【完結】自称ワンコに異世界でも執着されている

水市 宇和香

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第四章

一話 十千万堂 巴波という男(1)

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 十千万堂 巴波は、恵まれた人間だった。

 洋菓子メーカーの創始者を祖父に持ち、金銭的に不自由したことがない。幼稚舎から大学までエスカレーター式の都内の進学校に通い、気になった習いごとはどれも飽きるまでやらせてもらった。

 家族同士の関係も良く、三つ上の姉とはなんでも言い合える仲だったし、両親も子どもたちをよく愛してくれた。しかし、父の一番は母で、母の一番は父である。昔からそれは変わらず、子どもの前でも愛の言葉を惜しまない。

 父は敷かれたレールを進むのが嫌で、学生時分、フランスに家出したことがあるらしい。そこで現地のフランス人女性と熱烈な恋に落ちた。その相手こそ、巴波の母というわけだ。彼女に苦労させたくないという思いから、家業を継ぐことにしたのだという。

「おまえも環境を変えてみたらどうだ? 一生ものの出逢いがあるかもしれないぞ」

 父の言葉に、高校一年生の巴波の心が動いた。

 巴波は母親譲りの美しい顔立ちと、父親譲りの高身長を持っていた。運動神経が良く、中学生のころは剣道部で関東大会出場を果たした。勉強もできるほうで、テスト勉強をしなくても授業で習いさえすれば理解できたし、試験のたびに十位以内の成績をとっていた。

 ただ、巴波は運動も勉強もその他どれに対しても、熱中することができなかった。なんでもそこそこできてしまうがゆえに、それ以上を目指そうと思うほどは打ちこめず、どれも中途半端だった。

 友だちも彼女もいて、今の生活に不足があるわけではない。他人から見ればじゅうぶん恵まれた生活だという自覚はある。将来は大企業に就職して安泰だし、これ以上は高望みなのだとも思う。しかし、巴波はいつだって退屈だった。

 高校生になってクラスには外部生が増えたけれど、巴波の生活は大きく変わらなかった。退屈でしかたない……そんな思いで日々を過ごしていたので、巴波は父の案に乗ることにした。

 父の妹である十千万堂 桃子が新工場設立に向けて現地に赴くことになったので、ついていくことにしたのだ。

「ええ? あたし忙しいから巴波の面倒見れないわよお」

 叔母は仕事が恋人と公言するほどの仕事人間で、四十五になっても朝から晩まで仕事をしている。独身のため、普段は外食ばかりで自炊は一切していない。

 グロスをたっぷり塗った唇を尖らせて反対する桃子に、父は胸をはって答えた。

「大丈夫。こいつは自分の面倒は自分で見れるから、放っておいて構わない」
「すぅうっごく田舎なのよ?」
「意外と根性あるから平気だって」
「でも、もし学校で何かトラブルがあっても仕事で手一杯で助けてあげれないしぃ」
「巴波は如才ないのが取り柄だから、ちゃんとどうにかできるよ。な?」

 渋る叔母を説得する父にうなずいて、巴波は頭を下げる。

「桃子さんの負担にはならないようにするから、よろしくお願いします」

 桃子はミーハーなところがあり、顔のいい男に弱かった。それを知っていた巴波は、じっと彼女の瞳を見つめる。すると案の定、桃子はたじろいだ。

「それじゃあ……ま、まあ……」

 彼女の同意を得られたことで――実際にはまだ首を縦に振ったわけではないが、同意したことにして――、巴波はにっと口の端を持ち上げた。

「ありがとう! 桃子さん」
「おまえは押しが強いなあ」

 横で父が苦笑している。しかし、相手が本当に嫌がっているわけではないのだから問題ないだろう。そもそもこの性格は父譲りだ。

「桃子に迷惑をかけるようなことがあれば、さっさと戻ってくるんだよ」
「わかってるよ」
「田舎暮らしは大変なことも多いだろうけど、いい出会いがあることを祈ってる」

 そう言いながらも、父はすでに、巴波にいい出会いがあると確信しているようだった。




 母と姉の反対も押し切って、巴波はさっそく引っ越しの準備を始めた。彼女と別れたのは、桃子の承諾を得た翌日のことだった。

「別れたくない。遠距離でもいいじゃん」

 彼女は巴波の腕に触れてそう言った。昔と違って、メールでも電話でもSNSでも、簡単に誰かと繋がれる時代だ。遠距離恋愛だからといって、必ず失敗するとは限らない。それでも別れを決めたのは、心機一転何も持たずに旅立ちたかったからだ。

 彼女とは告白されたのをきっかけに付き合い始めた。相手に対して好ましく思う気持ちは確かにあったはずだが、いざ別れを切り出しても彼女のように涙は出ない。何に対してもそうであるように、彼女に対しても、どこか感情に紗がかかったような感じがする。

(本当に俺を変えるような出会いがあるのかな……?)

