【完結】自称ワンコに異世界でも執着されている

水市 宇和香

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第四章

二話 ハナミ・トチマンドウという男(1)

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 何が起きたかわからなかった。

 気がつくと、石造の白い壁に青緑色のタイルがふんだんに散りばめられた、美しい建物に囲まれていた。

 ハナミが立っている場所は中庭のようだった。

 真四角に作られた小さな空間には、大きな丸い葉をつけた数本の木と芝生が生えていて、周囲を回廊が巡っている。

「――!」
「――――! ――!」

 円形の柱が立つ回廊には、すそが膝下まであるチュニックを着た男たちが何人もいて、皆一様に驚いた表情でこちらに向かって叫んでいた。

「え、何? どういうこと?」

 戸惑うハナミの脳裏に浮かんだのは、町の老人たちが話していた異世界のことだった。あの話は本当だったのかもしれない。

「すみません、あの」

 話しかけると、男たちがざわめく。近づけば彼らは距離を取ろうと後退った。

「――――」

 彼らの言葉に耳を澄ますと、聞いたことのない言語を使っていることがわかった。発音はフランス語に近い気がする。

 腫れ物に触るように遠巻きにされていて、埒が明かない。

 と、くびれたシルエットのワンピースに前掛けをつけた女性が、真っ白いひげを蓄えた老人を連れてきた。彼もまたチュニックをまとい、杖をついていた。腰が曲がったその老人は、子どもと見紛うほど小さかった。ひげに顔をおおわれているせいで表情はわからない。彼は女性に背中を押され、よたよたと中庭に立った。

「ゴキゲンヨウ。ワタシノナマエハ、ベルナール・アクィナストモウシマス」

 老人の口から片言の日本語が飛び出したので、ハナミは目を丸くした。

「日本語がわかるんですか?」
「ワカルマス。ヨウコソトルバートオウコクヘ」

 そう言って、老人は小さく頭を下げる。このまったく未知の世界で、言葉が通じる相手がいるのは心強い。ハナミは彼のもとに駆け寄った。

「俺の名前は、十千万堂 巴波といいます。トルバート王国には、俺みたいに日本からやってきた人間はたくさんいるんですか?」
「スコシイルマス。チガウセカイカラキタヒトハテンイシャトヨブノデアル」
「そ、それじゃあ、鳥居 薊という人を知りませんか? 俺と同い年の男です」

 期待をこめて尋ねたが、ベルナールは首を傾げる。

「テンイシャハミナクニデカンリシテイマスガ、トリイトイウテンイシャハキイタコトガアリマセン」
「そうですか……」

 アザミはいったいどこにいるのだろう。自分がこの世界にきたのはアザミと再会するためではないのだろうか。落胆するハナミの前に、微笑を浮かべた三人の美しい女性が現れた。ベルナールを連れてきた女性同様、皆、体の線が出るワンピースをまとい、長い髪を高い位置で一つに結っている。

「――――」

 ベルナールがトルバート王国の言葉で何かを言うと、彼女たちはハナミに向かって恭しく礼をした。そして、さやさやと衣擦れの音も優雅に歩きだす。

「カノジョタチニツイテイッテクダサイ。アナタヲセイイッパイモテナスデゴザル」

 ときどき日本語がおかしいのはさておき、彼らに敵意はないように見える。どこにも行くあてのないハナミは、おとなしくベルナールの言葉に従うことにした。


 女性たちに続いて歩いていくと、それまでハナミを遠巻きにしていた人々が次々に膝をついた。いったい自分はどういう立場なのだろうか。それに、ここはどこなのか。

 建物に入った瞬間、戸惑いはさらに大きくなった。
 視界いっぱいに広がる廊下は、圧巻の一言に尽きる。

 どこまでも続いて見える床には、青い絨毯が敷かれていた。白く重厚な壁も丸い柱も繊細な彫刻と金の装飾で彩られ、半円アーチの高い天井には一面、緑がかった青色のタイルが貼られている。天井から等間隔でぶら下がる照明は細かな硝子が幾重にも重なり、廊下をまばゆく照らしてた。

 確実にこの国でも屈指の豪邸だ。

(いや、邸というか……城なんじゃないか?)

