「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

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限界令嬢は、今日もココロが騒がしい。

中編

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 茜色の光が学院の石畳を照らす中、ノアとルチアは並んで歩いていた。
 セドリックは用事があるから先に帰ってくれとのことで、珍しくふたりきりの帰り道だった。

「なあ、今日の授業、マジで眠かったよな~」
「う、うん……確かに」
「でもさ、ルチアが真面目にノート取ってたから助かったわ。おかげで俺も寝ずに済んだ」
「えっ……」
「ルチアを見てると、頑張ろって思うんだよな」

(待って待って待って!? なんかサラッと心臓を射抜いてくるんだけど!?)

「あとさ。今日、髪結んでただろ?」
「えっ!?  あ……うん」
「めっちゃ似合ってた。後ろから見て“やば、かわいい”って普通に思ったし。金髪、ホント綺麗だよな」

(言うの!? 今それ言うの!?!?!?!?)

「てかさ、ルチア。いつも自信なさげなの、なんでだよ。もっと自信持ったほうがいいって」
「え……そう、かな……」
「ルチアって、真面目で優しくて、かわいくて、気ぃ遣えて……ほんと、最高にいいとこ詰まってんのに」
「ちょ、ちょっと待って!?!?  褒めすぎだってば!!」
「本当のことじゃん」

(しんどいしんどいしんどい!! もう感情の容量がぶっ飛んじゃいそうなんだけど!!!)

 限界に達したルチアは、プシュウッと音を立ててその場へうずくまった。
 ノアは悪びれる様子もなく、屈んで笑いかけてくる。

「ルチアはほんと顔に出るな~。わかりやすくてかわいい」
「っ……!!」

(やめて、その“かわいい”は危険物!!!!)

 ノアの手が伸びて、ルチアの耳にそっと触れた。
 体がびくんと跳ねそうになり、ぎゅっと身を硬くして我慢する。

「なあ」
「な、なに……」
「俺が急にキスしようとしたら、怒る?」
「!!??!?!?」

 ノアの唐突の言葉に、ルチアはばっと顔を上げる。
 バチッと目のあったノアは、驚いたように手を慌てて左右に振った。

「しないけどな!? たとえばの話な、たとえば!」

(たとえばなの!? したいのしたくないの、どっち~~ッッ!!)

 息が詰まる。どうにかして自分を保っているけれど、もう限界は近い。
 そんなルチアに、ノアは一言。

「顔、赤いぞ。風邪か?」

(風邪なわけないでしょー! この天然無自覚男子ー!!)

 ルチアが言葉に出せずに首を横に振ると、ノアはハハッと笑った。

「そっか。俺が触ったからかと思った」

(それだよ!!!! 自分で原因言う!? なんで気づかないの!?!?!? いや気づいているの!?)

 ノアの横顔は無邪気そのもので、まるで悪気がない。
 ようやく気を取り直して歩き始めると、さらに彼は平然とルチアに話しかけた。

「俺らも十七だし、そろそろ結婚とかそういう話も出てくるよなー」
「う、うん……そうだね……」

 ノアは侯爵家の嫡男で、ルチアは伯爵令嬢だ。

(もしかしてもしかしたら、ワンチャンある? って思ってるけど……ノアには他にいい人、たくさんいるよね……)

 心で肩を落とすルチアに、ノアは気にもせずにまっすぐ言った。

「もし、将来誰かと本気で結婚するなら──」
「……うん……?」
「俺、ルチアみたいな子がいいなって思ってる」

(私、みたいな子!? 待ってそれ、喜んでいいの!? 私じゃないの!? どゆ意味!?)

 もう胸が苦しい。脳も沸騰寸前。ルチアは爆発しそうな内心を必死に抑え込み。

「そ、そうなのね!」

 と、言うに留まったのだった。

 ──そして、その数メートル後ろ。
 夕陽に照らされながら、何も言わずに歩いていた銀髪の彼の存在に、二人は気づいていない。
 ただ彼は、そのやりとりを見て、そっと息を吐いていた。


 ***


 次の日、午後の授業を終えたルチアは、教室の出口でノアとばったり顔を合わせた。

「お、ルチア! 一緒に帰ろうぜ」
「え……あ、うん……!」

 ノアの申し出に素直に頷いたものの、ルチアの胸の内は嵐のようだった。昨日の帰り道を思い出すたび、鼓動がうるさい。

(“ルチアみたいな子がいい”って……結局あれ、どういう意味だったの?)

 まだ答えは出ないまま、気づけば──石畳の中庭を三人で歩いていた。
 そう、今日はセドリックも一緒だ。

「ルチア、髪ちょっと崩れてる」

 横でノアが軽く笑って、ルチアの金髪に手を伸ばす。

「ここ、こう……って、こうすれば──ほら、直ったぞ!」
「っ……あ、ありがと……」

(やめてよぉ……そういうの……心臓が爆発するってば……!)