 父とは違い、このときの巴波は半信半疑だった。そもそもいい出会いとはなんだろう。人か、物か、体験か。それすら曖昧なまま、ただ自分の人生が少しでも退屈でなくなるならいいと、そう思っていた。

 




 転校初日。

「鳥居、いろいろ教えてやってくれや」

 教師のその一言で巴波の世話役に決まった鳥居 薊は、周囲の視線を浴びて小さくなっていた。それはもうかわいそうなくらいに。

 彼は明らかに巴波とは毛色の違うタイプだった。巴波がクラスメイトに囲まれているあいだ、いっさい話に入ってこなかったので、彼はあまり自分と関わりたくないのだろうと結論づけた。

 しかし、それにしてはやたらとこちらを見てくる。それに、何か言いたそうだ。

(先生に頼まれた以上、転校生の面倒を見てやらなくちゃって思ってるのかな?)

 義務感が強い性格なのかもしれない。しかし、眉をぎゅっと寄せてまるで睨むようにこちらを見ているクラスメイトと、親切にあれこれ話してくれるクラスメイト、どちらのほうが一緒にいて居心地がいいかといったら、当然後者だ。そう思って鳥居の視線をしばらく放っておいたのだが、移動教室の話題が出るや否や、彼はすっと席を立ってひと足先に教室を出ようとしたではないか。

(もしかして、俺のこと心配してくれてた?)

 義務感で巴波の様子を窺っていたのであれば、巴波を置いて先に行こうとはしないのではないだろうか。巴波が野津たちと移動することがわかったから、もう大丈夫だと思って席を立ったように見える。

 だから、巴波は彼に声をかけた。

「ねえ、鳥居くん。教室まで案内してくれない?」
「え、えと……」
「さっきから俺に声かけようとしてくれてたよね」

 すると、鳥居はみるみる狼狽えた。なんだかおもしろい。

「俺まだ教科書ないから見せて」

 ぐいぐい迫ると、彼は小さくうなずく。

「よ、よかけえ……」

(困ってるなあ)

 しかし、本当に嫌だったらもっと拒否の反応をするはずだ。そうは見えないから問題ないだろう。いつもの論理で、巴波は鳥居と一緒に教室を移動することにした。

 彼ともっと話してみたかったが、他の面々が賑やかだったので、鳥居は一言も口を開かなかった。結局距離感は縮まらず、音楽室で席を選ぶとき、彼は後ろの席に行きたそうだった。それはそうだ、一人のほうが気安いだろう。しかし、彼は無言で巴波たちと同じ最前列に座った。

「鳥居くんって面倒見がいいんだね」
「え?」

 本人に自覚はないのかもしれないが、教師は彼のことをわかっていて、巴波の世話役に任じたのだろう。

「俺の世話役が鳥居くんで良かった」
「え、あ、……はあ」

 巴波の言葉にろくな返事もできず、無言でちらちらこちらを見ている。失礼な態度だったと気にしているのがわかりやすい。

(友だちいないんだろうな)

 だから会話がぎこちないのだろう。それでも不快にならないのは――むしろ話していて心地いいと思うのは、彼が不器用ながらもいい人だとわかってしまったからだ。

(今まで周りにいなかったタイプだ)

 東京の学校では、自分と同様に要領のいい連中とばかり連んできたから、鳥居の反応は常に新鮮だった。






 転校してから数日が経った。

 巴波は朝教室に入るとまず、鳥居の顔を眺めるのが癖になっていた。

「おはよう」
「オ、オハヨウ……」

 片言のように返されるあいさつに気持ちが弾む。そのあと会話を続けることもあれば、クラスメイトたちに話しかけられてそのままになってしまうこともある。それを残念だと思いながら深追いはしない。

 巴波は自分が目立つ人間であると自覚している。そんな自分が彼と親しくしていることで、鳥居まで皆に注目されるのが嫌だった。

(俺だけが鳥居くんの良さをわかっていればいいんだ)

 巴波の脳裏に浮かぶのは、量の多い癖毛を好き放題伸ばし、黒縁眼鏡をかけた地味で小柄な青年。上田だ。

 鳥居には友だちがいないと思いこんでいたのだが、彼には一人だけ友人がいた。それが上田である。

 巴波としゃべるときはたいてい言葉に詰まっている鳥居だが、上田と話すときだけは流暢に会話している。教室の隅でひっそりと、笑い声まであげているのだ。

(むかつく)

 巴波は上田と会話したことはなかったが、彼のことが嫌いだった。鳥居と会話するときの距離が近い。別に二人で同じスマホを見る必要はないだろう。顔を寄せすぎだ。

(距離感が馬鹿すぎる)

 そんなわけで、鳥居を海に誘った際、巴波は二人で出かけることを念押しした。そうでもしないと、上田がついてきそうだったからだ。

 




 海に行くのは、終業式の翌々日に決まった。早朝、大隠神社の前で待っていると、鳥居が小さなリュックを背負ってやってきた。彼は巴波の姿を見た途端、たたらを踏む。

「おはよう……どうしたの?」

 妙にびくびくした様子だったので、不思議に思って尋ねると、彼は一歩後退りながら「いや、べ、別に……」と口ごもる。

「別にって態度じゃないんだけど。何かあるなら言ってよ」

 顔を合わせるなり変な態度を取られては、こちらもどうしたらいいかわからない。すると、鳥居は少し視線を泳がせたあとで、覚悟を決めたように巴波を見上げた。

「お、おまえ、ごっつい格好しとるに、隣歩くの……ちいとたいぎいわ……」
「え? ごっついって、すごいってことだよね? ……どこが?」

(そんな変な格好してるかな?)

