【完結】自称ワンコに異世界でも執着されている

水市 宇和香

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第三章

三話 帰還

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 ニーナ市の市壁の外には深い森が広がり、獣が多く棲んでいる。森の先には農村が点在しているが、馬を失った足ではたどりつくまで半日はかかるだろう。小さな村で馬をはじめとした旅支度ができるとも限らないから、そこまで進むか否かは賭けだった。

 監察史――ティボー・ラピンは、転移者たちを取り逃したあと、徒歩でニーナ市に引き返すことにした。火種も多少の食料も荷台に残っていたので、森の中で迷わなければ命の危険は少ないと踏んだからだ。ティボーの目論見では、翌日の夕刻にはニーナ市に戻れるはずだった。

(あいつらが馬を逃がしさえしなけりゃ、いまごろ森を抜けてとなりの市に行けてたっつうのに)

 ≪葉っぱ≫の過剰摂取により獣に成り下がった連中は、一度暴れだすと言うことを聞かせるのが難しい。とばっちりにあわないよう、彼らに転移者たちを襲わせた際に席を外したのだが、戻ったときには、どうやったのか転移者たちが馬とともに消えていた。焚き火の中心で高笑いしている獣たちの不気味なことといったら。

 しかし、結局、転移者たちは暗い森のなかで足を踏み外し、川に落下してしまったようだった。

(ふん、馬鹿な奴らめ)

 夜の間中火を起こして猛獣から身を守っていたティボーは、翌朝森を捜索し、川岸にひっかかった服の切れ端と、地面に人間が転がったであろう痕跡を発見した。転移者に出し抜かれてはらわたが煮えくり返っていた彼は、その惨状を見てようやく溜飲を下げた。

(ニーナ市に戻ったら、役人と教会のやつらにこの現場を確認させる。そして、転移者らは不慮の事故で死んだと正式に認めさせよう)

 ティボーの筋書きはこうだ。ティボーは監察史として反逆者たちを王都に連行しようとしたが、彼らは王族に返上するはずだった金貨を持ち逃げした。その最中に川に流されたため、転移者たちは死に、彼らが奪った金貨の行方はもはやわからなくなった。

 腰に下げた小袋にずっしりと収まった金貨の重みを感じながら、ティボーは口元が緩むのを抑えられなかった。獣たちに転移者を殺させることはできなかったが、それ以上に自分に都合のいい結果となった。王家は自分に金貨を受け取れと言っているに違いない。

「王族の加護に感謝します。フリイ」

 獣たちを回収するのは最初から諦めている。転移者たちの末路を確認したあとは、自分を生かす食糧と火種だけを持ち、森の中を歩きだした。

 ティボーの目論見に反して、その日中の帰還は叶わなかった。しかたなく森の中でもう一泊し、たった今ようやくニーナ市に戻った。ニーナ市を出てから二日が経っており、ちょうど収穫祭の日だった。

 昼過ぎになっても、西区の市門にはニーナ市に入ろうとする人々が長い列を作っている。しかし、ティボーは行儀よく並んでいる人々を追い抜かして、関門の前に立った。

 甲冑をまとった衛兵が近寄ってくる。

「ラピン様、お早いお帰りですね。王都に向かわれたのでは?」
「ああ、事情が変わった。中に入らせてくれ」
「はい、どうぞ」

 ティボーがこの地域の監察を担当するようになって、二年が経った。ニーナ市の役人たちとは深い仲なので、いまさら身体検査もなければ通行証の確認もいらない。

 関門を潜り抜けるとき、市内から出ていく荷馬車とすれ違った。トルバート王国民にありがちな茶髪の御者が馬を操縦しているが、よくよく顔を見ればマシ国の人間だとわかる。トレゾール邸から送り出された連中だ。周囲の人々の手前、一応検査をしているように見せているが、実態は右から左の無検査である。トレゾール邸で栽培された大量の≪葉っぱ≫を積んだ荷馬車はマシ国に向かい、闇市でさばかれる。

 薬物の栽培および販売は、マシ国でもトルバート王国でも、死罪一択の重罪だ。そのため、国家を跨いだ薬物流通の経路が公になれば、国同士の問題にも発展しかねない。しかし、それほどの事案だからこそ、見なかったことにするだけで大量の賄賂が手に入る。いい商売である。

(うまくやれよ)

 最近、西区に薬物中毒者が転がっていることが増えた。彼らの大半は、トレゾール邸で知らぬうちに≪葉っぱ≫を摂取させられた使用人の成れの果てである。≪葉っぱ≫は通年採取できるが、土の栄養がなくなってくると、薬物にした際に酩酊感が薄れてくるらしい。そのため、トレゾール邸の主人は育った≪葉っぱ≫の有効性を確認するため、燻した≪葉っぱ≫を菓子に混ぜて使用人に食べさせるのだという。中毒症状が出てきたころには、≪葉っぱ≫のためならなんでもこなす従順な手先となるが、だんだん人間の知性をなくした獣に成り下がり、最終的には虚脱感に襲われてまともに動けなくなる。そうなると先は短く使いものにならないので、そのへんに打ち捨てられるのだった。たいていは屋敷を出てすぐ餓死するので、金で囲いこんだニーナ市の役人がさっさと死体を回収し、身元不明者として処分する。