「かわいいのに、本人は気づいてないんだよなー。もったいないよな、セド」

 セドリックの名を呼んで、ノアが無邪気に笑う。

「なあ、そう思わね?」

 セドリックは立ち止まった。

 銀の瞳が、ふたりを静かに捉えていた。
 夕暮れの光に照らされたその目は、普段よりも少し、冷たく見える。

「……お前、いつまでそうやって無自覚でいるつもりなんだ」
「え?」

 ノアは、ぽかんとした顔でセドリックを見つめた。

「何の話だ?」
「……気づいてないなら、教えてやるよ」

 セドリックの声が低く落ちた。
 けれどその声には、ただの怒り以上のものがあった。切実な苛立ちと、わずかな哀しみを含んでいた。

「ルチアは、ずっとお前に振り回されてる」
「えっ……?」
「お前が軽い気持ちで言ってる言葉に、何度も顔を真っ赤にして、立ち止まって、飲み込んで──それでも、笑おうとしてる」

 ノアの目が見開かれる。
 ルチアは思わず、セドリックの横顔を見つめていた。
 こんなに感情を込めて話す彼を、初めて見た。

「ふざけるなとは言わない。でも、少しは考えろ。“好きだ”とか“かわいい”とか……そんな簡単に言葉にしたら、言われた方はどう思う」
「……っ」

 ノアがようやく何かを察したように、表情を曇らせた。

「……俺、そんなつもりじゃ──」
「知ってるよ。だから“無自覚”なんだろうが」

 冷たい風が吹き抜ける。
 ルチアは言葉を失っていた。
 セドリックの言葉は、彼女の心にさえ突き刺さっていた。

「……だから、お前が気づかないなら、俺が言う。──ルチアを泣かせるな」

 ノアが初めて、真剣な顔になった。

「……泣かせたつもりなんて、なかった」
「じゃあ、これからはそう思わせないように気をつけろよ。……それだけだ」

 静かにそう言って、セドリックは先に歩き出す。

 ルチアは、その場に立ち尽くすしかなかった。

 ──そう思わせないように気をつけろ。

 その言葉を反芻して、唇を噛み締める。

(私……セドリックの言う通り、勘違いしちゃってた……ワンチャンなんて、どこにもなかったんだ……)

 傷つく隣でノアもまた、何かを噛みしめるように、じっとセドリックの背中を見ていた。


 ***


 セドリックの言葉は、思っていた以上に、ノアの心に残っていた。

 ──ルチアがどんな顔してるか、見てやれよ。たまには。
 ──……泣かされたら、ちゃんと教えてよ。

 その夜、ノアはベッドの上で寝返りを打ったまま、目を閉じられなかった。

「……泣かせてたのか、俺……」

 ルチアが、顔を真っ赤にして目をそらして。
 言いかけた言葉を、飲み込んだことが何度もあった。
 そんなかわいい顔を見て、ノアはただ楽しかっただけだった。

 自覚はなかった。でも──

「……最悪かもしんねぇ」

 苦笑が漏れた。
 セドリックの言う通りだったのだと。
 無自覚に、彼女をいじめていたのだと思うと、胸が苦しかった。

 そして翌朝から、ノアは少しだけ、ルチアとの距離を取るようになった。

 話しかけられても笑顔で応えるだけ。
 肩を並べて歩くことも、髪に触れることもやめた。
 無自覚で踏み込んでいた距離を、一歩引くようにした。

 けれど──気づいた。

(……あれ。なんか、物足りない)

 ルチアが笑ってるのに、心にすき間がある。
 一緒にいても、届かない。
 いつも隣にいたはずのぬくもりが、妙に遠い。

(なんで……寂しいんだ、俺……)

 ずっと、仲のいい友人だと思っていた。
 けど今は──ただ視線が合うだけで、胸がざわつく。

(俺、ルチアのこと……もちろん好きだったけど。これってまさか──恋、だったのか?)

 そう、気づいてしまった。

 けれど気づいた瞬間、何も言えなくなった。

 もう、軽口なんて叩けない。
「かわいい」なんて、冗談でも言えない。

 そんなことを言ったら、自分がどれだけ本気かバレてしまいそうで──

(……言えねぇ。こんなの、言えるわけないだろ……っ)

 それでも毎日、ルチアの姿を目で追ってしまう自分がいた。

 ちょっとした笑顔に安心して、他の誰かと楽しそうにしてると胸が苦しくて。
 視界に入らないと、不安で仕方がない。

 好きだと自覚することで、ノアは何も言えなくなってしまっていた。

 話しかけることで、また彼女を傷つけてしまうのなら──黙っているしか、できなかった。
 けれど、沈黙の距離は、確実にルチアの心を蝕み始めていた。
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