審に思った。酒に溺れるばかりで手持ちなど皆無だったに等しいモンフォールが、突然妻を迎え、屋敷の改修に着手できるようになったことも同様に怪しく感じ、≪葉っぱ≫の売買に絡んでいるせいかもしれないとあたりをつけたのだった。

「そう思うと、司教がアザミくんの戸籍登録を間違えたのもわざとではないかと考えられます。彼が未婚の転移者だとわかったら、王都から大勢の役人がアザミくんを迎えにやってきます。そうなったら、ニーナ市で行っている悪事がばれてしまうかもしれませんから」

 親方たちがふたたびざわつく。アザミも初めてこの推測を聞いたときは動揺した。司教の性格がだらしないからだと思っていたのが、すべて計算づくだったとは受け入れ難かった。

 親方衆のなかでも意見が割れている。司教はただの生臭坊主だと考える人たちと、金のためなら何をしてもおかしくないと考える人。ゴーチエは司教とは何度も顔を合わせていた旧知の仲なので、非常に複雑な顔で黙りこんでいた。そのあいだにも、親方たちの議論は紛糾する。

「トレゾール邸からマシ国に出荷されているもんは、茶葉ってことになってるんだろ」
「そうだぜ。見た目はただの葉っぱだし、告発しても言い逃れできちまうかもしれねえな」
「つうか、モンフォール邸も絡んでるなら、甥のニーナ辺境伯様も仲間ってことか?」
「もしそうなら、役人たちに訴えても握り潰されるじゃねえか!」

 ハナミはうなずいた。

「ええ。その可能性は高いです。俺とアザミくんは王宮から逃げ出した反逆者ということで、昨晩王都に移送されることになりました。その際、市門を通りましたが、荷物を確認されることはありませんでしたから。それに、監察史を名乗るティボーという男は、最初から俺たちの食糧を積まずにニーナ市を出発した。そしてその日の晩、俺たちは薬物乱用者に殺されそうになった。監察史も教会も、俺が嗅ぎ回っていることに気づいて、先手を打ったんだと思います。だから、それまで自分の手元で監視していたアザミくんも、俺と一緒にニーナ市から追い出したのだと思います。どうせ俺を殺すなら、一緒に殺したほうが楽ですから。彼らが仲間である以上、俺たちが殺されそうになったといくら叫んでも無駄なんです」

 この状況を打破するには、彼らが決して言い逃れできない状況を作るしかない。

「たとえば、監察史が教会やモンフォール邸の連中に接触する様子を押さえるとか?」
「いや、目撃者が消されて終わりだろ」
「暗殺できねえくらい大勢の連中で目撃してやったらどうだ?」

 誰かが投げやりに言ったその方法に、ゴーチエが食いついた。

「それいいじゃねえか。おまえら、そいつの馬を逃してやったんだろ? 徒歩で王都に向かうなんて無謀なことはしねえだろうから、きっとそいつはこのニーナ市に一度戻ってくる。ティボーとかいう野郎の動向を皆で見張ってりゃあ、どっかで尻尾を出すんじゃねえか?」

 にやりとゴーチエが意地悪く笑みを浮かべる。ハナミも同じように悪い顔をしてうなずいた。

「ええ、ティボーとダルヴリッセル司教はたぶん、俺たちを殺すついでに、俺の金貨を自分たちの懐に入れるつもりだと思います。だから教会を見張っていれば、金貨のわけまえを渡しに来るんじゃないかと……」

 アザミの横で一緒に話を聞いていたアンリが声をあげた。

「中背でやせぎすで、いかにも金にがめつそうな嫌な男だったよ! そいつが来たら監視すればいいわけね!」
「それじゃあわかんねえよ」
「ったく女は抽象的でいけねえな」

 しかし、このなかでティボーを見たことがあるのはアンリとアザミ、ハナミだけである。ティボーの人相についてああだこうだと意見が飛び交う中、アザミはそっと周囲を見渡した。

 口が悪くて喧嘩しているように見えるけれど、皆、自分の住むニーナ市を守ろうと必死だ。アザミも力になりたい。

 アザミの脳裏には、現状を打破する一つの考えがあった。

(でも……)

 逡巡してしまうのは、それがこの国で禁止されている行為だから。

(でも…………)

 毎朝王族の名前を唱えるけれど、見たこともない王様に特別な信仰心を持っているわけではない。この国で生まれ育った親方たちと自分は違うのだ。

(だったら僕しかできないことじゃないか……っ)