 尋ねようにもベルナールがいない。彼とは回廊で別れたきりだ。

 廊下を何回も曲がり、階段を昇って、もはや中庭までの行きかたがわからなくなったころ、とある部屋の中に通された。

 中央には布が張られた長椅子と、木製の丸い卓。卓には花が飾られている。壁際に造りつけの寝台があり、反対側の壁には、白い陶器でできた猫足の浴槽が置かれていた。この部屋だけで、東京のハナミの部屋の十倍以上はあろう。

「――――」

 女性の一人が何かを言って、ハナミの着ていたカーディガンに手をかけた。

「え、なんですか?」

 困惑するハナミをものともせず、三人がかりでてきぱきと服を脱がそうとする。

「いや、待ってください」

 なぜ突然裸に剥かれなければならないのか。女性の体を押し返すと、一人が転倒した。勝手に服を脱がすほうが悪いのだが、一応「すみません」と声をかけて女性の手を取る。

 すると、女性たちは浴槽を指さしてまた何かを言った。どうやら、風呂に入れということらしい。一人で入れると伝えたかったが、どんな動きをしても彼女たちにはわかってもらえなかった。

 裸になったハナミは、湯気が立ち上る浴槽に座らされた。二人がかりで、木桶に汲んだ湯を肩に何度もかけられる。その後、柔らかい布で身体中を擦られた。

 残る一人の女性は、ハナミが脱いだ服をくまなく調べている。ポケットに入れたスマホや財布を取りだして、手籠の中に収めた。

 財布はともかく、スマホにはアザミの写真が保存されている。必ず取り返すと心に誓いながら、とりあえず今は成りゆきに身を任せることにする。

 浴槽を出たハナミは、この国の服に着替えさせられた。白い麻製のスカートを履き、その上にオーバーチュニックを重ねる。腰紐を結び、靴下と革の靴を履く。部屋にたどり着くまでに見てきた男性たちと同じ格好だ。ただし、ハナミが目にしてきた誰よりも、胸元の刺繍や縫いつけられた宝石が豪華だった。また、この国の男性たちは髪の毛が肩につくほど伸ばすのが普通のようだが、就活中のハナミは清潔感重視で黒髪短髪にしていた。

 卓に着席すると、ハナミの世話をしていた女性たちが次々に料理を運んできた。こんがり焼けたパイに、蒸した白身魚にタマネギを使ったかけ汁を添えたもの、小麦の粥に、柑橘系の果物を使った汁物。「食べろ」という仕草をされたので、腹は空いていなかったが食事を開始した。卓には水差しが置かれていたが、生水を飲むのは怖かったので、口はつけなかった。

 満腹になったころ、ベルナールがやってきた。女性の一人が差し出した籠を受け取ると、ハナミに向かって言った。

「オウサマニアウ。イキマショウ」

 王様。そう聞いても驚かなかった。これほど巨大で豪奢な建物が一貴族の家というほうが無理がある。

 ふたたび、今自分がいる場所がどこなのかわからなくなるほど長く入り組んだ廊下を、ベルナールを先頭にして歩いた。彼の歩みが緩慢だったこともあり、三十分近く歩いた気がする。

 大きな扉の前に、甲冑をまとった男性が二人立っていた。ハナミたちの姿を見ると、姿勢を正して一礼したのち、扉を左右に開く。

 広く四角い空間には、廊下同様、青い絨毯が敷かれていた。突き当たりに、床から五段高くなった玉座がある。玉座には、宝石が無数に嵌めこまれた椅子が五つ並んでいた。ベルナールに促されて、その向かいに膝をつく。ベルナールも杖を置き、同じように膝をついた。しばらくすると、無数の衣擦れの音と靴を鳴らす音が聞こえてきた。入室した人々は、壁際に立ったようだ。その後、悠然とした足取りの主たちが玉座に着席した気配がする。

「――――」

 太い男性の声が何かを言った。ベルナールがしわがれた声で小さく「オウゾクガキタ」と通訳してくれる。

「――――」
「カオヲアゲテイイデス」

 その言葉どおりにすると、五人の男女が椅子に腰かけ、こちらを見下ろしていた。真ん中に座った五十代くらいの男性が王冠を被っているので、王様なのだろう。その右側に同年代くらいの女性が座り、反対側の席には三十代後半に見える男性が一人、ハナミとさほど年が変わらなさそうな男性が一人と十代くらいの女性が一人、腰かけている。皆、目を見張るほど美しかった。全員肌は白く陶磁器のように滑らかで、青い瞳をしていた。金の髪が光に当たってまばゆく輝いている。周囲の人々は全員、濃淡はあれど茶髪なので、ひときわその髪色がまぶしい。

「――――」
「――――――」

 金髪の人々が、ハナミを見て何事か話していた。壁際に控える人たちは、その様子を微笑ましく見ていた。王族を敬愛していることが窺える。

 しかし、ハナミは王家の人々の視線が妙に気に障って、他の人のように笑みを浮かべることができなかった。

 王族と自己紹介しあうこともなく、謁見はあっというまに終わった。
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