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第四章
二話 ハナミ・トチマンドウという男(2)
しおりを挟むそれからハナミは最初に通された部屋に連れ戻され、そこで毎日を過ごすことになった。食事も入浴も何もかも、部屋の中で完結する生活だった。
ハナミの世話をする人間は複数いたが、誰も日本語を理解していなかったので、ベルナール以外、誰とも意思疎通がかなわなかった。
「トチマンドウ、キョウハレキシノベンキョウデソウロウ」
ベルナールは毎日、午後になるとやってきてはトルバート王国の言語や歴史をハナミに教えた。ハナミはおとなしく彼に師事していたが、内心焦っていた。
(アザミくんを早く探しに行きたい)
アザミがいるところに行きたいと願ってこの国に飛ばされたのだから、きっとこの国に彼はいるはずだ。そう思わねば、この状況に納得できなかった。こんなところで一人、ただ軟禁されるために異世界に飛んだわけではない。
アザミを探しに行くにも、言葉やこの国の常識を知っておく必要がある。そう思って真面目にベルナールの話を聞いていたおかげで、ひと月も経つころには、簡単な日常会話はこなせるようになっていた。
そこで、ハナミはトルバート王国の言葉でベルナールに訴えた。
「知り合いを探しに行きたいんですが」
「転移者は外に出てはいけません」
「どうして転移者は外に出てはいけないんですか」
「そういう決まりです」
(どういうことだ?)
ハナミがこの国の言葉を話せないから、部屋で保護されているものだと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
ベルナールの制止を無視して、むりやり部屋の扉を開ける。しかし、扉の向こうには騎士が二人立っていて、ハナミの逃亡はあっけなく阻止された。恭しい態度で部屋に戻されたハナミを見て、ベルナールは呆れたようにため息をついた。
「カズヨと違って、トチマンドウはずいぶん乱暴ですね」
「カズヨ? 俺以外の転移者のことですか?」
「そうです。カズヨは夫のフィリップ様のお渡りをいつも自室で健気に待っていますよ。トチマンドウもカズヨを見習って、おとなしくコンスタンス様のことを待っていなさい」
「コンスタンス様?」
初めて聞く名前をおうむ返しにしながら、ハナミは嫌な予感に襲われていた。果たして、その予感は当たった。
「あなたの婚約者でしょう」
「は?」
当然のようにベルナールは言った。
「なんですかそれ」
「はて、言っていなかったかな」
首を傾げる小さな老人を蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが、わずかに残った自制心でなんとか耐えた。
「このクソジジイ、ちゃんと説明しろ」
ひげで隠れたベルナールの瞳を、視線で人が殺せるものなら今すぐにでも殺せそうなほど極悪な目つきで睨む。しかし、ベルナールはまるで動じず、爛々と目を輝かせた。
「ほっほほ、転移者は王家と結婚するという名誉に与れるのですよ。コンスタンス様は王妃の姪であらせられます」
この世の誰もが、王族との結婚を切望しているような口ぶり。彼が語る王族はこの世の神であり、原始の始まりであり、永くこのトルバート王国を支えてきた賢王の一族であるから、王族との結婚に嫌悪感を抱く人間がいるとは考えもしないのだろう。
(俺をこの世界に呼びこんだ神は何を考えてるんだ……?)
