48 / 173
死んだふり令嬢、黒い噂の奴隷伯爵に嫁ぐ。
前編
しおりを挟む地下室には、絶対に近づくな──
ファリエール伯爵家に嫁いできたヴァネッサは、家令の男に強くそう言われていた。
なんで? なにかあるわけ?
やっぱりノワール様のあの噂は本当なの?
ヴァネッサは、地下室への階段を一歩降りる。
好奇心……いや、それとも使命感か。
ノワール・ファリエールは、奴隷商人からいつも子どもを買いつけている。そして、その子どもを屋敷の地下に幽閉している……という噂だ。
しかも子どもを切り刻んで遊んでいるとか、食べているだなんて話まである。
本当にこの家でそんなことが行われているなら……助けなきゃ……!
ヴァネッサは、この屋敷の主人であり夫であるはずのノワールの顔を、まだ一度も見たことがない。
結婚したのは一ヶ月前だが、結婚式があったわけでも披露宴があったわけでもない、ただ書類上の婚姻だった。一応、仕事で家にはほとんどいないと家令のブランに聞いてはいるが、それにしてもなんの音沙汰もないのはおかしい。
借金を返すためじゃなきゃ、こんなところになんて嫁いでこなかったわ!
落ち目の子爵令嬢だったヴァネッサは、人に騙されて多額の借金を背負った両親のために、仕方なくノワールの嫁となることに決めたのだ。
地下に行く以外には自由に過ごしていいと言われていて、好き勝手しているものの、どうにも薄気味悪さが拭えなかった。
姿を現さないノワール。仕事というのは嘘で、この地下室にいるのかもしれない。
怖い……この先に、一体なにがあるの……私は正気を保っていられるの……?!
一歩一歩、ヴァネッサはその階段を降りていく。
いやな汗が額から流れ、喉はいくら唾液で潤してもすぐにカラカラになってしまう。
薄暗い地下室への階段。壁に手を当てて伝い歩きしながら、地獄に吸い込まれるような感覚に襲われた。
己の心拍がドクドクとうるさく響く。
扉だわ……! ここに、子どもたちが……?
ヴァネッサは、意を決してそのドアノブに手をかけると、扉を開けた。
そこには──
「あれぇ、お姉ちゃんだれぇ?」
「新しい人?」
「………え?」
予想だにしない光景が、そこにはあった。
***
「地下室には近づくなと、あれほど言っただろう」
家令のブランが、長い前髪を逆立てて目を見せるのではないかと思うほど、怒りのオーラを発している。
ここは、近づくなと言われていた地下室。
腕や足がない子、咳が止まらずベッドに寝たきりの子、噂通りにたくさんの子どもがいた。
噂と違ったのは、地下室は思ったよりも清潔で、なによりも子どもたちに笑顔が溢れていることだ。
「ねぇ、どういうことなの? この子たちの病気や怪我は、ノワール様がやったの?!」
状況が理解できなかったヴァネッサは、ブランを呼んできたというわけだ。
ブランは家令のくせに人当たりが悪く、いつもぶすくれている。やたら長い前髪のせいで目が見えないから、余計にそう感じるのかもしれない。
ヴァネッサの質問に、ブランはやはり無愛想に口を開いた。
「そう思いたいなら勝手にそう思えばいい」
「ちがうよー」
「ぼくは生まれつき手がないんだ」
「わたしは前のご主人様を怒らせて……」
ブランの言葉とは逆のことを子どもたちが教えてくれる。
どうやら、みんな奴隷だというは確かのようだった。なんらかの怪我や病気などで、使えないと判断されて処分されるはずの子どもたちを、ブランが密かに買い取っていたらしい。
ブランがこの子たちを救ってあげていたんだわ……!