 Tシャツの上に柄シャツを羽織り、下はベージュのハーフパンツとビーチサンダル。普通だと思う。

「その色付きサングラス、ふ、不良だに……」
「ええ?」

 海に行くならサングラスくらいかけるだろう。不良とは心外だ。巴波は鳥居の格好を改めて眺めた。

「ごっつい格好なのは鳥居くんのほうじゃない? お母さんに買ってきてもらったの適当に着てるでしょ」
「えっ、なんでわかるん?」
「いや、わかるよ……組み合わせがダサいもん」
「うっ」

 中学校で習うような文章の英語が長々と印字されたVネックの黒いTシャツに、派手なオレンジ色のハーフパンツとビーチサンダル。リュックは黄色。全体的に系統がばらばらでちぐはぐなのだ。鳥居の身長は平均くらいだし、顔も地味だが普通だ。少し気を遣うだけで、こんなに野暮ったくはならないのに。

(まあ、これはこれでかわいいけど)

 巴波に指摘されてへこんでいる鳥居を見ながら、そんなことを思った自分に驚いた。

 これまでの人生で、服装に気を遣わない人間をかわいいと思ったことはない。巴波は過去に何度か告白されたことがあるが、身だしなみに気を遣わない相手を彼女にしたことはなかった。

(鳥居くんはこの野暮ったさがいいんだよな。俺だけが知ってるって感じで……)

 芸能人を見てかわいいと思うことはあったし、同級生の中でも顔が整っている女子にかわいいとか美人だなと感じることはあった。しかし、鳥居に対する「かわいい」は何か違う気がする。

「ねえ、その格好でサングラスかけてみてよ。……うわ、もっとダサくなった! ハハハ!」
「人んことけちょんけちょん言いよって……」

 巴波がむりやりかけたサングラスを額まで持ち上げて、鳥居が恨みがましい目で見つめてくる。そんな仕草もかわいくて困る。巴波と鳥居の身長差は十センチメートル程度なので、見上げられると距離が近くてにやにやしそうになる。

(上田より俺のほうが仲良くなってやる)

 今日の目標はこれだ。上田になど負けるか。




 巴波が知っている海水浴場は、砂浜にたくさんのパラソルやテントが並び、大勢の人間で埋めつくされているものだった。しかし、鳥居に連れられて向かった海岸には、ほとんど人気がなかった。当然、海の家とか更衣室やシャワー室のようなものもない。

「田舎の海ってこんな感じなんだ」
「だから田舎って言うなや。もっと人が多いところもあるけえ」

 むっと口を尖らせながら、鳥居はおもむろにTシャツを脱ぎ始めた。思わず凝視していると、鳥居が「何?」と首を傾げる。

「貧相やって思っとるだか?」
「いや、その逆。お腹とかすごいシュッとしてるんだね」

 彼の脇腹に手を這わすと、びくっと体が跳ねる。

「何するだか!」

 鳥居が怒っても気にせず指をすべらせた。

(触るたびにお腹が震えるのかわいい……)

 変な気分になるなあと思いながらも、やめる気になれない。ずっと触れていたい。と、胸に指が到達しそうになったとき、鳥居に頭を叩かれた。

「このだらずが! ええ加減にせいよ!」
「ごめんごめん」

 そんな一幕があったが、その後はいたって平和なものだった。誰に邪魔されることもなく、二人で泳ぎの競争をしたり、岩場から飛びこんだり。鳥居は自分のことを運動神経がいいほうではないと言っていたが、走るのは速いし体力もあった。

「もう限界……」

 鳥居より先にバテた巴波は、仰向けに砂浜に寝っ転がった。焼けるような鋭さの日差しが、巴波の白い肌に突き刺さる。

「そろそろ帰るだか? もうあっついけえな」

 心配そうに顔を覗きこんでくる鳥居にうなずいた。

「そうだねえ、これ以上いたら熱中症になりそう」

 しかし、まだ離れ難い。

「ねえ、うち来る? 叔母さん家にいないから、気を遣わなくて大丈夫だよ」

 ダメ元で聞いてみる。いつも巴波に対して緊張した様子の鳥居がうなずくとは思えなかったけれど……――

「え? ……う、うん、行く」
「本当? やった」

 野良猫が懐いてくれたみたいだ。巴波は破顔して起き上がった。

「よし、それじゃあ早く帰ろう。途中のコンビニでお菓子とか買って行こうね」
「うん」

 結局、海で遊んで疲れ果てた二人は、家に着くなり眠りこけてしまい、帰宅した桃子に起こされた。鳥居を家に帰したあと「アンタ、あの子の前だとあんなにデレデレするのねえ。まるで別人みたい」と笑われたが、巴波は自分でも確かにそうだと思った。
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