事態が急変したのは、ハナミがトルバート王国に転移してから、ひと月半が経ったころのことだった。
朝餉を運んできた侍女が、ハナミの姿を見て目を丸くした。
「ハ、ハナミ様……そのお髪……」
「なんですか?」
手渡された鏡に映るハナミの顔はいつもと変わらない。ただ、髪が伸びたせいで、根本から地毛の金髪がのぞいていた。
「ああ、逆プリン頭になっちゃったな……」
侍女が慌てて人を呼びに行く。やってくる人やってくる人皆、ハナミの金の髪を見ては驚嘆の声をあげた。
(そうか、金髪は王家の証だから……)
ようやくそのことに思い至ったころに、ふいの訪れがあった。転移した初日に謁見してから一度も会うことがなかった王族の人々の一人が、前触れもなく現れたのだった。
「転移者が黄金の髪を持っていたというのは本当か?」
三十代後半の王子だった。太く凛々しい眉と逞しい体つきの彼が扉口に立ちそう声をあげると、彼の姿を見た次女たちは、一様に腰を折った。
「フィリップ殿下、お付きの者はどうされましたか?」
ベルナールが尋ねる。彼はカカカと大口を開けて笑った。
「そんなことより、転移者のことをよく見せてくれ」
ハナミよりこぶし一つぶん大きなフィリップは、ずかずかとハナミに近づくと、髪を一筋摘む。
「顔もいい、毛並みもいい。今回の転移者は優良だな」
「どうもありがとうございます」
王族には不用意に逆らわないほうがいいだろう。値踏みするような視線は不快だったが、ハナミはにこりと微笑んで見せた。
「おや、たしかこの国に来てまだ日が浅いはずなのに、言葉遣いも悪くない」
フィリップは興をそそられたようだった。ハナミのあごを掴んで持ち上げると、顔をじっくりと覗きこんできた。
(なんだこのおっさん)
内心反発しながら笑みを維持する。視線は外さない。
「瞳は茶と緑が混じったような色なんだな。ははは、気に入った!」
フィリップは豪快に笑うと、侍女が急いで用意した椅子に腰掛けた。
「おまえ、名はなんという?」
「ハナミ・トチマンドウです」
「そうか、ハナミよ。ハナミは何が欲しい?」
思いがけない問いだった。ハナミは勢いこんで「外に出してほしいです」と答える。
「ほう、遊びに出たいか。いいだろう、侍女を連れて庭を散歩する許可を与える」
本当は城から出ていく許可がほしかったが、まずはこれだけでも上々の成果だろう。まだまだ取り入る隙はありそうだ。
「ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべて腰を折ると、フィリップは満足そうにうなずいた。
その後、フィリップは頻繁に部屋にやってくるようになった。卓を囲んでハナミとの会話を楽しんだり、子どもを連れてきたりした。
彼とカズヨの子どもは十一人いるらしいが、ハナミの部屋に連れてくるのは八番目の四歳になる子どもか、十番目の二歳になる子どものどちらかだった。彼らはフィリップと同じく金髪碧眼だった。他の子どもも皆そうなのだという。
今日は二人の子を侍女と遊ばせ、自身は長椅子に寝そべっていた。
「このトルバートという地に我らの祖先が根づいたあと、土地はみるみる潤い、実り多く豊かになった。我らは人々に安住の地、知恵、技術といったものを授けた。人々は我々を神と呼び、この血筋を尊び、永遠に我々に仕えることを誓った」
フィリップはおもむろにトルバート教の教えを誦じると、目でハナミをうながした。
ハナミは部屋の中心で木剣を振りながら口を開く。
「我ら騎士、神のために生き、神に殉ずる。神のための盾となり、神のための矛となる」
この一節は、騎士団でよく謳われる文言だ。
ハナミはフィリップに頼んで、十日ほど前から騎士団の訓練に混ぜてもらうようになっていた。「暇すぎて身体が鈍る」と言うと、すぐに騎士団の中でももっとも優秀で花形だという、近衛騎士の第一団に配属が決まった。その成果を見たいと言われたので、素振りを披露しているところである。
頬杖をつきながら、フィリップが笑う。
「なかなかいい太刀筋だ。近衛騎士の教えも頭に入っている。偉いぞ」
「どうも」
まるで子どもに言うような口ぶりだ。この男の話しかたはいちいち鼻につく。慇懃に頭を下げると、それもまた嬉しそうに笑い飛ばされた。
「はっはっは、生意気なところもいいな」
いったい何がそこまでフィリップの心をつかんでいるのかわからないが、彼がハナミを気に入っているうちに、ハナミにはやらねばならないことがあった。
この城から抜け出す道を見つける。
幸いなことに、まだ婚約者のコンスタンスとは対面したことがない。正式に結婚する前に、ここから逃亡するのだ。
身体を鍛えるのは、一人でも生きていくため。騎士団に所属したのは、城内を彷徨いていても不審に思われないためだ。
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