 二年ほどこのやりかたで莫大な利益をあげてきたトレゾールたちだったが、さすがにそろそろマシ国およびトルバート王国にその存在を嗅ぎつけられるだろう。そうなる前に手を切る必要がある。しかし、できるだけ長く利益を貪りたい。だから、トレゾールには少しでも長く、周囲を欺き続けてもらわねばならない。

 心の中で手を振って、ティボーはニーナ市に入った。

 収穫祭当日の市内は、どこもかしこも稲穂の輪っか飾りと黄色い何かが飾られている。北区に行けば金貨や金細工の飾りが軒先にぶら下がっていることもあるが、貧民層の多い西区では使い古された靴下や布切れが大半であった。

 細い路地に入ると、家々の二階の窓と窓の間に縄が張られており、三角に切った黄色い布製の旗が吊るされている。風でそよぐたび、稲穂のようにさやさやと音を立てる。

 収穫祭は年に一度の祭である。大人も子どもも、富める者も貧しい者も、この時ばかりは祭を楽しむ。そのため、市中は多くの人で賑わっていた。

 人混みを搔きわけ、西区の隅にある安宿に向かう。貧民街のほうが情報が集まるのは常識だ。ティボーはこのニーナ市に滞在するときはいつも同じ宿を使っている。

 間口の狭い店々が立ち並ぶなかでもことさら狭い建物。玄関先は砂埃が溜まっているし、木製の扉はひび割れている。一度も補修したことがないだろう古臭い建物は、建物の中ももちろん汚い。

「よう、今日も空いてるか?」

 カウンターに立つ禿頭の中年男性に声をかける。宿屋の店主だ。彼はティボーの姿を見ると、申しわけなさそうに首を振った。

「すまんね、満室だよ」

 ティボーは驚いた。全四室のこの宿屋が満室になったところを見たことがなかったからだ。

「いったいどうしたんだ?」
「おいらが聞きたいね。昨日急に団体客がやってきたんだよ」

 天変地異にも思える事態に首を捻りつつ、ティボーは宿屋を出た。この宿屋は安いだけでなく、客が何をしていようが見て見ぬふりをするので、非常に使い勝手が良かったのだがしかたない。

 近隣の宿屋を手当たり次第に尋ねたが、どこも満室だった。他の地区で宿屋を探すことも考えたが、きっとどの場所も似たような状況のうえ、祭の時期なのでとんでもない金額になっているだろう。

(まいったな)

 夜通し飲み明かすにしても、金貨を大量に持ったままなのはいただけない。ティボーは取り急ぎ教会に向かうことにした。

「やあ、おっさん飲んでるかい?」
「うちの鶏肉の丸焼き食べてってくれよ!」

 通りに面した店のカウンターからあれそれ声がかかるが、ティボーはすべて無視して真っ直ぐ歩いた。祭にもかかわらずどんな誘い文句にも引っかからない男が不思議なのか、周囲からの視線を感じる。

 広場に出ると、西区の通りとは比べものにならないほど多くの屋台が並び、喧騒に満ちていた。皆大声で酒を酌み交わしている。男も女も笑いあいながら骨付き肉や焼き菓子を食べ、ところ構わず踊っている。その隙間を荷車を押した酒屋が練り歩き、路面販売に精を出していた。

 国王の彫刻前にはすでに多くの供物――干し肉の塊や、ミルクの実など――が積み上がっている。その横には切り倒したばかりの木で組まれた二階建ての演壇があり、ニーナ辺境伯とニーナ市司教が演説を行なっていた。美々しい正装で壇上に立つ彼らは、いつになく威厳に満ちているように見える。

(そうか、今は司教は留守か……)

 演壇の先に白亜の教会が佇んでいた。先に行って彼の到着を待つか、あるいは退屈なだけの演説を聞いて時間潰しをするか。悩んで一瞬足が止まる。

 教会の前には一人の物乞いが座りこんでいた。頭巾を被った顔は見えないが、ティボーが足を止めた瞬間、かすかにあごを引いたように見えた。わずかな動作だったが、こちらの動きに呼応しているように感じた。それに気づいたとき、ティボーは確信した。尾行されている、と。

 歩くたび、自分に刺さる視線が増えている気がしていたのだ。最初は祭にもかかわらず辛気臭い顔をした男が珍しいだけかと思ったのだが。

 唐突に体を反転させる。すると、葡萄酒の屋台の前に立っていた男と、黄色い花を荷台に乗せて練り歩く花屋の女が、びくっと体を揺らしたのがわかった。

「あっ」

 物乞いが小さな声をあげた。振り返ると、男の手元から一枚の紙が滑り落ちたところだった。男は慌てて拾いあげたが、時すでに遅し。ティボーにはしっかり見えていた。

 見たものが受け入れがたく、わなわなと唇が震える。と、そこに、

「撤収!」

 突然、凛とした声が響いた。その途端、物乞いをはじめ周囲の人間が十人ほど走りだす。ばたばたと走り去る男たちに指示を出したのは、死んだはずの転移者だった。

「は?」

 きらきら輝く金髪、端正な面立ち。間違いない。

 いっぱい食わされた。

 そう気づいた時にはすでに、転移者は手の届かないところまで走りだしていた。
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