「あのっ」

 ためらいを振り切るように、アザミはそう言って席を立った。自分の何倍も人生経験豊富な親方たちが、一様にアザミを見る。視線の数にひざが笑った。

「あのっ、僕っ……」

 蚊の鳴くような声で、アザミは告げる。

「あっ、僕、似顔絵、か、描きます……」

 しかし、このトルバート王国には似顔絵という文化が存在しない。

「ニガエェ?」
「それってなんだ?」
「知らねえよ、おまえは知ってるか?」

 親方たちは、顔を見合わせながら首を振った。

「ニガオエとはなんだ?」

 ゴーチエが代表して尋ねる。それに答えるには、かなりの勇気がいった。何度つばを呑んでも口はからからだった。

「……人の顔を真似て描くことです。僕が監察史の顔を描きます」

 アザミの返事を皮切りに、予想していたとおり、会合が始まってから一番大きなどよめきが起きる。

「不敬だぞ!」
「やっぱり反逆者だな!」

 席のあちこちから野次が飛ぶ。この国では宗教画以外の絵画が存在せず、王族以外を描くことは、王族への冒涜とみなされるからだ。

 皆がアザミを糾弾している。思わずうつむきそうになったところで、ハナミと目があった。彼は小さくうなずいた。

 ハナミに勇気をもらったアザミは、なるべく自信満々に見えるよう、彼を手本にむりやり口角を上げた。

「≪葉っぱ≫が蔓延してこのニーナ市をだめにしたら、それこそ王族の皆さんに顔向けできなくなります。監察史が悪事を働いている証拠をつかむためにできることは、今はこの似顔絵しかないと思います」

 協力お願いします、と、最後に頭を下げる。

 すると、これまで黙っていたゴーチエが「俺たちのニーナ市を守るためなら、俺は使えるものはなんでも使うぜ」と立ち上がった。自分より若い連中を一瞥して鼻白む。

「おまえら、ニーナ市を俺たちの手で守ろうってときに何日和ってんだ」

 血気盛んな親方衆が、この挑発に乗らないわけがない。

「ニガオエでもなんでも持ってこい! 俺たちがニーナ市を守るんだ!」

 そう叫んだエモンが麦酒を一気に飲み干したのをきっかけに、男たちが口々に雄叫びをあげた。

(密談中だっつう自覚がねえのか)

 ゴーチエは呆れながら、自身も酒を舐めた。己が焚きつけた手前、止めるのも野暮だと思ったからだ。

 長いこと宗教画を描くことを生業にしてきたゴーチエは、この場にいる誰よりも王族の逸話や彼らの功績を耳にしてきた。それら王家の威光が皆に伝わるように……そのために、ゴーチエは幾度も王家の人々を想像し、創造した。彼らの稲穂のごときと称されるまばゆい金髪はよりまばゆく、生き物の宝庫である海に似た澄み渡った蒼い瞳は、さまざまな色合いを混ぜてより吸い込まれそうな深みを加えた。数多の人に王族を広めるため絵画が存在すると信じてきたゴーチエは、これまでの人生で王族以外を描こうという気持ちが芽生えたことはないし、そんな考えは不信心だと強く思う。アザミたちが連行されたとき、ゴーチエは会合に出かけていたため、監察史の顔を見ていない。見ていたとしても、筆を手に取ることができるか……。

 しかし、いつも誰かの影に隠れて人前に出たがらないアザミが、ニーナ市のために声をあげた。彼の故郷でもなんでもない、このニーナ市のために。その気持ちを汲まずにいるのは、己の信条に反する。

「あたしの旦那はかっこいいねえ」

 アンリが隣に座り、ゴーチエの持っていた器に酒を注いだ。ゴーチエは一息に飲み干すと、自室に紙と筆を取りに戻った。

 いっぽう、安堵で椅子にもたれこんだアザミのもとにはハナミがやってきた。アザミの頭を数度なでる。

「全身ぶるぶる震わせながら、よくがんばったね」
「その前置きは余計だ」

 あいかわらずデリカシーがない。

 賑やかな親方衆の中から、髪の毛の薄い細身の男が抜けでてきた。北区で本屋を営む店主だった。

「俺のところの紙を使え。何枚でも用意してやる」

 製本過程で失敗した紙を大量に持ってきてくれるという。裏紙だから気にせず使えと。

 そこから、アザミは夜通し似顔絵を描き続けた。親方衆だけでなく、ギルドに所属する人々にも行き渡るように何枚も何枚も。

 美術部のときは風景画を描くことが多かったので、人物画には自信がなかった。この国に来てから二年間、ろくに筆を触っていなかったし、監察史の顔はうろ覚えだし。

(出しゃばりすぎたかな)

 頭の中はそんなことばかりだ。それでもやるしかないと、自分に言い聞かせる。

 似顔絵はよく似ているとは言い難い出来だったけれど、ハナミと女将から「最低限の特徴はつかんでいる」と言ってもらえたので、ひとまずほっとした。紙がなくなるころには、陽が昇っていた。

「この顔を見たらそれとなく尾行してください。ただし、もし尾行がばれたら一目散に逃げること。絶対に深追いはしないでください」

 ハナミがそう言って、協力者一人一人に似顔絵を配り始めた。皆を巻きこむ以上、彼らの安全を第一に考えなくてはいけない。

(どうか成功しますように……!)

 アザミの祈りは今度こそトルバート国王に届いたのかどうか。誰も怪我はしなかったが、追跡には気づかれてしまった。
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