まさかそういうことだとは思わず、ヴァネッサはブランを見る目が変わった。
いつも無愛想で不機嫌の塊かと思いきや、なかなか良いところがあると思うと、嬉しくなってくる。
「ふふ、やさしいところがあるじゃない、ブラン!」
「誰にも言うんじゃないぞ」
「あら、じゃあ今までずっとあなた一人で子どもたちのお世話をしてたの?」
「……まぁな」
「じゃあ、これからは私も手伝うわ!」
「いや、いらん」
「あなた、自由にしていいって言ったわよね。だから自由にするの」
ヴァネッサがにっこり笑うと、ブランは嫌そうな顔をしていたが、それ以上はなにも言われなかった。
私も、奴隷の待遇には疑問を持っていたのよね。
昔、街で奴隷らしきお兄さんが殴られているのを見て、すごく怖かった覚えがあるもの。
当時のヴァネッサはまだ五歳で、父親と母親の目を盗んで殴られ終わった奴隷のお兄さんのところへ行くと、『げんきだして』とキャンディをあげたのである。
震える手でキャンディを受け取ったその人が、ぽろぽろと涙を流していたのが印象的だった。
周りで見ていた人たちには、『貧乏子爵の変わり者ヴァネッサだ』と冷ややかな目で囁かれてしまっていたが。
そのため、貴族でありながらも奴隷を虐げることに嫌悪していたヴァネッサは、地下室に通って子どもたちの世話をすることが生きがいになった。
貧乏子爵家で育ったので、使用人は雇えずに家のことは全部ヴァネッサがやっていたから、掃除や洗濯はお手のものだ。弟妹の面倒も見てきたので、子どもの扱いも慣れている。
「今日は外に行きましょう! ずっとこんな地下室でいては、良くなるものも良くならないわ!」
「余計なことをするな、ヴァネッサ。夜には連れ出してちゃんと月光浴をさせているんだ」
ブランが苦虫を噛み潰したような顔をしてそう言ったが、ヴァネッサはビシッとその鼻先に人差し指を突きつける。
「ブラン! 子どもは太陽の元を駆け回ってこそ元気になれるのよ! 傷ついた奴隷を買って手当をしていることは素晴らしいわ。だけど地下に幽閉していては、奴隷への扱いと変わらないんじゃない?!」
むぐっとブランが言葉を詰まらせているのを見て、ヴァネッサはさらに続ける。
「それに、隠すから変な噂が立つのよ。子どもたちの元気な姿をお日様の下で見せれば、誰も勘違いなんてしなくなるわ!」
「だが」
「ノワール様には内緒で子どもたちを勝手に保護したんでしょ? バレるとまずいのはわかってるわ。でもノワール様はいつも仕事でここにはいないじゃない。ちょっとくらい平気よ」
なにか言いたそうにしているブランを押しとどめて、子どもたちを外に出して遊ばせてあげる。
病気の子はヴァネッサの部屋に移動させて、そこで寝かせてあげた。部屋にも太陽の優しい光が差していて、窓から外を見る様子は嬉しそうだ。
「勝手なことを……」
「あら、あなたは子どもたちのあんな素敵な笑顔を見たことがあって?」
ずずいと言いよると、ブランはぷいと顔を横に向けて。
「ない」
少し悔しそうにこぼした。
「ふふ。ブランって、素直じゃないわねぇ」
「なにがだ」
「本当は、子どもたちがああやって遊んでいるの、嬉しいんでしょ?」
ヴァネッサの言葉に、ブランは外にいる子どもを、その長い前髪の隙間からじっと見つめている。
「そう……かもな」
そう言うと同時に、ブランは口の端を上げた。
あら、ブランって本当に不器用なんだわ。
言い方は悪いし、やり方も間違ってたのかもしれないけど……この人には、しっかりと心がある。
「ふふっ」
「なんだ」
「ブランって、いい人だって思って。それが嬉しかったの!」
「やめろ」
「あらやだ、トマが転んでるわ。トマ、大丈夫ー?! ほら、ブラン、急いで行きま……」
ヴァネッサが屋敷を出ようと扉に向かいながら振り向くと、ブランはすでに窓から飛び出してトマに駆け寄っている。
その姿を見て、ヴァネッサの口元はほころんだ。
「ほら、やっぱりいい人」
ヴァネッサは嬉しくなりながら、玄関を出て彼の元に向かった。
140
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
『婚約者を大好きな自分』を演じてきた侯爵令嬢、自立しろと言われたので、好き勝手に生きていくことにしました
皇 翼
恋愛
「リーシャ、君も俺にかまってばかりいないで、自分の趣味でも見つけて自立したらどうだ?正直、こうやって話しかけられるのはその――やめて欲しいんだ……周りの目もあるし、君なら分かるだろう?」
頭を急に鈍器で殴られたような感覚に陥る一言だった。
彼がチラリと見るのは周囲。2学年上の彼の教室の前であったというのが間違いだったのかもしれない。
この一言で彼女の人生は一変した――。
******
※タイトル少し変えました。
・暫く書いていなかったらかなり文体が変わってしまったので、書き直ししています。
・トラブル回避のため、完結まで感想欄は開きません。
【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜
くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。
味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。
――けれど、彼らは知らなかった。
彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。
すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、
復讐ではなく「関わらない」という選択。
だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。
【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。
千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。
だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。
いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……?
と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
もふもふ子犬の恩返し・獣人王子は子犬になっても愛しの王女を助けたい
古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
カーラは小国モルガン王国の王女だ。でも、小国なので何かと大変だ。今国は北の大国ノース帝国と組んだ宰相に牛耳られており、カーラは宰相の息子のベンヤミンと婚約させられそうになっていた。そんな時に傷ついた子犬のころちゃんを拾う王女。
王女はころちゃんに癒やされるのだ。そんな時にいきなりいなくなるころちゃん。王女は必死に探すが見つからない。
王女の危機にさっそうと現れる白い騎士。でもその正体は……
もふもふされる子犬のころちゃんと王女の物語、どうぞお楽しみ下さい。
婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?
パリパリかぷちーの
恋愛
主人公ルシアン・ヴァイオレットは、「悪役令嬢」として振る舞う孤独愛好家の公爵令嬢。念願だった第一王子アランとの婚約破棄を言い渡されると、内心では歓喜し、大都会の喧騒から逃れて森の奥の廃墟同然の別荘へと引きこもる。ルシアンの目的は、誰にも邪魔されない至高の静寂ライフを満喫することだった。
しかし、彼女の理想郷にはすでに先客がいた。それは、無口で無愛想だがハイスペックな謎の男、キース。実は彼は、王国の裏社会を統べる『影の英雄』と呼ばれる辺境伯であり、ルシアンの孤高の姿に心奪われた重度の隠れファンだった。
『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ
夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」
華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる